第二十五話
コポコポコポコポコポ・・・
ティーカップに,傾けられたティーポットから紅茶が注がれる。
たちまち湯気と共に,芳醇なハーブの香りが漂い始める。
心休まるそんな状況下で,リザードマンの少女は椅子に座り,つまらなそうに,いや,心ここにあらずという感じで目の前のその光景を眺めていた。
「・・・サファイア様。久しぶりに町にお出かけでもなさいますか。」
後ろに控えていた魚の顔の女性が,少女─サファイアに向かって提案する。
右目に深い切り傷のある魚人だ。
サファイアの顔は,その言葉を聞いて一瞬パァッと明るくなり,すぐにまた光が消えた。
「・・・いえ,ダメよ。成人の儀が2か月後に迫ってる。気晴らしをしてる暇なんてないわ。」
サファイアは,侍女に入れてもらった紅茶を口元まで持ってくる。
「お父様に心配を掛けないためにも,今は鍛錬に集中しないと。」
そういって,香りを楽しむ素振りも見せず,ティーカップを口に傾けた。
「サファイア様。あまり無理をなさってもお体に毒ですよ。」
「・・・。」
サファイアは,背後からのそんな心配を尻目に喉を鳴らし続ける。
(ああ,サファイア様。私の入れたお紅茶をそんなに熱心にお飲みになって・・・。)
紅茶を入れた侍女は,うっとりとした表情でそんなサファイアを見つめている。
カタンッ
空になったティーカップを,少し乱暴にテーブルの上に置いた。
「・・・トラド。ありがとう,美味しいお紅茶だったわ。」
「滅相もございません。」
紅茶を入れた侍女─トラドは,恭しく頭を下げる。
「・・・アルカナ,心配してくれてありがとう。でも,今の私には迷惑よ。」
サファイアは立ち上がった。
「休憩はできた。訓練を再開するわ。いいわよね,アルカナ。」
片目の魚人─アルカナは,どう声を掛けるべきか迷った挙句,
「はい。」
と返事をした。
サファイアに付いて歩きながら,教えを乞うように窓の外を見上げるアルカナ。
ふと目に映ったそれを見て,彼女は目を見開いた。
(なるほど,あれが魚人か。初めて見たぜ。片目つむってるっぽいし,おそらくあいつがアルカナだな。それで,あの椅子に座ってなんか飲んでるいかにも高貴そうな奴。あいつがペリドットの娘っぽいな。)
マルは山の茂みから,ペリドット邸の中を窓越しに覗いていた。
─マル君。君は目がいいなぁとは思っていたが,よくもまぁこんな遠く離れたところから分かるもんだ。
アルフレートは感心する。
ペリドット邸からここまでは,1キロ近く離れている。
普通の人ならとてもじゃないが人の顔を識別することなどできない。
(魔力のおかげなんじゃないのか?俺の身体には魔力が流れてるんだろ?)
─確かに,君の身体には私と融合したことにより魔力が流れている。身体能力が向上していることも間違いないだろう。尋常じゃない速度で動けるのも,魔力が血液と一緒になって身体を動かしているおかげだろうからね。しかし,ここまで視力がいいのはひとえに十年間,薄暗い鉱山でひたすら採掘を続けてきたからじゃないのか?長年暗い場所にいたから,より多く光を集めるために目が大きく開くようになっていき,結果的に視力が良くなったんだ。まぁ,あくまで仮説だがね。
「・・・。」
アルフレートの言葉を聞き,マルはしばらく口を閉じる。
─・・・ん?どうしたんだいマル君。急にだまって。
マルは「フッ」と笑い,
(・・・いや。そう考えると,俺の10年間も無駄ってわけじゃなかったのかもしれないなって思ってな。)
そう,心の中で呟いた。
─・・・。
そうこうしているうちに,紅茶を飲み終わったであろうペリドットの娘が立ち上がる。
(おっ,飲み終わって行っちまうのか。アルカナもついて行ってるみたいだな。)
マルは,二人の動向を目で追う。
ふいにアルカナがこちらの方を向いた。
なんだろう。目があっているような気がする。まさかな・・・。
アルフレートが言ったように,ここからペリドット邸までは1キロ程度離れている。
しかもマルは,茂みの中に身体を隠してペリドット邸を覗いているのだ。
あっちから見るのとこっちから見るのとでは訳が違う。
流石にあり得ない。見つかっているわけがない。
そんな風に自分に言い聞かせていたマルだったが,その疑念は,次のアルカナの行動で確信に変わった。
敵意のこもった眼差し。
アルカナはすぐさま窓を開け,こちらに両掌を向けた。
(確実に気づかれてる!しかもあの感じ,攻撃しようとしているっ!この距離から!俺に向かって!・・・でもどうやって?あり得るのか!?一キロ離れてるんだぞ?)
素朴な疑問。
この一カ月間,戦闘に特に苦労した経験がなく,遠距離攻撃をしかけたことも受けたこともなかったマルにとって,至極当たり前の真っ当な疑念。
その疑念が,驕りとも言えるその油断が,マルの行動をワンテンポ遅らせた。
迫りくる気配に総毛立つ。
─マル,避けろッ!
本能が察知し,アルフレートの声を聞いて,マルはようやく自身が危機的状況にあることに気が付く。
避けなければッ!!
何かが向かってくる。
透明な,無色の何かが向かってくるッ!!
バガァアアアアア―――――ーーーーッ!!!!!!
その瞬間,高質量の何かによって,マルのいた場所に,大きな大きな風穴が開いた。




