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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十七章
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116/127

幸せの意味(4)

全ての電気が消されていて薄暗いながらも、壁全体が窓ともいえるガラス張りの空間は外から入ってくるネオンの光や街の明かりが十分な光を提供してくれているためにさほど暗くはなかった。部屋の広さに対してあまりに小さい円卓を囲むようにして配置されている4つのソファにそれぞれが好きなような格好で座っている。テーブルの上には各自が好むアルコールの入ったビンが置かれているのみでグラスと呼べるものは存在しなかった。テーブルとソファ以外は何もないだだっ広い空間にいるのは8人の男女だ。かなり長い髪の男、短い金色の髪の男、ニット帽を目深にかぶった少年、そして金髪パーマの男と、各自それぞれの脇には全裸に首輪をされたどれもかなりの美少女たちが膝立ちで座っている。その首輪から伸びた太い鎖は男たちが座るソファの真下の床に埋め込まれるようにして設置されている鉄製のリングに繋がれていた。首輪自体にも南京錠がされているために逃げることもできない状態にある。もはや無気力に近い表情の少女たちは男たちの挙動をうかがいながらただじっとその場にいるのみであった。


「決行は明日」


長髪の男が静かにそう言うと、目だけを動かして注目する3人の男たち。


「ボディガードはオレが抑えるよ。多分『スペシャル』だろうから」


ニット帽を少し上げながらまだあどけなさを残す少年が薄く笑いながらそう言った。


「じゃぁ、オレは寝てる」


そう言いながら自分にあてがわれている少女を片手で軽々と、それでいて無理矢理持ち上げるとちょこんと膝の上に乗せたパーマの男はジャラジャラ鳴る鎖をうっとおしそうに避けるようにしながら見かけの年齢に反して発達した乳房に手を置いたままその頬を舌で舐め上げた。この状況になって3日ほど経つが、何度そうされても怯えきった少女はもはや震えるのみで何の抵抗も示さないでいた。逆らえばどうなるかはよく理解しているからだ。


「お前も一緒に行ってガードしろ。情報が漏れてたらヤツらが来てるはずだ」


そう長髪の男、『ゼロ』に言われたパーマの男Dはやれやれといった仕草を取りながらテーブルの上にある赤ワインのボトルを手にした。


「わかったよ・・・しゃーねぇな」


渋々そう言いながら膝の上にいる少女の口元に開封された赤ワインのボトルの口を持っていくと少女は当たり前のように口を開けてそこにワインを注がれるのだった。そして口いっぱいに入れられたワインを飲むでもなく、そっと男の唇に自分の唇を重ねると口の中のワインを男の口へと器用にこぼすことなく移していった。喉を鳴らしてワインを飲み干した男はそのまま少女の口の中にまで舌を入れてワインの味を堪能する。そんなDを軽蔑のまなざしで見やるニット帽の少年Xiは不愉快そうな表情を浮かべて顔をそむけた。自分も『ペット』を所有しているが、彼はDのように自分の本能のまま、異常ともいえる性的な欲求を満たす存在としてそばに置いているわけではない。身の回りの世話役としておいているのだ。もちろん強制的に性的な行為も行なうのだが、間違ってもDのような変態的行為に及ぶことはなかった。


「女はオレがやる。それでいいな?」


金髪の外人ゼットが殺気を伴い、切れ長の目をさらに細めて『ゼロ』に言い放った。それは有無を言わせぬ迫力をもっていたが、元々そのつもりだったのだろう、『ゼロ』は涼しい顔をしたままうなずいた。


「これは日本政府への宣戦布告だ。この作戦完了の二十四時間後に、『アーク』が日本の全権を握る・・・全て我らのものに!」


高々にそう宣言した『ゼロ』に男たちが凄惨なる笑みを浮かべる。もはや少女たちは今の言葉の意味すら理解する能力を奪われ、無気力的に男たちのされるがまま人形のようにもてあそばれるのだった。


結局風呂から上がってもまだ話中なために電話の故障か電話会社の不具合かと思ったが、仕方なくもう明日にしようと寝ることにした。だが、どうにもこうまで長電話の相手が気になって仕方がない。この間みさおと夕食を共にした際に見たことのない男性と一緒に歩いていたところを目撃しているだけに、変な妄想ばかりが膨らんでしまう。


「誰なんだよ、あいつは!」


周人にしては珍しく嫉妬心をあらわにしながらふてくされた表情で布団の上に寝転がる。そのまま悶々とした気分を抱えたせいか、なかなか寝付けない周人は最近やっていなかったゲーム機をセットすると終盤に差し掛かりながら途中で投げ出していたソフトを起動させた。今ならば最後までやり通せそうな気がしたのだが、結局わずか1時間後、コントローラーを握り締めたまま眠ってしまった周人は朝起きてガックリと肩を落とすのだった。


いつも8時過ぎには出社している龍馬に対し、今日は本社に出張だと告げた周人は十時過ぎには着くようにと家を出たために桜ノ宮駅から電話をしていた。おそらく今日は菅生と夕食を取って帰ることになると判断して夜の十時過ぎに帰宅となるはずだ。帰りの電車の中で由衣に電話をすればいいかなと思う周人は桜ノ宮駅から東京行きの急行列車に飛び乗った。さすがにラッシュ時間とあってぎゅうぎゅう詰めの状態であり、このまま東京までの約1時間はきついものがあった。だがこれも体を鍛える一環とすればそう苦でもない。そう考える周人だったがやはり疲労の色は濃く、東京に到着した頃にはすでに心身ともにボロボロの状態にあった。今経験したラッシュの混みようが修行とはまた違ったつらさであったことは言うまでもない。疲れきった顔で時計を見れば現在9時15分。連絡した十時までには時間的にまだ余裕があるため、少し寄り道して行こうと考えた周人は今いる東京駅から本社ビルまでのちょうど中間地点に位置している美味しいコーヒーのお店に向かった。2年前にオープンしたこの店のコーヒーは周人の舌とマッチしているのか、何度でも飲みたくなるほど気に入っていたのだ。実際本社に1人で来た際にはほぼ毎回立ち寄っているぐらいだ。天気もよく、さすがに夏日で暑いが開放的な気分のために鼻歌混じりにのんびり歩く周人は突然後ろからただならぬ殺気を感じて凄まじい速さで振り返ると、そこには見慣れた顔である哲生の姿があるではないか。どこかホッとしながらも殺気ではなく声を出せと言いたくなる。


「よっ!さぼリーマン1号!」


2号がいるのかよと思ったが、そこはあえて突っ込まずに鼻でため息をついた周人は片眉を上げてみせた。


「さぼりじゃねぇよ・・・・そういうお前は不倫の帰りか?」

「そうそう、さっきまで美女とそこのホテルでって、おい!」


まるで関西系のノリな2人だが、こういった会話は日常的なのだ。しかも周人の言った冗談は半分は本気だ。


「撮影だよ、すぐそこのスタジオでな。売れっ子演出家としては当然参加だろ?」


そんなこと知るかと思いつつわざわざ都内のスタジオまでやって来たということから、撮影モデルはかなりの美人だなと見た周人は目を細めてじっと哲生を見やったが、急にふっと力を抜いたようにしてみせた。


「そうかい・・・オレは本社に出張だ」

「なら話が早いな。誰かナンパしてそこの激ウマの店でモーニングコーヒーとしゃれこもう!」


全く何が話が早いのかわからない上にナンパは必要ないだろうと思う周人を無視してすでにきょろきょろしている哲生はある方向を見てにんまりと微笑んだ。どうやらターゲットをロックオンしたようだ。そのロックオンされた女性を何気に見た周人の顔が驚きに変わる。女性の背中しか見えていないが、その髪型や背丈、何より雰囲気は間違いなく周人が知っているある人物に当てはまる。やがて何やら会話中の哲生が連れである周人の方を指差すと、そっちを見た女性もまた周人を見て驚き、そして微笑を浮かべた。


「高原・・・みさお」


もはや哲生を無視してツカツカと周人に歩み寄るみさおはすぐ目の前で立ち止まると腕組みをして見上げるようにしてみせた。その表情は柔らかく、以前のみさおとは少し違った感じを醸し出している。


「ナンパするような人には見えなかったけどね・・・あなたは」

「本意じゃねぇよ・・・あのバカが勝手にやったんだ」


言いながらやってきた哲生に向かって疲れた表情を見せた。


「知り合いかよ・・・なら話は早いな」


言いながら馴れ馴れしくみさおの肩に手を回そうとした矢先、突然その動きを止めた哲生はしばらくじっとみさおを見つめていたが、目を閉じて頭を掻くと困ったような顔を見せた。


「子持ちか・・・なら範疇外だわ」

「子持ちって?」


みさおの疑問に哲生は下腹部を指差した。


「妊娠2、3ヶ月ってとこ?」

「・・・・・恐ろしいわね、さすがは『マジシャン』て事かしら」

「まぁね」


自分を『戦慄の魔術師マジシャン』と知っているみさおの言葉すらさらっと流してみせた哲生はなかなか似合っているウィンクを返した。周人もそうだったが、この哲生もまた不思議な雰囲気を持っている。伝説の強者とはとても思えない軽さというべき人柄なのだ。


「でもさ、恐ろしいのはその子だよ・・・・・すんげー気だ。もしかするとウチの息子以上かもしんない」


実際今でもビリビリその気を感じている。わずか2、3ヶ月の胎児がこうまで強力な気を発する例など見たことも聞いたこともない哲生は全身を走る悪寒によって鳥肌が立つのを感じながらこの強烈な気をどこかで一度感じていることに気付いてハッとなった。


「似てる・・・・この気は・・・・・・まさか・・・・」

「久我晴海、『キング』だ」


周人の言葉に驚きつつもどこか納得した感じの哲生はうっすら笑みを浮かべている。みさおはそんな哲生と周人を交互に見ながらそれを知ってなお笑えるこの男たちの底知れない何かに戦慄した。


「ってことは、『キング』とセック・・・・」

「で、お茶の返事をまだもらってない」


哲生の言葉を強引な割り込みでさえぎった周人に笑顔をこぼしたみさおはいいわよと答えて早々とすぐ目の前に見えている店に向かって歩き出した。ほぼ横に並んでみさおと歩く周人を見ながら肩をすくめる哲生だが、さっきの軽い口調とは裏腹に言い知れない恐怖もまた胎児からビリビリと感じているのだった。


「まさか・・・・子供じゃなく、『ヤツ』本人なのか?」


いつになく真剣にそうつぶやくとその答えを求めるかのように早足になりながら、自分を見るみさおに対して意図的に表情を和らげるのだった。


昨日の今日だけにどういった顔で隆弘と会えばいいかわからない由衣だったが、そんなことを気にしている自分がバカらしくなるほど普通に接してきた隆弘に普段どおりの自分でいられた由衣は昨日の件も含めて隆弘に感謝していた。告白こそなかったものの、自分を好きでいる事は十分感じていただけに励ましてくれた隆弘にはただ感謝するだけは物足りない。かといって返せるものも無い由衣にしてみれば普段と変わらぬ自分でいること、そして周人と仲直りすることが最大の恩返しになるのだとあらためて認識した。そして今日、康男のアドバイスを実行して仲直りをする予定にある。もちろんそれは周人にその意思があるかどうかにかかっているのだが。


「昨日はごめんねぇ、急に帰っちゃって」


言いながらやって来た成海にいつもと変わらぬ朝の挨拶を交わす2人。そんな2人から妙な感覚を覚えた成海は一瞬首を傾げたが、自分の席に荷物を置くとそのまま椅子に腰掛けた。いつもと同じように見える2人だが、何かがいつもと違う。どこがどう違うかはわからないが、しいて言うなら雰囲気が違うのだ。まさかあの後自分が帰ってから深い仲になったのではないかと変に勘ぐってしまった成海はとりあえず軽く探りを入れることにした。


「あの後は?すぐ帰ったの?」

「はい、主任に家まで送ってもらったんですけど、すぐに帰りましたよ」

「あの後、物凄い雨に降られて・・・・参ったよ」


実際雨だけではなく、由衣にも振られたも同然だったのだが、そこは何も言わない。ごく自然な2人を見てもまだ不信感が消えない成海だが、今はその言葉を信じるしかなかった。


「実はイケナイ所に行ってたりして・・・」

「ないね」

「ないです」


つぶやくように言ったにもかかわらずあまりに普通にあまりにサラっと言われたため、もうこれ以上その話題を振ることを止めた成海の肩に不意にシワの多い手が置かれた。その置き方と撫でるような触り方、そして何よりこうも馴れ馴れしく触ってくる人物はこの職場で1人しかしない。


「イケナイ所に行きたいなら、いつでも誘ってくれ」


言いながら頼んでもいないのに成海の肩を揉むのはやはり支店長の浦安だ。下卑た笑いもその性格を見事に表現している浦安はいやらしい目を由衣の胸元に向けながらも肩を揉む動きを止めなかった。さすがにムッと来たどころか怒りが満ちてきた由衣はもうこの際クビになってもいいからはっきり文句を言ってやろうと浦安を睨みつけ、まさに口を開かんとした矢先に勢いよく隆弘が立ち上がった。


「今の言葉はセクハラです。新村さんに対する今のあなたの行為も!このまま見過ごせない状態が続くのであれば上への報告もあることをお忘れなく」


毅然とした態度でそう言い放った隆弘は全く気弱なそぶりを見せずにいた。その態度は言われた浦安はおろか由衣や成海、そして出社している面々を驚かせた。何があの隆弘をこうまで変えたかはわからないが、こうまではっきりセクハラだと言われた浦安は動揺の色を隠せなかった。


「フ、フン!偉そうに・・・・・そうだな、まぁ、お前が大手の契約を取ってでも来たら、止めてやってもいいぞ」


どっちが偉そうなのか、もはや開き直りを見せた浦安は去り際に由衣のお尻に触れてから自分の席へと戻っていった。


「今の言葉、皆が記憶しましたからね」


去り行く背中に投げかけられた強い口調の隆弘を睨みつけながらフンと息巻いて戻っていく浦安はそのまま席に戻らずにフロアから姿を消した。


「主任・・・」


もはや目がハートの状態なのは成海だけでなはい。女性社員のほとんどが隆弘を見直し、そして心にときめきを感じるのだった。元々仕事も出来て信頼もある隆弘のただ1つの欠点、肝心な部分での気の弱さ、上司にはっきり文句を言えない部分は今の言葉と態度で帳消しとなったのだ。


「取ってやるさ・・・ブラッケイプやカムイ並みの大企業からな!」


そう言って息巻きながら席に座る隆弘に頭を下げた由衣はそのまま窓口である自分の席へと帰っていった。


「すごい、主任を見直しましたぁ!」


まだ目がハートの成海はうるうるさせた瞳でアピールするが、悲しいかな隆弘にはそれは届いていなかった。昨夜由衣を送った後、いつかは由衣にふさわしい、正確には由衣にも匹敵する女性にふさわしい男になろうと心に決めたのだ。そしてその第1歩が今見せたセクハラ支店長浦安に対する毅然とした態度なのだ。始業のチャイムと開店のアナウンスが流れる中、心を引き締めた隆弘は由衣の背中を見ながらあれほどの女性にああまで想われている男性をうらやましいと思う反面、いつかは自分もそうなりたいという決意を新たにするのだった。


「りねじぇれいと?」

「『リジェネレイト』!・・・・何度言わせるんだよこのバカったれ!」


さすがに朝のモーニングの時間帯だけあって混み合っている店内だったが、ちょうどうまい具合に4人組みが席を空けたためにそこを陣取った周人たち3人はそれぞれお好みのコーヒーをオーダーして座っていた。2人の前に座るみさおに関する話を簡単ながら哲生に話して聞かせる周人だが、把握する気がないのかイマイチ飲み込みが悪い哲生に対して徐々に苛立ってきていた。


「まぁまぁ、ともかく、その『りねじぇれいと計画』ってのがどういうもんかはわかったよ。しかしまぁ、無茶苦茶なことを考えついたもんだな、その福山っておっさんも」


もはやわざと間違えているとしか思えないのだが、今の口調から内容は理解できていると考えていいだろう。驚きつつもその全てをあっさり受け入れた哲生にただ驚くしかないみさおはやはりこの2人が数々の強者を倒してきた伝説のコンビとは到底思えなかった。特に哲生などはただ軽いだけの男のようだが、見かけとは違って器の大きさが所々に見え隠れしている。それでもデータで見たようなキャラクターではないせいで戸惑いは隠せなかった。


「けど、言ってくれたらオレのDNAを提供してあげたのに・・・君なら即!」


言いながら佐々木流哲生オリジナルの必殺技『ハンサムスマイル』を炸裂させる。解説すれば、ただ単に女性に対してさわやかな笑顔を見せて相手をメロメロにする技なのだが、その成功率は2割とかなり厳しいものである。現にみさおには通用せず、無視されてしまった。だがその成功率の低さを認識しているのか、哲生は何事もなかったかのようにアイスコーヒーを飲むと腕組みをしてため息をついた。


「しっかし、ここへきて、問題だらけだなぁ」

「だな・・・『ゼロ』も含めて・・・・」


言い方に危機感がないため、2人の言葉からは重みを感じられない。本当に問題があるように思えない軽い言い方だ。


「でもいいの?いずれこの子はあなたたちに敵対する可能性を持ってるのよ?」


みさおはコーヒーのストローから口を離してそう言いながらどこか挑戦的な笑みを見せる。そのみさおを見ても無表情の周人に対し、哲生はヘラヘラした態度を崩さないのはどういうわけか。


「まぁ、そんときゃウチの息子も強くなってるだろうしな」


自慢げにそう言うと財布を取り出し、嬉しそうにしながらそこからさらに1枚の写真を取り出した哲生はおもむろにそれをみさおに差し出して見せた。


「翔君、1歳だ・・・・かぁいいだろ?」


親ばかにもほどがあると閉口しながらコーヒーを飲む周人を後目にニコニコ顔の哲生はみさおの反応を待っていた。もはや1人息子にメロメロなのは父親の哲生だけでなく、その父親で翔の祖父たる哲也も同じだった。母親のミカだけが普通な感じでいることが周人には不思議だったが、えてしてそういうものかもしれないと心のどこかで納得していた。だがみさおは全く表情を変えずに写真から哲生へと視線を戻すと不思議そうな顔つきへと変えた。


「息子?女の子じゃないの?」

「・・・・・・チンチンついた立派な男の子だ!」


写真を見せるたびに言われるその言葉に哲生はすねたようにそっぽを向いた。顔つきが女の子っぽい翔は素っ裸でいてもなお女の子に間違われるのがしょっちゅうだ。しかも写真ともなれば余計に間違われても仕方が無い。


「でも、見返りもあるんだろ?なんせあの『キング』を産むわけだし」

「お金はもらえるわ・・・それ以外にもいろいろね」

「だろうな」


すでにその見返りが何かを知っている周人だが、あえて知らないフリをして相槌を打ってくれている。そんな周人の優しさがこの間食事を一緒にした頃からみさおの心の中に何かはわからない波紋を投げかけていた。


「『キング』の母親か・・・・なかなかの肩書きだ」


哲生はそう言いながら既に飲み干したコップの中の氷を口の中に入れ、ころころ転がす。


「それで幸せになれるなら、いいか」


何も考えずにそう言った哲生の言葉がみさおの心に深く突き刺さる。たしかに自分にしか『完全なるキング』を生み出せないのだが、その見返りは実の両親の殺害許可だ。果たしてそれが幸せに繋がるかといえば答えはノーだ。


「行きましょう」


全員が既に飲み終えているのを確認したみさおはさっさと身支度を整えてレジへと向かった。あわてて後を追う2人が財布を出そうとしているのを片手で制し、みさおは手早く3人分のコーヒー代を支払った。


「悪いね、ナンパしておきながら払わせて」

「ホント、悪い。でも、ありがとう、ごちそうさま」

「いいわよ、気にしなくても」


礼を言った哲生と周人に愛らしい笑顔を見せるみさお。おそらくこれこそが本来の彼女の笑顔だと思える2人にも自然な笑みがこぼれた。暑い日ざしが突き刺さる外はさっきまでいた冷房のよく効いた店内とはまるで違った地獄のような暑さだった。店の前の道路は車もそう多くなく、行き交う人もどちらかといえばまばらだった。この辺はオフィス街ということもあり、今は平日の十時過ぎともなれば皆仕事中の時間だ。やや広めの歩道の真ん中に立つみさおに周人と哲生が別れの挨拶をしようと近づいた。


「元気な子を産めよな」

「気をつけてな」


そう言って笑顔を見せた2人に対し、どうにも素の自分になってしまうと不思議な感覚に襲われるみさおが笑顔と共に別れの手を振ろうとした瞬間、その右胸を何かが刺し貫き、鮮血がコンクリートの地面に舞った。


それは猛スピードで後方斜め上からやって来たために、百戦錬磨の2人ですら何の反応もできずにただ呆然とその異常な光景を目にするしかなかった。衝撃で前に吹き飛ぶように倒れこむみさおは口から血を吐きつつ、貫かれた右胸からも大量の血が噴き出している。その右胸からはヒモのようなものが生えていて、硬いコンクリートの地面に突き刺さったみさおの右胸を貫いた物体と繋がっていた。そのいびつな三角錐を形どったようなその物体は銀色であり、よく見れば人間の指のような形が集合してそれを形成していることがわかるが、あわてて駆け寄る2人にはそれすらわからない。そしてその物体はコンクリートの破片を撒き散らしながら繋がったヒモのような物である特殊ワイヤーの力によって引き戻され、再度みさおの右胸に空いた穴を広げる形で元来た上空へと戻っていった。おびただしい血がグレーの地面を凄まじい速さで真っ赤に染める中、哲生は険しい顔をしながらみさおのそばに駆け寄って金色に輝く手を傷口に当てながら一心に何かを念じていた。周人はみさおに致命傷を与えた物体の戻った先を睨みつけるようにしてそっちを見上げる。大きな道路を挟んだコーヒー店の真向かいにある3階建ての小さな商社ビルの屋上にある人影は3つ。うち2人は全く見た事も無い金髪パーマの男とニット帽をかぶった少年だったが、もう1人の短く刈り込んだ金髪の外人には見覚えがあった。そしてその人物の左手こそ、今みさおの胸を貫いた物体でもあった。異形の三角錐がどうやってそうなったのかはわからないが一瞬のうちに人工的に作られた人間の手の形になる。それこそがNASAが宇宙探索用ロボットアームとして開発し、それを買い取った日本の技術でその機能を発展させた脅威の義手、フルタクティカルアームズであった。


「クソッ!だめだ!オレの気じゃ出血を抑えるのが精一杯だ、クッソォォォ!傷の再生どこじゃねぇ!」


気の力で新陳代謝を活性化させて自然治癒能力を高める補助をする事によって傷を早く治したり、止血や化膿を止める、あるいは傷そのものの進行を止めたり傷そのものを再生したりする働きをする内養生功ないようじょうこうは哲生が得意とする自然が発する気と自分自身が持つ気を同調させて破壊力を増す外陽功がいようこうとは対極を成すいわば癒しの気功だ。だが今の哲生の焦りの言葉からもわかるように、哲生は内養生功を得意としないために出血を抑えることが限界で傷を抑えることまでは作用しない。しかも少しでも気が散れば血が噴水のごとく噴き出してしまう。今、この無防備な状態を狙われればもちろんひとたまりも無く、いかな周人とはいえこの3人を相手にはできないだろう。見る見る血の気が引いていくみさおを見ながら、そこにかつて自分が見た人生で最悪の光景が重なる。ほぼ全裸で土まみれになり、冷たくなっていたかつての恋人、磯崎恵里。人を愛する喜びと愛されることの喜びを初めて教えてくれたかけがえのない女性の死、その光景とみさおが重なった瞬間、苦しむみさおの顔が由衣のそれへと変化した。目の前に展開している戦慄の光景を見た通りすがりの女性が悲鳴を上げる中、その女性に対して哲生はすぐに救急車を呼ぶよう怒鳴り、言われた女性はあわてた様子で携帯電話を取り出すと電話をかけはじめた。


「クソ・・・真面目に内養生功も修行しとくんだった」


大汗をかく哲生のズボンもすでに赤く染まりつつある。膝立ちでいるせいか、靴も朱に染まっていた。胸に大穴が開き、片肺は完全にその機能を失っている。哲生は止血と同時に気の力で肺の機能を補助するが、やはり自分の内養生功ではそれもうまくいかなかった。


「せめて親父レベルとはいかないまでも・・・」


内養生功を得意とする自分の父哲也だったならば肺の機能を代替えすることも可能だろう。歯がゆむ哲生は自分が持つありったけの気を手に集中させ、より一層金色の輝きを増すその手をみさおの胸に押し付けるのだった。


自分を憤怒の形相で睨む周人を見下ろすゼットはこれ見よがしに左手についたみさおの血をわざわざ舌を見せながら舐め上げた。鉄の味がするのは血のせいか、はたまた義手のせいか。本当は心臓である左胸を狙ったのだが、射出と同時にみさおが周人たちに向かって手を上げたために逸れてしまったのだ。だが右胸とはいえそこには拳大の穴が開いているのだ、連れの男が何をしているかは知らないが出血性ショックで死ぬのは時間の問題だろう。いや、即死だった致命傷があの男の気功の力で少し伸びた命になっただけのこと。


「あれ誰?」


さして興味もなさげに自分たちを睨む男を見てそう言うXiの横ではガムを噛んでいるDが知らないとばかりのゼスチャーをしてみせた。


「『魔獣』・・・ジャバウォック」


憎しみすら感じられる言い方をするゼットことゾルディアックはかつて周人に砕かれたあばらがうずくのを感じていた。もちろんあばらだけではない、意識を失わせるほどの致命傷を与えた腹部への衝撃も体がしっかりと覚えている。


「へぇ・・・あいつが・・・・でも弱そうじゃん」


Xiは鼻で笑いながら馬鹿にしたようにそう言う。


「もうおっさんだしな、所詮は過去の男・・・ってな」


あざ笑うようにしている2人の言葉を聞きながら見掛けだけで判断しているその若さを心の中で笑うゼットは、今、自分に向けて凄まじい殺気を放っている男が自分と戦った5年前より強くなっていると思える自分が間違いでない事を祈るのだった。


「あん?あんた誰?」


Xiのその言葉にゼットは周人から目を逸らし、何気に少年が見ている方を見やる。そこには黒いサングラスをした明らかに外人とわかる男が殺気を漂わせて立っていた。


「あれの飼い犬か」


先日歩道橋の上から見ていたためにその男を覚えているゼットのその言葉を合図にサングラスの男ガーティは一瞬にして姿を消すと次の瞬間何の気配もなしに不意にゼットの背後に現れた。右横3メートルの距離を一瞬で詰めたとしか思えないガーティはいくつにも見える拳を突き出すが、ゼットが素早くかざした左手についている手首から肘にかけて存在している三角の板が3つ、一瞬にして変形するとそこに50センチ四方の盾を形成した。超硬化テクタイトと呼ばれる新素材でできているフルタクティカルアームズはバズーカの衝撃ですら壊れないほどの強度を持っている。たったこれだけで全ての打撃を防がれたガーティはまたも一瞬で姿を消すと7メートルほど離れた隣のビルの屋上に姿を現した。


「なるほど・・・あいつも『スペシャル』か・・・」


うっとおしそうにそう言うゼットの前に進んだXiの口元がほころびる。ゼットは何も言わずにシールド状の板を一瞬で元に戻し、その鉄の拳を数度握り直した。


「ならオレの出番だね」


Xiはそう言うと暑い中にもかかわらずずっとポケットに突っ込んでいた手を無造作に抜き放つ。次の瞬間、またも姿を消したガーティが瞬時に自分の目の前に現れ、蹴りを放った瞬間、それを見切ったゼットがその足を掴み上げた。これにはさすがに驚くガーティだが、そのまま身をよじって自身が持つ特殊能力『瞬間移動』を発動させる。だが、さっきまでとは違って何もおこらずにそのままゼットの力で硬いコンクリートの屋上に背中から叩きつけられ、血を吐いてもんどりうった。余裕からか手を離したゼットと間合いを開け、頭からも血を流すガーティは再び能力を発動させてここから撤退し、先にみさおを病院に運ぼうと試みるが、何故かはわからないがやはり能力が発動しない。うろたえるガーティは壊れたサングラスを捨てて構えを取るが、足はさっきのダメージから震えていて立っているのがやっとだ。


「アハハッ!オレの能力は半径十メートル以内の特殊能力を全て無効にできるんだ・・・つまりは対『変異種スペシャル』用の能力さ!」

「それだけじゃねぇよ・・・こいつが意識した相手にはその効果が出ないっつー優れものだ・・・つまり、オレの能力はこいつが能力を発動してても使えるってわけだ」

「オレのもう1つの能力もね」


Dの説明の後にそう言ったXiの目つきが鋭くなる。と、ガーティは自分が指1本すら動かせないことに気付いて汗を流した。どんなに力を込めても、念じても体が動かない。完全な金縛り状態となってしまっていた。


「名づけて『標的支配フリージング』・・・脳の活動を停止させる。つまり意識は起きてるけど体は寝てるんだ。俗に言うこれこそが金縛りさ。そしてもう1つ、今発動させている能力無効、『支配領域グラスパーフィールド』とあわせればこのXi様は超無敵だよ」

「じゃぁな、おっさん」


そう言うXiの説明が終わるのを待ってか、Dは動けないガーティの目の前に立つと右手で首を掴み上げてそのまま体を持ち上げる。なんという怪力か、Dは軽々とガーティを振り回しながらそのまま脳天から足下のコンクリートに叩きつけた。頭がつぶれる感触が快感となって背中を駆け抜ける。Dは狂気にも似た恍惚の表情を浮かべると倒れこむガーティの体を踏みつけた。コンクリートの屋上にその体がつぶれるようにめり込ませるほどの怪力こそ、この男の『変異種』としての能力だった。


「任務完了!ついでにあいつらもやる?」


そう言って自分たちを睨む周人を見下ろすD。位置的に屋上の出来事はわからないが、今の3人の動向からしてさっきからチラチラと姿を見せていたガーティが倒されたことは容易に想像がつく。やはり『ゼロ』の側近だけあってその強さはけた違いだと思う周人だが、いつでも3人同時に相手にできるよう気を張り巡らせていた。


「いや、今はいい・・・どのみち後で戦う事になるさ・・・・イやでもな」


ゼットはそう言うと自分を睨みつづけている周人に向かって1歩踏み出すと、親指を立てた拳を自分の首に持っていき、それを真横に動かした。『次はお前を殺す』という意味だ。


「ゾルディアックゥゥッ!」


色が変わり、血が滲みそうになるほど強く拳を握り締めて絶叫する怒りの形相をしている周人の叫びと、遠くから聞こえてくる救急車のサイレンが響き渡る中、もはや意識のないみさおの瞳に映る夏の青空がむなしいまでに青く澄んでいるのだった。

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