君の中の永遠(2)
結局思った以上に話し込んでしまった周人は店を出たところで早苗と別れた。早苗にしてみればもっと話をしていたかったのだがそうもいかず、お近づきのしるしにと携帯の番号とアドレスを交換したことが唯一の慰めである。かといって横恋慕しようとまでは思わない早苗だったが、その淡い恋心は大事にしようと思ったのだった。周人は急ぎ足で本社に向かい、その大きなエントランスをくぐる。予定の時間5分前だが、相手が公私の仲とはいえ自分の会社の社長ともなればこの時間では遅いぐらいかもしれない。そう思って急ぎ足でエレベーターホールに立った周人は人気の少ないホールにおいてやたら近くに寄ってくる人影に目を細めて露骨に嫌な顔をしてみせた。
「久しぶりだな、木戸」
「あぁ・・・できれば会いたくなかったよ、お前には」
フレームの無いメガネに髪が後ろに流れるようなパーマを当てた遠藤がそこにいた。池谷工場にいた頃とはまるで違う風貌だが、間違いなく遠藤であった。わずかな時間で遠藤兄妹に遭遇するとは、今日は運がいいのか悪いのか。
「そのパーマ、似合ってないぜ」
「バカか、お前は・・・こっちではこれでモテて仕方が無い」
「ほぉ、んじゃようやっと彼女も出来たってか?」
「フン、特定な人はいないが、遊び友達、ガールフレンドならたくさんいるさ」
「ようするに彼女いない歴更新中かよ」
もはや嫌味の応酬だが、お互いに嫌そうにしながらそれでも並んでエレベーターを待っている姿はどこかこっけいだ。逆に言い換えれば罵り合ってはいるがお互いに本気では嫌っていないということになる。2人はやってきたエレベーターに乗り込むとそれぞれ目的の階を押す。周人の行き先が社長室のフロアであることを見た遠藤はピクリと片眉を上げて周人を見やった。
「社長に用事か?」
「あぁ、結婚の仲人を依頼にな」
「そうか・・・・ってなにぃ!マママママママ、マ、マジで?」
おちょくってやろうと思ってそう言った周人の思う壺なこの反応にはさすがにあきれてしまう。しかもこの反応から今でもまだ由衣を好いていることは明白だ。
「嘘だよ」
あきれながらそう言う周人の言葉に心底安堵したように胸をなでおろす遠藤。
「ま、でも近々プロポーズするから遅かれ早かれだけどな」
安堵から一転、表情を引きつらせる遠藤。
「でも、こないだケンカしたからすんなりOKしてくれないかもしれないけどなぁ・・・」
その言葉にパアァと表情を明るくする遠藤。実にわかりやすい反応だけに周人にとってはちょうどいい暇つぶしだ。だが、遠藤が降りるべき階にエレベーターが到着してその時間も終わってしまった。
「プロポーズは許可しないぞ!」
自分を指差しながらカッコつけてそう言う遠藤にやれやれとばかりにため息をつきながら肩をすくめる周人は、今の自分に酔いしれて小さく微笑みながらエレベーターを降りるその背中にとびっきりの嫌味をたたきつけた。
「由衣が妹に似てるからって横恋慕もどうかと思うぜ、このシスコン!」
そう言って意味ありげにニタッと笑った周人に体ごと表情を硬直させた遠藤は閉まっていく扉にダイビングしようとばかりに突っ込んできたが、無常にもドアは閉じられてしまいエレベーターは上昇を始めてしまった。悲痛な叫びが徐々に遠ざかっていくのがむなしく聞こえている。
「アホめ」
誰もいないエレベーターの中でニヤけつつそうつぶやいた周人は目当ての階につく直前にたたずまいを直すと緩んだ表情を引き締めるのだった。
結局、本当に社長の暇つぶしだった本社出張から約1週間が経過した頃、周人は光二へのお礼を兼ねて三宅夫妻を高級レストランへと招待した。しかも出産をあと1ヶ月ほどに控えた恵を気遣って哲生からワンボックスカーを借用しての送迎付きだ。『ゼロ』による事件では2度にわたって由衣を守ってくれた光二、そして悩める由衣の相談にのってくれた恵に対してのささやかながらのお礼であったのだが、身重の恵に少しでもいいものを食べさせてあげたいという由衣の意見も尊重されたのだ。場所は周人が接待等でよく行く高級レストランだが、それなりの格好であればOKなため、お腹の大きな妊婦でも全く支障は無いためこの場所を選んでいた。アルコールを控えた恵のみがウーロン茶で、あとのメンバーはビールで乾杯をする。もちろん運転手の周人はノンアルコールだが。元気な子供が生まれるようにとの思いも込められたこの食事会は全て周人のおごりとなっていた。
「でもいいの?ホントにごちそうになって・・・・」
「気にしなくていいよ、ほんの気持ちだから」
どこか気兼ねした様子の恵に微笑み返す周人はそう言いながらビールを口にした。折れた肋骨も順調に回復しており、切られた右肩の傷口もすでにふさがっている。
「そうそう、遠慮しない!」
そう言いながら前菜をパクつく由衣はかなりご機嫌な様子だった。光二と恵には話してないことなのだが、これは由衣に対する周人のお詫びの意味も含まれているのだ。ケンカに関しては由衣も悪かったのだが、それはそれで由衣もちゃんとあることを考えているのだった。とにかく今は美味しい料理を楽しもうという由衣の姿勢を見習ってか、恵も楽しそうにしながら美味しい料理を堪能していった。
「あれから『ゼロ』は?」
こういう場でする話ではないのだが、あえてそれを口にする光二に周人は真剣な目をした。
「警視庁の副総監をしてる秋田さんって人からから昨日電話もらって、どうやら完全に政府がコントロールしたとか・・・ま、あやしいもんだけどな」
「じゃぁ福山って人も?」
「あいつはエリートから転落だろう。でも、それを家族が良しとしているからね・・・まぁ、しっかりと自分を見つめ直すにはいい機会だろうさ」
「そうですか・・・・でも、哲生さんといい、木戸さんといい・・・僕は自信を無くしますよ」
「なんの?」
落ち込む夫などお構いなしに運ばれてくる料理を由衣共々堪能している恵のその言葉に、光二は小さくため息をついて周人をみつめた。
「ようやっと木戸さんと互角に戦えて嬉しかったのに・・・ホントの木戸さんはもっと凄いって話」
「しゃーないよ、周人は『魔獣』ならぬ『怪獣』だからね・・・絶対人間じゃないよ」
その由衣の言葉に周人は苦笑し、光二と恵は微笑んだ。
「ところで恵さん・・・子供は男の子なんでしょ?」
「うん・・・本当はどっちか聞きたくなかったんだけど、やっぱ気になっちゃって」
そう言いながら無意識的にそっと大きなお腹を愛しそうに撫でる。産まれてきた時に男の子か女の子かを聞きたかったのだが、やはり服の準備などを考えて先日我慢しきれずに聞いてしまったのだった。
「きっと三宅君みたいに強い男の子になるよ」
にこやかにそう言う由衣に微笑み返す恵はチラッと夫の顔を見やる。光二は無表情であったが、その雰囲気はどこか固く感じられて恵の表情を曇らせた。
「なに?どうかしたの?」
「え?いや・・・別になんでもないさ」
微笑を返しながらそう言う光二に違和感がなかったし、料理をパクつくその雰囲気は和らいでいるためにさっきの固い感じは消えていた。
「まぁ、いろいろ心配もあれば父親になるプレッシャーもあるさ」
周人のそのフォローに渋いような照れたような笑みを見せる光二からその心情を察した恵もどこか和んだ雰囲気に変わった。その後、他愛の無い話に花を咲かせて時間は過ぎ、あっという間にデザートが運ばれてくる時間となっていた。トイレに立った恵に自分もトイレにと周人が付き添うようにして席を立つ。側からみれば夫婦に見える2人の背中を見送りながら、光二は小さなため息をついた。
「どうしたの?」
ゆずのシャーベットを一口食べた由衣はその光二のため息を逃していなかった。光二はやや目を大きくしながら困ったような表情を浮かべた後、少し周囲をうかがう仕草を取ってから口を開いた。
「いや・・・もし生まれてきた子供が僕のような力を持っていたらと思うと・・・やっぱりこんな力は必要ないから・・・」
「あ、そういうことか」
由衣も感じたさっきの光二の妙な違和感の謎が解けたため、あっけらかんとそう答えて光二を少々ながら戸惑わせた。
「やっぱり遺伝とかするのかなぁって」
「絶対遺伝するわけじゃないんじゃない?光二君の両親ってそうじゃないんでしょ?」
「母は・・・かなり強い霊感があるから・・・・・僕のこの能力はその延長じゃないかって思ってるんだ」
「へぇ、それは初耳だね。でも、周人のお母さんもそうだけど、周人には遺伝してないよ。めちゃくちゃ強いのはおじいちゃんの遺伝らしいけどね」
よほどシャーベットが美味しいのか、全く手を休めずにそう言う由衣の言葉に光二の目は見開かれた。周人の強さの遺伝はともかく、母親が『変異種』とは知らなかったからだ。
「ど、どんな力なんです?」
同じ『変異種』として興味があるのか、光二は身を乗り出さんばかりに由衣に迫る勢いでそうたずねた。由衣はあっという間に器だけとなったシャーベットに満足したような顔をしてから光二を見やる。
「人の未来とかわかるみたいよ・・・なんせあの力があれば怖いものなんてないよ。周人のお母さんがこの世で一番強いんじゃないかな・・・」
そう前置きしてからシャーベットのスプーンを手に取り、初めてその能力を見せてもらった時のことを解説し始めた。スプーン自体に変化は生じさせずにその一部分のみを抜き去った事、周人の祖父である鳳命の運動神経の時間のみを止めた事など、その恐るべき力に光二は絶句し、由衣の言う通り最強の能力であるということに納得した。
「でも、内緒だよ?周人も家族も誰も知らないんだから」
「そ、そうなんですか・・・・しかし・・・凄すぎる」
「『キング』ならぬ『クィーン』だね」
笑いながらそう言う由衣の言葉に大きく納得する光二の表情も緩んでいった。そうこうしていると2人が一緒に戻ってくる。さっきよりも和んだ雰囲気に周人と恵もすぐに溶け込み、和気藹々とした空気のまま食事会は幕を下ろしたのだった。
食事会からちょうど2ヶ月が過ぎ、恵は無事に元気な男の子を出産した。まだ『変異種』であるかどうかはわからないが、今のところ何の変化も現れていないようだった。母子共に健康であり、蒼真と名づけられたその男の子はどちらかといえば父親である光二に似ているようだった。周人や由衣、哲生たちに祝福されながら父親としての責任をあらためて認識した光二は家族を守るために心身ともに強くなろうとの決意も新たにしたのだった。幸せそうな、そして母親としての表情を見せる恵に憧れの気持ちを持った由衣は自分も周人の子供が欲しいと思いつつも、ただひたすらに周人からのプロポーズを待っていた。かといって以前のように焦ることもなく、それを意識することもない。だからそのことで口論になることもなかったし、何より大事にされていることだけに幸せを感じていた。やがて季節は移ろい、秋も深まった頃、周人の親友である柳生十牙と藤川千里の結婚式の日がやってきた。もはや幾度となく旅行も一緒にしてきた由衣にとっても親友であり、千里ともメールをやりとりするほど仲が良かったせいか結婚式には2人揃って招待されていた。さすがに剣術の名門柳生家だけあって招待客の中に有名人も多かった。結婚式は神前式とされ、白無垢姿の千里はいつもと違う派手さは無いものの、かなり綺麗で招待客や親戚をうならせた。また新郎の十牙は緊張でガチガチとなり、周囲の失笑苦笑を買うこともしばしばであったが。対して披露宴は一転して派手な様相を呈し、純白のウェディングドレスに着替えた千里はこれまたガチガチに緊張した十牙を横に投げキッスをするなど終始ごきげんであった。豪華なホテルの披露宴ながらどこかアットホームな感じのその披露宴の席上では十牙の高校時代からの親友であり、かつて共に戦った仲間である水原誠の素晴らしいスピーチに感動し、哲生と周人の歌に全員が酔いしれた。また由衣やミカ、そして誠の妻さとみや親友戎純の妻である圭子たち女性陣によるアカペラのハモリに大きな拍手がわいた。最後は千里の両親への手紙で全員が感動し、ミカと由衣は泣きっぱなしの状態になるほどだった。由衣もいつかは自分もこんな披露宴がしたいという青写真を立てながら、千里と十牙に笑顔と涙の祝福を送ったのだった。その後の二次会では挙式披露宴で緊張しっぱなしだった十牙もリラックスし、ビンゴゲームなどの余興を楽しんだ。深夜の三次会まで行われた結婚披露宴も終わり、ホテルで新婚初夜を迎える2人を見送った周人と由衣は既に結婚して実家を出ている戎、水原両夫妻に別れを告げて哲生とミカを伴って周人の実家へと向かったのだった。女性2人は披露宴の感動を語り合い、男性2人はかつて暴れれば手のつけようが無かった仲間の当時を思い返したのだった。
秋が過ぎ、ちまたではクリスマスの飾り付けが目立つ時期になった。ちょうど週末がクリスマスとあって、今から予約が取れる人気のレストランも無くなっている状態にある。すでに入籍を済ませた千早茂樹がオーナーを務める『ミレニアム』もクリスマスの特別ディナーを設定したせいで4つの店全てが予約で満席となっているほどだ。そんなクリスマス前の週末を映画とボウリングで楽しんだ周人と由衣はプレーの疲れを癒すために最近オープンしたばかりのしゃれた喫茶店に入っていた。雑誌でも紹介されたこの店はケーキの専門店でもあり、フランス帰りの若いパティシエが経営していることでも有名だった。さっきのボウリングでこてんぱんな目にあわされた周人は珍しくチョコレートのケーキをオーダーし、圧倒的強さで勝利した由衣はこの店オリジナルのフルーツパフェをオーダーしていた。
「しっかし、相変わらずヨワッチイね・・・・」
「うっさいなぁ・・・そう言うけど、お前の平均スコア170とかが凄すぎるだよ」
「まぁね・・・・なんていうかぁ、容姿良し、運動神経良し、気立て良しのパーフェクトガールだからねぇん」
何故か流し目でそう言う由衣にもはや呆れて物も言えない周人はだめだこりゃとばかりにそっぽを向いた。
「ところでさ、クリスマスどうする?どっこも予約してないなら家で何か作ろうか?」
先日買った雑誌にもどこの有名レストランも、それなりのレストランも予約でいっぱいだと書いてあっただけに、今更の予約は無理と考えて周人の家で豪華手料理の聖夜も悪くないとの発想からそう切り出したのだ。ほぼ毎年ミレニアムでのクリスマスディナーを楽しんでいた2人だったが、今年はVIPなお客が増えたようで席の確保ができなかったと先日のデートで立ち寄った際に茂樹から謝られていたのだ。いつも茂樹には良くしてもらっているだけに、そんなことなど全く気にしない2人はその心遣いに感謝したのだった。
「いや、実は予約してあるんだ・・・けど、相当のおしゃれが必要な場所だけどね」
「どこ?」
「思い出の場所ってとこかな」
「ん~?」
そう言われていろんな場所を思い浮かべる由衣。相当のおしゃれに思い出の場所というキーワードから導き出される場所は1つしかない。その答えが顔に出た瞬間、周人は意味ありげに笑うとその時の様子を鮮明に思い出していた。
「がらにもなく、中三の、十五歳の少女にときめいちまった・・・それぐらい、あの時の君はいつもにも増して綺麗だった。なんかこう、抑えていた気持ちが一気に膨らんだって感じだった」
「そうだね、鏡見たら自分でも別人みたいだったもん」
にこやかに笑う由衣自身もその時のことを思い出してやや照れた顔を見せる。最後のデートで告白が出来なかった由衣に本当に最後のチャンスとして康男と米澤が企画してくれたシークレットディナー、その思い出のレストランを予約していたのだ。
「こないだあの時の写真を見たら懐かしくなって・・・んで予約したんだ」
「ホント、懐かしいね・・・でも、ドレスかぁ。きっとあん時みたいにはなれないよ。一応努力するけどね」
「君は美人だから、そのままでも十分だ」
聞いているほうが照れるような台詞をすらっと言えるようになった周人は変わったと思える。でも実際は何も変わっていない。見かけで判断して嫌っていたあの頃と、なんら変わっていない。変わったとすれば、自分の事を好きでいてくれる気持ちが強くなったことぐらいだ。
「当日、夜だけ会おうよ。あの時みたいにね」
「わかった、そうしよう」
「楽しみだね!」
「あぁ」
そう本当に嬉しそうにする由衣を見た周人の口元に淡い微笑が浮かんだが、運ばれてきたパフェに気を取られていた由衣はそれに気付かず、微笑を苦笑に変えた周人もまた美味しそうなケーキに目を輝かせるのだった。
「パーティ?」
パソコンから一切目を逸らさずに怪訝な声を上げた主は龍馬である。年末ともなれば年内に片付けなくてはならない仕事が多いため、ここ最近は残業時間も深夜にまで及ぶことがたびたびだ。主任となった周人は部下を持ったせいで比較的忙しさも落ち着いているが、グループリーダーである龍馬は多忙の極みの中にいるのだ。そんな龍馬の横に立ってややもじもじした態度をみせている相楽はやねは週末であるクリスマスイブにクリスマスパーティをしようともちかけたのだ。だが、その返事が今の言葉である。
「ライブハウス借りてパァーっとみんなで!」
今ここでパァーっとやるかのように両手を広げるはやねには目もくれず、ひたすらキーボードを叩きながら画面を凝視したままの龍馬ははやねに気付かれないように一瞬だけ視線をパソコン画面から逸らせた。その視線の先には周人と何やらファイルを見てあれこれ意見を交し合っている理紗の姿があった。
「悪いけど、その日は休日出勤で残業だ」
「えぇ~・・・・絶対無理なんですかぁ?」
「無理だ」
有無を言わせぬその言い方に、はやねはがっくりと肩を落としたまま席へと戻っていった。周囲からほら見たことかと言わんばかりの言葉と慰めの言葉が飛び交っているが、ショックのはやねにはそれは全く届いていなかった。
「まさか・・・デートとか?」
一人そうつぶやきながら、席へと戻ってきた理紗を見やるが理紗は忙しそうにファイルとパソコン画面とを交互に見ていてその視線になど全く気付かない。
「宮崎さん・・・・この件、月曜日まででいける?」
さっきの素っ気なさはどこへやら、どこか感情のこもった龍馬の声に対してはやねのこめかみに青筋らしきもが浮かんでピクピクと動く。
「ええ・・・土曜日出て、残業すればなんとか」
土曜日はクリスマスイブだ。その聖なる夜にここで残業とはかわいそうとニヤつくはやねだが、それはすなわち龍馬と2人きりで残業ということに気付いて渋い表情へと変化させた。
「残業まではいいよ」
龍馬のその言葉にはやねの表情は一瞬にして明るくなる。
「う~ん・・・できなかったらするわ、残業」
「まぁそうならないようにフォローするよ」
結局2人の会話はそこで終わる。ニヒヒとほくそえむはやねを見る周囲のメンバーはそのコロコロ変わる表情にため息をつき、はやねを無視して仕事に集中するのだった。
クリスマスイブという雰囲気に浮き足立つ世間の街並みを室内と外気の温度差で曇ったオフィスの窓を手で拭くようにして見下ろしながら理紗はチラッと時計を見やった。時刻は夜の八時、ちまたでは恋人たちが食事を楽しみながら愛を語り、家族が一家団欒の時間を過ごしているだろう時に、悲しいかな自分は会社で残業中である。家で家族と食事も寂しいし、かといって一緒に過ごすべき彼氏もいない。だがその残業も終わりに近づき、あとは龍馬のチェックを終えればこれにて撤収となっていた。そしてそのチェックも無事終わり、まだ残業するという龍馬を前に帰る準備を始める理紗だがどこか龍馬に申し訳ない気分でいっぱいだった。せっかくのクリスマスイブだというのに自分もそうなのだが龍馬にも恋人はいない。ならばいっそのこと食事にでもと誘ったのだが、まだ仕事があるからとやんわり断られていたのだった。『ゼロ』による襲撃事件以来結構仲良くなっている2人だが、お互いがお互いを気になる存在から前に進んでいなかった。まだ恋愛感情らしいものもなく、時折夕食を一緒に取る程度の状態でしかないのが現状だ。もはや周人への想いも断ち切った理紗にしてみれば、どこか同じような空気を持つ龍馬に惹かれているのは事実だ。だが、あまりにクールすぎる龍馬が人を寄せ付けないオーラを放っているせいでそれ以上は踏み込めないでいるのだった。
「じゃぁ、お疲れ様です・・・」
「あぁ、お疲れさん」
一瞬だけ画面から理紗へと視線を移した龍馬だったがすぐに仕事に集中した。理紗は小さなため息をつくとタイムカードを押し、ロッカーへと向かう。赤いコートに白いマフラーはクリスマスをイメージしてのコーディネイトだ。だが、そうした格好も彼氏がいない理紗にしてみればむなしいだけだったが。暖房の効いたフロアを出てエレベーターホールに立てばやや寒さを感じる。そのままエレベーターに乗り込み、やや早足で工場を後にした理紗は一瞬自分たちのフロアのある部分を振り返った。龍馬がいる一角しか電気は灯っておらず、他は真っ黒だ。白い息をため息として吐いた理紗はすぐにやってきたバスに飛び乗るとそのまま西桜花中央駅へと去っていくのだった。
仕事に疲れた体をほぐすように背もたれに体重を預けた龍馬は長い髪を後ろに流しながらぼんやりと天井を眺めていた。ようやく一段落した仕事も大詰めである。何気なしに時計を見ればちょうど九時を指している。目を閉じ、ゆっくりと首を回して肩のコリをほぐす龍馬は誰もいないフロアに人の気配を感じてゆっくりと目を開いた。時間的に警備員の見回りだろうと思い、また目を閉じた龍馬だったが、すぐ近くに人の気配を感じてまた目を開き、その気配のする方向へと頭を向けた。
「あ・・・」
「ども」
そこに立っているのは赤いコートに白いマフラー、そして白い手袋をした理紗だった。1時間ほど前に帰った理紗が今何故ここにいるのかがわからない。態勢を元に戻しつつ驚く顔をそのままにした龍馬は白い小さな箱を持ち上げた理紗につられてその箱を見上げた。
「せっかくのイブなのにって思ってケーキ買ってきたんだけど・・・どう?」
小さな微笑は照れからか、外の寒さのせいではなくやや頬を赤く染めた理紗に淡い微笑を見せた龍馬がどこか周人のそれに似ていたせいか、さらに頬を赤く染める理紗だった。
「そうだな、クリスマスイブだし・・・いただくよ」
今まで見せたことの無い子供のような笑顔に理紗の胸は高鳴った。今まで1度たりとて見せたことの無いその笑顔は、理紗の中に龍馬への恋愛感情を芽生えさせるに十分すぎるものだった。
「じゃぁコーヒー、入れるね」
「ありがとう」
またも笑顔の龍馬に胸の鼓動も大きくなる。まるで逃げるかのようにあわてた様子でコーヒーを入れに行った理紗はケーキの入った箱も持っていこうとした自分に気付いてあわてた様子で自分の机の上にそれを置き、乱雑にマフラーとコートを脱ぐとその横に無造作に投げるようにして置いた。去り行く理紗の背中を見ながら笑みを消すことのない龍馬はコートにシワがいかないように丁寧に置き直してあげると、自分の胸の中にある温かいものを感じるのは何年ぶりだろうと思い返していた。今は女性に興味は無い。いや、無いはずだった。だがこの感情は明らかに好意だ。恋愛など面倒だと思い、女性と付き合う気などさらさらなかった自分がこうまで気になる存在が現れるとは。
「あの『魔獣』に彼女がいるんだ・・・・不思議じゃないか」
周人を引き合いに出しながらも自分の感情を肯定したことに満足した龍馬は、これを機会に理紗と向き合って行こうと心に決めたのだった。




