君の中の永遠(3)
レストランの予約時間を午後7時としている周人はレストランまでは由衣の家から約二十分かかることを考慮して6時半に迎えに行く事としていた。そして予定通り6時半に到着した周人はやや緊張した面持ちで黒い門の前に立った。黒いロングコートに由衣が買ってくれた赤いマフラーをし、その下には紺色のスーツを着込んでいる。髪形も強調されたパーマが後方へ流れるようにボリュームを持たせていた。年齢に違わぬ落ち着いた雰囲気を持たせるその風貌は彼が本来美形であることをはっきりと強調しているように見え、普段の周人しか知らない者であれば驚いたに違いないほどの変身ぶりだった。そんな周人が門の脇にあるインターホンに指を置きかけた瞬間、勢いよく玄関のドアが開いたために驚いた顔をしながら指を引っ込め、そっちの方を見やった。
「キャー!周人君、もぉ、超カッコイイじゃない!」
飛び出すように玄関を出た実那子は目をハートに輝かせながらスキップ気味にやって来ると周人のつま先から頭までを舐めるように見るのだった。
「あ、どうも、こんばんは・・・・」
あきらかに戸惑った様子の周人を無視してポケットから自分の携帯電話を取り出すと、てきぱきした様子で撮影を開始する。娘の彼氏に対し、恋愛感情こそないもののまるで芸能人に恋している乙女のようなその振る舞いに閉口しきりの周人が再び開かれたドアの前に立つ恋人の姿に目を奪われた。赤いコートの裾から見えるのはピンクのドレスである。肩まであるやや茶色い髪は軽くパーマが当てられており、ボリュームをもって流れるようになっていた。白いマフラーも似合うその姿に合わせてか、薄いピンクのルージュもまたバッチリときまっている。元々薄化粧の由衣にしてはやや濃い目のメイクだが、それでもナチュラルな感じは出ており、マスカラもそうきつくはなかった。まるであの日に戻ったかのようなデジャヴを感じる周人は自分の姿を撮りまくる実那子など眼中になく、ただ呆然としながらはにかんだ笑みを浮かべる愛しい人に釘付けとなっていた。
「さ、行きましょうか」
やや高めのヒールもピンクであり、優雅に目の前までやってきた由衣はにこやかにしながら母親を脇にどけ、そっと周人の腕に自分の腕を絡める仕草を取った。
「んじゃ、行ってきます」
素っ気なくそう言うと一礼する周人をせかして車へと向かう。玄関先では父親の秀雄がビデオカメラでその様子を撮影しており、由衣にとってはカッコ悪いと思えてならない状況だった。
「行ってきます」
乗り込む際にそう言って笑顔を見せた周人にメロメロになる実那子をよそににこやかに手を振る秀雄。そんな2人に手を振りながら車を発進させた周人を見送る秀雄の横に立った実那子は不思議そうな顔をしながら夫の顔をまじまじと見やった。
「泣いてないわね・・・」
「泣くわけないだろう」
そう言うが、実際ああいった姿の由衣を見ればお嫁に行く日の事を想像してやたら泣いていた秀雄なだけに、こうまで冷静だと逆に拍子抜けというか、不気味なのだ。
「ふぅん・・・面白くないわねぇ」
言葉どおり本当に面白くなさそうにそう言うと、実那子はさっき撮った携帯の画像をチェックしながらさっさと家に入っていった。残された秀雄は今にも雪が降りそうなグレーの空を見上げると、寒さから1つ身震いをして早足で玄関先へと向かう。
「もう泣かないさ・・・彼になら、任せられると信じているからね」
誰にでもなくそうつぶやくと、薄着なせいでくしゃみを連発しながらそそくさと温かい空気で満たされた家の中へと入って行くのだった。
カーラジオからはクリスマスソングがゆるやかに流れているのみで、会話らしい会話はない。かといって張り詰めた空気かと思えばそうでもなく、比較的穏やかな雰囲気が車内を満たしていた。由衣はコートを着たままだが、もちろんマフラーは外してある。対して周人は運転上邪魔になるコートは脱いでおり、後部座席に丁寧な形で置いていた。由衣のつけているコロンの香も心地よく、そして程よい緊張感もまた心地よかった。どこか新鮮な気持ちになっている2人は時折お互いをチラチラ見ながら小さく微笑み合うばかりだった。町並みを外れ、車は山道へと向かう。桜町を一望できるその山道はしっかりと舗装されていて頂上にある展望台まで続いていた。途中にある料金所のやや下にあるレストランまではあと5分少々で到着のはずだ。
「あの日は、一体誰が来るんだろうって、結構緊張してた」
不意にそう言った周人に対してクスっと笑った由衣もまたあの日のことを思い返していた。米澤の知り合いの有名美容師によって華麗な変身を遂げた由衣もまた緊張で胸が張り裂けそうになりながら康男の運転する車の中で自分を落ち着けようと必死になっていたのだった。何度も頭に思い描いた告白の言葉すら吹き飛んでいた自分が懐かしい。周人が何を思って今日を演出したかはわからないが、こうも新鮮な気持ちになれる今日が特別な日に思えてならない由衣は周人のために買ったクリスマスプレゼントを渡すタイミングをいつにするかを考えていた。
「変わらないな・・・・」
何気にそう言った周人を見れば前を向いたままだ。つられるようにそっちを見ればコテージ風なその外見であるレストランが姿を現す。あれから9年経つにもかかわらず、そこだけは時間が止っているように思えるほど変わらないその外観に、2人は無意識的に微笑を浮かべていた。あまり暖房をきつめにしなかったせいもあって、車を降りたときの寒さは寒いなりにも随分ましに感じられた。コートを羽織り、マフラーを巻いた2人は手袋をしていない手をつなぎ合ってレストランの入り口をくぐった。蝶ネクタイ姿の男性が実に丁寧な感じで礼をしながら2人を出迎える。周人が予約名を告げるとすぐさま席へと案内してくれた。名前を確認している間にコートを脱いでいたために由衣はそのピンクのドレスの全容をあらわにしていた。それは3年前にカムイの社長である菅生要が会社のクリスマスパーティ用にと用意してくれたものだった。このドレスの他に同じく菅生から最初に贈られたこれまたクリスマスパーティ用のもう1着赤いドレスを持っている由衣だったが、今日はあの日の再現としてこのピンクのドレスを選んでいたのだ。コートを係りの者に預け、若いながらもしっかりしたウェイターに先導されながら席へと向かう由衣がかなりの注目を集めたのもまたあの日の再現だった。ただ違うのは、あの時は1人だったが、今は隣に恋人となった周人がいることだろうか。優雅な動きで席についた由衣を前に、周人も高級そうな椅子に腰掛けた。とりあえず口当たりのいいワインをオーダーする。接待などでこういうワインを飲む機会が増えたせいか、少しながら味の違いがわかるようになっていた周人は由衣が飲みやすいものをテイスティングしてそれをオーダーした。そしてそのワインが運ばれて来ると、2人ははにかむようにして微笑みながらグラスを重ねあってささやかな乾杯をした。あの日は左側が窓だったが、今日は右側が窓となっており、見える夜景もやや劣るがそれでも綺麗な町並みがネオンの輝きとともに浮かび上がって見えていた。
「後で展望台にも行こうな」
「行きたい!でもきっと人でいっぱいだろうね」
「だろうな」
あの雪の中の告白の際には時期的に誰もいなかった。だが、今日はクリスマスイブであり、夜景が綺麗で有名な展望台だけに人で溢れていることは想像にたやすい。そんなことを考えているとスープが運ばれてきた。
「あの時、味がよくわからないぐらいだったから・・・こんなに美味しかったんだね」
スープを飲みながら嬉しそうにそう言う由衣を見てあの時のことを思い出す周人だが、どちらかといえば緊張していたのは自分の方であり、由衣の方が落ち着いていたはずだ。確かに自分も漠然と美味しかったという印象しかなく、正直味は覚えていない。覚えているのは信じられないぐらいに綺麗だった由衣の姿だけだ。そして今目の前に座っている由衣はあの頃と変わりない美しさで自分に微笑みかけている。見慣れてしまったといえば失礼だが、由衣の可愛さ美人さを今あらためて再認識した周人はこの子の彼氏でよかったと心から思えるのだった。
「でも、結構落ち着いていたみたいだったけどな」
スープを平らげ、ワインを口にしてからそう言う周人に対し、由衣は小さな微笑を浮かべながらどこか優雅な手つきでスプーンを置いた。
「知らないなぁ?あの時、落ち着いてみせようと頑張ってたんだぞ!本当は心臓バクバクだったんだから、緊張しまくりで」
「結構、演技派だな・・・・」
苦笑混じりのその言葉にまあねと返す由衣は可愛く微笑む。その後当時のことに思いを馳せながら食事は進み、和やかな空気がゆったりと流れる幸せで満ちた時間を過ごしたのだった。
周人にはコーヒーが、由衣にはレモンティーが食後のドリンクとして運ばれてくる。楽しい時間と美味しい料理を満喫した2人はその余韻に浸るかのように言葉もなくそれぞれの飲み物を口にしていた。そしてコーヒーを半分飲み干したところで周人は隣の椅子に置いてあったコートからタバコを取り出すと白いテーブルクロスの敷かれたテーブルの上にそれを置いた。由衣は自分の近くにあった灰皿をそっと周人の方へと押しやると微笑みながら礼を言う周人を見て微笑み返す。取り出したタバコに火をつける傷だらけのジッポライターに施されたピンクのハートも色がはげてきている。由衣が初めて贈ったクリスマスプレゼントをずっと今まで使ってくれていることが嬉かった。たとえ周囲からはボロボロに見えるそのライターも、周人にとっては大切な宝物なのだ。ゆったりと煙を吐く周人はその煙が由衣にかからないように気をつけながら横を向いて誰もいない方向に吐いている。そういった小さな心遣いが嬉しい由衣は上品な手つきでレモンティーを口にしていった。ドレスを身にまとい、高級な料理を食べただけで自分が高貴な存在になったような気がする。
「そう言えば、カムイとウチの銀行が融資で本契約したね」
ふと何気にそれを思い出した由衣の言葉に、周人は一旦タバコを灰皿の上に乗せるとコーヒーを口にした。
「あぁ、ニューマシン開発の予算が厳しくてね・・・そっちの田村さんという人が是非にってことでそうなったみたいだ」
「そっか・・・周人は絡んでないの?」
「絡んでるのは絡んでるけど、実際工場の問題だからね・・・ウチのメンバーがメインとはいえ、オレは取り纏めだけだから」
そう言うとコーヒー全てを飲み干した。由衣は今の話から隆弘が随分頑張ったことを知り、自分を励まし、さらには職場の改善にも積極的に取り組んでくれた隆弘に対して今更ながらに感謝した。
「でも出世してくれて嬉しいよ。残業や休日出勤も少しだけど減ったしね」
その由衣の言葉に小さく笑った周人はそうだなと答えた。実際部下ができたおかげで業務の幅も広がったが、仕事が分担できるだけに負担も軽くなったのだ。
「でも時々思うことがある・・・あのまま塾に就職してても、こうして充実してたかなぁってね」
「充実してたと思うよ。教え方も上手かったし、生徒のことをちゃんと見てたし」
由衣はそう言うとレモンティーを飲み干して空になったカップをソーサーの上に丁寧な手つきで置いた。そんな由衣に意味ありげな笑みを浮かべる周人に対し、由衣は可愛らしい仕草で小首をかしげた。
「まぁ、中にはさぁっぱり授業を聞かない文句タレのひねくれ者もいたし、生意気ばかりいう生徒もいたけどなぁ」
やや目を細めてそう言う周人の顔に何とも言いがたい笑みが浮かぶ。その表情と言葉に苦い顔をした由衣はベーっとばかりに舌を出した。だがそこに小憎らしさはなく、逆に可愛さを前に出しながらも照れた様子が窺い知れる。そんな由衣を見て笑う周人だったが、塾ではなくカムイを選んだことは間違いなかったと思っている。
「きっと塾にいたら、こうまでうまく付き合ってこれなかっただろうな」
「そうだね、そう思うよ・・・・それに塾にいたら危険ぽいもん」
「危険って、なにが?」
「周人ってロリコンだもん・・・十五歳の子に好きとか言うし」
思わず崩れ落ちそうになる周人はもはや脱力しきりで言葉もでなかった。そんな周人を見ていたずらっぽく笑う由衣は当時から何も変わっていないように見えた。
「でも、見かけが十九、ハタチだったからなぁ・・・でも、そう考えればロリコンか・・・」
そう言われてみれば納得する周人は以前遠藤にシスコンと言いながら自分はロリコンかよと自分自身で突っ込みを入れた。
「そう。でも、なかなか見る目があるロリコンだね」
「こりゃどうも」
そう言って笑いあう2人を優しい空気が包み込んでいく。心から愛した恋人である磯崎恵里を失った周人が惹かれたのは十五歳の生意気ざかりで自分を徹底的に嫌う美少女だった。容姿が良く、それなりにお金を持っていた塾の先生である新城直哉に恋していた由衣はどこか頼りなく見えながらも実は強く、とことんまで優しい青年に惹かれていった。出会うべくして出会った2人がお互いの心を通わせ、愛を育んでこれたのは運命だったのかもしれない。そしてその運命がもたらした荒波をも乗り越えた2人の未来に、もう何の障害も残されていないのだった。
2人の予想通りと言うべきか、展望台はカップルでいっぱいだった。気温は低いが風がなく、寒さ自体はまだましといえよう。そのせいもあってか、抜群の景観を見せる場所は全て隙間なく埋められており、その絶景を楽しむべき場所はもうなかった。これでは仕方が無いなと思う由衣だったが車の中から見えるその様子にひどく落胆してしまった。2人にとっての思い出の場所だけに、できれば2人だけで夜景を見たかったのだ。
「仕方ないから帰ろうか・・・」
その心情を表すややトーンダウンした口調に対して周人は何も言わずにうなずいてから車を発進させた。だが、Uターンさせずにこの展望台がある山の裏側、桜町の隣にあるススキが丘方面へと向かう周人に由衣が不思議そうな顔を向ける。
「どうせなら、ちょいとドライブしよう」
そう言って展望台からさらに上にある頂上方面へと車を加速させていく。ともすれば走り屋の車にも見える周人のマシンは急カーブすらものともせず実に安定した走行を見せていた。何台かの車と行き違い、後ろから来る車をわざと先に行かせる周人の意図が読めない由衣は窓の外を流れる黒い森を眺めていた。今にもお化けが出そうな夜の森はかなりの不気味さをかもしだしている。現にドアミラーから見える後ろの景色は真っ暗闇である。そんな中、やや下り始めたところで不意にわき道に車を進める周人に、由衣は無意識的に体を硬直させた。そこは道とは言えぬ場所であり、ドアのすぐ横に木があるような場所なのだ。そのままわき道に入って十メートルほどのところで突然車を止めた周人はエンジンをつけたままライトをハイビームにして後部座席から2人分のコートを取り出し始めた。
「さぁ、着て。降りるぞ」
そう言うと自分はコートを着てさっさと車を降りてしまった。こんな森の中で一体何をしようとしているかがわからない由衣だが、他ならぬ周人の言葉を信じてコートを羽織ると車を降りた。エンジンもライトもそのままに周人が『ロック』といえばキーがささったまま全てのドアロックが下ろされた。
「おいで」
言いながら由衣の手を握ると白い息を見せながら慎重に歩き始める。ヒールを履いている由衣のために歩きやすい道を選びながら草を掻き分けるようにしてゆっくりと進んでいく周人に黙ったままついていく由衣。月も無い寒空のせいで明かりもなく、ただ周人に導かれるまま歩く由衣の心にだんだん不安が募り始めた頃、気のせいか目の前に立つ木と木の間から光が見え始めた。そしてその木立を抜けた瞬間、今の今まで不安そうだった由衣の顔が驚きのものに変わる。そこから見えたものは桜町はおろか遠くの東雲町やススキが丘の町並みまでが見下ろせる絶景だった。あの展望台からでは山が邪魔して見えない部分までもはっきりと見て取れる。地平の彼方には新宿の超高層ビルの屋上で明滅する赤いランプが見え、無数の光の川が網の目のようにして縦横無尽に走っている。遠くの建物の形はわからないが、その明かりが立体物を形取り、光の大地が見える範囲いっぱいに展開されているのだ。もはや声を失ってしまった由衣はその完璧なまでの夜景に寒さも忘れて見入っていた。
「前にテツに聞いてたんだ・・・展望台より綺麗な場所を見つけたってね」
そう説明した周人だが、哲生がここに車ごと女性を連れ込んでいちゃついた結果、火照った体を冷やすために車外に出た際、偶然見つけたということはもちろん端折った。
「すごい・・・・綺麗・・・・・」
瞳に夜景の光を映し出した由衣はうっとりとした感じでその夜景に見入り、そんな由衣を綺麗だと思う周人はコートと共に出しておいた小さな包みを由衣に差し出した。
「これ、クリスマスプレゼントだ」
無意識的にそれを受け取った由衣は白い小さなバッグ形の袋の中から赤い包みに包装された手の平よりも大きめの物を取り出した。
「開けていいの?」
その言葉に何も言わずにうなずく周人を見て、由衣は期待に胸を膨らませながらその包みを開いていく。クリスマスプレゼントと言ったからにはおそらく婚約指輪ではない。それに指輪にしてはあまりに包みが大きすぎる。赤い包装紙の下から出てきたのは白い箱状の物体であった。高価そうな作りで小物入れにも見える。小さな留め金を外すと、中からはイルカを形取ったネックレスに真珠のピアス、その他いろいろなシルバーのアクセサリーがきちんと並ぶように、それら全てで1つのオブジェになるように置かれていた。
「凄いね・・・こんなにいっぱい・・・・ありがとう」
箱を抱くようにしてそう言う由衣の笑顔に照れてしまった周人は顔を赤くしながらその顔を見られまいと夜景の方に向けてしまった。そんな子供っぽい仕草を見せる周人に感謝する由衣は自分もコートのポケットから、こちらはやや小さめの包みを取り出した。
「はい、プレゼント。開けてみて」
お礼もそこそこにさっそく開封する周人の手の中にあるその包みは少し重みを感じる。全く予想も出来ないその中身だが、包みを解いて中から出てきた箱からある程度の予想は出来た。優しい手つきで小さなその箱を開けば、中から出てきたのはシルバーの輝きもまぶしいジッポライターだった。以前にくれたものは立体的に膨らんだハートが施されていたが、今度のは四角い形ではなく、全体的にねじれをイメージしたような形となっていた。どうやら握ったときに手にマッチするようにデザインされているらしい。
「前にあげたの、もうボロボロだから・・・・・イヤだった?」
「まさか!嬉しいよ・・・あのハートのもまだ使うし、これも使うよ。ありがとう」
夜景にかざすようにして嬉しそうに微笑みながらマジマジとライターを眺める周人の顔を見て由衣もまた嬉しくなった。周人が会社であろうが家であろうがあのライターを使っていることは知っている。だが、接待などの場所であの傷だらけのライターでは印象が悪いのではないかと思っていた由衣はこれ幸いとジッポライターをプレゼントに選んでいたのだ。今使っているのを気に入っているようなので喜んでもらえないかと思っていただけに、由衣はホッとしながらも喜びを噛み締めて美しい夜景へと視線を向けた。きらめくネオンにうつろう車のライト。幻想的なこの夜景をスマホのカメラに残そうとコートのポケットに右手を伸ばした瞬間、不意にその手をつかまれた。一体何事かと顔を上げた由衣を見ている周人は優しい雰囲気はそのままに無表情だった。
「ケンカしたこと、もう怒ってないか?」
何を今更と思う由衣は言葉で返事をせずにうなずくのみだ。怒るも何も、あれはもうとっくに仲直りしたと認識しているだけに何故今になってそれを聞いてくるかが不思議でならない。
「オレのこと、ずっと信じてくれるか?」
これもまた素直にうなずく。たしかにいろいろ疑ったり不審がったりしたが、あのケンカでそれもなくなっている。疑うべきものなどないのだ。
「ずっと好きでいてくれるか?」
だんだん言っている意味がわからずに表情が曇ってくるがこれにもまた素直にうなずく。もはや周人以外に誰かを好きになることなどありえない。十五歳の時からずっと好きでいるのだ、これからも好きでいられるという自信はたっぷりある。
「オレと結婚してくれる?」
その言葉に対してももはや機械的にうなずいた由衣はその言葉を頭で反復してから驚きの顔へと変貌させた。ずっと期待していたせいでケンカにもなった、そして今はそんなことなど考えずに今の関係を維持していこうと考えていた。まさかここでその言葉が出るとは思ってもいなかった由衣は呆気にとられた顔を周人へと向けた。
「オレは『魔獣』と呼ばれる言わばお尋ね者だ・・・そんなオレが結婚すればいつか絶対にお前にも危害が及ぶと思ってた・・・それを理由に結婚から逃げていたんだ」
ただ黙って周人の言葉を噛み締める由衣は真剣な表情をしていた。周人の中の不安、迷いが心を弱くし、由衣に対して『守れない』という言葉として表現されたことは理解している。だが、高原みさおへの襲撃が周人の中にあった不安を具現化させた結果、大事な人を失うことの怖さ、絶望感を思い出して心の強さを取り戻し、そうならないためにと『アーク』を壊滅させたのだ。かつて『キング』を倒した時のように。
「けど、もう逃げないから、一生守っていくから・・・・絶対幸せにするって事は、今はまだはっきり言えないけど、けど、幸せにするために最大限の努力をするから・・・・」
一旦そこで言葉を遮った周人は由衣を見つめたまま握ったその右手にギュッと力を込めた。
「オレと結婚してくれますか?」
待ち焦がれたその言葉に由衣の胸は熱くなり、知らず知らずのうちに目に涙が溜まっていった。恋焦がれる新城の授業時間を奪われた結果、とことんまで嫌って塾から追い出そうとした自分。夜の公園で同級生に教われ、危機一髪のところで周人に救われた自分。そんな周人の優しさに触れ、徐々に心を開いていった自分。デートをするにつれ、どんどん好きになっていった自分。告白を決心したが結局その都度妨害されて落ち込んだ自分。康男と米澤の協力を得て雪の中で告白をした自分。付き合うことはできなかったが、心を通わせ、初めてのキスをした自分。3年越しの想いを実らせ、真夏の太陽の下で想いを確かめ合った自分。付き合ったものの、仕事で多忙な周人に苛立ちつつもグッと我慢していた自分。大学の同級生の常盤紫織とアメリカの令嬢アリスの乱入によって初めてケンカした自分。さらわれたアリスと現場にいた自分を守るためにゾルディアックと死闘を繰り広げた周人の勝利を信じつづけた自分。クリスマスの夜に初めて周人と結ばれた自分。塾の生徒に執拗に迫られ、危機を迎えた自分。幾度となくケンカをしながらもその都度素直になって仲直りをした自分。そして別れを口にした大ゲンカすら乗り越えた自分。周人と過ごした様々な思い出が頭をよぎっていく中、由衣は周人のプロポーズに対して力強くうなずくとその胸に飛び込んだ。
「結婚しよう・・・・・・・幸せになろうね・・・・・・・」
「あぁ。ずっと一緒に歩いていこう、ずっとね」
美しくきらめく夜景が2人を祝福しているかのようにまたたき、抱き合う恋人たちに優しい光を与えていた。
「でも1つだけ注文いいかな?」
「なんだい?」
嬉し涙は止ったものの、こみ上げてくる愛しい想いは止む事を知らない。だが、由衣には周人に1つだけ言っておきたいことがあったのだ。
「いつか子供が出来たら、木戸の技を継がせて欲しいの・・・その子がいつか誰かを守りたいと思った時に、その力が役立つように」
周人は以前に由衣にも話していたのだが、自分の代で木戸無明流を終わらせるつもりでいた。確かに人を活かす技ではあるが、使い方次第では殺人技にも成りうるこの力は恵里の復讐にとらわれた自分が暴走したように、その子供が力の使い方を間違えればそれこそ第二第三の『キング』になりかねないからだ。父源斗も自分の代で終わらせると言ったそのことについては何も言わずにうなずいていた。それは現継承者である周人に一任していたからだ。だが、由衣にしてみれば周人に幾度となく危機を救われている事実があるだけに、そういう思いが強くあったのだった。
「でもその子も『魔獣』になるかもしれないんだぜ?」
「ならないよ・・・だって私たちの子供だもん。きっと大丈夫、私はそう信じてる」
力強い由衣のその言葉は周人の心に何よりも重く響いた。源斗がそうしたように、自分もまたそうすればいいと、自分の子供を信じればいいと、周人もその決意を固めた。
「わかった・・・でもかなり厳しいぜ、修行は。見ていてつらくなっちゃうかもよ」
「でもいつかはその子の力になるから・・・」
「そうだな・・・・っと、大事なものを忘れてた」
苦笑混じりにそう言うと、周人はコートのポケットから指輪の入っている包装された箱を取り出した。それを由衣に手渡す。
「開けてみてくれ」
一旦さっきもらったクリスマスプレゼントを周人に預けると、由衣は丁寧な手つきで包みを開いていった。胸が高鳴るが、それと反比例して冷静な手つきを崩さない。やがて包みが解け、白い箱が姿を現す。おずおずとした手つきでそっと箱を開けば中から白い高価そうなケースが姿を見せた。そのケースを取り出し、蓋を開けば、そこにはきらめく輝きをたたえたダイヤモンドのリングが静かに収まっていた。緊張からか、震える手でそれを取り出した由衣はそれをかざすようにしながら徐々に口元を緩めていく。ハートを描くような形に大きめのダイヤが鎮座しているそのリングはまさしくエンゲージリングに違いなかった。
「貸して」
そう言って指輪を受け取った周人はそっと由衣の左手を自分の左手の上に乗せた。そしてその薬指にゆっくりと指輪をはめていけばまるでそこにはまるのが当たり前のようにピッタリと綺麗に収まった。
「ありがとう・・・・大事にするね」
また胸の奥からこみ上げてくるものが声を涙声に変える。夜景のネオンを受けて光り輝くその指輪を見る由衣の頭にぽんと左手を乗せた周人の口元がほころんだ。それを見た由衣もまた口元を笑みへと変え、その唇がゆっくりと重なっていった。きらめく夜景を背に、キスを交わす2人はあの日、雪の中の告白を今、永遠の愛を約束するキスに変えて心が結ばれたことを嬉しく思うのだった。
「これってさ、給料の三ヶ月分って言うよね」
1つの布団の上に並んで寝転んでいるが、狭くは感じなかった。見た目よりもずっと筋肉質な周人のたくましい腕を枕にした由衣は薄明かりの部屋の天井に左手をかざしながらその薬指で光る指輪を嬉しそうに見つめていた。結局帰りの車の中でもそれを何度も眺めつつ、その度にニヤついた笑みを消すことがなかった上に、今もこうして同じようにしている。寒くないようにとヒーターを入れているが、風邪をひかないようにしっかりと布団は着ていた。2人とも服をまとっていない肩を露出させているが、お互い全裸であっても布団とヒーターが、そして何よりお互いの体温が寒さをかき消していた。
「ってことはぁ・・・・・・・・・・・百万円以上ってこと?」
「値段は言わないけど、まぁそんなもんだって言っておくよ」
「えぇ~、教えてよぉ」
「やだよ」
「じゃぁ、きっともっと安いんだ」
「バレたか」
そう言って笑いあうが周人のことだ、安いということはありえないだろう。だが由衣にとって値段などどうでも良かった。プロポーズを受け、婚約指輪をもらえたことが何よりも嬉しいのだ。
「随分待たせた分、値段に反映させておきました」
「ってことは、慰謝料みたいなもんか」
由衣のその言葉に思わず吹き出してしまった周人だったが、こういう発想が出来る由衣を由衣らしいとも思っていた。
「でも今から緊張するなぁ・・・お父さんに挨拶するの・・・」
家に遊びにくれば一緒に酒を飲み、あれこれ話をしているくせに何を今更と思う由衣は別に何の心配もしていなかった。秀雄は周人を気に入っており、実那子に関してはファンを公言しているだけに全く問題はないだろう。また、周人の父源斗や祖父鳳命には早く結婚しなさいとせかされているし、母静佳にいたっては既に2人が結婚している未来のビジョンを見ている上に結婚には大賛成なのだ。周人の心配は取り越し苦労に他ならない。
「家とか、式とか、これからが大変だね」
「そういや、こうしたいってイメージあるのか?」
「う~ん・・・デッカイ家で大きな犬2匹飼うの」
「・・・こりゃまた貧相な発想だなぁ」
「もう!」
苦笑混じりに周人はそう言うが、由衣のそのイメージは小さな頃から抱いているものだった。大きめの庭で水をまく自分の周囲を2匹の犬が嬉しそうに駆け回るのだ。
「なら、デカイ家を見つけないとな」
「そうだね」
もはや2人の未来は大きく開かれた。幸せのビジョンは無限に広がり、それを実現すべく前に進むのみだった。周人を大嫌いでいた由衣が、由衣を苦手としていた周人と結婚をする。運命とは実に面白いと思う2人はお互いの肌の温もりを感じながらこれからこうしたいという夢を夜中まで語り合ったのだった。




