笑顔の条件(4)
神戸にあるカムイの工場見学の後、打ち合わせ会議をした龍馬と理紗は工場側の主催で宴会に参加した。宿泊先が海に面したホテルということもあり、宴会終了後、少々飲まされて酔ってしまった理紗の火照りを覚ます目的で港から公園沿いにある道を歩く龍馬と理紗は生暖かいながらも海から吹く優しい風に心地良さを感じていた。神戸の港の象徴たる砂時計形のポートタワーが赤い外観を損なわないオレンジの光を演出し、またそこから港神戸を代表する神戸ハーバーランドに向かうメリケン波止場の公園に差し掛かった2人は恋人たちが多いその夜景も格別な景色を見ながら宿泊するホテルを目指して公園を突き抜ける形を取った。やがて人気も少なくなってきた場所に差し掛かった頃、ちらりと左腕の時計を見やった龍馬がちょうど午後十時半であることを確認した矢先、その異変は起こった。明らかに自分たちに向けた殺気のこもった視線を感じるのだ。しかもそれは1つや2つではなく、数にすれば7、8人ぐらいはいるだろう。距離を空けていた理紗との間隔を狭めた龍馬は嫌な予感を覚えたため、突然理紗の手を取って走り始めた。あまりに突然だったこともあり、手をつながれているという事実すらよくわからない理紗は険しい表情で自分を引っ張る龍馬からただならぬ気配を感じてそのままされるがままの状態でいた。だが酔っているせいもあってうまく走れない理紗は履いているのがヒールということもあってか、とうとう前につんのめってしまった。体が浮き上がり、落ちるようにして倒れる体を左腕1本で支えた龍馬はどうやったのか一瞬のうちに理紗をお姫さま抱っこしていた。されている理紗もきょとんとしながら抵抗はせずにそのまま抱かれていたが、ようやく我に返って下ろしてくれと懇願した矢先、自分たちの周囲を突然全身を黒い服装で身を包んだ集団が取り巻いた。おもわず下りかけた理紗が驚きのあまりに龍馬の首にしがみついた瞬間、丁寧に顔全てを覆う黒づくめの集団はそれぞれの手に武器を取り出したのだった。
「なるほど・・・『戦慄の魔術師』、『剣王』を襲った次は・・・オレか?」
言いながら含み笑いをこぼす龍馬はそっと優しい動作で理紗を立たせるとそのまま背中の方へとおいやる。状況が全く理解できない理紗だが、自分の危機を救ってくれる存在が龍馬しかいないため、おとなしくそれに従った。
「木戸さんから話を聞いててよかったぜ」
言いながら持っていたバッグを横に置いた龍馬はネクタイを緩めて一歩前に出た。龍馬から出た周人の名に戸惑いつつ、この集団が周人にもこうしたのかと想像を巡らせた瞬間、黒づくめの集団から4人が飛び出し、全員がその武器を振るって龍馬に襲い掛かった。思わず顔をそむけかけたその瞬間、襲ってきた4人が全員宙を舞うかのように上昇し、そのまま土の地面に叩きつけられた。龍馬はといえばやや前かがみのままさっきと同じ場所にいるのみであり、特別何かをしたようには思えない。
「そんな程度でこのオレを倒せると思ったのか?」
ニタリと笑う龍馬は一気に集団の方へと駆けた。電光石火のその動きに誰も武器を使用することなく地面に倒れていく。そして唯一その攻撃を避けた大柄な人物と龍馬が正面に対峙した。あとは全員地面に倒れたままピクリとも動かない。そんな仲間たちを見渡しているのか、残った覆面の人物は何もしないでただじっとしているのみだ。
「誰に、何の目的で命令された?」
もちろん質問には答えない。それも当然の事だとフッとニヒルな笑みを浮かべた龍馬が地を蹴った。そして相手の懐に飛び込んだ瞬間、低い体勢で体を回転させながら右の足先をあご先にめり込ませ、そのまま軸足の左足が地面を蹴った。先に上げた右足は単なる予備動作だったのか、反動をつけて舞った左足が再度あごを直撃して男の巨体を地面から浮かせた。覆面の男はうめき声を上げながら宙を舞い、背中から地面に落下していった。相手が倒れるのと同時に龍馬も鮮やかな着地を決め、辺りに静寂が戻った。龍馬は今倒した相手の胸倉を掴むとむりやり立たせるようにしたが、実際は右腕1本で相手を浮かせているのだ。そのまま左手で覆面を一気にはがした龍馬の表情が一変する。というのも、見たこともない男なのだがその額には小指の先程の円盤が埋め込まれているのだ。その円盤は銀色であり、模様もなければ凹凸もない、まるで皮膚のごとくそこに自然にあるのだ。一瞬骨かと思ったが、そうでもない。
「誰に頼まれた?」
龍馬はかろうじて意思があるその男にそう呼びかけたが返事はない。だがこれは予想の範囲内であったために龍馬は無表情で掴んでいた右手を離し、男は力なく地面に落下して倒れこんだ。
「君はホテルへ・・・オレはこいつらが何者かを吐かせる」
そう言うとカバンを理紗の方へと投げつけた。あわててそれをキャッチしながらもどうしていいかわからない理紗は困惑した顔で龍馬を見るしかない。そんな理紗にさっさと背を向けた龍馬は男の所持品をチェックした。そしてズボンのポケットから紙切れと写真を見つけ出すとそれを取り出してまじましと見つめる。もはや戻る気などなくなった理紗は龍馬の横に立つと前かがみになってそれを覗き込む。そんな理紗には何も言わずにその写真を見せた龍馬は鼻でため息をつくと男の覆面をカバンに入れ、仕事用に持ってきていたデジカメで8人全員の顔写真を撮ると理紗の手を引いて走り始めた。またも勝手に手をつながれた理紗だが、今はそれどころではない。追っ手が来たのかと素直に龍馬にしたがって走っていた。そのままホテルのロビーに飛び込んだ2人を怪訝な顔で出迎えたボーイを無視して奥に進んだ2人はすでにチェックインを済ませているためにフロントで預けていたキーを受け取るとエレベーターホールへと向かった。
「何が書かれていたの?」
やってきたエレベーターに乗り込んだ理紗は2人だけになったこともあって恐る恐るながらそうたずねた。
「オレの部屋で見せる・・・木戸さんにも連絡しないと」
「木戸さん?」
理紗の言葉を無視した龍馬は目的の階である8階へと到着した扉を睨んでいるのみだ。部屋はもちろん別々なのだが隣同士である。うながされるまま龍馬の部屋に入った理紗はテラスのガラス窓のすぐ手前にあるソファに腰掛けると冷蔵庫から缶ビールとウーロン茶を持ってきた龍馬に礼を言った。理紗の向かい側に座った龍馬はカバンの中から男たちから取り上げた写真と紙を2人の間にある丸いテーブルの上に置いた。それを手に取った理紗の表情が強張り、少し震えながら龍馬の顔を見た。
「これ・・・・・」
「狙われたのは俺だけじゃない、君もだ」
理紗が手にした写真は2つ。龍馬と理紗、2人を隠し撮りしたものだった。しかも場所は桜町とわかる背景だ。つまりはこの神戸で撮られたものではなく、自分たちを狙ってわざわざ東京方面から追ってきたことになる。何故自分が狙われたかはわからない理紗は、4枚つづりの書類状の用紙を目にしてさらに驚いた顔をしてみせた。
「君があの高木青空の元彼女だからだ」
そこにはターゲットとなる人物の名前がデータとともに記されていた。多くの名前の上から赤い二重線が走っているため、これらの人物については闇討ちが完了したと思える。そこには理紗の知っている名前がいくつか見られた。そして自分の名前も。自分の名前の上には『高木青空(ミレニアム2代目特攻隊長):危険ランクB』と記されているが、二重線はされていないことから襲撃自体がまだなのか、はたまた失敗したのか。その下にある自分の名前には『宮崎理紗(高木青空元彼女)・美女ランクA』とされていた。
「女を人質にする気なのか、体が目当てなのか・・・・ま、おそらく両方だろう」
「ランクAね・・・ランク付けは嫌い!」
吐き捨てるようにそう言う理紗は周人と由衣の名前、そして龍馬の名前も見つけることができた。
「『木戸周人(魔獣)・危険ランクSSS』・・・・トリプルSなんて・・他にはいないわ」
「知らないか?『キング』を倒した伝説の男を」
「知らない・・・・・そんなに強いの?」
「化け物だ」
そう答えながら出張用に持ってきているノートパソコンにさっき撮ったデジカメの画像を移していく。理紗はこういう状況にありながら手際のよい龍馬に感心しながら書類に目を戻した。
「『吾妻由衣(魔獣の現彼女)・美ランクSS』・・・・あの子でダブルS?」
怪訝な顔をする理紗は自分とは2つしかランクが違わないことに嬉しいやら悲しいやらだ。
「あ・・・『里中龍馬(元キング七武装の1人・龍王)・危険ランクS』・・・・」
言い終わって龍馬を見るが、当の本人はパソコンから目を離すことをしなかった。
「今のオレはAがせいぜいだろうさ」
さっきの戦い振りでAならば、はたしてトリプルSはどうなるのか想像も出来ない。他に知った名前がないか書類を見る理紗の横ではなにやらパソコンに打ち込みをした後、龍馬が個人のスマホで周人に電話をかけはじめるのだった。
龍馬と理紗が謎の集団から襲撃を受けているその時、由衣は自宅近くのコンビニにいた。近いといっても五百メートルは離れているそのコンビニにわざわざカキ氷のアイスを買いに来たのだった。ここのところ周人の態度にイライラしていた由衣は食べることによってそのストレスを解消しているのだ。蒸し暑い今夜はどうしてもカキ氷のアイスが食べたくなり、我慢できなくなって自転車を飛ばしてここまで来た由衣はついでに立ち読みもしていた。自分が以前にモデルを務めていたファッション雑誌『エメラルド』最新号の購入を決め、アイスの水滴がつかないように気をつけながら買い物カゴに入れておく。ついでに週刊誌を立ち読みしている由衣の目の前はガラス張りであり、すぐ前の通りが丸見えの状態にあった。そのガラスの向こうから誰かが手を振っているのに気付いた由衣はアッと小さな声を上げて驚きつつもにこやかな笑顔をその人物に向けた。立ち読みを止めてレジを済ませた由衣は入り口外で待っていた光二に笑顔で駆け寄っていった。
「こんな時間にここでってことは、徹夜?」
「いえ、今から帰るとこなんですけど喉が渇いたからそこの自販機に。そしたら知った顔がいたもんで」
そういう光二が指差したのはコンビニからやや斜め向かい側にある2台並んだ自動販売機であった。その脇には黒い原付バイクも見えている。
「こんな時間にこんなトコにいたら変な連中に襲われますよ?」
ややあきれたようにそう言う光二だが、実際今立っている入り口から少し離れたところには2人組のいかにもバカっぽい男女が、また店内にいる若い男性2人組も由衣を見ている。
「そうね、反省!」
言いながら頭を垂れる由衣に苦笑した光二は家まで送っていくと自転車に並走して原チャリを押しながら歩き出した。由衣も自転車を降りて歩いている。
「聞いたよ、試合の事。凄く強かったんだってね?」
「いえ・・・やはり木戸さんは凄かった」
謙遜ではない言葉だとわかるだけに、由衣はがんばれとにこやかに微笑みながらエールを送る。かつての光二ならここでそのあまりの可愛さにメロメロになっていたところだろうが、今は愛する妻がいるためにそれもない。
「あの天龍昇を受け止めたって?」
「防御するのがやっとだったんですけどね、それでも吐きそうになるぐらいの衝撃でギブアップ」
苦笑しながらそう言う光二にクスクス笑う由衣。はたからみれば立派なカップルであるこの2人を数人が取り巻いたのはその嫉妬から来たものか。だが明らかにそうではないとわかるのはその全身黒づくめの異様さ、なにより顔全てを覆う覆面だ。目の部分だけが虹色に輝くそのマスクをかぶった人数は6人、壁際にいる光二と由衣に対して半円を描くようにして取り囲んでいる。
「な、なに・・・・?」
怯える由衣を背にしながら光二はこの6人の思考を読む。聞きなれない単語や言葉が頭の中に流れ込むのを感じながら自分の中にある気を増幅させることも忘れなかった。
「壁を背中につけるぐらいに下がっててください」
そう言う光二は1歩踏み出すと6人を順番に見た。全員が警棒を持っている様も異様だが、まるで強さを感じないことからそう強くはないと判断した光二は先に攻撃をしかけた。まず1人目が光二のわき腹めがけて警棒を振りかざすが光二はその手首を取ってひねりあげるとそのまま肘関節を折りながら顔面を硬いアスファルトに叩きつける。そのまま左側から攻撃してきた男の足元を払うとみぞおちに拳をめり込ませて気を発する。その結果ただのパンチが数十倍の威力で叩き込まれては悶絶を超えて意識を失うしかない。続けざまに右側の男の腕を取って逆間接を極め、その後ろから向かってきていた男に鉢合わせる。それと同時に2人のあごに強烈な蹴りを見舞いながらも股間を蹴り上げた。一瞬にして地面に倒れこんだ人数はすでに4人。残った2人も同時に攻撃を仕掛けてくるが、1人は膝を蹴られた上に固い地面に背負い投げを喰らって倒れ、もう1人も一瞬のうちに間合いを詰めた光二の拳をあごに喰らって悶絶。さらに股間を蹴り上げられて6人全員が地面でうめき声を上げた。わずか数十秒で6人を、しかも自分は無傷であっという間に倒してのけた光二に対してもはやポカーンとするしかない由衣はここまで光二が強いと思わなかったせいもあって呆然と倒れている黒覆面たちを見渡した。
「なんなんだ・・・こいつら」
そう言って一番手前で倒れている男に近づいた瞬間、爆弾のようなものを取り出すイメージが見えた光二は由衣をかばうようにしてみせた。何が何だがわからない由衣は自分を抱きすくめるようにされた瞬間に突然周囲がまぶしく輝いたために、キャッと小さな悲鳴を上げて光二の胸に顔をうずめるようにした。しばらくして周囲が元の暗闇と静寂を取り戻した頃、ようやく顔を上げた由衣が目にしたものは自分たち以外に誰もいなくなった通りだった。近所の家々からどよめきの声があがる中、光二と由衣は逃げるようにその場を後にし、すぐ近くにあった小さな公園へと飛び込むように入るのだった。
「何だったの?あいつら・・・」
「狙いはあなたです」
押してきた原チャリを立てかけながらそう言う光二は周囲の気配を探るが何も感じないことにホッとした。
「あなたが木戸さんの彼女だから・・・だから襲った。目当ては2つ。あなたを人質に木戸さんを殺すため。そしてもう1つはあなたをペットにするため」
「ペットぉ~?」
明らかに不快だとわかる返事を返す由衣だが、自分が狙われたもう1つの理由には納得できる。周人を殺したいと願うならば真っ向から挑むより自分を人質にすれば効果的だ。だが2つ目の理由、ペットにするとは意味がわからない。
「とにかく木戸さんに連絡をしてください」
とりあえずうなずき、電話をかけはじめる由衣。そんな由衣を見ながら光二は彼らの雇い主である人物の名を口にした。
「『ゼロ』・・・・・って誰なんだ?」
まず由衣から自分が襲われたという事と運良く出くわした光二に救われたという報告を受けた周人は風呂上りで髪も乾かさない状態ながら家を飛び出した。そしてバイクにキーを差し込んだところで今度は龍馬から理紗と2人でいるところを襲われたとの連絡が入る。とりあえず詳細は後でと言い残して電話を切った周人はまたも2件同時に起きた襲撃事件に激しく動揺する心の中の不安や恐れがいよいよ現実になってきた事にひどく落ち込んだ。ことさら由衣が襲われたという事実はショックであり、そういう予感があったにもかかわらず何の予防処置、由衣への危険勧告などを怠っていた自分を歯がゆんだ。余計な不安を与えたくないと言う自己的な配慮がこうなったと言わざるを得ないが、またしても事無きを得たのは由衣を守っていると言われている亡き恋人恵里のおかげかもしれない。そんなことを考えながら2人がいる公園に向かった周人は2人が完全に無事であることを確かめてホッと胸をなでおろした。無言でギュッと自分を抱きしめ、顔を胸に押し付けてきた由衣は小さく震えていたがとりあえずは精神状態も安定しているように思える。
「全身が黒づくめに武器を所持、人数は十人程度・・・違うか?」
人数こそ外れに近いがそれ以外はズバリ言い当てた周人に対して光二は1つうなずくという実に明確な答えを示した。
「雇い主は『ゼロ』と呼ばれる人物・・・そして目的は2つ。1つは吾妻さんの拉致によるあなたの殺害、2つ目は彼女をペットにすること・・・・・の思念が読めました」
「・・・・ペットって・・・」
由衣と同じ事を言う周人に苦笑する光二はようやく周人の胸から顔を上げた由衣を見てその苦笑を微笑に変えた。やはり周人のそばが落ち着くのだろう、そう思える雰囲気を由衣から感じる。
「で、そいつらは閃光弾で目くらまし、んで逃げた、だろ?」
「他にもこういうことがあったということですか?」
「あぁ、君たちで知っている限り4件だ」
その数字に驚く顔をする光二だが、実際周人の身の回りでそれだけの人が襲われているのは重大なことだ。幸いにも今現在誰にも被害がないのが救いだろうか。
「しかし・・・やっぱ『ゼロ』か」
「『ゼロ』って?」
「詳しい話は後だ・・・っても明日以降になるか」
由衣の頭にポンと左手を乗せてそう言うと、小さな微笑を浮かべた。とりあえず龍馬たちが戻る明後日の夜、周人の家にて話し合うことを決めてから光二は家路についた。その光二の背中に小さいながらも頭を下げる周人を見た由衣もまたその背中にありがとうとつぶやいた。2人はそれぞれの乗り物を押しながらゆっくりした歩調で歩きながら由衣の家を目指した。突発的にコンビニに行った由衣を襲撃できたということはどこかに監視者がいたと推測される。そして今のこの襲撃の失敗も見ていただろうと推測して次はより強力な部隊でやってくることはまず間違いない。会話もなく歩く2人を街灯の柔らかい光が薄い影を落とさせる。それは2人の中にある小さな不安、不信感を投影しているように思えた。
「また、三宅君に感謝しないとな・・・」
もうすぐ由衣の家というところでポツリとそうつぶやく周人を見る由衣は夜の暗闇に明かりを灯す街灯のせいでその顔に刻まれた影が疲れを表現しているように見えた。
「・・・・もう、オレだけじゃ君を守りきれないレベルにまで来てるのかもしれないなぁ」
いつになく気弱な発言をする周人に由衣の心がズキンと痛む。先日恵が言った言葉もあって、周人の心の中にある不安が今の言葉に集約されているような気がした。
「そんなことないよ・・・そりゃ偶然光二君に会って助かったけどさ。でも、それって今全体的に事件が起きてるせいでしょ?」
「オレが『魔獣』でなけりゃ、お前が襲われることはなかった」
「そんなの今更言っても始まらないでしょ!」
「いつかはオレも、君を守れなくなる・・・ずっと今のまま強くはないんだ」
周人がこうまで気弱な発言をしたことは今までに1度もない。それは2人が出会った中学生の頃から数えてみても初めてのことだろう。何がここまで周人を気弱にさせているかはわからない。冷静に考えれば周人の心の中にある不安を見抜ける由衣だが、ここのところずっと周人に対して不信感、とりわけ結婚の話を避けている不信感があるだけにそこまでの気は回らないでいた。
「私を守りたくないってこと?」
「そうじゃないよ・・・いつかは、ってことだ」
「ずっと守ってくれるって言ったじゃない!」
「2度も守れなかったんだぞ!」
声を荒げてそう言う周人にビクッと体を強張らせた由衣はそのまま体を小刻みに震わせる。周人がこうまで怒鳴るのは今までで初めてのことだ。以前に大喧嘩した際も由衣がキレて怒鳴ったが、周人は声を荒げることはなかった。出会ってから今までなかったことだけに由衣のショックは計り知れない。
「今回のことでよくわかったよ・・・『守る』なんてことは奇麗事だって。恵里の時も、4年前も、そして今も!オレは守れなかったんだから」
「中学生の時は?守ってくれたよ」
「あの時の君とオレの関係はただの生徒とバイト講師だ」
その言葉は今までで一番ショックだった。確かに言われればそうだ。同級生に襲われた時も、バイト講師で『変異種』の大木雅史に襲われた時も周人は由衣を救ってくれたが、あくまでバイト講師と生徒と言う関係であり、当然2人は恋人同士ではなかった。だが今の由衣にとってそれは愛する人に守られたという安心感、幸福感をもたらす出来事だったのだ。だからこそ今では怖い思いをしたというよりも周人に助けられたという安堵感の方が強いのだ。だが今の周人の言葉に自分の気持ちを真っ向から否定された気がした由衣の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「結局、私は『昔好きだった人を守れなかった自分が替わりに守れた存在』っていう、あんたの自己満足な存在だったんだ」
「違う、そうじゃないよ!」
「そう言ったのと同じだ!」
泣き顔でそう言う由衣の顔は疲れきった表情をしていた。ここ最近、結婚と言う言葉から逃げていると不信感を持っていた由衣は自分に対する愛情が冷めてきたのではないかとずっと危惧していた。そして漠然としたその不安が的中したと思えるさっき発言が彼女の中から冷静な判断力を奪い去り、不安のみを爆発的に増幅させてしまったのだ。もはや由衣は周人の何を信じていいかがわからなくなってしまった。
「結婚もするするって、結局したくなかったんでしょ?言い訳を探してたんでしょ?」
「違うって!オレは・・・」
「うるさいっ!」
「・・・・・・お前も、お前がそうなんじゃねぇの?お前こそ、結局結婚ってことに憧れていただけなんじゃねぇの?」
ズキンと心が痛んだのは由衣の方か、周人の方か。お互いの不信感は怒りという負の感情によって加速し、より一層膨れ上がる。頬を伝う涙は悲しみからくるものか、怒りからくるものかももうわからない由衣の心情は愛情が憎しみに変わるほどの腹立たしさでいっぱいだった。もはや今の由衣の中に周人への愛情はひとかけらもないほどに怒りが心を支配していた。そして周人もまた怒りからいつもの冷静な判断力が鈍ってしまっていた。自分が言った言葉の本当の意味が相手に伝わっていないことすら理解できていないのだ。それは心の中にあった不安が的中し、動揺した結果がもたらした悲劇なのかもしれない。
「もういいよ・・・・・もう疲れた・・・・・・・さよなら。もう顔も見たくない!」
「あぁそうかよ・・・・じゃぁな、もう会うこともないだろ」
売り言葉に買い言葉とはまさにこのことだ。由衣は振り返る事もなくさっさと自宅へ入り、周人もまた振り返る事なくさっさとバイクにまたがるとためらいなく去っていった。チクリと心に痛みを感じながらも怒りという負の感情はそれすら鈍くさせてしまう。周人の母親静佳が見た未来は遠のき、2人の心の距離もまた離れてしまったのだった。
「ようするに、『キング』って悪いおっさんがいて、里中さんはその部下?・・・7人いた部下の1人だった。で、木戸さんとケンカして負けて、『キング』も木戸さんに負けた」
たった今龍馬から聞いた話を頭の中で整理する理紗は腕組みしながらあぐらをかくといったおっさんのスタイルでベッドの上に座っていた。一度着替えてから来たためにTシャツにジャージのパンツといったラフなスタイルだ。龍馬は2つ目の缶ビールを口にしながらまるで自分たちの戦いがただのケンカだったようなその理沙の言い方に苦笑を漏らしている。そんな龍馬もまた黒いTシャツに短パンといったラフな格好だ。
「しかし・・・・今ごろになって何故だ?しかも君は高木と別れて相当の年月だろ?」
「そうね、拉致っても青空のバカには痛くもかゆくもない・・・・・・」
「そうだな」
すでに時刻は深夜1時となっている。暗い声の周人から明後日の夜にでも話し合おうという電話があったのが十一時過ぎだったことから、もうかれこれ2時間は経過していることになる。とりあえず自分と周人との因縁の経緯を簡単に説明した龍馬はビールを飲み干した缶を握りつぶすとカゴ状になったゴミ箱にそれを捨てた。
「あの表にあった名前はどれも名のある連中だ。しかも過去『キング』に関係した者たちばかりだな」
「邪魔なのかな?そういう存在が」
「だと考えていいだろう」
そう言うと時計を見た龍馬はここで話を打ち切ろうと背伸びをしてみせる。明日も早くから打ち合わせ会議があるのだ。これ以上起きていては明日に、いや、正確には今日に差し障る。理紗もそれを了承し、おやすみの言葉を残して自室へと戻っていった。まだシャワーも浴びていないのだ。あわててシャワーを済ませ、ベッドに入った時刻は2時になる直前だった。




