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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十八章
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決別の咆哮(3)

シャワーを浴び終え、TシャツにGパン姿となった軽装の周人はテレビの上のデジタル時計に目をやった。時刻は午後10時45分、そろそろ出発の時間だ。由衣がここに泊まるため、ボディガードを依頼した光二にはその旨を伝えてある。一旦はボディガード自体を断った周人だが、その周人が帰ってくるまで外ででもガードすると言ってくれた光二に深く感謝した。極力由衣には気付かれないようにすると言ってくれた光二に何度も感謝の礼を述べた周人に、もはや一寸の迷いも無かった。あとはただ、『アーク』を壊滅させるだけだ。


「もう時間?」


そう言いながら布団の上に座る由衣は何も衣類をまとっていない体を隠すようにしてタオルケットを体に巻きつけながらややぼさぼさとなってしまった髪を無造作に掻き揚げる。白いタオルケットをマントのように巻きつけて羽織った由衣はのそっと立ち上がるとスマホと財布をポケットに入れる周人をまじまじと見つめた。


「遅くとも2時までには帰るよ。戸締りしっかりな」


笑顔を見せながらそう言う周人はぽんと左手を由衣の頭の上に乗せる。由衣が中学生の頃から変わらないその仕草を好きな由衣は微笑を浮かべ、玄関へと向かう周人を見送るべくその後をついていった。一番なじむスニーカーを履き終えた周人がゆっくりと振り返り、じっと自分を見つめている由衣を見つめ返す。電気を灯していない玄関は暗かったがお互いの表情は確認できる明るさは持っている。窓から注ぎ込む満月の光が柔らかな明かりを演出しているのだ。そのまま見つめあったまま何も言わずにそっとお互いの唇を重ねる2人。その唇の感触は一瞬であったが、優しさと愛情が込められていた。


「いってらっしゃい」

「いってきます」


まさに聖母のごとき微笑みを浮かべながら見送る由衣のただその一言から、由衣が全てを知っていると感じ取った周人は自分も何も言わずに笑顔を返した。笑顔のまま手を振る由衣をかき消すようにゆっくりと閉じられたドアの音を聞きつつ、一旦空を見上げた周人の目に満月が飛び込んでくる。月明かりに照らされたその満月の周囲にある雲がいやに白く輝いて見える中、エレベーターを降りて駐車場に向かった周人はそこにいた光二に無言で頭を下げてから車に乗り込んだ。やがて低いエンジン音をうならせながら走り去る車を見送る光二はその赤いテールランプを見つめながら鳥肌がたった腕をさすりながら、近づいてくる邪悪な意思をもった気配がする方向へと向き直った。


「・・・僕の時に見せた『魔獣』は、どうやら寝起きだったらしい」


そうつぶやきながら自らも気を高める光二は今さっき周人から感じたとてつもない巨大な気を思い出しながら、自分もいつかはあそこまでの強さを持ちたいとさらなる向上心を募らせていく。やがて姿を見せた十人からなる黒覆面の集団を見渡しながら月明かりに照らされた光二の顔には笑みが浮かんでいた。


「吾妻さんには指1本触れさせない」


言いながらその笑みをかき消すと、やや前傾姿勢を取りながら爆発的に気を開放した。前回の失敗からか今度はかなりの実力者を遣わせた『ゼロ』の思惑に反して、この立ちはだかった男の強さもまた並ではない。『魔獣』が認め、『魔術師マジシャン』が育てた怪物なのだ。


「佐々木流合気柔術師範、三宅光二が相手してやる、まとめて来い!」


そう言って駆け出す光二は集団で襲ってくる黒覆面を相手にその気持ちの高ぶりをぶつけていく。そしてわずか数分後、アスファルトの上で悶絶するように倒れている十人の男たちを見下ろしてから満月を振り仰ぐ光二の姿は、何とか起き上がろうとする男たちから見れば月光を浴びて闇夜に浮かび上がる死神のようであった。


月明かりの下で誰もいない、車も通らない広い道路に1人たたずむ哲生は目を閉じ、腕を組んでいた。月の光が太陽が落とすものより薄い影を地面に落とさせる中、近づいてくる車のエンジン音にゆっくりと目を開いた。緩やかなカーブを曲がってやって来る白い機体は待っている車と同じ色であり、機種も世界にただ1つしかない物なために見間違うわけも無かった。現に車は哲生の真横に止まり、そのまま何も言わずにドアを開いてシートに座る哲生はシートベルトもせずに前を見たまま体にも伝わってくるエンジン音だけが聞こえる静かな車内にいる運転手の方を見た。運転手である男もまた前を向いたままである。


「いくぞ」


静かな口調でそう言う運転手、周人はギアを入れると車を爆発的に加速させた。急激なGが心地よく、今の気持ちの高ぶりをさらに上昇させていく感じだ。こうまで戦闘意欲が体を支配するのは実に十二年ぶりのことである。今ここに、真の眠りから覚めた『魔獣』と『戦慄の魔術師マジシャン』はその存在としての最後の戦いの場へと向かうのだった。


今からあと八時間後である午前八時に大規模なテロを準備している『ゼロ』は東京湾を一望できる天井から床までのガラス窓の前に立ちながらまるで割れたガラスが水面に浮かんでいるかのように月の光を反射してきらめく美しい夜の海を眺めていた。ネオンの光が水平線を縁取り、行き交う船の光までもが見渡せる絶景である。『新たなる王』を産む聖母たる政府の切り札『リジェネレイト計画』のキーである高原みさおは病院に潜り込ませた部下からの報告によれば、まだ死んではいないもののもはやそれも時間の問題であるということだった。さらには自分たちを捕獲しに来た政府の秘密特殊部隊はかつてのアジトであるビルもろとも吹き飛ばし、自分たちがいた痕跡や資料共々木っ端微塵にしている。それにここはまだ政府に知られてもいないとなれば自然と口元にも笑みも浮かぶ。ここを知っている組織は自分たちが闇で武器を仕入れた連中しかなく、政府に通じている者には一切ばれる心配は無い場所であった。以前いた、正確には政府が用意した今日爆破したビルよりも広い空間であり、しかもより高層にあるこの場所をメンバー全員が気にいっていた。景色もよく、設備も整っている。ゼットは人1人が余裕をもって眠れるほどに大きなソファにふんぞり返る形で座りながらウォッカをラッパ飲みし、Dは自分の周りに3人いるその全員が十五、六歳とおぼしき真っ裸の少女たちを自らも全裸でもてあそんでいる。Xiはこれまた全裸のショートカットの美少女にマッサージをさせながらウォークマンを聞いている状態にあった。その全裸の少女たちはこのかなり広いフロアに総勢7人いたが、DとXiの相手をしている4人以外は南京錠付きの首輪をされ、逃げられないようにすぐ足下の床に埋め込まれている鉄製の輪に鎖で繋がれている状態にあった。どうやらここへ連れてこられて間もないようで、身を寄せ合って恐怖に震えている。対してDにおもちゃにされている3人などはもはや惰性的に身を預け、表情もなくただされるがままの状態にある人形のようであった。『ゼロ』たちにとって小さな楽園としているこの場所も、少女たちにしてみればこの世にある地獄でしかない。用無しになった、飽きられた少女たちの何人かがかつてのアジトもろとも吹き飛ばされているのを知っているせいでもある。自分たちもいつそうなるかわからないため、とにかく従順で、気に入られるしかない実情が精神を麻痺させているせいもあった。


「何だ?」


突然発生したその異常なまでの気配に気付いたのはゼットと『ゼロ』のみである。ウォークマンを聞きながらマッサージに没頭しているXiと少女の胸にむさぼりついているDはそれを感じることができずにいた。もちろんペットとして存在している少女たちもだ。その気配の発生源である出入り口のドアの方を見ながらゆっくりと立ち上がるゼットは持っていた酒瓶をテーブルの上に置くと左手を構えるようにしてみせる。信じられないことだが、自分の右腕に鳥肌が立っていることを認めたゼットは緊張からか喉が渇くために無意識的につばを飲み込んだ。一体何が自分に対してこうまでプレッシャーをかけてくるかはわからないが、こうまで悪寒を感じたのは5年ぶりのことだった。


「来たぞ!」


ビリビリ感じる殺気のような強大な気はドアのすぐ向こう側にある。ここでようやく『ゼロ』とゼットの異変に気付いた2人がつられるようにしてドアの方を見た瞬間、突然ドアが自分たちの方に勢いよく吹っ飛んで来たためにあわてふためいた。外側に開く観音開きの木製のドアは内側にいるXiの目の前まで転がってきたが、視線はドアではなく入り口に立っている2人の人影に注がれていた。


「木戸周人」

「ジャバウォック!」


『ゼロ』とゼットが同時に口に出したその名前の人物はゆっくりと室内へと入ってくる。ドアが無くなったせいか、よりはっきり感じられる膨大な気は殺気であり、怒気であり、そして闘気であった。さらにその横に立つ長髪の男からも同じように闘気が感じられる。だがその気の主である哲生よりも横にいる周人の気があまりに大きいために存在感が薄く感じられた。


「よくここがわかったな・・・さすがは『魔獣』といったところか」


余裕のある言葉でそう言う『ゼロ』だが、周人は自分の方を見ていない。見ているのはただ1つ、ゼットことゾルディアックの方であった。周人にとっての標的はみさおを血祭りに上げたゾルディアック以外にいない。睨みあう2人にため息をつく『ゼロ』は室内をゆっくり見渡している哲生を見て口の端を吊り上げた。どうやら発している気の弱さからその実力を読み取ったがゆえの笑みだった。哲生は首輪をされた全裸の少女たちを見ているが、いつもであればその全裸の少女に飛びつかんばかりの興奮を見せるはずが実に落ち着いている。


「なぁるほど・・・これがペットか。オレも考えたことはあったけど、実際に実行したバカがいたとはね。客観的に見たらアホらしい姿だな・・・妄想止まりにしとくに限るよ」


肩をすくめながら心底馬鹿にした様子でそう言う哲生はのっそりと立ち上がるDを見てウゲっとばかりに嫌悪感を表して舌を出した。


「おっさん、チ〇コまる出しじゃん、恥ずかしいなぁ・・・・しかもそうたいしたモノでもねぇのによ、変態か?」

「あぁ?殺すぞテメェ!」

「オレのほうが立派だし、何より上手いぜ!」


わけのわからない自慢をする哲生は眉間に青筋を立てて近づくDに対してそのヘラヘラした笑いを消さないでいた。同時にウォークマンを外したXiもまた周人に向かって歩き出す。『ゼロ』は余裕の表情で高みの見物を決め込み、ガラスの壁にもたれるようにしていたが、ゾルディアックは違った。自分の中の何かが危険信号を発している。かつて軍人時代に湾岸戦争でゲリラに不意をつかれそうになった時にも同じことがあったと思い出すのだが、たった2人を相手に自分がこうまで怯えていることが許せなかった。そして、そこにいる少女たちはもっと怯えていた。ここに連れて来られてから自分たちの主となった彼らの強さはよく知っている。実際はここへ連れてこられた際に自分たちの彼氏も一緒に拉致されたのだったが、無残にも皆一瞬で殺されてしまっている。残虐なまでの殺し方で愛する者を失った恐怖も、自分自身の身に振りかかった恐怖も知っている。情けや良心など欠片もないこの怪物たちを相手に勝てるわけがないと思う少女たち、特に3日前からおもちゃにされている4人にしてみればこれ以上人が死ぬところをみたくなかった。


「だいたい、おっさんはお前だろーがっ!」


そう言ったDが哲生の胸倉を掴もうとしてその右手を払いのけられた瞬間、自分の体が宙に舞う感覚を覚えていた。実際に目に映る景色は天井だ。次の瞬間、背中に強烈な衝撃を受けたDはわけもわからず床に大の字になったまま白い天井を見る体勢できょとんとしている。


「寝るなら家に帰って寝ろ、って、ここが家だったな」


その哲生の言葉と表情に怒りを最大にしたDは凄まじい速さで立ち上がるとその右腕を掴む。そしてコンクリートの固まりすらコナゴナに砕くことができる脅威の握力を駆使しようとした刹那、何がどうなったのか一瞬のうちに肘の逆間接を極められて首の後ろを押さえ込まれていた。だが、いつの間に何をしたかわからないがこの程度では何の問題もない。


「ハッ!やるじゃん!」


そう言いながら自分が持つ『変異種』としての能力『ジェノサイド・パワー』と名づけた怪力を発動させるが、信じられないことに極められた腕はおろか押さえこまれた上半身すら動かせない。どんなに力を込めてもびくともしない状況に次第に焦りが募ってくる。汗だけが異様に噴き出し、トラックすら投げ飛ばせる自分が全く動けない事態が信じられないのだった。


「合気の基本は相手の力の大小に関わらず、その力の作用を利用しての押さえ込みにある」


そう言った瞬間、哲生の気合が一閃し、鈍い音をたててDの右腕は正常の間接とは完全に逆方向へと折れ曲がっていた。骨が剥き出しになる自分の腕を見て絶叫するD。哲生がさほど力を込めたようにも思えないその極め技に、Dは顔を青くして哲生を見やった。


「あばよ、短小」


Dはその言葉を最後に聞いた瞬間、意識を失った。まず哲生がそのあご先に向けて見えない速さで垂直に上げたつま先をめり込ませ、あごの骨を砕かれたDの体が一瞬とはいえ浮き上がる。両手をだらりと下げたまま何の反動もつけずにそんなことが可能なのかと思った瞬間、右の肘がみぞおちを直撃し、その肘をめり込ませた状態でさっきの蹴りで骨の折れたあごを掴むと背中に左手を当てながら自分も一緒に宙を舞う背負い投げを放つ。最初の蹴りで体が浮いているためにあっけないぐらい簡単に投げられてしまったのだ。もはや最初の一撃で意識がほとんど飛んでいるDの体は簡単に宙を舞うように綺麗に回転し、受け身も無く硬い床に背中と後頭部を打ち付けられた。さらにそのまま同じようにして宙を舞っていた哲生の両膝が胸の真上に落とされる。砕ける骨が肺を傷つけなかったのは不幸中の幸いだが、もはやDは死んだかのように全く動かずに横たわっている状態になっていた。よく見れば口から赤みを帯びた泡を吐いて白目をむいている。それを見たXiが怒りの表情で目の前の周人に襲い掛かった。だがパンチを放つ自分よりあとから動いた周人の拳が右頬ややアゴよりにめり込んだ。それも1発や2発ではない。数え切れないほど無数のパンチが凄まじい速さでXiの顔面を乱舞する。見る見る顔を腫らすXiは口から鼻から血を流し、周人が最後に放った強烈な一撃で床を滑るようにしてドアのなくなった入り口付近まで吹き飛ばされた。もはや脳が揺れて思考が働かないXiは無意識的に身を守ることを考え、特殊能力である『フリージング』を発動させようとした。昼間殺したガーティ同様、いかに強かろうと動きさえ止めれば勝てる、そう思ったXiは周人の脳に作用するその能力を発揮しようとその目を見た刹那、全身を駆け抜ける恐怖に支配されて何もできなくなってしまった。まさに獣のごとく人間を捨てた目で襲い掛かってくる周人に技と呼べるものなど無い。人間ではない笑みを浮かべつつ、怯えるただの少年となったXiを無理矢理立たせると咆えるように声を発しながら全身に拳をめり込ませていった。腕やあばらの骨が折られ、顔も見る間にどす黒く腫れていく。もはや意識朦朧のXiの目に、自分に背中を向けてジャンプする周人の姿が見えたが、彼の意識はそこで飛んだ。こめかみに強烈な回し蹴りが炸裂したのだ。入り口横の隅にまで吹き飛んだXiは数度全身を痙攣させた後、全く動かなくなった。もはや少女たちはおろか『ゼロ』すら呆然とする中、周人は哲生の横に立つと息も乱すことなく再びゾルディアックを睨みつけた。


「これが最強の親衛隊?話にならねぇな」


右手の中指を立ててそう言う哲生の言葉に『ゼロ』は怒りをあらわにし、ゾルディアックは不敵な笑みを浮かべるのだった。


「しっかし、由衣ちゃんには絶対に見せられない姿だな」


そう言われても周人の表情に変化は無い。これこそが『魔獣』であり、『キング』を倒した際の周人の姿なのだ。


「お前に『魔獣ジャバウォック』と名づけたヤツを尊敬するぜ」


今の周人を見て笑みを見せることができるこのゾルディアックもまた怪物である。


「オレもだ」


そう言って睨みあう2人はお互いに凄惨なる笑みを浮かべつづけた。


睨みあう周人とゾルディアックだが、その気の大きさの違いが顕著に出ていた。周人からは殺気や闘気がみなぎり、ゾルディアックにはそれがない。一方、周人と哲生を睨む『ゼロ』には殺気が満ち溢れ、『ゼロ』を見る哲生には気が無かった。対照的な2組を見やるギャラリーの少女7人はただ呆然としながら突然の乱入者である2人の男に希望を見出していた。鉄パイプを平然と折り曲げ、信じられない怪力を持って自分たちをおもちゃにした男と、どういう力か意識はそのままに体の自由を奪いもてあそんだ少年をこうも簡単に倒せる者がいたとは。だがそんな希望に満ちた表情もすぐさま消える。つい数時間前に逃げようとした少女をその特殊な義手をもってあっけなく殺した外人と、ヤクザのような大男を指だけで軽々倒した長髪の男はさっきやられた2人すら怯える実力の持ち主なのだ。いくらあの2人が強いといっても勝てる見込みは少ないのだ。


「いやはや、さすがは『キング』を倒した男、木戸流宗家の継承者だよ」


乾いた拍手をしながらそう言う『ゼロ』をここで初めて一瞬だけだがチラッと見た周人だが、まるで無視するかのように再びゾルディアックを睨みつける。


「お前の相手はオレだよ」


頬を掻きながらそう言う哲生に怒りの目を向けるが、哲生は涼しい顔でその視線を受け止めている。


「あの外人さんはシューが、あんたはオレがやっつけるんだよ。真の主役はオレだからな」

「お前が?ハッ!なめられたものだ」


吐き捨てるようにそう言う『ゼロ』に対し、突然靴を脱ぎだす哲生は完全に足首が露出する丈の短いズボンだけになるようにTシャツも脱ぐと上半身も裸になった。服の上からでは想像もつかない筋肉で引き締まった見事な肉体が姿を現す。腹筋は割れ、胸板も厚い。


「そうでもないぜ・・・おれはあんた同様、木戸流を倒すために今日まで腕を磨いてきた。正確には木戸周人を倒すためだけどさ、聞けばあんたも木戸流だろ?ま、いいかなってね」


そう言って首を回す仕草をしながら哲生は周人を親指で指差した。


「こいつより強いってあんたを倒せばオレのその目的も達成。シューはこのおっさんに用事があるし・・・何より、ウチの師範が強かったことを証明したいしな」


哲生のその言葉に隣にいる周人の口元に今まで見せていたものとは違う小さな笑みが浮かんだ。だがそれは一瞬のことで、またすぐに殺気に満ちた笑みへと戻る。


「木戸流が強いんじゃない、木戸周人が強かったんだってな・・・・証明してやりたいんだよ」

「フン!いいだろう、後悔するがいいさ」


言いながら上着を脱ぎ、靴も脱いだ『ゼロ』も哲生と同じ格好になった。こちらも素晴らしい肉体美を見せている。割れた腹筋に厚い胸板、そして太い上腕筋が芸術的な盛り上がりを見せてその強さを表現しているようだった。相変わらず殺気のなかった哲生の全身から見る間に闘気が膨れ上がる。気のせいか長めの髪が揺らめいているのはそのせいかもしれない。対する『ゼロ』は逆に全く気を発していない、いや、あえて消したのだ。それ以外は表情から感情が消えたのみで見た目何の変化もなかった。


「さぁ行こうか、木戸無双流の百零びゃくれいさんよぉ!」


もはや『ゼロ』ではなく、木戸百零として戦う決意を固めた相手に対し、無防備に歩いて近づく哲生と百零の戦いの火蓋はすでに切って落とされていた。


「5年ぶりだな、ジャバウォック」


英語でそう言うゾルディアックは不敵に笑うと自分を睨む周人の目すらかわすような態度を取った。これだけの殺気というべき気を平然と受け流せる人間はそうはいないだろう。それだけこの男が強いと思えるが、周人に変化は無い。


「あの女の仇討ちか?」


機械的な音を響かせながら左腕を握ったり開いたりする。周人はそんな動作に気を取られることなくただずっと同じ体勢でじっと目を睨んでいる。


「昔、自分の女の仇を討つために『キング』を倒したと聞いている。ってことは今回も同じってわけだ」

「そうだ」

「惚れたのか?」


ようやく口を開いた周人にニヤッとしたゾルディアックはまるで挑発するかのようにそう言うが、周人は気の質を変えることも表情を変えることもしなかった。


「もういいからさっさとかかって来い」


日本語でそう言った周人の言葉に悪魔の笑みを浮かべたゾルディアックはかざした左手を一瞬にして剣のような形にしてみせた。これがフルタクティカルアームズだといわんばかりのパフォーマンスだが、周人は両手を少し上げて変わった構えを取るのみでやはり何の反応を見せない。気の大きさも目つきの鋭さも『魔獣』のままだった。


「5年間、この瞬間を夢見てきた」

「一生夢見てろ」


その言葉を合図に2人が同時に駆ける。5年間、裏社会を相手に数多くの人間と戦ってきたゾルディアックと、仕事に追われて多忙な日々を送ってきたサラリーマンをしてきた周人、まったく違う道を歩んできた2人が今、再び激突した。


ゆっくりと歩み寄る哲生が無防備なまでに自分の蹴りの間合いに入る。平和な世の中にありながら人を殺す技を追求した武術の継承者は数百年に渡るその悲願を達成するべく今日まで生きてきたと思えた。江戸時代中期に2つに分かれた木戸流、その分家たる木戸無双流は分かれてから今日まで数多くの修羅場をくぐりぬけながらなおも無敗を誇っている。全ては宗家である木戸無明流を倒すため、この世にただ1つの木戸流の名を残すためである。だが、その悲願を達成するにあたり邪魔をする人間がいる。今、無防備に歩いてきたこの男、『戦慄の魔術師マジシャン』こと佐々木哲生である。この男はかつて『キング四天王』の1人『神の目を持つ男』大野木信也おおのぎしんやを倒した男でもある。だが所詮は過去の男だ、そう思いながら無造作に回し蹴りを放つ百零だが、その手ごたえの無さと目の前の男の動きに我が目を疑った。信じられないことに『魔術師』は自分の放った高速の蹴り足に一瞬とはいえ手を置き、その勢いを利用して宙に舞い上がったのだ。決して手加減したおぼえはないその蹴りに手を置くなど信じられない。だが、いかに凄かろうが空中に身を躍らせるなど無能な話だ。武術家としては失格の行為だ、そう思う百零は身動きの取れない空中の相手の落下にあわせて再度手加減なしの蹴りを放った。しかもそれは左右同時に跳ね上がり、哲生に襲い掛かる。全てはこれでかたが着くはずだった。だがまたも予想に反し、どうやったのか哲生は落下速度を早めてその蹴りをかわすと、両手で着地すると同時に体を浮かせたまま百零の下ろした足めがけて左右の足を振り子のようにした蹴りを放った。左右同時に放った蹴り、奥義であるその技があだとなり、着地寸前の両足払いを受けた感じの百零は大きくバランスを崩しながらも背中をつくことなく手を床につき、返す足で蹴りを放つももうそこに哲生の姿はなかった。一体何がどうなって自分が倒されたかもわからない百零だが、蹴りが届かない間合いをおいてたたずむ目の前の相手が強いことだけは理解できた。


「どうした、面食らったか?」

「なるほど、『魔術師マジシャン』とはよく言ったものだ・・・まさに変幻自在だ」

「お前に試す気も見せる気も無いけど、ベッドの上でも変幻自在だよ」


軽口をたたきながら呆然と自分の戦いぶりを見ている少女たちにウィンクした哲生に本気になった百零。だが、哲生にしてみれば相変わらず相手に気合というべきものを感じないためにどうしても後手に回ってしまうのが気に入らない。ヘラヘラした感じだが実に冷静に相手を分析する哲生は後手に回るのを覚悟の上での攻撃を余儀なくされているこの状況だが、その哲生の中の気は全く衰えを知らずにいるのだった。


横なぎに振られた剣をかわしたのもつかの間、返す刀で肩口を裂かれる。見切ったはずの剣はその長さを自由に変えることによって実際には見切らせることを困難にしていた。つまり、一撃目の剣の長さと二撃目の剣の長さが違うのだ、それも大幅に。突き出した剣は短く、戻ってくる剣は長いということになる。かといってその伸縮を頭に入れて大きな動作で避ければ隙が生じる。攻められるのみで満足に攻められない周人だったが、実に冷静に1つ1つをさばいていった。みさおを瀕死の目にあわせた張本人を前に怒りによって冷静さを欠いていると思っていたゾルディアックだったが、その考えはすぐさま頭から消していた。


「ダァッ!」


みさおの胸を貫いたあの形状に左手を変形させて射出せずに突き出すが、周人は電光の動きで横に回りこんで蹴りを放つ。右腕でブロックするゾルディアックはその衝撃が5年前をはるかに上回ることに戦慄した。この5年間、ずっと闇で戦い続けてきた自分ならいざ知らず、ずっとサラリーマンをしていた男の蹴りの威力が増しているとは信じ難い。だが、以前の自分であればこれに対して多少なりとも動揺していたであろうが、今は違う。歓喜が全身を駆け抜けるのだ。国を追われ、『ゼット』として過ごしてきた5年間でこうまで強いと思った相手は『ゼロ』こと百零ただ1人だった。2、3度模擬戦をしたが結果はギリギリとはいえ敗北しているのだから。今の周人はその百零と五分、いやそれ以上かもしれないと思えてならない。一旦間合いを開けてたたずむ周人に対し、ずっと浮かべていた不敵な笑みをかき消したゾルディアックは一気に間合いを詰めると左手ではなく右手の指を伸ばして突きを放ってきた。これぞゾルディアックの必殺技たる貫き手である。だがこれをやや大きめの動きでかわした周人に舌打ちをする。貫き手をおとりにドリル状に変形させた左腕を突き出す予定だったのだが、こう動かれてはドリルでは不利だ。そう思った矢先に周人の拳が顔面を狙う。瞬時にドリルから盾に変形させた左腕でなんとかブロックするがそのまま続けざまの猛攻を防ぐのが精一杯だ。


「クッ!小僧がぁっ!」


一瞬にして形勢を逆転されて苛立つゾルディアックが左手を盾にしたまま広げた状態で周人の腹部に向けてそれを射出した。勢いよく放たれたその手は周人の腹部に命中し、5メートル近く吹き飛ばす。その衝撃に口から血を吐いて床に叩きつけられた周人はそれでもすぐさま立ち上がり、剣に変形した左手で串刺しにしようと迫るゾルディアックに対して片手で逆立ちする形でその一撃を避けるとフルタクティカルアームズと腕の結合部分を蹴りつけた。それは偶然の産物だったのだが、ゾルディアックは声を上げて悶絶する。そしてこの隙を逃すわけもなく、大きく右足を踏み出した周人がその勢いを利用して背中から右拳を振り下ろすようにしてその腹部を狙う。


「テンリュウショウかぁ!」


英語の発音ながら綺麗にそう発したゾルディアックはその衝撃の凄まじさを5年前に身を持って体験済みだ。即座に左腕を変形させ、盾でその衝撃を受け止めて致命傷は避けるもののやはりその衝撃は凄まじく、義手と腕の結合部分から鮮血が舞い散った。ビリビリ来る衝撃が痛みを増幅させ、苦痛に顔が歪む。だがそんな痛みなどものともせずに盾のまま周人を殴りつけたゾルディアックは大技を途中で遮られたために大きくバランスを崩して吹き飛ぶ周人めがけてみさおを刺し貫いたあの武器を射出するのだった。


「勝った!」


自らの勝利を確信したゾルディアックは無意識的にそう叫んでいた。バランスを崩した周人の体は完全に空中を舞っている。絶対に避けられるわけがないその一撃は、だが、避けられて正面の壁を粉々に破壊した。信じられないその状況に舌を打つゾルディアックは立ち上がる周人を睨みながら飛ばした腕を元に戻しつつ怒りに身を震わせる。身動きが取れない空中を舞いながら、最初に入ってきた時に蹴り壊した際に真っ二つに折れて垂直に近い状態で立っていたドアに手を伸ばし、それを軸に体をひねってギリギリのところでかわすなど誰が想像できようか。それでも吹き飛んだダメージから肩と口から血を流す周人は折れたあばらが内臓に刺さらずにうまくかみ合っていることを感じて凄惨なる笑みを浮かべて見せた。その事といい、今のドアといい、何かが周人に味方してくれているとしか思えない。


「どうやら、彼女の怨念が味方してくれているようだぜ」


そう言うと笑う周人は消えかけていた気を再び爆発的に高めるのだった。

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