85話 白い髪の褒美
翌朝、ルカが目を覚ますと、フィアは窓辺に立っていた。
昨日もらった白い花を小瓶から取り出し、茎についた水を指先で払っている。
花はまだ咲いていたが、昨日より少しだけ花びらが下を向いていた。
「おはよう、フィア」
声をかけると、フィアが振り返った。
「おはよう、ルカ」
「身体はどう?」
「昨日より軽いよ。まだ少し疲れてるけど、普通に歩くくらいなら大丈夫だと思う」
「そっか。よく眠れた?」
「うん」
フィアは頷き、手元の花を見た。
「……これ、持っていきたい」
「花?」
「うん。何か包めるもの、あるかな」
ルカは荷物の中から、商品の包みに使う薄い紙を取り出した。
「これでよければ使って」
「ありがとう」
フィアは紙を受け取り、花びらを傷めないように白い花を包んだ。
それを荷物の上の方へしまっていると、隣の寝台からシリウスも身体を起こした。
「おはようございます、フィア様」
「おはよう、シリウス。腕は?」
「昨日と大きくは変わりません。痛みはありますが、歩く分には支障ありません」
「剣は使わないでね」
「はい。医者にも言われていますので」
フィアが少し安心したように頷く。
ルカも寝台から起き上がり、出発の支度を始めた。
外套を羽織り、襟元に小さな飾りを留める。
その時、フィアがこちらを見た。
「……つけたんだ」
「ん?」
「琥珀色の」
ルカは自分の襟元へ目を落とした。
以前、フィアが選んでくれた琥珀色の飾りが、そこについている。
「ああ。言われたからね」
フィアが微笑んだ。
「似合ってる」
「君が選んだんだから、当然でしょ」
「そうなの?」
「僕に似合うものを選んでくれたんじゃないの?」
「……そうだけど」
少し照れたようにフィアが視線を落とす。
ルカが笑うと、支度をしていたシリウスが二人を見比べた。
「何の話だ?」
「昨日少し話したんだ。せっかくフィアが選んでくれた飾りを、僕がつけてなかったって」
「そうか」
「ねえ、もう少し気にしてよ、ヤキモチ妬くとかさあ」
「フィア様が嫌がっていないのなら構わない」
シリウスはそれだけ答え、自分の荷物へ手を伸ばした。
右腕を庇いながら、大剣の剣帯を持ち上げる。
ルカはその動きを見て、手を止めた。
「シリウス、それ貸して」
「何を?」
「剣」
シリウスが顔を上げる。
「なぜだ」
「僕のと交換しようと思って」
ルカは自分の短刀を外し、シリウスへ差し出した。
「昨日、医者に言われたでしょ。数日は剣を振るなって」
「持っているだけなら問題ない」
「何かあったら使おうとするでしょ?」
シリウスは黙った。
ルカは短刀を軽く持ち上げる。
「こっちなら左手だけでも扱えるでしょ。何かあった時の護身用として持っておいてよ」
「短刀では間合いが違う」
「今の腕で大剣を振るよりはいいと思うけどね」
シリウスは短刀を見たまま、少し考えた。
「……お前が私の剣を持つのか」
「そう。しばらく預かっておくよ」
「重いぞ」
「そこは持ってみれば分かるかな」
ルカが手を伸ばすと、シリウスはようやく剣帯を外した。
受け取った大剣には、普段持ち歩いている商品とは違う重みがあった。
ルカは肩に掛けられるよう剣帯を調整し、代わりに短刀をシリウスへ渡す。
シリウスはそれを左手で抜き、長さを確かめてから鞘へ戻した。
「……分かった。しばらく借りる」
「返すのは腕が治ってからでいいよ」
フィアが二人のやり取りを見ていた。
「ルカは大丈夫?重くない?」
「持って歩くくらいなら平気」
「疲れたら言ってね」
「その時はシリウスに文句を言うよ」
「私に言われても困る」
「じゃあ剣に言うよ」
ルカが笑うと、シリウスは呆れたように息を吐いた。
三人の支度がひと段落したところで、ルカは財布を取り出した。
「じゃあ、僕は少し買い物をしてくるよ。食料と水、それから薬も見ておきたいし」
フィアが顔を上げる。
「私も一緒に行く?」
「今日はまだ休んでて。出発したら歩くことになるから」
「……うん」
「シリウスも腕を休ませておいてね」
「分かっている」
「本当に?」
「分かっていると言っているだろう」
ルカは笑って財布をしまった。
「じゃあ、行ってくるよ」
*
朝の村は、昨日より少し賑やかだった。
街道沿いの店が開き、荷車へ品物を積み込む人々の声が聞こえている。
宿の前では旅人が道を尋ね、商店には野菜や保存食が並べられていた。
ルカはまず食料を扱う店へ入った。
干した肉と日持ちするパン、それから道中で使う塩を選ぶ。
水を入れる革袋も一つ買い足しておきたい。
品物を見ながら、ルカは残りの金を計算していた。
アルナトに払った報酬は、半分返されたとはいえ小さな額ではなかった。
そこへ宿代と診療代、三人分の食料代も重なっている。
当面の旅を続ける分はあるが、余裕は少なくなっていた。
いざとなれば、どこかの村で簡単な診療を引き受けてもいい。
薬の扱いには慣れているし、多少の医術も心得ている。
熱や腹痛、軽い怪我の手当てなら、金を払ってでも診てもらいたい人はいるだろう。
ただ、シリウスの腕のような怪我は専門外だった。
あれほど強く打ちつけたあとの状態を、外から見ただけで詳しく判断することはできない。
ルカは棚から包帯と傷薬を取り、食料の隣へ置いた。
問題は、この先の道だった。
昨夜は国境へ続く街道を確認していた。
このまま進めば、数日先に頼れる人間の住む街がある。
そこまで行ければ、金や物資の都合もつけられるだろう。
けれど、シリウスの右腕が治るまでには、もう少し時間がかかる。
フィアも一晩休んで歩ける程度には回復したが、山道での逃走が続けば、また身体に負担がかかる。
少し戻った街には、ルカ自身の隠れ家があった。
金と荷物を置いてある場所だ。
そこへ行けば、今後の旅の準備を整えられる。シリウスの腕を休ませる時間も取れるだろう。
戻る分だけ遠回りになり、追手と遭遇する危険も増える。
それでも今の三人には、一度態勢を整える方がよさそうだった。
ルカは棚の品物へ目を向けたまま、もう一つ気にかかっていることを考える。
フィアもシリウスも、国境の向こうへ向かう話は知っている。
フィアは以前、知らない場所を見てみたいと言っていた。国境の向こうにも興味を持っている。
ただ、そこをこの旅の行き先にするかどうかは、まだ三人できちんと決めていなかった。
フィアが少し見てみたいと思うことと、その国へ向かうことを選ぶのは別の話だ。
シリウスの考えも、改めて聞いておきたい。
隠れ家へ戻るなら、その間に話す時間も作れる。
ルカは品物をひと通り選び、店の主人へ渡した。
主人が数を確かめていると、店の奥から客の声が聞こえてきた。
「そういや、隣町に立派な馬車が来たって話、聞いたか?」
「ああ。誰か探してるんだろ?」
ルカは財布から硬貨を取り出した。
店の主人が釣り銭を用意しながら、奥へ声をかける。
「何だ、まだ見つかってないのか」
「さあな。探してるのは白に近い髪の女だって話だが」
ルカの指先が止まった。
奥の客が続ける。
「見つけた者には褒美が出るんだと。結構な額らしいぞ」
「白い髪の女ねえ。何をしたんだ?」
「貴族の娘が逃げたとか、何か盗んだとか、話す奴によって違うんだよ。教会が絡んでるって言う奴もいたな」
「そんなに金が出るなら、よほど探したいんだろう」
「馬車で来た連中に知らせればいいらしい。俺も隣町から来た行商人に聞いただけだけどな」
主人が硬貨を数え、ルカへ釣り銭を差し出した。
「はいよ。これで全部だ」
「ありがとう」
ルカはいつも通り笑って受け取り、買った品物を袋へ詰めた。
「また寄るよ」
「気をつけてな。山の方はまだ道が悪いらしいから」
「分かった。ありがとう」
店を出ると、街道には朝の日差しが差していた。
ルカは人の流れに合わせて歩きながら、聞いた話を整理する。
白に近い髪の女。
立派な馬車。
見つけた者への褒美。
隣町から持ち込まれた噂が、もうこの村にまで届いている。
昨日は人通りの多さに安心したが、出入りする人間が多いということは、こうした話も早く伝わるということだった。
ルカは買い物袋を持ち直し、宿へ向かった。
*
部屋へ戻ると、フィアは窓辺に座っていた。
シリウスは少し離れた椅子に座り、左手で短刀の鞘を確かめている。
ルカが入ってきたのを見て、二人とも顔を上げた。
「おかえり、ルカ」
「ただいま」
ルカは買ってきたものを机へ置いた。
「必要なものは揃ったよ。それと、ちょっと話がある」
シリウスが短刀を置く。
「何だ?」
「買い物をしてたら、変な噂を聞いたんだ」
フィアが首を傾げた。
「噂?」
「白に近い髪の女を探してる人たちがいるらしい。見つけたら褒美が出るって」
フィアの手が、膝の上で止まった。
シリウスも表情を引き締める。
「誰が探している」
「詳しくは分からない。隣町に立派な馬車が来て、その人たちに知らせれば褒美が出るらしいよ」
「教会か?」
「教会が絡んでるって話もあった。貴族の娘を探してるとか、盗人だとか、噂はばらばらだったけどね」
フィアが自分の髪へ触れた。
フードは外しているが、白金の髪は布でまとめたままだ。
「……私のことかな」
ルカは頷く。
「可能性は高いと思う」
シリウスが椅子から立ち上がった。
「ならば、早くこの村を出るべきだ」
「僕もそう思う」
ルカはフィアへ目を向けた。
「一晩休んで、身体はどう?」
フィアは一度、自分の脚へ目を落とした。
「歩けるよ。昨日よりずっと楽」
「それなら、もう出た方がいいと思う。ここに長くいるほど、噂を聞く人も増えるだろうし。フィアはどうかな」
フィアはルカとシリウスを見た。
「……行こう」
シリウスが頷く。
「私も、それがよいと思います」
ルカは机の上へ地図を広げた。
「それで、もう一つ相談したいことがあるんだ」
「何?」
フィアが近づく。
ルカは地図の上で、今いる村を指した。
「僕が荷物を置いてる街があるんだけど、一度そこへ戻りたいと思ってる」
シリウスが眉を寄せる。
「戻るのか?」
「うん。少し遠回りになるけど、金と荷物がある。ここから国境方面へ進む前に、一度準備を整えておきたいんだ」
「追手に近づくことになる」
「それは分かってる」
今のまま国境へ進んでも、手持ちの金と物資では、途中で足を止めることになりかねない。
追手が近づいてから動けなくなるよりは、まだ余裕のあるうちに準備を整えておきたかった。
ルカは地図の上で道を辿った。
「昨日通った山道は使わず、街道の分かれ道から回れる。時間はかかるけど、今のシリウスの腕で急いで国境まで進むよりはいいと思う」
シリウスは黙って道を見る。
「それに、二人に改めて確認しておきたいこともあるからね」
ルカが言うと、フィアが顔を上げた。
「何を?」
「国境の向こうへ行くこと」
ルカは地図から手を離した。
「前にも話したけど、僕は隣国の方が安全だと思ってる。今でもその考えは変わらないよ。ただ、そこを行き先にするかどうかは、まだちゃんと決めてなかったでしょ」
フィアは少し考えた。
「……うん」
「だから、まずは僕の荷物を取りに戻って、その間に考えてほしい。シリウスの腕も休ませたいしね」
シリウスがルカを見る。
「……お前は、最初から国境の向こうまで行くつもりだったのか」
「僕はね。フィアを案内するなら、そこがいいと思ってた」
「その先に、頼れる者がいるのか」
「いるよ。今の僕より、ずっと余裕のある暮らしをしてる人たちがね」
ルカが軽く笑うと、シリウスは少しだけ目を細めた。
「ずいぶん都合がいいな」
「商人は人脈が大事だから」
「……そうか」
シリウスはそれ以上追及せず、再び地図へ視線を戻した。
フィアが、二人の間に置かれた地図を覗き込む。
「戻る街は、遠い?」
「少しね。でも、ちゃんと休みながら行ける距離だよ」
「そこには、ルカの荷物があるんだよね」
「うん。金もあるし、旅を続けるための準備もできる」
フィアは頷いた。
「じゃあ、そこに行こう」
「いいの?」
「うん。シリウスの腕も、もう少し休ませた方がいいと思うから」
シリウスがフィアを見る。
「フィア様」
「それに、国境の向こうのことも、まだよく知らないし」
フィアは地図から顔を上げた。
「考える時間があるなら、私もそうしたい」
ルカは頷く。
「分かった。じゃあ、一度僕の荷物を取りに戻ろう」
シリウスも地図を見下ろした。
「道の確認は任せる。ただし、追手を避けられる道を選んでくれ」
「もちろん」
ルカは地図を畳む。
「じゃあ、支度をしようか。昼になる前には出たい」
フィアは自分の荷物へ向かった。
白い花を包んだ紙が、袋の上に見えている。
それを潰さないように慎重に袋を閉じると、髪をまとめる。
鏡の前で布を結び直し、白金の髪を丁寧に隠していく。
最後にフードを被り、横から見て髪が覗かないか確かめた。
「これで大丈夫かな」
ルカが振り返る。
「うん。ちゃんと隠れてるよ」
「分かった」
フィアは頷き、荷物を持った。
シリウスも短刀を腰に留める。
まだ馴染まないのか、何度か位置を直していた。
ルカはその様子を見て笑った。
「使いにくそう?」
「長さが違う」
「そりゃそうだよ」
「……妙に軽い」
「そのうち慣れるって。しばらくは使わないで済むのが一番だけどね」
シリウスは短刀から手を離した。
「分かっている」
三人は荷物をまとめ、部屋を出た。
*
宿の主人は、朝のうちに出発すると聞いても特に驚かなかった。
「もう出るのかい?」
「うん。道の様子を見ながら進みたくて」
ルカが答えると、主人は頷いた。
「このところ雨が続いたからねえ。山の方は崩れたところもあるし、急いで別の道を探してる旅人も多いよ」
「そうみたいだね」
「気をつけて行きなよ」
「ありがとう」
宿を出ると、街道は朝から賑わっていた。
荷車を引く馬の足音がし、店先では品物を積み込む人々が声をかけ合っている。
三人もその中に混じり、村の出口へ向かった。
ルカは歩きながら、これから使う道を頭の中で確かめていた。
まずは街道を少し戻る。
それから分かれ道へ入り、隠れ家のある街を目指す。
回り道にはなるが、今の三人には、その方がいい。
「フィア、歩く速さは大丈夫?」
ルカが声をかけると、フィアが頷いた。
「うん。疲れたら教える」
「そうして」
シリウスもフィアのそばを歩いている。
いつも腰にあった大剣は、今はルカが預かっていた。
村の出口には、行商人の馬車が何台か並んでいた。
商人たちが荷を積み込み、街道には人が行き交っている。
三人がその間を抜けようとした時、荷車が一台、横を通り過ぎた。
道幅が狭くなっていたため、フィアが少し端へ寄った。
その時、街道を抜ける風がフードの縁を持ち上げた。
布の隙間から、白金の髪が一房だけこぼれる。
フィアはすぐにフードを押さえ、髪を内側へしまい直した。
「大丈夫?」
ルカが尋ねる。
「うん。風が強くて」
「荷物、持とうか?」
「大丈夫だよ」
フィアは荷物を持ち直し、また歩き始めた。
ルカも前へ向き直る。
三人は行商人の馬車の脇を抜け、村を離れた。
畑の続く道へ出ると、少しずつ家並みが遠ざかっていく。
フィアが一度だけ振り返った。
「どうしたの?」
ルカが尋ねると、フィアは少し考えてから答えた。
「……昨日の花をくれた人、いたかなと思って」
「そっか。見かけた?」
フィアは首を横に振る。
「ううん。でも、もらえてよかった」
「うん」
フィアは荷物へそっと手を添え、前を向いた。
ルカもその先に続く街道を見る。
隠れ家のある街までは、まだ少し距離がある。
シリウスの腕を休ませ、必要なものを揃えて、それから先のことを三人で決めればいい。
ルカは肩に掛けた大剣の位置を直し、二人に歩調を合わせた。
朝の村は、もう背後に小さくなっていた。




