決別の咆哮(2)
秋田の計らいもあってとりあえず誰にも拘束されることもなく警視庁を後にした2人は千江美からの連絡を待つことにして一旦自宅へと戻ることにした。哲生に関しては夜中過ぎまで気が使えないために自宅で熟睡することによって少しでも回復を早めようという意図もあるのだが。とにかく哲生の服装の件もあってお金はかかるがタクシーを飛ばし、桜町へと帰ってきた2人は桜ノ宮で別れることとなった。千江美から連絡あれがばすぐにメールをするということで周人は電車で自宅へと向かい、服が汚れている哲生に関してはそのままタクシーで自宅へと帰っていった。会社に連絡を入れ、家に着いてまずテレビを見ればビル爆破テロのニュースで持ちきりだ。各局が専門の評論家を呼んだり、全く的違いな予想をしたりしているテレビを見ながら事故とテロの両方で調査中との政府の見解に不愉快な顔をする周人はまずシャワーを浴びることにした。今日中に『ゼロ』の居場所が判明すれば哲生の気の回復を待って夜中にはそこへ乗り込むこととなる。その前に腹ごしらえもあるのだが、いかんせん最近の不摂生がたたって冷蔵庫の中身は空に近く、かといって夕食を外で取るには危険極まりない。みさお襲撃の現場にいた周人と哲生が次の標的になるのは目に見えてわかっている。だがヤツらもバカではなく、警戒されている今の今で攻撃を仕掛けてはこないだろう。何より二十四時間以内に国を乗っ取ると宣言しているのだ、動き出すのはそれからと考えていいだろう。由衣に関しても今は仕事中であり、銀行強盗という線はあるものの狙われる危険性も少ないと思える。もし、自分が『ゼロ』であれば一番警戒している今をはずして襲撃をかけるだろうし、その辺の事情を把握している福山の動きを考えても政府側の人間が人知れず周人の近辺、由衣を含めた全ての関係者に張り込みをさせているだろうと思える。現にマンションのベランダから何気なしに正面入り口の方を見やれば誰かを見張っているとわかる人物の影が2、3見えている。張り込みがバレバレのその様子を見てため息をつきつつ、昼食であるカップラーメンをすする周人はみさおの安否を気遣いつつも今はどうすることもできない自分を呪った。今朝一緒にコーヒーを飲み、初めて会った時に比べてずいぶん彼女の素の部分さえ見られるようになった矢先のこの事件である。しかも自分の目の前で起こった惨事をただ見ていることしかできなかった歯がゆさもある。このままでは『守れない』ではなく、再び『守れなかった』となりかねない。たとえこのままケンカ別れになったとしても、それはそれで納得いくだろう。だが、もはや由衣と死別することだけは考えたくないのだ。
「由衣・・・どうやらオレの中の不安や悩みは、今日で終わりそうだよ」
空になったカップラーメンを置いた食卓テーブルに腰掛けながら1人そうつぶやく周人は結局『守れない』と思っていた自分が『守るために戦う』という選択をしたことに矛盾を覚えつつ、『絶対に守る』との強い意志を新たに『ゼロ』を倒す決意を固めた。その結果たとえ政府に睨まれようとも、今後由衣や仲間を危険にさらすことになろうとも、敵がどんなに強大であっても守りぬくという誓いとともに。
東京での撮影に参加するといって家を出た夫が血に汚れた服で帰ってくれば、『どこか怪我をしたのか』、『誰かを殺したのか』、あるいは『事故に巻き込まれたのか』等、いろいろ考えこんでしまうのが普通なのだが、このミカという女性は全く違うことを口にして哲生を呆れさせた。テレビも全てのチャンネルでビル爆発のニュースを取り上げているのにも関わらず、ミカが口にした言葉は『珍しい衣装で撮影したのね』なのだ。家を出た時と変わらぬ服でありながらどうしたらそんな言葉が出てくるのか不思議に思う哲生だったが、爆発事故のテレビを見てそんなことなどは頭から吹き飛んだ。出来て間もない真新しいビルは12階建てだったのだが、9階より上が損失してしまっているほど派手に吹き飛んでいた。さらには隣接するビルの窓ガラスは砕け、壁や周囲にも被害が出ているほどだ。これを見る限り、自分たちがいた痕跡もろとも乗り込んできた特殊部隊を抹消したということが見て取れる哲生は一刻も早く『アーク』を壊滅させるしかないとの決意も新たにしていた。もはや政府などあてにはできない。本来ならば責任をとって政府が動かなくてはならないのだが、目の前でああも簡単に人を殺しにかかられては黙っていられない。何より初めて会ったみさおは感じのいい女性だっただけにその気持ちが強くなる。それに現場にいた哲生と周人はヤツらに目をつけられている。こうなれば先手を打つしか自分たちの身を守る方法は無いのだ。とりあえずシャワーを浴びて体にも付いている血を洗い流した哲生はすやすや眠る可愛い息子の寝顔を見て小さく微笑むとそのほっぺたを指でつっつく。なんとも言えないぷにぷにした感触が実に心地いい。この息子の安らかな寝顔を守る為にも、とにかく今は休息を取らねばならない。
「悪いけど今から寝るから6時ぐらいにゃ起こしてくれ。んでさ、夜中にちょっとシューと出かけることになるかもしんないから・・・そん時はよろしくな」
そう言い残し、パンツ一丁のままさっさと寝室に向かうと早々とベッドの上に寝転がった。
「お昼はぁ?」
「いらな~い」
声だけで姿を見せない夫にため息をつくミカだが、夜中に周人と2人でどこへ行くのかが気になる。ビル爆発のニュースを流し続けるテレビを見ながら、この事件と夜中に出かけると言った哲生の言葉と何かしらの関連があると睨んだミカはどうせ連絡してもとぼけるだろうという理由から周人ではなく由衣の方へと連絡してみようと思い、定時である5時をメドに電話することを決めたのだった。
周人のことを考えるあまり寝つきが悪かったせいか、今日は少し寝坊をしたためにお弁当が作れなかったせいでお昼を食べに外に出た由衣はいつも外食の隆弘と成海と一緒になじみの定食屋のテレビに映し出されている映像に釘付けとなっていた。その凄まじいまでの現場はテレビで見る限りでも悲惨な状況であることがわかる。
「本当にテロなのかな?」
「事故にしちゃ・・・派手だな」
成海と隆弘の言葉を聞きつつ嫌な胸騒ぎを覚える由衣は自分が狙われた事とこの事件が何かしら関係しているような気がして悪寒を感じた。
「全く、ぶっそうな世の中だよ」
そうつぶやきつつうどんをすする隆弘の言葉にうなずく成海だが、どことなく自分とは関係ない気がして遠い世界での出来事程度にか思えない。実際テレビを見ている人々の多数がそう思う中、由衣は嫌な予感を覚えつつ身を震わせ、周人の顔を頭に思い浮かべた。とりあえず今日、周人と仲直りしようと思っているだけにこの事との関連について聞くのも可能だろう。もっとも、それは周人が2人の仲を修復することにOKした場合なのだが。ともかく、今日が由衣にとっての正念場である。昨夜康男から聞いたアドバイスを実行することしか頭にない由衣は早く仕事が終わることを願っており、誰に何を誘われようがさっさと帰ることだけを念じて昼からの時間が過ぎるのをただ待つしかなかった。
リビングでテレビを見ながら眠りこけていた周人をたたき起こしたのはすぐ目の前にあるテーブルの上に置かれたスマホが奏でる軽快なメロディであった。あわてて飛び起きた周人はスマホを手に取りながら意識を覚醒させ、その画面を見れば見覚えの無い番号が表示されている。普通ならばそういった電話には出ない周人だが、今は違う。だからか、ためらいなく通話ボタンを押して耳に当てた。
「はい、木戸です」
『福山よ、福山千江美・・・・依頼の件が判明したわ』
「さすがというか・・・早いな」
言いながら画面を消したテレビの上に置いてあるデジタルの時計を見れば時刻は午後4時半となっている。結構な時間を寝ていたと思う周人は電話を落とさないよう気をつけながら座ったまま背伸びをしつつ目つきを鋭くしていった。
『お台場に出来た新開発地区にあるビル群の1つ、そのマンションの最上階みたいね・・・住所というか、詳しい場所を言うわよ、いい?』
そう言われた周人は待ってくれと言いながら立ち上がると歩いて自宅の電話の置いてあるリビングの入り口に立つとそこにあるメモとペンを取ってソファに戻ってきた。
「OKだ」
そう言うとスマホを顔と肩で押さえながら器用にメモを取っていく。そして書いた場所を確認するように復唱した周人はソファに体重をかけて座ると見慣れた天井を見上げるような態勢をとった。
「ありがとう、助かったよ」
『別にいいわよ、それぐらいね。あと、血相変えて連絡あった夫には何も言わなかったから』
その言葉から、あの後すぐに福山も千江美に連絡を入れたことを悟った周人は表情を険しくしながらスマホを握り直すようにしてみせた。
「いいのか?本当ならこれは旦那の仕事なんだぜ?」
『構わないわ・・・言ったでしょ?全てに決着をつけられるのはあなたしかいないって。お願いね・・・必ず、倒して・・・・全てを終わらせて』
その声色からわかる悲痛な願いは夫を思ってのことだ。今回の事件からして福山の責任問題は当たり前だが、最悪は閣僚から全ての罪を背負わされる可能性もある。汚名挽回をさせるのであれば夫にこの情報を伝え、『アーク』の4人を捕獲、または壊滅させるのが妻である千江美の仕事だろう。だが、それを周人に伝えたということはあえて夫にその責任を取らせようとしているとも思えてしまう。
「また、負けられない理由ができたよ」
そう言う周人の口元に微笑が浮かぶ。一番守りたい由衣のため、目の前で襲われたみさおのため、そして悲痛な想いで自分に全てを託した千江美のためという3つの目的が周人の心と体にさらなる力を宿らせる。
『彼らについての詳しい情報もあるけど、どうする?』
「いや、いい・・・これ以上は君の身も危険だ。なにより、子供たちに被害が出る。好意はこれだけでいいさ、ありがとう」
素直な優しいその言葉に、電話の向こうの千江美も自然と微笑んでいた。やはりこの男にしか全てを託せない、そう思える千江美は集めた『アーク』のメンバーに関する情報を破棄した。
「明日の朝には全て終わってる・・・情報サンキューな」
『いいわよ、礼なんて・・・こっちも頼んだわよ』
「あぁ、そっちの『約束』も守るさ」
今その『約束』について念を押そうと思っていた千江美は先にそれを言われて小さく声を出して笑った。この状況にあってしっかりとその事を覚えていてくれたことが素直に嬉しかったのだ。その後すぐに電話を切った周人は部屋着から出かけるための服に着替え、自宅マンションを後にする。持ち物はスマホと財布のみのラフな格好で車に乗り込むと、遠巻きに見ていた見張りの車を振り払うようにして車を急発進させ、よく知った路地をあちこち曲がりながら追っ手を撒くようにしてから大通りを疾走していくのだった。
見慣れた建物が前方に見えてくるのがわかる。昔は毎日のように見ていたこの建物も今となってはひどく懐かしい。その外観も、真っ白だった壁も汚れからか年月を感じさせる黒さが混じったグレーのような感じになってしまっているがそれも仕方が無いと思える。周人がここで教鞭を振るっていたのはもう十年も前のことなのだ。逆にいえば十年経ってもなおなんら変わらないこの建物であるさくら西塾が存在していることが凄いといえよう。一度は経営不振で旧本部であったもう1つの支部さくら東塾を閉めたのだが、康男が必死になって頑張った結果、そのあおりを受けて危うくなりつつあった西塾も経営を持ち直し、さらには手放した東塾を再建してもいたのだ。ひとえにこの西塾の経営がうまくいったことが大きなウェイトを占めているため、ここが不振だったならばさくら塾自体が消滅していたかもしれないのだ。感慨深い思いを胸に約1年ぶりに立ち寄った周人は塾以外の周囲の様子がすっかり様変わりしてしまった近隣の町並みを見ながら塾の裏手にある駐輪場として使用しているスペースに車を止めた。現在の時間は午後5時を回っており、以前通りであればちょうど小学生の低学年が授業を受けている時間だろうか。懐かしさで溢れる心を押さえて1階にある職員室のドアノブに手をかけてゆっくりと回せば、鍵がかかっていないようでそれはすぐに開いた。
「こんにちは~」
どこか恐る恐るした口調でそう言う周人は顔だけを部屋の中へと入れて様子を探るようにしてきょろきょろしてみせた。見た限り、中にいる人物は1人だけだ。
「あれ?こんな時間に誰かと思えば木戸さんじゃないですか。珍しい」
背中を向けて座っていたその1人である光二が周人を見るようにして振り返りながらにこやかにそう言うと立ち上がって玄関へとやってきた。
「お邪魔してもいいかい?」
「木戸さんなら全然問題なし。というか、そんな遠慮することないですよ」
苦笑混じりにそう言いながらわざわざ玄関先までやってきてスリッパを用意する光二に礼を言いながら懐かしい雰囲気もそのままの職員室内へと足を踏み入れた。机の配置もそのままに雑然とした様子もそのままだ。プリンターの位置が変わったりはしているが基本的に変わりが無いその様子に自然と笑みがこぼれ落ちる。そんな周人にアイスコーヒーを用意する光二は自分の席の横の空いている場所に椅子を持ってきて座るよううながした。
「授業は?」
「バイトの子が小学生を見てくれてます。夜は中学二年生ですけど、僕が授業をするのは金曜日の中三数学だけですよ」
もはやさくら塾トータルマネージャーとなっている光二は経営補助をしているために自ら授業をすることは少なくなっていた。将来的には塾長となるべき教育を康男が伝授しているために光二の仕事は実質的に西塾の塾長といえるものばかりであった。
「それにしても忙しそうだな・・・」
一番雑然としたその机の上にはお金のことを始めとしたコストや予算などの書類が数多く積まれていた。もはや机の地肌も見えず、右側の一番上の引出しが開かれた上にノートパソコンが乗っている始末である。西塾のマネージャーとして恵がいた頃はまだましだったのだが、産休を取っている今はその分も光二が働かなくてはならないのだ。
「合宿も近いですからね・・・今が一番ピークかな・・・・あれ?そう言えば、木戸さん仕事は?」
定時で上がったにしても来るのが早い時間なため、光二はここでようやくその事に気付いてその疑問を口にした。クーラーの涼しい風と夕日を受ける窓からの熱気が戦っている室内でくつろぐ周人はここで表情を引き締めた。
「昼間のニュースは見たかい?」
「え?ええ・・・見ましたよ。ビル爆発でしょ?」
それと周人の来訪との接点が見えない光二だが、すぐにそれを察して真剣な顔つきとなった。
「まさか・・・」
「そのまさかだ・・・『ゼロ』の仕業だ」
「また大胆な・・・」
「今夜、ケリをつけてくる」
これまた唐突な言葉に目を丸くする光二は一体何があってこうまで積極的に決着をつけようとしているかが気になった。以前までの周人は様子を見ることを優先し、決して自分から攻めていくような素振りはみせなかった。何がこうまでその考え方を変えさせたのかが気になる光二だったが、何も言わずに次の言葉を待った。
「ちょっとゴタゴタがあってね・・・・頭にきたもんでさ」
光二の疑問を感じ取ったのか、実に冷静な言い方をしてコーヒーを飲む周人だったが、コーヒーを飲む前に一瞬だけその表情が変わったのを光二は見逃さない。コーヒーを見つめた周人の目に何かしらの感情を見ながら何か言いたそうにしながらも、ここはあえて何も言わなかった光二に感謝した。
「で、相談なんだが・・・夜中に出かけるんだけど、すまないがその間由衣を守ってやってくれないか?」
「はぁ、まぁ、それは構わないですけど・・・彼女、そのこと知ってるんですか?」
「いや・・・まぁ君に隠してもアレだから言うけど、今ケンカ真っ最中でね・・・・絶縁状態なもんで」
困ったようにそう言う言い方からしてケンカをして絶縁状態とはいえ彼女に対する愛情を感じた光二は苦笑を浮かべてみせる。どうやら絶縁『されている』っぽい言い方だが、護衛を依頼してきた時点で周人の由衣への愛情が見えている光二は何も言わずに素直に了承してくれた。
「わかりました。用事があるといってここへでも連れてきます。ちゃんと迎えにも行きますから心配しないで下さい」
「スマンな。テツと一緒に行動するから、こんなこと頼めるのはもう君しかいないんだ」
「僕も手伝わなくていいんですか?」
「・・・・手伝いは由衣の護衛だよ」
穏やかにそう言ったのだが、本当であれば相手は4人なだけに光二と龍馬に助っ人を頼もうかと思ったことは事実だ。だが、龍馬には龍馬の都合や考え方があり、光二には家庭がある。特に身重の恵のことを思えば光二に怪我でもさせればお腹の子共々心配をかけさせてしまうことになり、それだけは避けねばならないことなのだ。戦力はダウンするが負ける気はしない周人は一番危険な対象である由衣の護衛を依頼しようと思ってここへやって来たのだった。光二の強さは身をもって体験済みであり、あの強さなら何ら問題も無い。実際1度由衣を守ってくれている実績もある。敵が拳銃を所持している可能性もあるが、相手の心を読める光二であれば対応も可能だし、最悪の場合は最初から警察への連絡も可能だろうとのことから人選したのだった。
「お礼に今度飯でもおごるからさ」
「木戸さんにはいろいろお世話になってますから、これぐらい無償でやらせていただきますよ」
笑いながらそう言う光二に対し、軽いながらも頭を下げた周人はコーヒーを口にして美味いとこぼした。
「全部ケリつけて、由衣とも仲直りするからさ。そしたら青山・・・じゃねぇや、恵さん・・・ってのも変か、まぁ、とにかく奥さんも一緒に飯でも食おうや」
コップを置いて一息ついてからそう言った周人に微笑を返した光二はそうして下さいとだけ答え、周人に対して激励の笑顔を見せるのだった。
マンションに戻ってきた周人は駐車場に車を止めてからしまったという顔をした。今の時間は七時前であり、夕食にはちょうどいい時間ながら家で食べる物などない。腹が減っては戦はできないと言うが、食材がなければ外食しかないのだ。見張りの男たちが一人何やらガックリうなだれる周人に首を傾げる。結局どこへ行っていたかはわからなくなったためにずっとここに張り付いていたのだ。周人にしてみれば、哲生に対して夜の十一時に哲生の自宅前で待ち合わせをしようとメールをうったりしていて考え事をしていたことが災いした。おかげで何も考えずにまっすぐ帰ってきてしまったのだ。さらにガックリと肩を落としつつどうしたものかと思案した周人はとりあえず一旦家に戻ることにした。危険を承知で食べに出るにしても、めぼしい場所は車で10分ほどのところにあるファミレスぐらいだ。幹線道路に面しているそこは平日でもこの時間は混み合っているため、少し時間をずらして行こうと考えたのだ。八時ぐらいに食べても戦闘開始予定は十二時だ、問題は無い。そう思いながらエレベーターを降りてキーケースから家の鍵を取り出して差込み、キーを回してドアを開けば何やらいい匂いがするではないか。しかも玄関先には明らかに女性の物とわかるサンダルがきちんと並べられて置いてある。この家のキーを持っている女性と言えば由衣しかいない。その事を理解し、あわてた様子で靴を脱いだ周人はよろけるようにしながらフローリングの短い廊下からキッチンへと向かって小走りに進んだ。
「あ、おかえり~」
やはりそこには由衣がいて晩御飯の支度を用意している真っ最中であった。ケンカする前と全く変わらない様子でそこにいる由衣に向かってポカーンとした顔をするしかない周人はキャベツを切りさばく由衣の手つきへと自然に目をやった。鼻歌混じりに包丁を扱う由衣からは怒りの感情など欠片も見当たらない。何が何だかわからない様子で困惑する周人をチラッと横目に見た由衣はコンロにかけていた味噌汁の味見をしてその味付けににんまりと微笑んだ。
「なに?ボケーっとしてないで、そっちに座ったら?」
「え?・・・あぁ・・・・そ、そうだな」
もはや混乱した思考が加速し、由衣にうながされるままにリビングのソファに腰掛ける。リビングとキッチンは隣同士で仕切りもないため、料理をしている由衣は丸見えの状態にあった。
「そうそう、冷蔵庫、空だったよ。適当に買ってきた物入れといたから」
「あぁ、ありがと・・・・」
ケンカしていたことが夢だったのかと思えるほど自然な由衣に周人の頭はますます混乱する。まるでケンカをして別れると言ったあの瞬間から今までの時間をすっ飛ばしたような今の状態をまるで理解できない。
「あのさ・・・なんで、その・・・ここに来たの?」
もっともな疑問だが、その言葉に振り向いた由衣は逆にその質問の意味がわからないといった風な顔をしてみせる。周人を見ながら怪訝な顔をして首を傾げたのだ。まるで自分が何か間違ったことを言っているのかと錯覚するほどに由衣は普段の由衣だった。ますますわけがわからない周人だが、ケンカしていた事実を頭に思い浮かべる。理紗に励まされて仲直りしようと決意したこともはっきり覚えているし、何より理紗の告白は鮮明に心に残っている。
「今日はステーキ買ってきたんだけど・・・いらないの?」
さっきの周人の言葉が帰れと取ったかのようなその答えに、質問の答えにはなっていないが無意識的に首を横に大きく何度も振る周人の顔にははっきり焦りが見えている。
「でしょ?美味しいと思うよぉ、奮発して高いの買ったからね」
熱したフライパンに大きなお肉を乗せれば肉が焼けるいい匂いとその音が食欲をそそる。もはや何が何だかさっぱりの周人は由衣の記憶がおかしくなったのかと思いつつ腕組みをして考え込むが全く答えは出てこない。
「なんなんだ・・・・・?」
誰に問うでもなく自分に問い掛ける周人を後目に、由衣はてきぱきと夕食の用意を進めていった。そして約十五分後にはキッチンにある食卓テーブルの上には見事なまでのステーキ定食といえる料理が所狭しと並べられていた。いい香りがさらなる食欲をそそる周人を呼んだ由衣は向かい合わせに座るとにこやかに微笑を浮かべて見せた。
「じゃ、いただきますの前に一言!」
そう言って膝の上に手をのせ、背筋を伸ばした由衣はまっすぐに周人をとらえる。実にあらたまった態度だが、半月ぶりに見る愛しい人の顔はやはり美人であり、それをあらためて認識した周人は照れからか少々心臓の動きを早めていった。
「ごめんなさい・・・怒りに任せて別れるなんて言って。ホントはあの時、本気で別れてやるって思ったけど、やっぱり周人が好きだから・・・それに気付いたから、だから、何度も謝ろうとしたけど、タイミング逃して・・・・周人の言った言葉の意味すら・・・・理解できなくて・・・ゴメンねぇ・・・」
謝ろうとして謝れず、悩みに悩んで眠れぬ夜を過ごしたつらい日々を思い出したのか、由衣の目にうっすらと涙がたまっていく。音信不通にあっても同じ思いをしていた恋人に嬉しさを感じる周人は淡い微笑を浮かべて今にも大泣きしそうな由衣の顔を優しく見つめた。
「オレもだ。結局、オレのふがいなさがこういう事態を招いたんだ。さっさと謝ればいいのに、ウジウジ考え込んでしまって・・・オレの方こそゴメンな」
「ううん・・・・私が勝手に焦ってたの。結婚を口にしない周人に対して。結局、私は周人と結婚することばかりを考えて、深いところまで気を回すことをしなかったから」
そう言う由衣の頬を涙が一筋零れ落ちた。
「怖かったんだ・・・結婚して家庭を持てば、オレに恨みを抱く人間や『ゼロ』のようなヤツらが襲ってきて君を傷つけることがね。守るといいながら、結局オレは逃げていたんだ。でも、もう逃げない・・・必ず守る」
人間でないと思えるほどの周人の強さの根源はその心の強さだ。かつて愛する人を守れなかったという自責の念が『キング』をも凌駕したのはそれほどまでに恵里を愛していたからだ。そしてこれまで、中学時代の由衣を守ってこれたのはその延長だった。そして付き合うようになってからは由衣を守るために危険なことや争いから逃げることばかりを考えてきた。その結果、心は弱くなり、その弱さが『守れない』という言葉に繋がったのだ。だが、今は違う。由衣を守るために周人は今夜、その脅威となる『ゼロ』を自らの意思で倒しに行くのだ。結果政府や闇の組織に狙われても構わない。それからも由衣を守ればいいのだ。血を流して倒れるみさおのような不幸な人をこれ以上増やさないために。何より、愛する人をそういう目に遭わせないために。命に代えても相手を倒す、いや、必ず生きてここへ戻るという決意をもって。
「さ、食べようぜ。せっかくの美味そうな料理が冷めちまうよ」
笑いながらそう言う周人に笑顔を見せた由衣は指で涙を拭うと両手を合わせた。周人も両手を合わせ、2人は同時にいただきますと口にする。
「家でこんな家庭的な飯食うの、何週間ぶりだろ」
口にご飯を大量に放り込みながら嬉々としてそう言う周人ににこやかな笑みを浮かべる由衣は、気まずいことなく素直に謝ることが出来たこの状況を作るアドバイスをくれた康男に深く感謝するのだった。
「ところでさ、『ゼロ』って誰?」
食事も終え、洗い物も終えたリビングで食後のお茶を飲みながら隣で同じようにくつろぐ周人に向かって由衣はそうたずねた。食事の前に周人が言った『ゼロ』なる言葉が引っかかっていたのだが、それ以上に久しぶりの日常会話に夢中になっていたためにこうして落ち着いた今になってそれを思い出したのだ。
「前にさ、2人で実家に帰った時にじいちゃんが言ってただろ?木戸無双流の木戸百零のことをさ」
その言葉にうなずく由衣はそれが初めて周人の実家に行った時のことだというのを思い出していた。確か夕食の後、分家である木戸無双流の継承者であるその百零と戦えと周人の祖父鳳命が周人に言っていたことを。
「今、かつての『キング』と同じ立場にいるのがその百零で『ゼロ』と呼ばれてる。しかもそいつは由衣たちを襲わせ、今日のビル爆破を指示した張本人だよ」
その言葉に由衣はハッとなった。昼食を取りながら見たあの大事件を引き起こしたその『ゼロ』と、夕方に電話があったミカの言葉の共通点が今はっきりしたからだ。周人の家で食べる食材を買うために定時後すぐに銀行を出た由衣に電話をかけてきたミカから、今日の夜中に哲生と周人がどこかへ出かけるみたいだけど何か知らないかと聞かれたのだ。もちろん音信不通だった由衣がその理由を知るはずも無く会話はすぐに終わったのだが、今の言葉を聞いて直感的にその『ゼロ』を倒しに行くのだなと悟ったのだ。
「そっか・・・・そいつが犯人か。じゃぁこないだ襲ってきた連中の親玉ってことか」
あえて夜中に出かけることに関して一切何も言わなかった由衣のその言葉に、そんな由衣の心情を知らない周人は黙ってうなずいた。
「あの爆破事件で政府が動いているから、もう大丈夫だろうけどね・・・・・あ、今日の夜、夜中すぎにテツとちょっと用事で出かけるんだけど・・・・・」
「あぁ、そうなの?もしかして、やらしいトコロじゃないでしょうね?」
「んなわけないだろ・・・」
あえてそう言って場の空気を変えた由衣はソファから立ち上がると何を思ったか周人の膝の上に座った。そのまま首に両手を回すとギュッと周人に抱きつくようにしてみせる。本当は出かけて欲しくなかった。危険な目に遭うのはわかっている。相手は鳳命が強いといった人物であり、『キング』と同じ立場にいる人間だ、弱いわけが無い。それに平気でビルを爆破して何人もの死傷者を出した危険極まりない人物なのだ。周人の強さを信じてはいるが、万が一のことを考えて不安でいっぱいの胸中をぐっと押し殺した由衣は周人の体温を感じながら今にも口から出そうな引止めの言葉を飲み込んだ。そしてそんな由衣の行動に、周人は由衣が全てを知っているのではないかと疑いの心を持った。なんとなくそんな気がした程度だが、あえてなにも言わずに抱きしめ返した周人はこの温もりを守るために戦う決意をより一層固める。この温もりは周人の力になり、必ず勝って帰ってくるという誓いにもなった。
「心配するなって、すぐ戻ってくるからさ」
「・・・・うん」
もし帰ってこなかったらと言いかけたが、うんとしか言えない自分に戸惑う由衣。相手はビルを吹き飛ばすほどの戦力を持っているのだ。無事であることのほうが可能性として低いだろう。
「ホントにすぐ帰ってくる?」
「あぁ、約束するよ」
「じゃぁ、寝ないでここで待ってていい?」
甘えた声ではなく、明らかに不安がこもった声である。周人はどうしたものかと考えたが、やはりここは家に帰すか、光二が言ったように塾へと預けるのが得策だろうと思える。ここで1人で待たせるより危険もその方が少ないだろう。
「ここじゃなくて、家で待っててくれよ」
「やだ・・・・」
「どうしても?」
抱き合っているために肩に感じるうなずきに、周人はため息を混ぜながらも了承することにした。光二にはここへ来てもらうよう依頼すればいいと判断したのだ。おそらく何を言っても由衣はここに居座るだろう。
「じゃぁ、家に電話しなきゃな。連絡はしないと」
「今日は泊まってくるって言ってるよ」
用意周到なその言葉に苦笑しつつ、あの由衣至上主義者の父親秀雄がよくそれを了解したなという疑問が頭をよぎった。確かに素直にそう言えばOKをくれるだろうが、1人娘の由衣が可愛くて仕方が無い秀雄にしてみれば面白くない話だからだ。かといって秀雄は周人を嫌っているわけでもなく逆に気に入っており、家に遊びに来れば帰りが車であろうが酒をすすめるほどなのだ。だがやはりそれとこれとは別問題だろう。
「お父さんがよく許可したな・・・」
「違うよ、お父さんは出張でいないよ・・・・母さんがいいよって言ってくれたの」
娘の彼氏である周人の熱烈ファンである実那子は周人に対して絶対的な好感を持っている由衣の母親だ。だからこそこうした外泊すら簡単に許可したのだ。それにできちゃった結婚でもいいと本気で思っている実那子だ、これはそのチャンスとも思っているのだろう。周人は由衣の温もりを感じつつ、絶対に無事に帰ってくると心の中で誓った。戦いの前に仲直りし、この温もりを感じることができた今、周人の心に一切の迷いは無い。かつて全てを捨てて、命さえいらないと思って戦った『魔獣』は今、このかえがえのない愛する人を守るために命など賭けずに無傷で勝って帰ってくることを決意したのだ。命を賭け、それを失うことは許されない。かつてない力がみなぎるのを感じる周人はそっと由衣の頭を撫でながら絶対に無事に帰ってくることを何度も自分に言い聞かせるのだった。




