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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十七章
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幸せの意味(1)

毎週毎週の事なのだが、休み明けの月曜日は体がだるい。いいかげん体もそれに慣れて欲しいと願うがこればかりはどうしようもないのか、眠さと気だるさが途絶えることなく全身を襲ってきていた。この週末は土日の2日間とも家にいたせいもあっていつになく不調な感じの由衣はそんな事など表にも出さないでにこやかな笑みでおばあさんに通帳を返すと入れ替わりに前に立つ次の人に対し、誰も作ったものだと気付かないほどの笑顔を見せた。周人とケンカ別れをしたせいもあり、土日はすることもなく家でゴロゴロした由衣だったが、結局金曜日は隆弘のおごりで成海共々焼肉を食べに行ったのだった。もはや誰に罪悪感を感じることなくおいしい食事とビールを味わう由衣は胸の奥が時折チクチク痛むのを感じながらもその痛みすら意識の中でかき消していた。時々は周人を思い出すものの、結局まだ負の感情たる怒りが心と体を支配しているせいで何の連絡を取るつもりもなく、自分の中ではもう別れたとの認識を強めていったのだった。それでもどこかで周人からの電話やメールを待っている自分もいるため、もうどうしていいかもわからない精神状態が和解への道を閉ざしてしまっているのかもしれない。午後の眠い時間に人が減ったせいで顔を伏せながら口元に手を当ててあくびを噛み殺す由衣に近寄る隆弘はなかなか感じよく過ごせた金曜日のことを思い出しながらニヤけていた顔を引き締めてから書類を由衣に手渡した。


「処理終わったよ、五十五番の方だ」


やや涙目の顔をあわてた様子で元に戻そうとハンカチを取り出す由衣は隆弘に向けて照れた顔をしながらその書類を受け取った。


「すみません」


言いながら表情を引き締めた由衣は手渡された書類にざっと目を通すと五十五番の番号札を持った人物の名を呼んで自分の窓口へと誘導する。そんな彼女の背中を見ながらどことなく緩んだ表情をする隆弘をじっと見ている成海は金曜日にしつこく彼氏と別れたことを確認していた隆弘の姿を思い出してさらにムッとした表情を濃くしていった。由衣は周人と別れた理由を『考え方の相違』と説明した。確かにどこか吹っ切れたような様子は見ていてわかるのだが本当に彼を嫌っている、完全に別れたというような気がしていない成海にしてみればただのケンカに思えてならない。だが由衣を好いている隆弘にしてみれば別れたという言葉は喜ばしいことでしかなく、もはやその言葉を信じきっているようだった。だからといって隆弘が由衣と付き合えるかはまた別の話なのに、だ。自分の席につきながら顧客のデータ処理を再開する心身ともに緩みきった隆弘を横目に見ながらため息をつく成海は少し表情を険しくしながら融資先のデータチェックを行うのだった。


出張から帰ってきてからの2人の様子が変わった事に気付いたのはこの広いフロアの中でも相楽はやねただ1人だけだったのかもしれない。仕事中のみならず休憩中でも愛想が無く、いつもどこか張り詰めたような気をかもし出している龍馬の雰囲気がこと理紗に関しては緩むのだ。まるで社内恋愛を極秘でしているようなカップルのごとき雰囲気を感じ取ったはやねは、先日の出張で龍馬と理紗が男女の仲になったのではないかと想像し、一人ムスッとしていた。そんな彼女は私的な感情を平気で職場に持ち込むため、その場にいるメンバー全員がはやねの不機嫌さを承知していた。そしてその心情を知らない面々は、どうせまた周人に対して何かしらの不満を募らせているのだろうと考えており、まさか崇拝している理紗に対して不信感を抱いているとは想像もしなかった。しかしながらはやねが思っているほどそう2人は親密ではない。確かに以前よりは仕事以外の話もしているが勘ぐるほどのものではなく、あくまで職場の同僚としての会話にすぎないのだ。もちろん、出張先の神戸で何者かに襲われたことが2人の共通の秘密となっているが、それに関しては周人も絡んでいる。だがそんなことなど知らないはやねにしてみれば自分には素っ気ない龍馬が理紗と仕事上の会話をする際においてもやわらかい雰囲気を出していることが気に入らないのだ。そんな矢先、仕事も落ち着きを見せていた午後3時、周人が龍馬と理紗を会議室へと誘った。別段仕事上での話などないはずなのにと思う面々だったが、理紗と龍馬を呼んだという事は仕事の話なのだろうと、上司や口うるさい人間がいなくなったことで気が緩められて雑談が始まる中、はやねだけは睨むように会議室へと向かう3人の背中を見えなくなるまで見つめつづけていたのだった。


「まさか・・・結婚?」


実は前々から職場では内緒で付き合っていた2人がいよいよ結婚となり、全てを知っている上司である周人がその件で呼んだのではと勘違いをさらに増幅させたはやねはふつふつと湧き上がる嫉妬の感情にイライラしながら、こうなったら積極的に龍馬に迫り、真相を確かめようと決めたのだった。


4人がせいぜいの小さな会議室は工場内では珍しい個室タイプのものだ。基本的に個室タイプの会議室はホール形の大きな会議室がある敷地内の一番奥に位置している建屋にいくつかあるために、それ以外の建屋にはオープンタイプ、つまりは仕切り板などで壁を作っただけの簡略的なスペースを置いているだけにすぎない。だが、周人たちが向かったのはこのフロアの一番奥に位置しているただ1つだけ存在する個室型会議室だった。各自のパソコンから会議室の予約が可能なため、午前中にこの時間を取っていた周人は2人を並んで座らせると自分は龍馬の真向かいに座った。


「君たちを襲撃した者たちの雇い主、及びその目的が判明したんでね、話しておこうと思ったんだ」


そう前置きして話を始めた周人は小さくため息をつくと詳しい話を始めた。光二が黒づくめの集団から思考を読んだ結果、『ゼロ』がその首謀者であることは明らかとなっている。そしてその目的もまた判明している。


「首謀者の名は『ゼロ』、本名は木戸百零きどびゃくれいという・・・・あの『キング』の現在の地位にいる政府の犬だ、最強のな」


かいつまんでそう説明した言葉に2人は少なからず動揺していた。『キング』に関する事情を全て把握している龍馬にとって『ゼロ』と言われたその存在と権力の大きさはよくわかる。そして政府が絡んでいるともなればその強さは絶大だろうことも。また、その本名にある『木戸』の名もまた2人を動揺させた要因だった。周人に兄弟がいないことは知っているが、話の流れ上からして身内である可能性は極めて高い。そしてそんな2人の様子を見てから、周人は続きの言葉を発した。


「木戸百零は、まぁ、いうなればオレの遠い親戚に当たる。まぁ、会った事などないけどね・・・そいつが政府の裏で、ヤツらにも内密に何やら企んでいるということも掴んでいる」


龍馬にしてみればそれは当然のことに思えた。『キング』を知っている龍馬だからであったのだが、本能のまま生きていた『キング』にとって政府とは自分が好きに暴れられる場所を提供してくれる上にどんな犯罪すらもみ消してくれるいわば都合のいい存在だった。それに政府に隠れて何かをしようという意思など最初から持ち合わせていない。第一、やることが派手なだけにそういったことも不可能なのだ。政府の影に隠れようが隠れまいが、結局はやりたいようにやっていたにすぎない。


「普通に考えれば当然ですね・・・オレでもそういう権利を与えられたら考えることは1つだ」


どこか馬鹿にした言い方だが、周人は真剣な顔のままうなずいた。イマイチその辺りのことが把握も理解もできていない理紗はわかりにくい話をただ黙って聞いているのみだった。


「そしてそんな政府もまた『ゼロ』を管理しようと企み、それに失敗した際の計画も発動させているということだ」

「ほぅ、用意周到なことだな・・・・いや、連中が考えそうなことか」


皮肉を込めてそう言う龍馬の言葉に苦笑しながらうなずく周人は結局は『キング』を倒した自分すら権力に利用しようとしていたことを思い出していた。最強の男『キング』を倒した周人を取り込もうとやっきになった代議士もいたが、そんなものに興味がない周人は無視を決め込み、結果として秋田たち警察の働きによって当時の首相が歯止めをかけたのだ。


「その計画を知った『ゼロ』はオレたちを含めた自分たちに害を成す人間をリストアップし、抹殺しようとしているというわけだ」

「なるほど・・・で、相手側は俺たちはヤツらがしようとしていることに興味がないと知っているってわけですか・・・それでいて、邪魔だから処分、か」


その言葉に周人は満足そうにうなずいた。過去における全ての事情を知っている龍馬はさすがにそういったことに関して頭の回転が速い。そんな龍馬とは対照的に、理紗はわけがわからないといった感じでどこか上の空の雰囲気をかもしだしていた。


「じゃぁ、なんで私は狙われたんですかねぇ・・・私をさらっても、あの青空にはなぁんの効果もないのに・・・」


両手を肘ついた手にあごを乗せた理紗は目を伏せがちにしながら不機嫌そうにそう言った。もはや現ミレニアム特攻隊長たる高木青空たかぎせいくうと別れて十年近く経っている。理紗にしてみれば忘れてしまいたいほどの思い出でしかないことなのに、それが原因で自分が狙われる理由が不当すぎると思えてならないのだ。そんな理紗の心情が理解できる周人は今度は理紗の方を真剣な顔つきを変えずに見やった。その視線を受けて思わずドキッとした理紗だったがどこにもそれを出さなかったために周人は気付かなかったが、隣に座る龍馬はチラッと横目で理紗を見やった。その目はまるで理紗の心を読んだかのように鋭く、何かを見透かしたような目をしていた。


「里中君からのリストを見た結果もあるんだけど・・・ヤツらがマークしている人物の過去や今を調べてその恋人関係を洗っているのには2つの理由がある」

「2つ?」


何故か龍馬がそう声を上げたが、周人は無視して理紗から目を離さなかった。


「1つは、現在、元恋人を含めて人質にできると判断した。2つ目は、その女性をペットにするため・・・つまりはこの国を乗っ取った際にハーレムでも作る気なんだろう」


その2つめの理由にめまいを覚えた理紗はばかばかしいという表情をしながら頭をかいた。だが、龍馬はここではっきりと国を乗っ取ると言い切った周人の言葉に神妙な顔つきになった。


「ハーレムは置いておくとして・・・この国を本気で乗っ取れると?」

「『ゼロ』の側近『ゼット』は元アメリカ海軍大佐・・・闇の武器商人たち、ブラックマーケットにも深く通じているらしい」

「つまり兵器を持ち込んでいる、と?」

「持ち込んでいるかはわからんが、所有しようとしている。おそらく核も含めてな・・・政府が選んだ最強のメンバーは、また、最強のテロリストにもなりうるのさ」


怖いことをさらっと言ってのけた周人はとぼけた顔をしてみせる。今言ったことが真実であればはっきり言って自分たちの家族すら危ういと言える状態にあることに気付いた理紗は冷たい汗が背中を流れる感触に身震いをした。


「ま、政府もこういう情報は掴んでるだろうしな・・・今すぐって心配はないだろう」


気休めだったがそう言って明らかに緊張している理紗を安心させた周人は少しズレた話を元に戻すことにした。


「里中、すまんがしばらくの間、宮崎さんを守ってやってくれ」


そう言われた龍馬は一瞬理紗を見た後小さくうなずいた。


「そんな・・・守ってもらわなくても」

「君は狙われている、おそらくペットとしてだろうがね。けど、それを知ってて黙ってるわけにはいかんよ・・・神戸で里中の強さは見ただろう?こいつはマジで強いぜ、安心していいよ」


そう絶賛する周人に対し、その自分を倒した人間が自分を強いと言うのかと皮肉な笑みを浮かべる龍馬は何も言わずにそっと目を閉じた。たしかに神戸で8人からなる人間をあっという間に倒した龍馬の実力は知っている。だが、出来ることなら周人に守ってもらいたいと思う理紗だが、さすがにその言葉はぐっと飲み込んだ。


「彼女のこと、頼む」


まるで自分の恋人を託すかのようなその言葉に、理紗は嬉しくもあり悲しくもあった。龍馬は再度うなずくと理紗を見て小さく、そして優しく微笑んだ。今まで見せたことのないその笑顔を見ながら、そんな龍馬にお願いしますと頭を下げた理紗は自分でも身を守る対策を頭に描くのだった。


「ところで、木戸さんの彼女は大丈夫なんですか?」

「・・・そっちの方が頭が痛いよ・・・ま、1人心当たりがあるにはあるが、誰に頼べばいいのやらってね」


何故自分の彼女を自分が守ろうとしないのか、何が頭痛の種なのかを想像するがまるでわからない理紗は表情でその疑問を表したせいか、その理紗を見た周人は小さく苦笑すると鈍い音を立てるパイプ椅子の背もたれに体重を預けるような態勢を取った。


「今ちょっとモメててね・・・ずっと音信不通なもんで」


すました顔をしながらそう言うものの、実際はつらい心境であろうと推測できる。だが今のこの状況でケンカしているというのは相手にとっては実に都合がいい状態にある。それがわかっているだけに、周人は頭を悩ませているのだ。


「ケンカしたんですか?」

「まぁ、ね・・・・・・今回はお互い引くことができなかったから、最悪はこれで終わりかもな」


その言葉に理紗の心は激しく動揺していた。周人はさらっと言ってのけたがこれで終わりとは完全に別れてしまうことを意味していると誰にでも分かる。理紗はもしかすればこの別れによって自分にも大きなチャンスが訪れるのではないかと甘い期待に胸を膨らませる反面、2人が仲直りして欲しいとも願う自分がいることに動揺したのだ。


「相手はこっちの都合などおかまいなしだからな・・・」

「ヤツらにとって一番危険な存在たるあなたの彼女なだけに、ですね?」

「あぁ、別れていようがケンカしていようが、確実にオレの弱点は突いてくるさ。オレが『ゼロ』ならそうするしな」


言いながらゆっくり立ち上がると、周人は疲れた表情を見せながらタバコの煙で黄ばんだ天井を仰ぐような仕草を取った。その様子からも苦悩しているということがありありとわかる。ケンカをして音信不通なこと、彼女が狙われていること、さらには自分自身もまた狙われている。いろいろな問題が山積みの中、こと『ゼロ』に関しては解決の方法がある。そう思った龍馬は素直にそのことを口にした。


「何故『ゼロ』を倒しにいかないんです?」


その言葉に龍馬を見下ろす周人の目つきが鋭くなる。だが龍馬も引くことをせずにまるでお互い睨み合うような状態になってしまった。ただ1つの救いは2人の間に殺気めいた気が張り出していないことかもしれない。だが理紗にしてみればこの険悪なムードは心地いいものではなかった。


「あいつは政府絡みの人間だ、そう簡単なもんじゃない・・・それに十二年前とは状況も違うんだ、こっちから戦争を仕掛けることはできないさ」

「・・・あの『魔獣』の台詞とは思えませんね」

「その『魔獣』が周囲のことも考えずに突っ走った結果は、オレが一番よくわかってる」


復讐にとらわれてただひたすらに『キング』を追い続けた。周囲のことなど目も向けず、ただ暴力のみをふるってきた。家族の叫びや周囲の反対意見すら耳を貸さず、結果多くの人たちを苦しめた過去がある。そして今、『ゼロ』を倒せば確かに全てが解決する。だがそれは『ゼロ』に関する事柄だけに限定され、それによってより多くの問題が発生してしまうのだ。まず間違いなく自分の家族や由衣、由衣の家族にも被害やより一層の危険が迫るだろう。また、裏社会に通じる『ゼロ』を倒せばそれらに関係する、あるいは敵対する組織が動き出すだろう。しかも政府の犬である『ゼロ』という存在を抹消すれば政府の機関も動くのは明白だ。もはや『魔獣』はただケンカが強かっただけという、いわば名前だけが伝説の存在であり、木戸周人が『魔獣』である事実を知るものなど数少ない。だがここで『ゼロ』を倒せば一気に周人の名はクローズアップされる。かつて『キング』を、そして今『ゼロ』を倒した事実上最強の存在になるのだ。それに秋田を含めた協力者や関係者がいろいろ手を回してくれた前回とは違い、今回はそれもなく、次の『王』になろうと数多くの人間が自分の命を狙ってくることも予想される。そうなれば由衣や家族のみならず、理紗や龍馬といった会社関係者、その他既に結婚して幸せな家庭を築いている仲間たちも巻き込んでしまうのだ。しかも一番やっかいなことに『ゼロ』自身が周人という人間をよく理解している。その強さも、技も、弱点も。だからこそ、周人は由衣にプロポーズできないのだ。実際に今、恋人という関係だけでも危険にさらしている。これで結婚でもして子供もできれば、その子供にも危険が及ぶのだ。四六時中由衣すら守れない自分を歯がゆく思っている自分が家族を守れるわけがないとそう思っているのだ。きっと由衣に真実を告げればそれでも構わないと言うだろう。だが、周人は構うのだ。


「とにかく君は宮崎さんを、オレはオレで対策を練る」


話はこれで終わりだとそのまま会議室を出て行く周人の足音を聞きながら憮然とした態度の龍馬はイラついた雰囲気を消すことなくその後に続いて出て行った。1人残された理紗は何もできない自分にできることは何かを考えつつも、周人が由衣とこのまま別れて欲しいと願っている自分に気付いて自己嫌悪に陥るのだった。


どうにも仕事をする気になれなかったせいか、理紗も龍馬も早々と定時で帰宅した。それでも私的な事を仕事に持ち込まない2人はきちんとするべき事はしているために業務に関しては何の問題も無かった。また、家も近い2人は『ゼロ』からの刺客に備えて一緒に帰ったのだが、対して方向が逆のはやねはそれが面白くなく、より一層2人に対する疑惑を強めていった。結局グループでは周人のみが2時間ほど残業をして工場を後にするに至り、駐車場から正門を出た周人は車を幹線道路へと繋がる交差点に向かわせつつ赤信号に目を留めて速度を落としながら乗り込む際に助手席に無造作に置いたタバコの箱を手に取ると片手で1本だけ器用に取り出して一緒に手にしていたライターで火をつけた。ゆっくりと煙を吸い込みながら今日の夕食のことを頭に思い浮かべる。冷蔵庫の中にめぼしい食材は無く、かといって買って帰って作るのももう時間的に面倒だ。ここ最近は残業で遅くなった時には料理をすることがおっくうになっていたのだが、特に今は、由衣とケンカしてからはその気力を全く欠いていた。周人は白い煙が混じったため息を吐くと窓を少し開けて煙が外に逃げられるようにしてから肺の中にある全ての煙を吐き出した。


「食って帰るか・・・」


家で1人食事をするのは寂しいが、今のこの心境からして余計にむなしくなるのは目に見えている。こうも気分が乗らないときは外食に限ると腹を決めた周人はここから一番近い西桜花中央駅方面に向かって車を加速させた。専門の飲食店街というべき建物もある複合デパート施設があるそこに行けば今の気分に応じて多彩な料理を選ぶことができる。現在の時刻は午後7時45分だが、ここは9時まで営業している。もちろん8時で大抵の専門店やデパートは閉店だが、当然飲食店は9時まで営業なのだ。もはやガラガラに空いている駐車場に車を止めた周人は財布と携帯だけを手に車を降りた。向かった先は飲食店ばかりが9軒ほどが入っている建物だ。とりあえず総合的に何でも選べるファミリーレストランタイプの店に入ろうかと考えたのだが、しゃれた雰囲気の和食のお店が目に入ったためにそこに決めた。それに最近、会社の近くにもファミリーレストランと回転寿司の店舗ができたためにそういった店にはこの先何度もやっかいになるだろうとの判断だ。時間的に混んでいるかと思いながら店内をのぞきこむようにしていた周人は背後から突き刺さるような視線を感じてややゆっくりした動作で振り返った。


「お前・・・」

「いいセンスね、木戸周人。日本人なら和食、でしょう?」


不敵な笑いを見せながら短めの髪を掻きあげる仕草をしている小柄な女性、高原みさおは白いシャツに淡い赤のミニスカートといったいでたちでそこに立っていた。そのやや後方には彼女を守るかのように気を張り巡らせているサングラス姿のガーティがいる。黒いそのサングラスが邪魔をして目は見えていないが、その鋭い視線はひしひしと感じることができた。周人は少しの間じっとガーティを見ていたが、すぐに何の殺気も出さずにみさおを見やった。


「お前さんも飯かい?」

「そう。お腹空いたからね」

「ならご一緒したいね、聞きたいこともあるし」


その言葉ににこやかに微笑むみさおはすぐにOKした。とりあえずその店に入ろうとしたみさおはガーティを振り返ったが、彼の姿はもうそこにはなかった。相変わらずよくわからないと思うみさおは小さなため息をついてから不思議そうな顔をしている周人を見やった。


「一瞬で消えた・・・」


やはりガーティが姿を消す瞬間を見ていたようだ。だがみさおにとってはそんなことなどどうでもいい。彼の能力は一応だが知っている程度にすぎないが、あまり興味もなかった。


「どうやら・・・和食は口に合わないみたいね、彼は」


みさおは何気なくそう言うとさっさと店内へと入っていった。やはりヤツも『変異種』かと思いながらもみさおの後を追う周人はもう1度後ろを振り仰いでから入り口をまたいだのだった。


向かい合わせの席についた2人はそれぞれ天ぷらと刺身がセットになったものをオーダーした。周人はネクタイをやや緩めるようにしてみせてからYシャツの胸ポケットにいれておいたタバコとピンクのハートが立体的にマーキングされた傷だらけのジッポライターをテーブルの上に置いた。あまりに可愛らしいライターを持つ周人を見ながら不思議そうな顔をするみさおの視線に気付いた周人だが、タバコに火をつける仕草をすることはなかった。


「不思議な男ね・・・以前に見たデータとはまるで別人だわ」


そのデータが政府の作成したものだということは知っている周人は小さく微笑むようにして笑うとゆっくりと息を吸い込んでみせた。そして同じくゆっくりと息を吐き、頭の中をすっきりさせてから言葉を口にする。


「政府のデータなんてもんは元々十二年前のを原型にしてるだろうからな・・・歳月は人間を変えるさ」


言う周人をまじまじ見るみさおはデータの中にあった『好戦的』という言葉がこれほどまでに一致しない相手に初めて出会っていた。今まで接触した数ある伝説を持つかつて名の知れた男たちは皆データ通りであり、あの温和に見える龍馬でさえ自分が話を持ちかけた際には恐ろしいまでの殺気をあらわにしていたほどだ。なのに今、目の前に座るこの男はかつて最強と言われた伝説の人物とはまるで違うのだ。妙に軽いと言うか、まるで掴み所のない雲のような印象を受ける。


「よくご存知ね・・・政府のデータのこと」


わざと興味を引かせたくてデータのことを口にしたのもあるみさおにしてみれば、まるで全てを知っているかのように落ち着いた雰囲気を持つ周人に対して様々な疑問が頭に浮かんだ。一体彼は政府の機密事項をどこまで把握しているのか、まるで底が知れない。


「データだけじゃないぜ・・・お前の全て、『リジェネレイト計画』についても知ってる」


指で2、3度トントンとテーブルを叩く仕草をしながら相変わらずとぼけた口調でそう言う周人の言葉にみさおの表情は凍りついた。この計画の名前を知るものなど数少ない関係者しかいないはずなのだ。もちろんあの『ゼロ』ですら知らないその名を口にした周人に寒気すら覚えるみさおは、これこそが『魔獣』と呼ばれた男の持つ情報力なのかと驚くことしかできない。そんな様子を見てからタバコを見つめる周人は一旦目を閉じるとややリラックスしていた態勢を元に戻した。


「まぁ、とある情報筋から聞いた話だけどな・・・もっとも、実際はその名前しか聞かなかったけど」

「なら、その情報は政府の関係者から?」


平静を装ってはいるが明らかに動揺が見て取れる。そんなみさおのうろたえようから千江美の情報網の凄さをあらためて認識した周人は、今この場で全てのことを明らかにできるという期待感を胸にその計画の内容を口にし始めた。


「『リジェネレイト』という言葉の意味は『再生・再創』だ。つまりは何かを再び生み出そう、創り出そうとしている・・・・そしてお前さんの言った『聖母』という言葉から想像できるその再生すべきもの、政府が欲する『ゼロ』をも凌駕しうるものと言えばただ1つしかないだろう」


駆け引きなのか、みさおの質問には答えずに淡々と話す周人がそこで一旦言葉を切る。みさおの緊張は極限に達していたが、自分では冷静さを保とうと必死になっていた。


「政府が絡み、新たなる『王』と呼べるこの世でただ1人の人物、『キング』こと久我晴海だ」


きっぱり、そしてズバリそう言い当てた周人は無表情のまま一口水を飲む。だがみさおは対照的にやや小刻みに体を震わせながら無意識的に下腹部へと左手を置いた。その顔は青ざめている。


「つまりはヤツのクローンに似た存在をお前が母親になって産むってこった。それが息子に当たるのか、ヤツ自身なのかは知らないがな・・・とにかく、ヤツの能力を完璧に受け継いだ存在を再び創り出すのがその『リジェネレイト計画』だ・・・違うか?」


ニヤリと笑いながらそう言う自信たっぷりの周人は何も言えずに青い顔をしたままのみさおの様子から今自分が言った言葉が正しかったと判断できた。できることなら違っていて欲しいと思っていたのだが、どうやらその期待は甘かったようだ。


「そのとおりよ・・・・」


そう搾り出すのがやっとのみさおは明らかに震えている手でコップを持つと自らを落ち着けるようにゆっくりと口につけた。その様子からして計画の機密性の高さが窺い知れる。もしここに計画の関係者がいたならばみさおはおろか、周人までもが監禁されてしまうほどの重要性をもっているのだ。


「その計画のおおよその内容をつかんだ『ゼロ』も動きだしているって聞いてるか?」


その言葉に静かにうなずくみさおを見た周人は小さなため息をつくとテーブルの上に置かれている調味料入れへと無意識的に目をやった。


「オレが『ゼロ』なら、まずあんたの命を狙うぞ」

「わかってる。そのためにガーティがいるのよ・・・彼は私の保護と監視を兼ねてる」

「んなこったろうと思った・・・」


すっとぼけた言い方をした周人は料理を運んできた女性スタッフに笑顔を見せながら目の前に置かれた美味しそうな料理に目を輝かせた。みさおはぼんやりした様子でその料理を眺めているのみで何かを必死に考えているように見える。


「まず食おう。話はそれからだ・・・」


もはや我慢ができないのか、そう言うと箸を手に早々料理をついばむ周人を見たみさおもまたゆっくりと箸を取ると何も言わずに刺身を一切れ口にするのだった。

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