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many merry bad ENDs 聖女がたどる結末たち  作者: 源泉


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91話 知らないままでは 前編



「シリウス。剣、戻ってきたよ」



ルカが声をかけると、荷物をまとめていたシリウスが顔を上げた。


壁際には、手入れを終えた大剣が立てかけられている。



「刃も見てもらったし、柄も問題ないって」


「助かる」



シリウスは大剣を受け取ると、鞘に収まったまま一度重さを確かめた。

それから右手で柄を握り、ゆっくりと持ち上げる。


以前のように、痛みに顔をしかめることはなかった。


その様子を見ていたルカが口を開く。



「腕も問題なさそうだね」


「医師にも、もう普段通りに使って構わないと言われた」


「うん。僕もそう思う」



そう答えてから、ルカは念を押すようにシリウスを見る。



「でも、治ったからって今日からいきなり無茶はしないでよ」



シリウスが眉を寄せた。



「するつもりはない」


「本当に?」


「お前までフィア様と同じことを言うな」



その言葉に、そばで荷物を確認していたフィアが顔を上げた。



「だって、シリウスは大丈夫って言って無理するから」


「……していません」


「本当に?」



シリウスが言葉に詰まる。

ルカはそれを見て、小さく笑った。



「信用されてないね、シリウス」


「お前が余計なことを言うからだ」


「僕は正しい注意をしただけだよ」



シリウスは小さく息を吐くと、手にした大剣へ視線を落とした。



「それはともかく、剣の手入れについては助かった。そこまで気が回らなかった」


「ちゃんとしておかないと、せっかくの剣がもったいないからね」


「……それと、もう一つ」



シリウスの声が少しだけ真面目になる。

ルカが顔を上げた。



「先日、魔物からフィア様をこの剣で守ってくれたことも、礼を言う」


「……ああ」



ルカは一度だけ目を瞬いたあと、いつものように笑った。



「あの場にいたんだから、当然だよ」


「当然で済ませられることではない」


「そう?」


「そうだ」



短く言い切るシリウスに、ルカは困ったように頬を掻いた。



「じゃあ、その言葉はありがたく受け取っておくよ」


「そうしてくれ」



そこで話を切り上げるように、シリウスは荷物へ目を向けた。


準備はほとんど終わっている。

あとは荷物を持って、この家を出るだけだった。


ルカが机の上に広げていた地図へ手を置く。



「それで」



フィアを見る。



「最後に、行き先だけ確認しておきたいんだけど」



フィアも地図へ視線を落とした。

ここ数日の間に、何度も見た地図だった。


今いる街から街道が伸び、その先に国境の街がある。

さらに向こうには、別の国が広がっている。


ルカは国境の先を指した。



「僕としては、そのまま国境を越えた方がいいと思ってる」



シリウスがルカを見る。



「隣国へか」


「うん」



ルカは迷わず頷いた。



「この国の中にいる限り、教会から完全に離れるのは難しい。国境を越えれば、少なくとも今よりは追いにくくなる」


「……隣の国なら、安全なの?」



フィアが尋ねる。

ルカは少し考えた。



「絶対に、とは言えない」


「……そう」


「ただ、この国にいるより選択肢は増えると思う」



ルカの指が地図から離れる。



「僕は二人をそこまで連れていきたい」



静かな言葉だった。

けれど、決めつけるような響きはなかった。


フィアは地図を見つめる。


国境の向こう。


以前なら、それだけで遠い場所だった。


自分には関係のない場所。

行くかどうかを考えることさえなかった場所。


けれど今は、その道が目の前にある。

フィアは少し迷ってから口を開いた。



「……隣の国に行くかは、まだ分からない」



ルカは何も言わずに待った。



「でも」



フィアは国境近くに描かれた街へ指を置く。



「ここまでは、行ってみたい」


「国境の街?」


「うん」



フィアは頷いた。



「そこまで行って、それから考えたい」



シリウスはすぐに答えた。



「分かりました」



フィアが顔を上げる。

シリウスの青い瞳が、まっすぐこちらを見ていた。



「私は、フィア様がお決めになった道に従います。国境の先へ進むかどうかは、そこで決めればいい」



フィアはゆっくり頷いた。

ルカも異を唱えなかった。



「うん。それでいいと思う」



そう言って地図を畳む。



「じゃあ今の目的地は、国境の街」


「……うん」


「その先は、着いてから考えよう」


「うん」


「決まりだね」



それだけだった。


隣国へ行けとも、行くべきだとも言われなかった。


フィアは、自分で選んだ場所をもう一度胸の中で確かめた。



*



家を出たところで、最初に声をかけてきたのは隣家の老人だった。



「おお、本当に今日発つのか」


「うん。またしばらく戻らないと思う」



ルカが答えると、老人は露骨に残念そうな顔をした。



「せっかく戻ってきたと思ったのにな」


「また来るよ」


「お前の『また』は信用ならん」


「ひどいなあ。今度はちゃんと戻ってくるって」


「その『ちゃんと』も怪しいもんだ」



そんな話をしているうちに、今度は通りの向こうから別の男が手を上げた。



「ルカ!」


「あ、おはよう」


「昨日、女房が礼を言いたいって言ってたぞ!」


「もう十分もらったよ」


「そういう意味じゃねえ!」



その声につられたように、また別の人がルカへ声をかける。


診療所で見かけた女性。

魔物の襲撃で腕を怪我していた男。

その家族らしい人。

近所の店の主人。


フィアはルカの隣を歩きながら、何度も振り返った。



「……ルカ、知り合い、たくさんいるんだね」


「そうかなあ。今回知り合った人もいるからね」


「それもすごいよ」



フィアは後ろを見る。


さっき挨拶をした人が、まだこちらへ手を振っている。


ルカが少し笑った。



「商人だからかな?人と話すのは好きだよ」



後ろを歩いていたシリウスが口を挟む。



「数日いただけで、よくこれだけ知り合いを増やせるな」


「シリウスまで?」


「何をすれば、これほど声をかけられるようになる」


「それ、褒めてる?」


「感心している」


「なら、もう少し褒めてるように言ってよ」



フィアは思わず小さく笑った。

そこへ、前方から三人の男が歩いてきた。


見覚えがある。


先日の魔物の襲撃で一緒に戦っていた、荷馬車の護衛たちだった。



「おお、いたいた!」



一人が大きく手を上げる。

ルカが足を止めた。



「どうしたの?」


「今日出るって聞いたからな。顔くらい見とこうと思って」


「わざわざ?」


「世話になったからな」



男の一人がそう言ってから、シリウスの腰へ目を向けた。



「お、その剣はあんたに戻ったんだな」



シリウスが頷く。



「ああ」


「そりゃよかった」



それから男はルカを見た。



「にしても、あれは驚いたぞ」


「何が?」


「とぼけんなよ」



男が笑う。



「あんな重そうな剣、よく咄嗟に使えたな」



フィアもルカを見る。

シリウスの大剣は、ルカが普段使う剣とは大きさも重さも違う。


あの日のことを思い出す。

ルカはあの大剣を持ち上げ、魔物の攻撃を逸らした。


直後には体勢を崩していたけれど、まったく扱えない人間の動きではなかった。


護衛の男も同じことを思ったらしい。



「細っこいのに、剣まで使えるとは思わなかったぜ」


「ちょっと。褒めるか貶すか、どっちかにしてよ」



ルカは苦笑する。



「それに、できるってほどじゃないよ」



肩をすくめて続けた。



「何でもある程度はできるんだけど、すごく得意なものってないんだよね。器用貧乏ってやつかな」



フィアは眉を寄せた。



「そんなことないよ」



ルカが目を瞬く。

フィアは指折り数えるように続けた。



「薬も分かるし、怪我の手当てもできるし、道もたくさん知ってるし。いろんな人とも知り合いで……剣まで使えるんでしょう?」


「いや、剣は本当に少しだけ」


「でも、できるんだよね?」


「……まあ」


「だったら、すごいよ」



フィアがそう言うと、護衛たちが笑った。



「ほら、言われてるぞ」


「謙遜してる場合じゃねえな」


「はは。そんなこと言われるとは思わなかったなあ」



ルカは困ったように笑う。

周りからも笑い声が上がった。


シリウスだけは笑わずに、ただルカの横顔を静かに見ていた。



*



街を出てしばらくしてから、シリウスが口を開いた。



「ルカ。一つ聞いていいか」


「珍しいね。何?」



街道は穏やかだった。


フィアも二人のすぐそばを歩いていたので、その会話はよく聞こえた。


シリウスがルカを見る。



「剣は、どこで習った」



ルカの足が止まることはなかった。

むしろ少し面白そうに笑う。



「僕が剣を使えること、そんなに気になる?」


「今まで知らなかった」


「使う機会がなかったからね。僕はもっと小さい剣の方が扱いやすいし、持ち歩くにも楽だから」



ルカは少しだけ肩をすくめた。



「まあ、商売で剣も扱うしね」


「商品として、だろう」


「売るからには使い方くらい知ってないと」


「それだけか」


「それだけ」



答えは早かった。


シリウスの眉がわずかに動く。

ルカはそれを見て笑った。



「もっとすごい経歴を期待してた?」


「別に期待はしていない」


「昔、剣豪に拾われて十年間山に籠もって修行したとか」


「そんな話を信じると思うか」


「思わない」



ルカが楽しそうに笑う。

フィアも二人を見ながら少し笑った。


シリウスだけは、まだ納得していないようだった。


けれど、それ以上は聞かなかった。

やがて話題も別のものに変わっていった。


フィアもその時は、ルカが剣を使えることを特別おかしいとは思わなかった。


ルカなら、できても不思議ではない。


それくらいに思っていた。



*



その日の夕方、三人は街道沿いの古い宿へ入った。


国境方面へ向かう旅人がよく利用する場所らしく、建物は古いものの、中は思っていたより賑わっていた。


商人や荷運びの男、その護衛。

旅装を解いた者たちが、それぞれ食事や酒を楽しんでいる。


三人は食堂の端にある席についた。


フィアはいつものようにフードを深くかぶり、髪を隠していた。


食事を終えた頃には酒も進み、周囲の話し声は随分と大きくなっていた。



「国境まであと二日ってところか」


「天気が崩れなきゃな」


「この時期なら大丈夫だろ。それより、向こうに入ってからじゃないか?」



近くの席にいた男が杯を傾けながら言った。



「向こうといや、隣の国もそろそろ王が代わるんじゃないかって話だろ?」


「ああ。今の王は、ここのところあまり人前に出てこないって話だ」



別の男が頷く。



「もういい年だしなあ。いつ世代が代わってもおかしくねえよ」


「次は誰が継ぐんだ?」


「そりゃ王子だろ」


「王子って言っても、あの王には妃が何人もいるからな。誰が継ぐかで揉めそうだ」


「そういや……昔、第一王子が若くして死んだって話がなかったか?」



その言葉に、向かいの男が「ああ」と声を上げた。



「死んだんだったか? 行方が分からなくなったんじゃなかったか?」


「どっちにしろ、それきり戻ってねえんだろ。いないなら同じだろ」


「いや、全然違うだろ」



宿の主人が食器を片づけながら、呆れたように口を挟む。


男たちが笑った。



「まあでも、あの頃は悪いことが続いたんだよな」


「ああ。最初は正妃が病で亡くなったんだろ?」


「その頃だったな。第一王子のことも、聖女のことも」



男が少し声を落とした。



「隣国の聖女は、殺されたって話だ」



フィアの指が止まった。

匙が皿の縁に触れ、小さく音を立てる。



「聖女を失った国には、しばらく次の聖女が生まれないっていうよな」


「ああ。実際、今の隣国には聖女がいないらしい」


「それで結局、何があったのかは今でもはっきりしねえんだよな」


「王家のことも絡むから、表に出せないこともあったんだろ」



フィアは顔を上げた。



「……聖女が、殺されたの?」



思ったよりも、はっきり声が出た。

目の前にいたルカが、すぐにフィアを見る。


話していた男も、離れた席から声をかけられるとは思っていなかったらしく、少し驚いた顔をした。



「ああ。もうずいぶん前のことだけどな」


「どうして……?」



フィアが尋ねる。

男は困ったように首を傾げた。



「それが分からないから、今でも噂になるんだろ」


「聖女が死んだって、何もいいことなんてない。国の守りがなくなっちまうんだ」


「他国が隣国を混乱させるためにやったにしても、殺すくらいなら聖女を連れ出す方がいい」



別の客が酒の杯を置いた。



「たしか、聖女が寝てるところを襲われたって話だったよな」


「違う違う。神殿の中だったろ」


「いや、城じゃなかったか?」



宿の主人が呆れたように笑う。



「お前ら全員、言ってることが違うじゃねえか」


「昔の話なんて、そんなもんだろ」



小さな笑いが起こった。

けれど、フィアは笑えなかった。


殺された聖女。


その言葉だけが、耳の奥に残っていた。

その時、別の客が思い出したように口を開いた。



「そういや、黒髪の男がいたって話もあったよな」


「黒髪?」


「聖女が殺された頃に、見慣れない男がいたとかいう話だ」


「ああ。第一王子が消えた時にも見たってやつか」


「同じ男だったのか?」


「そこまでは知らねえよ」



男が笑う。



「顔まで残ってる話じゃない。黒髪だったってだけだ」



黒髪。

その言葉に、フィアの胸が小さくざわついた。


浮かんだのは、灰色の瞳をした男だった。


アルナト。



「フィア?」



ルカがすぐに反応した。

フィアは我に返り、首を振る。



「……なんでもない」



少し迷ってから、口を開く。



「黒い髪って聞いたから、少し思い出して」



ルカは何も言わなかった。


フィアの表情を見て、それから話を続ける男たちへ視線を向ける。



「まあ、黒髪の人なんていくらでもいるよ」


「……うん」


「これだけ話がばらばらなら、その男の話だって後から付け足されたのかもしれないし」



確かにそうだった。

アルナトと結びつける理由などない。


黒い髪をしている。

ただ、それだけだ。


それでも、一度浮かんだ顔はなかなか消えなかった。


ルカはそんなフィアを少し見つめてから、静かに声をかけた。



「フィア。そろそろ部屋に戻ろうか」


「……もう?」


「今日はたくさん歩いたでしょ」


「でも、まだ平気だよ」


「うん。でも、これ以上聞いても、たぶん本当のことは分からないよ」



声はいつもと変わらず穏やかだった。

フィアは少し迷った。



「……もう少しだけ、聞きたい」



ルカの返事が、一拍遅れた。



「……そっか」



それでも、止めはしなかった。

シリウスは何も言わず、二人のやり取りを見ていた。


その時、近くの客がまた口を開いた。



「でもよ、順番はどうだったんだ?」


「順番?」


「第一王子が消えたのが先だったんだろ?」


「ああ。それで、そのあと聖女が殺されたんじゃなかったか?」



そこで、ルカが反射的に口を開いた。



「逆だよ」



シリウスがルカを見る。

ルカはその視線に気づかないまま続けた。



「聖女が殺されたのが先。そのあとに第一王子が姿を消した」



男が目を瞬く。



「そうだったか?」


「うん。確か、その順番だったはずだよ」



宿の主人が感心したように笑う。



「兄ちゃん、随分詳しいな」


「……まあ」



ルカはすぐに普段通りの笑みを浮かべた。



「向こうの出身だしね。旅してれば、こういう話も耳に入るよ」


「なるほどな」


「そういうこと」



軽く答えて、ルカはフィアへ顔を向ける。



「フィア。今度こそ行こうか」


「……うん」



フィアは頷いた。

席を立ちながら、先ほどの会話を思い返す。


本当のことは分からないと言っていたのに。

ルカは、どうして順番まで知っていたのだろう。


そんな疑問が、ほんの少しだけ残った。


けれど、ルカは隣国の出身だ。

どこかで聞いていても、おかしくはない。


フィアはそれ以上考えず、ルカの後を追った。



シリウスだけが、何も言わずルカの横顔を見ていた。

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