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many merry bad ENDs 聖女がたどる結末たち  作者: 源泉


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76話 二人で一つ

翌朝、フィアは目を覚ました時から、身体が少し重かった。


眠ったはずなのに、まだ眠い。

喉の奥にも、薄い膜が張りついているような違和感がある。


けれど、痛いというほどではなかった。


昨日までずっと歩き続けていたのだから、疲れが残っているだけだろう。


フィアはそう思い、特に言葉にはしなかった。

朝食も食べられた。


外では雨が細く降り続いていたが、昨日までのような激しさはない。

屋敷の中は暖かく、急いで出発する必要もない。


それだけで、身体のどこかに張りつめていたものが少しずつ緩んでいく気がした。



「昨夜は急なことでしたから、一室しかご用意できず失礼しました」



朝食のあと、ヴァレリウスがそう言った。



「今日はそれぞれのお部屋を整えさせました。ご案内しましょう」


「そこまでしてもらわなくてもいいのに」



ルカが軽く笑う。



「数日とはいえ、客人ですから」



ヴァレリウスは当然のことのように答えた。



「狭い部屋で過ごす必要はないでしょう」



そのまま三人は、ヴァレリウスに案内されて屋敷の奥へ向かった。

昨日通った場所とは違う道だった。


長い回廊の窓からは、雨に濡れた中庭が見える。 さらに奥には温室らしい硝子張りの建物があり、その向こうには別棟へ続く屋根付きの通路も伸びていた。


山の中にあるとは思えないほど、屋敷の中だけでいくつもの場所がつながっている。



「……広い」



フィアが小さく呟く。


「古い家ですからね。増築を繰り返した結果ですよ」


「迷いそうだね」


「使用人ですら最初は迷います」



ヴァレリウスは淡々と答えた。

ルカが笑う。


「それ聞いて安心したよ。僕だけじゃなかったんだ」


「貴方は以前も迷っていましたね」


「覚えてたんだ」


「よく覚えていますよ」



そんな話をしながら、少し狭い石造りの階段へ差しかかった。


一人ずつなら余裕があるが、二人並ぶには少し窮屈な幅だった。


フィアが先に足を下ろす。


濡れているわけではない。

手すりもある。


それでも、すぐ後ろにいたシリウスは自然に位置を変えた。


フィアより一段下。

手を伸ばせば、すぐ届く距離。


けれど、その手がフィアへ触れることはない。


フィアも特に気に留めず、一段ずつ階段を下りていく。

途中で一度足を止めれば、シリウスも止まった。


再び進めば、同じ間隔を保ってついてくる。

それを、ヴァレリウスは何も言わず見ていた。


階段を下りきると、シリウスはまたフィアの少し後ろへ戻る。


危険がなくなれば、距離も戻る。

それもまた、ごく自然な動きだった。



「こちらがフィアさんのお部屋です」



案内されたのは、中庭に面した明るい客室だった。


昨日三人で過ごした部屋より少し小さいが、フィア一人には十分すぎるほど広い。


寝台のほかに小さな机と椅子があり、窓辺には淡い色の花が飾られていた。



「隣がシリウスさん、その向こうがルカの部屋です」


「僕、一番遠いんだ」


「一部屋分でしょう」


「そうだけどさ」



ルカの軽口に、フィアは小さく笑った。


シリウスも何も言わなかったが、フィアの隣の部屋だと分かると、少しだけ表情が緩んだように見えた。



「ほかにも、自由に使っていただける談話室があります。こちらです」



ヴァレリウスが再び歩き出す。

フィアもそのあとへ続いた。


けれど、廊下へ出て少ししたところで、喉の奥が急にむず痒くなった。



「……こほっ」



小さな咳だった。

一度だけ。



「フィア様?」



すぐ近くでシリウスの声がした。


足を止めたフィアが顔を上げる。

シリウスはすでにこちらを見ていた。


少し遅れて、ルカも振り返る。



「フィア、大丈夫?」


「うん……」



いつものようにそう答えかけて、フィアは一度自分の身体を確かめた。


朝から続いている重さと喉の違和感。

まだ眠いような、ぼんやりした感覚。



「……少し、変かも」



シリウスの眉がわずかに寄った。



「どこか痛みますか?」


「痛くはないよ。ちょっと身体が重くて、喉も変な感じ」


「熱はありませんか?」


「分からない」



シリウスは一瞬だけ迷った。

それからフィアの前に立つ。



「失礼します。触れてもよろしいでしょうか?」


「うん」



シリウスの手が、そっと額へ触れる。


額に触れた手は冷たかった。

その温度が気持ちよくて、フィアはほんの少し目を細める。



「……今のところ、高い熱ではなさそうですが」


「疲れじゃない?」



ルカが覗き込む。



「昨日かなり歩いたし、雨にも濡れたからね」


「そうかも」


「無理して歩き回る必要はないよ」


「うん」



素直に頷くと、ルカが少しだけ安心したように笑った。



「よし。前より聞き分けがいい」


「何それ」


「褒めてるんだよ」



ヴァレリウスは少し離れたところから、そのやり取りを見ていた。


特に口を挟むことはなかった。


ただ、フィアの額からシリウスの手が離れるまで、その視線は静かに二人へ向いていた。



「談話室はすぐそこです」



ヴァレリウスが言う。



「少し休まれては?」


「……そうします」



案内された部屋には、柔らかな椅子と小さな卓が置かれていた。

暖炉にも火が入っている。


フィアが腰を下ろすと、シリウスはそのすぐ近くに立った。

座るわけでもなく、離れるわけでもない。


手を伸ばせば届く。

けれど、必要がなければ触れない。

ヴァレリウスは、そんな二人の距離をしばらく眺めていた。



「シリウスさん」


「はい」


「貴方は、常にそうなのですか」



シリウスがヴァレリウスを見る。



「何がでしょう」


「フィアさんに対してです」



ヴァレリウスは薄く微笑んだ。



「随分と自然に、彼女を守るのですね」



シリウスは一瞬だけ黙った。

フィアも二人を見る。



「……私の役目ですから」



シリウスはいつもと変わらない声で答えた。



「そうですか」



ヴァレリウスはそれだけ言って微笑んだ。

肯定したようにも、何か別の答えを得たようにも見える。


その表情からは、本心が読めなかった。

シリウスも少しだけ目を細めたが、それ以上は何も言わない。


ルカは窓辺に寄りかかりながら、黙って二人を見ていた。

今度はヴァレリウスの視線がフィアへ向いた。



「フィアさんにとっても、彼が傍にいることは当然なのですか」


「え?」



問いの意味がすぐには分からなかった。

フィアは隣に立つシリウスを見る。


ずっと、いた。


教会でも、旅に出てからも。

怖い時も、眠れない夜も。


一度離れた時には、その不在が思っていた以上に大きいことを知った。


守護騎士だから。

そう言ってしまえば、それだけなのかもしれない。


けれど、今はもう、それだけではないような気もした。



「……当然かは、分からないけど」



フィアはシリウスを見る。



「必要です」



自分の声が、思ったより小さく響いた。


シリウスがフィアを見る。


わずかに目を見開いたように見えた。

けれど、何も言わなかった。


ヴァレリウスはそんなシリウスへ視線を移し、またフィアを見る。



「そうですか」



それだけだった。

問い返さない、理由も聞かない。


ただ、何かを確かめ終えたように静かに頷いた。

フィアには、なぜそんなことを聞かれたのか分からなかった。


少し変わった人なのだろう。

昨日から、何度かそう思っている。


けれど、不快な質問だったわけでもない。


フィアは椅子の背へ身体を預けた。


暖炉の火は十分に暖かい。

それなのに、ふと背中を冷たいものが走った。


肩がわずかに震える。



「……寒い」



呟いた声に、シリウスが即座に反応した。



「フィア様?」


「シリウス……少し寒い」



すぐにシリウスが近くへ来る。

フィアが顔を上げると、青い瞳がまっすぐこちらを見ていた。



「もう一度、失礼します」



言葉はすぐに出たのに、その手はフィアの前で止まっている。


フィアが頷く。

その瞬間、シリウスの手が額に触れた。



「……先ほどより熱い」


「見せて」



ルカもすぐに近づいた。

フィアの額と頬に触れ、それから手首を取る。



「熱、上がってきたね」


「そんなに?」


「今すぐどうこうってほどじゃない。でも休んだ方がいい」


「……うん」



身体が重い理由が分かった途端、急にその重さを強く感じた。


頬が熱い。

なのに、身体の内側は冷える。


立ち上がろうと椅子へ手をついたところで、足元が少し揺れた。



「フィア様」



シリウスがすぐに腕を伸ばす。


そのまま身体を抱き上げようとしたのが分かり、ルカが止めた。



「待って」



シリウスの動きが止まる。



「君、その腕で何する気?」


「部屋までお運びします」


「昨日怪我したばっかりで?」


「歩かせるよりは」


「君まで悪化したら意味ないでしょ」



シリウスは黙った。

ほんの一瞬だけ、自分の肩を忘れていたようだった。


フィアはそれに気づき、弱く首を振る。



「歩けるよ」


「ですが」


「支えてもらえれば、大丈夫」



シリウスは少し迷ったあと、頷いた。



「……分かりました」



怪我をしていないほうの腕で、そっとフィアを支える。


腰を抱くほど強くはない。

腕を添え、体重を預けられるようにするだけ。


フィアもその支えを拒まなかった。


ルカが反対側につこうとして、それから一度フィアの様子を見る。



「二人で大丈夫そう?」


「うん」


「じゃあ僕は先に行って、部屋を暖めてもらう。水と薬も頼んでくるね」


「ありがとう」


「お昼も、食べやすいものを部屋に運んでもらうよう頼んどく。朝は食べられてたけど、熱が上がると食欲落ちるかもしれないし」


「……うん」


「それから、薬持ってくるまで少しだけ起きててね」


「分かった」


「よし」



ルカはすぐに廊下へ出ていった。

フィアもシリウスに支えられながら立ち上がる。


その時、ヴァレリウスが声をかけた。



「体調のことは使用人にも伝えておきましょう。ほかにも必要なものがあれば何でも申しつけてください」


「すみません……」


「謝る必要はありませんよ」



穏やかな声だった。



「具合の悪い客人を休ませるくらい、当然のことです」



フィアは小さく頭を下げる。

その横で、シリウスも礼をした。



「ありがとうございます」


「どうぞ、お大事に」



それ以上ヴァレリウスはついてこなかった。

邪魔をするつもりはないらしい。


ただ、フィアがシリウスに支えられて廊下を進み始めるまで、その場に立っていた。


部屋へ入る頃には、寒気はさらに強くなっていた。

ルカが先に使用人へ話を通してくれていたらしく、暖炉には新しい薪が足されている。

寝台の毛布も一枚増えていた。


フィアはシリウスに支えられながら腰を下ろす。



「もう大丈夫」


「横になってください」


「うん」



靴を脱ぎ、毛布の中へ入る。

暖かいはずなのに、まだ少し寒い。


しばらくして、ルカが水差しと小さな包みを持って戻ってきた。



「薬、もらってきたよ」


「ありがとう、ルカ」


「熱と喉に効くやつ。先生が置いていった常備薬があるって」



ルカは卓の上に水を用意し、薬をフィアへ渡した。



「飲めそう?」


「うん」



身体を起こそうとすると、シリウスがすぐに動く。

けれど、勝手に触れることはせず、フィアが手を伸ばすのを待った。


フィアはその腕を借りて少しだけ上体を起こす。

ルカから受け取った薬を口へ入れ、水で流し込んだ。


少し苦い。

思わず眉を寄せると、ルカが笑った。


「苦い?」


「……ちょっと」


「効きそうでいいじゃない」


「それ、関係あるの?」


「気分の問題」



フィアは小さく息を吐き、もう一口水を飲んだ。



「お昼になったら、柔らかく煮たものを持ってきてもらうよう頼んであるから。食べられるだけでいいよ」


「ありがとう」


「それまでは寝てて」



ルカはフィアの顔を見て、少し考える。



「夜まで熱が下がらなかったら、また先生に来てもらおう」


「そこまでしなくても――」


「はい、それ禁止」



すぐに遮られた。



「昨日からずっと、人に心配かけないようにしようとしてるでしょ」


「……」


「具合悪い時くらい、される側でいてよ」



フィアは少し黙った。

それから毛布を胸元まで引き上げる。



「……ごめ」


「それもいらない」



先回りされ、言葉が止まる。

ルカは満足そうに頷いた。


「じゃあ僕、一回出るね。昼になったら食事も見てくる。シリウスは――」


「ここにおります」


「聞く前に決まってるんだ」



ルカが苦笑する。



「まあ、そう言うと思ったけど。腕は本当に使わないでよ」


「分かっている」


「さっき忘れてたくせに」


「……」



シリウスが黙る。

ルカはそれ以上言わず、部屋を出ていった。


扉が閉まる。

急に部屋が静かになった。

暖炉で薪の弾ける音だけがする。


シリウスは寝台から少し離れた椅子へ腰を下ろした。


近すぎず。

遠すぎず。

いつもの距離だった。


フィアは目を閉じかけて、また開く。



「シリウス」


「はい」


「……もう少しだけ、いて欲しい」



言ってから、自分でも少し驚いた。


いつまで、と決めたわけではない。

眠るまでなのか、熱が下がるまでなのか。


ただ今は、その姿が見えるところにいてほしかった。


シリウスは少しだけ目を伏せた。

それから、静かに答える。


「はい。ここにおります」


その声を聞くと、胸の奥に残っていた力まで抜けていった。


フィアは今度こそ目を閉じる。


暖炉で薪の弾ける音がする。

すぐ近くには、シリウスの気配がある。


それだけを確かめて、フィアはゆっくり眠りへ落ちていった。

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