↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
many merry bad ENDs 聖女がたどる結末たち  作者: 源泉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

124/137

87話 ひとつの隠れ家 後編

ルカが戻ってくると、夕食の支度が始まった。

台所に残っていたのはほとんど調味料だったため、パンや肉を買い足したという。


ルカが抱えた野菜についてフィアが尋ねると、近所の人たちが畑から分けてくれた、と笑う。


フィアは袖をまくり、ルカの隣へ立った。



「私も手伝える?」


「じゃあ、この野菜を洗ってもらえる?」


「うん」


「切るのは僕がやるから、そっちが終わったら器を出してくれるかな」


「分かった」



シリウスも立ち上がった。



「器なら私が――」


「シリウスは座ってて」



フィアが即座に振り返る。



「しかし、それくらいは」


「今日は私がやるの」



ルカも笑いながら加わった。



「そうそう。シリウスを休ませる日だからね」


「……」


「どうしても何かしたいなら、味見係をお願いしようかな」



シリウスは少し考えた。



「……それなら」


「本当に引き受けるんだ」



ルカが笑う。



「何を期待していた」


「いや、もう少し断るかと思って」


「座っているだけよりは、役に立てる」


「じゃあ、頼りにしてるよ」



しばらくすると、鍋から温かな匂いが立ち始めた。

ルカがスプーンで少しすくい、フィアへ渡す。



「これ、味見係さんによろしく」



フィアが慎重にスプーンを運び、シリウスの口元へ差し出す。



「……フィア様」



シリウスが左手でスプーンを受け取ろうとするがフィアは渡さない。

やがて諦めたように口を開き、スープを飲んだ。



「……少し、塩が足りませんね」


「ルカ、塩が足りないって!」


「はは、ちゃんと味見してくれるんだ」


「塩はどのくらい足せばいいの?」



フィアが尋ねる。



「まずは少しずつね。入れすぎると戻せないから」


「うん」



二人は味を確かめながら、楽しそうに鍋を覗き込んでいた。


シリウスは椅子へ腰かけたまま、その様子を眺めた。

フィアが何かを尋ね、ルカが答える。


ルカが冗談を言い、フィアが笑う。

特別なことは何も起きていない。


それが、今はひどく穏やかに感じられた。


やがて夕食ができあがり、三人は卓を囲んだ。

フィアは自分の器を置くと、シリウスの前へ回った。



「シリウス、はい」



差し出されたスプーンを見て、シリウスは一瞬、意味が分からなかった。



「……フィア様?」


「食べさせてあげる」


「いえ、左手は使えますので」


「でも、今は休んでるんでしょ?」


「食事は腕を休めることと、あまり関係が……」


「はい」



フィアはスプーンを差し出したまま待っている。

シリウスが返事に困っていると、隣から別のスプーンが伸びてきた。



「僕が食べさせてあげようか?」



ルカだった。



「断る」



シリウスは即座に答えた。

ルカは楽しそうに笑う。



「僕が嫌なら、フィアに食べさせてもらいなよ」


「お前は楽しんでいるだけだろう」


「うん」


「否定しないのか」


「だって、フィアがせっかく張り切ってるし」



シリウスはフィアを見た。


彼女はスプーンを持ったまま、期待するようにこちらを見つめている。



「……フィア様」


「なに?」


「左手で食べられます」


「知ってるよ」


「でしたら……」


「今日は、私にさせてほしい」



シリウスは言葉を止めた。

少し考え、差し出されたスプーンへ顔を寄せる。


フィアが嬉しそうに笑った。



「どう?」


「……美味しいです」


「よかった」



ルカが横で肩を震わせている。

シリウスはそちらを見た。



「ルカ」


「何?」


「笑うなら、向こうへ行け」


「ごめん。無理かも」



フィアが次の一口をすくった。



「シリウス、もう一口ね」


「……はい」



結局、食事の間、フィアは何かとシリウスの世話を焼いた。

ルカが時折余計なことを言い、シリウスが返し、そのたびにフィアが笑った。


食器を片づける頃には、窓の外がすっかり暗くなっていた。



*



夕食のあと、フィアは卓を拭きながらルカへ声をかけた。



「ルカ」


「どうしたの?」


「ルカの隠れ家が、近くにあってよかった」


「そうだね。予定より遠回りしたけど、ちゃんと着けてよかったよ」


「……ありがとう」



ルカが顔を上げる。



フィアは拭いていた布を畳んだ。



「あの道で困ってた時も、商人さんたちに話してくれたでしょ。シリウスの腕も休ませられるし、ここにも泊めてもらえるし……またルカに助けてもらっちゃった」



ルカは少しだけ目を丸くした。

それから、いつものように微笑んだ。



「どういたしまして。僕も、二人とここまで来られてよかったよ」


「うん」



フィアが笑う。

シリウスも二人の方を向いた。



「私からも、改めて礼を言う。あの道を歩いていれば、フィア様にも負担をかけた」


「シリウスまで。二人とも、そんなに改まらなくていいのに」


「それでも、助かったことに変わりはない」



ルカは肩をすくめた。



「じゃあ、その分、ちゃんと腕を休ませてね」


「……ああ」


「明日はお医者さんに診てもらって、そのあとはゆっくりしよう」



フィアが頷く。



「私も一緒に行く」


「じゃあ、二人で連れて行こう。シリウスがちゃんと行くか怪しいからね。そのあと、時間があったら市場でも見ようか」


「うん」



ルカは残った食器をまとめ、立ち上がった。



「じゃあ、今日は早く休もう。ずっと移動してたんだから」



寝室は二つあった。

フィアとシリウスが一方を使い、ルカがもう一方へ入ることになった。


シリウスが寝台の位置を確かめていると、フィアは自分の荷物を置き、窓辺へ歩いていった。



「静かだね」


「ええ」


「明日も、ここで眠れるんだよね」


「そうですね」


「……よかった」



フィアは小さく笑い、寝台へ戻った。

シリウスは彼女が横になるのを見届け、灯りを落とした。



*



フィアが眠ってから、シリウスはそっと寝室を出た。


右腕を使わずに戸を閉め、宿に泊まる時と同じように、家の中を見回る。


裏口の鍵を確かめ、窓の留め具に触れる。

表の戸も、きちんと閉まっていた。


シリウスは食事をした部屋へ戻った。

卓の上には、フィアが気に入った木の鳥が置かれている。


その隣には畳まれた地図。

棚には薬や旅道具が収まり、生活に必要なものが一通り揃っていた。


ここは小さな家だった。


豪華な家具があるわけでも、珍しい品ばかり並べられているわけでもない。


半年の留守中、近所の老夫婦に管理を頼んでいるという説明にも、不自然なところはなかった。


それでも、シリウスは昼間の会話を思い出した。



『一人で気楽にやってるんだ』



ルカは交易商たちにそう言っていた。

大きな商会に属しているわけではない。


シリウスは、それを今日初めて知った。

これまで、気にしたことさえなかった。


そもそも、自分は商売について詳しいとは言えない。

聖騎士として、フィアの守護騎士として務めてきた日々に、交易の仕事を知る機会はほとんどなかった。


商人が各地に拠点を持つこと自体は、珍しくないのだろう。

だが、ルカは一人で旅をしていると言いながら、行く先々で必要なものを用意している。


以前にも別の隠れ家を訪れた。

ここにも、暮らせるだけのものが揃っている。


地図を指した時、ルカはさらに多くの場所を挙げていた。


どこから冗談だったのかは、分からない。

シリウスは卓の地図へ目を落とした。


交易路での振る舞いも、検査所での対応も、旅慣れた商人なら不思議ではないのかもしれない。


体調の悪い御者を診たことも、書類や積荷に詳しかったことも、それぞれに理由はあるのだろう。


だが、ルカはそのすべてを、迷うことなくこなしていた。

そして、各地には、こうして滞在できる場所まで用意している。


シリウスは卓の地図から目を離した。


ふと、アルナトのことも思い出した。


あの男は、同行の報酬の一部として、ルカと話すことを求めていた。

フィアのことも、シリウスのことも、アルナトはすでに知っていた。

ならば、ルカに何を聞きたかったのだろう。


護衛と道案内の報酬に代えてまで、あの男が知りたかったことは何だったのか。

シリウスには、見当もつかなかった。


この男は、どういう商人なのだろう。

シリウスは、隣の寝室へ続く戸を見た。


今日もルカはフィアを笑わせ、自分の腕を気遣い、休める場所を用意してくれた。


感謝している。

友人として信頼していることも、変わらなかった。


けれど、ルカにはまだ、商人という肩書きだけでは説明できない何かがある。


シリウスはそれ以上考えず、戸締まりをもう一度確かめた。


木の鳥が、卓の上で静かに翼を畳んでいる。

明日はフィアとともに医者へ行く約束だった。


今夜は、そのために休むべきだろう。

シリウスは灯りを消し、フィアの眠る部屋へ戻った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。