笑顔の条件(2)
分厚い雲が星と月とを覆い隠し、雨こそ降らせないまでも無風で湿気をともなう熱帯夜を演出していた。暗い夜道にある街灯も薄暗く、マンションが立ち並ぶその周囲に避難場所兼憩いの場として存在している公園がその薄暗さをより一層演出しているように思える。そんな路地のような場所を歩いているのは一組のカップルであった。短めの髪は真っ黒で左耳に紫色した小さな玉のピアスがスポーツマンか不良かのアンバランスなイメージを与えている男と、白地に何かのキャラクターがモノクロでプリントされたTシャツに赤いミニスカートを履き、きつめのパーマで巻き上げた髪も鮮やかな金色に近い茶髪の美女が並んで歩いている。ケンカでもしているのか、あるいは普段からそうなのか、手が触れ合いそうな距離にありながら手も繋がず、会話もないまま黙々と薄暗い路地を歩いている。車1台がなんとか通れそうなその路地の真ん中にそのカップルが差し掛かった瞬間、突然その異変は起きた。なんと路地の両端から黒いズボンに黒い長袖のTシャツ姿ですら異様な上に、なんと顔全体を覆う黒い覆面をした者たちが前後に総勢8人出現したのだ。目の部分が虹色に輝いて口元も全て覆われているそのマスクは黒服の人物に関する一切の情報を提供していない。さらに不気味なのはその手に持たれた武器の数々だ。伸縮式の警棒からヌンチャク、金属バットと明らかに物取りか通り魔のいでたちをしているのだ。だがそんな黒づくめの集団に囲まれながら男性だけでなく女性までもが平然としているのはどういうことか。
「どちらさん?」
狭い路地で前後を囲まれ、逃げることすらままならないこの状況下でこの軽い口調は場違いだ。もちろんそんな質問に答える気などさらさら無い武装集団は各々武器を構えると戦闘態勢を整えていく。
「人違いじゃないみたいね・・・」
まるで他人事のようにそうつぶやく女性は深々とため息をつくと連れの男に対して背中を向けて4人の黒づくめの男たちに向き直った。
「4:4でいいか?」
「ヤバそうかもしんないから早く片付けて手伝ってちょうだい」
「あいよ」
カップルの会話がそこで唐突に終わる。次の瞬間、黒づくめの集団が一斉に2人に襲い掛かった。路地が狭いために2人がいっぺんに襲ってくるが攻撃自体は1人ずつしか出来ないのはお互いに計算通りだった。だが、集団にとって計算通りでなかったのが連れの女性が強かった事だ。横なぎに襲ってくる金属バットを軽い身のこなしで避けるこの女性は今日に限ってヒールが低めのサンダルだった事が幸いした。一旦後ろに下がって金属バットを避けた時に素早くサンダルを脱ぎ去り、そこからミニスカートなどお構いなしに鋭い回し蹴りをバットを振り回したせいで体勢が崩れた黒服の男の後頭部に叩き込む。さらには横から突き出された警棒を掴み取るとそれを引っ張りながら引き寄せてあごに肘を叩き込んだ。そこから鋭いパンチを覆面の上からでもわかる鼻にめり込ませた女性は最初に襲ってきた金属バットの男の顔面にも蹴りをめりこませる。だが2人への攻撃で隙ができた瞬間、3人目の覆面に背後から羽交い絞めをされてしまい、動きを封じられてしまった。
「このエロ野郎!結局、痴漢なんじゃん!」
そう叫ぶと前からやってきた最後の1人が突き出した警棒に対して何とか蹴りを浴びせて軌道を変えさせる。だが後ろからガッチリと体を固定されてしまっているせいでうまく身動きが取れずに第2撃をかわせない。なんとか急所は避けようと身をよじった瞬間、警棒を持った人物のその手にもう1つの警棒がめり込んだ。衝撃で指を折られた覆面の人物は悶絶しながら横なぎに振られた警棒を顔面に受けてアスファルトの上に倒れこんだ。それを見ていた女性を封じていた人物は動揺したのか、その手の力が一瞬緩む。その瞬間を逃さなかった女性は素早くそこから逃れて体勢を整えると相手の股間に蹴りを叩き込んだ。
「あんたらが男だって最初からわかってんだから!」
叫ぶようにそう言いながら、女性は急所を直撃されて悶絶気味の覆面の男の顔面に飛び蹴りを炸裂させた。ゆっくりと倒れこむ男を見ながらハァハァと肩で息をする女性は路地を見渡しながら脱いだサンダルを履いて息を整えるように胸に手を当てる。路地には8人の黒覆面たちが気を失う事だけは避けているようだが自由にならない体を奮い立たせようとしている姿が見られた。
「どこの誰だか知らねーけど・・・俺らとわかっててこれ仕掛けたのか?」
「聞いてみようよ」
言いながらツカツカとサンダルの音を夜道に響かせる女性は怖くないのか最後に倒した男に近づくとその覆面に手をかけようとした。その時、自分たちの目の前でまぶしいばかりの光が夜を昼に変えるほどの勢いで暗い夜道を光の世界へと変貌させた。突然目の前に現れた太陽を直視したかのような光を見ては目がくらむ。両手で顔を覆った女性をかばいつつ男は片腕でひさしをしながらなんとか目を見開いて状況を確認しようとするが、覆面の男たちが立ち去っていく足音を聞くことしかできなかった。閃光が止んでもしばらくは光が網膜に焼きついていて視力が奪われているため、女性を抱くようにしながら慎重に周囲をうかがう男性は今の閃光で窓から顔を覗かせている近所の家々から上がる声から逃れようと、女性の肩を抱いたまま寄り添うように歩き始めた。そして数歩歩いたところで缶のような物体を蹴った男は少し回復した視力を頼りにそれを拾うと角を曲がってから目を凝らしてそれを見た。形状は手の平サイズの小さなタルのようであり、先っぽには金属で出来た四角い出っ張りが確認できる。そしてうっすら見える視力を振り絞る男は手にしたそれを映画やTVなどで見たことがあった。
「手榴弾・・・・・・いや、閃光弾か」
安全ピンを抜いて数秒後に爆発する手榴弾は戦争映画などでよく見られる兵器だが、閃光弾はその名の通り爆発でなく閃光を放って目くらましをする、あるいは周囲の状況を確かめるために使用する物である。よくよく考えれば覆面はすべて目の部分も覆われていたことを思い出した男は、自分たちを襲うことに失敗した際、または周囲の人間に気付かれそうになった時にはそれを使用する手はずとなっていたのだろう事を理解した。手にした武器、身なり、装備、それら全ての面から考えて準備を万全に挑んできた事は明白である。
「テン、あんたまた何かやらかしたの?」
ようやく白い世界から暗闇が支配する現実へと視界が戻ってきた女性はそう言うとなかなか開けない目に苛立っている様子がありありと出ていた。
「何もしてねぇよ・・・昔じゃあるまいし」
今の言い方がかなり気に入らなかったのか、吐き捨てるようにそう言う男、柳生十牙は閉じた目を押さえている女性、藤川千里を見やった。4ヶ月後に結婚を控えた2人はすでに予約を済ませてある結婚式場からの帰りだったのだ。今の時間が午後十時を回っているのは夕方からの打ち合わせに加えて夕食やウィンドウショッピングをした結果であった。そしてもうすぐ家に到着という時になって最後のイベントとばかりに今の黒づくめの男たちの襲撃があったというわけだ。十牙はかの有名な柳生新陰流の継承者であり、剣の腕前は凄まじい。だが、元々ケンカも強い十牙は木刀や竹刀を持たずとも素手でも十分に強かった。何より自身の愛刀、『阿修羅』という名の木刀で名のある不良どもをなぎ倒してきた実績もある。彼の生涯の中で剣を手にして敗れた相手は佐々木哲生以外には存在しないのもまた事実だ。そして最強の剣である『神剣フラガラッハ』を持つ『キング四天王』の1人、御手洗慈円すら死闘の末に倒している十牙に、たかだか数名の集団がどうこうできるわけがない。しかもその十牙の婚約者である藤川千里もまた空手の有段者である。見かけは今時のギャル風だが、高校時代に『キング事件』のすぐ後から十牙と交際を始めた際には最強の噂を聞きつけて周人に試合を申し込んだほどの自信家なのだ。相手を最強と知りながら挑んだ結果、わずか4秒で倒されてしまったが周人にその心の強さを認めさせるに至っているほどだ。大学に入ってからはイケイケ風な性格に風貌と化してしまったが、今でもそのスタイルを保つためにジムに通っているほどだ、決して弱くは無い。黒覆面たちも武装して準備を整えたのだろうが今回ばかりは相手が悪かったとしか言いようが無い。
「でもあの感じからして私たちを知ってて襲ってきてるよ?」
「だな・・・・」
何故自分たちが襲われたかはわからない。だが、何かが起きていることだけは事実だ。そしてそれは十牙がかつて『剣王』と呼ばれ、『キング四天王』と戦った実力者だからと推理できる。
「みんなにも連絡した方がいいんじゃない?」
「あぁ・・・まぁ、あいつらならまず大丈夫だろうが・・・嫁さんたちが心配だからな、用心にこしたこたぁねぇし」
ようやく視力の回復した千里の言葉に真剣な目でうなずく十牙は携帯を取り出すとまずは高校時代からの相棒で仲間、親友の水原誠へと電話をかけるのだった。
時折しも十牙と千里が襲撃されたのとほぼ同時刻、車で2時間以上離れた距離にいながらこちらも暗めの路地を鼻歌混じりに歩いている男がいた。肩に触れそうな長髪を茶色く染め、後方に流れるようにパーマを当てたその男は蒸し暑いながらも星が瞬く空を見やり、にんまりと微笑んだ。明日は屋外での雑誌のモデル撮影があるため、晴れて欲しいと願っていたからだ。ここのところ雨は降らずとも天気は不安定でいつも曇りがちであった。さっき見た天気予報でも明日は久々に真夏日となる快晴であるとのことだ。とはいっても、自分自身がモデルをするわけではない。モデルの仕事は2年前に引退し、今ではかつてモデルをしていたファッション雑誌『エメラルド』でモデルの演出を行っているのだ。また、佐々木流合気柔術道場の最高師範として門下生を相手に稽古をつけたりする多忙な日々を送っている。歩きながら1つ背伸びをする哲生は左手薬指に光るプラチナの指輪が少ない街灯の光を受けて銀色の輝きを見せるのを見ながら明日は指輪を外して撮影に臨もうかとよこしまな考えを抱いた。というのも、明日の撮影を行う女性モデルは最近人気急上昇中のモデルであり、深夜枠とはいえテレビなどで活躍をはじめている新鋭の小宮山夕菜なのだ。モロに哲生好みのややポッテリした唇も特徴的な色気たっぷりの十八歳であり、結婚してもなお女性に目が無い哲生にしてみれば仲良くなる大チャンス、ここは奮起してでもお近づきになりたいところである。そんな哲生が車1台ならば十分通れるが周囲を高い壁で囲まれて圧迫感を感じる路地に差し掛かった時にその異変が起きた。前から5人、後ろから4人の黒いズボンに黒い長袖Tシャツ、そして顔全てを覆う覆面をつけた集団がわらわらと沸いて出てきたのだ。全員手には警棒や鉄パイプ、そして金属バットなどさまざまな武器が持たれており、哲生1人を相手にするには十分すぎる人数と武器だ。
「仮装にしちゃ単調だし、何よりアイテムがぶっそうだ・・・けどな、ハロウィンにゃ早すぎるぞ?」
とぼけた口調にとぼけた動きを見せる哲生に9人全員が一斉に構えを取った。
「闇討ちに遭うなんて何年ぶりかな・・・しかも今時闇討ちって、時代遅れな・・・」
あきれたようにそう言った瞬間、前後から3人が一斉に襲い掛かった。金属バットに鉄パイプ、そして警棒が打ち下ろされる中、哲生はヘラヘラした笑いを浮かべたまま一瞬身を沈ませる。次の瞬間、信じられないことに3人が同時にバラバラの方向へと吹き飛んだ。2人は向かい合わせの壁にそれぞれ叩きつけられ、残った1人は背後の集団の足元に転がってきた。マスクをしているが失神しているのがわかる。ピクリとも動かなくなった仲間を見下ろしてから目標の男を見れば、さっきと同じようにただぼうっと立っているのみだ。ただその両手が淡い金色の光を放っているように見えるのが変更点か。第一、手が光る人間などいるのだろうか。自分たちの目を疑う残った6人だったが、先にやられた3人がどうやって吹き飛んだかがわからないためにうかつには手が出せない。そんな様子を見た哲生はさもつまらなさそうにするとやれやれとばかりに両手を広げるような仕草を取った。
「その人数でビビるなら闇討ちなんてするなよなぁ」
あきれた口調でそう言うと両手を広げたまま前後の相手に指を2、3度折り曲げてかかって来いの仕草を取る。挑発にのったのか、はたまた自分たちの任務を再認識したのか、今度は6人が一斉に襲い掛かった。
「闇討ちはこうでなけりゃぁ!」
どこか嬉しそうにそう言うなり、1度その場で軽く真上にジャンプをした哲生はそのまま着地と同時に身をかがめ、光る両手で襲ってくる2人の手首を掴むと相手をひねるようにして体ごと宙に浮かせ、そのまま反動をつけた状態で受身を取らせぬ早業で固いアスファルトに体を叩きつける。そのまま次の攻撃を余裕をもってかわしつつあご先を蹴り上げ、返す動作で回し蹴りを後方の相手の顔面に炸裂させた。
「あと2人!」
自分のすぐ目の前と背後に迫った警棒を持つ相手を見てそう言うと、縦横同時に振られた警棒を難なくかわしながら両手を広げて2人のみぞおち付近にその手の平をそっと当てるような動作を取った。そのまま気合を入れるように力を込めれば金色の輝きがほんの一瞬だけ強くなった。
「ハッ!」
気合一閃、光った手の平から気が爆発して触れられていた2人は3メートル近く吹き飛んだ。そのまま足下でうごめく数人を軽く蹴り飛ばすと、1人の胸倉を掴み上げてその黒い覆面に手をかけた。
「誰に頼まれた?どこの者かな?ハンサムかな?ブサイクかな?」
ふざけた調子でそう言いながら覆面の頭の先っぽを掴んでまさに引っ張ろうとした矢先、目の前でまばゆいばかりの閃光が2度3度明滅した。通りはおろか周囲数十メートルにわたって真昼のごとく照らすその閃光にさすがの哲生も掴んでいた手を離して腕で目を覆う。
「閃光弾とは・・・用意周到なこった」
人が散っていく気配を感じながら、その気を感じて後を追う事はできる哲生だったがここは深追いをするのは止めてギュッと目を閉じて閃光から網膜を守ることに専念した。
「任務失敗の際の閃光弾とは・・・暴走族やヤンキーの手口じゃないな」
ぼやついた目を開きつつそうつぶやく哲生は完全に気配が消えた周囲を見渡してから騒ぎになりつつある周辺の住宅から逃れるようにそこから走り去った。自宅が見えてきたところでようやく足を止めた哲生は7割近く回復した視力に満足しつつ注意深く周囲の気配を探るが何の異常も見あたらなかった。
「人気者はつらいぜ」
やれやれといった仕草、表情でそう言う哲生の携帯が鳴り響いたのは家のドアに手をかけた瞬間だった。
十牙だけでなく、哲生までもが同じ時間、同じ黒づくめの集団に襲われたとの連絡を受けた周人はリビングの白い2人掛けのソファに腰掛けたままじっと考えを巡らせた。昼間出会った高原みさおに福山千江美、そしてこのタイミングでの何者かからの襲撃である。やはり何かが動き出していると考えて間違いないだろう。『新たなる王』の補佐に勧誘されたことと『ゼロ』との関係はまだはっきりしないが、千江美の言葉から福山が『ゼロ』を排除して立ち上げようとしている『リジェネレイト計画』がキーになると思えてならない。そしてそのキーとなる計画の核がおそらくみさおだろう。そしてみさおが残した言葉『もうすぐそこまで闇が来ている』というものが今回の襲撃事件を意味しているのならば、その闇の根源はおそらく『ゼロ』だろうとも推理できる。だが何故今になって十牙や哲生が襲われるのかが不明だ。ただ言えるのは『ゼロ』率いる最強集団『アーク』の目下の敵は『リジェネレイト計画』の発案者である福山と、かつて『キング』の軍団を倒した自分たちと考えればそれも納得いく。福山は『アーク』を操る存在であり、自分たちの親玉である彼の一声で自分たちの存在すらどうなるかはわからないリスクも背負っている。方や周人たちは最強である自分たちを脅かす存在であることは間違いない。もし自分が『ゼロ』ならば、『キング』を倒した周人の存在は頭の片隅に常にあるだろう。同じ木戸の技を使う相手としても要注意の人間だ。そう考えればおのずと今回の襲撃事件の真犯人は『ゼロ』に限られる。だが、もしも自分たちと『ゼロ』とを戦わせようとしている者たちがいたとすれば、これは何重にも張り巡らされた巧妙な罠に他ならないのだ。
「人の悩みを大きくしやがって・・・」
いまいましげにそうつぶやく周人は体勢を横に変えてソファに寝そべるとテレビを消して白い天井を見上げてみせる。
「知らなきゃ、それで終わってたのに」
表情を曇らせたまま目を閉じる周人はふてくされたようにしながら大きなため息をつくのだった。
悩みを抱えたままだったせいか、眠りが浅かった周人は眠い顔をしながらエレベーターを待っていた。あくびを噛み殺しながら何かにハッとなった周人はあわてて周囲をきょろきょろするが、背後からやってくる里中龍馬の姿しか確認できず、こういったタイミングで必ず現れる理紗の姿はそこになかった。
「おはようございます・・・・どうしました?」
横に並んだ龍馬は不思議そうにそう言うが、周人はとぼけた顔をして別にとだけ答えてやってきたエレベーターに乗り込んだ。続いて龍馬が乗り込み、2人だけを乗せたエレベーターが静かに動き始める。いつも早い出社なのにこの時間に来る龍馬を珍しいと思う周人は最近各フロアにできた大きめの休憩ルームへと龍馬を誘い、朝のコーヒーを飲むことにした。女性社員からの誘いならば100%断る龍馬が周人に対してだけこうも心を開いているように見えるのにはわけがあった。2人は白い丸テーブルに向かい合わせで座るとほぼ同時に缶コーヒーの栓を開ける。
「ちょっと質問があるんだけどさ」
「仕事・・・ではなさそうですね」
その言葉にうなずいてからコーヒーを一口飲んだ周人は鋭い目つきになりながら足を組んだ。
「お前のところに高原みさおっていう小柄で髪の短い女が来なかったか?」
そう言われた龍馬もまた険しい表情になりつつ、周人の目を見据えたままうなずいた。
「来ましたよ・・・『新たなる王』の下でもう1度支配者にならないかって」
その龍馬の答えにやはりな、とだけつぶやいた周人はコーヒーをテーブルの上に置くと腕も組んでため息をついた。
「木戸さんとこにも・・・ですか?」
「あぁ、かつて『キング』に携わった者にコンタクトを取ってるみたいだな」
「でも、オレはともかく何故木戸さんのところへ?」
「『補佐』になれってね・・・ようするに『新たなる王』の次に役立つって判断だろう」
『キング』を倒した周人に対して補佐になれとは、その『新たなる王』というのはかつての『キング』より強いのか、それとも今の周人が弱くなったと判断してのことか。
「もちろん断ったけどな・・・んなもんに興味ないし」
周人はそう言って肩をすくめるとコーヒーを飲む。そんな周人につられてか、同じように缶に口をつける龍馬だったがコーヒーは飲まずにそのままの状態で言葉を発した。
「俺もですよ・・・興味ない」
「かつての『七武装』の1人ですら蹴った誘いを、果たして誰がうけるのやら・・・」
周人の言葉に苦笑する龍馬はコーヒーを一気に飲み干した。そのまま空になった缶を近くにあるゴミ箱へと投げ捨ててからリラックスしたように椅子にもたれかかると天井を見上げた。
「『キング』はその名の通り自分1人の力であそこまでの地位にのし上がった。それを勘違いして『新たなる王』とは笑わせる。きっとあいつは、いや、あいつらは『キング』の本当の怖さを、恐ろしさを知らないんだ」
普段無口で必要以上はしゃべらない龍馬がこうまで話をするのは珍しい。きっと女子社員が今の龍馬を見たならば驚きで騒然となっていたはずだ。
「同感だよ」
短くそう答えた周人がコーヒーを一気飲みする姿を見て苦笑する龍馬は十二年前に自分の前に姿を見せた伝説の男と今目の前にいるこのとぼけた男が同一人物であることがいまだに信じられないでいた。十二年前、『キング』配下の『七武装』として『キング四天王』に次ぐ地位を得ていた龍馬は、当時『ヤンキー狩り』の異名をとっていた周人と激突、戦いの末に敗れた過去を持っていた。その後『キング』の王国が崩壊したあとは真面目に高校にも通い、大学進学を経てこのカムイモータースに入社した経歴をもっていたのだ。まさかここで周人と再会するとは思ってもみなかった龍馬は全く人が変わったかのように穏やかな周人に今の自分を重ねることによってかつての恨みも消え去っているのだった。また、顔も良く、寡黙でクールな龍馬は女性社員から数多くのアプローチを受けていたが、今のミーハーな若い女性には興味がなく、必要以上の会話をしない、接点を持たない姿勢を一貫して貫いていた。今の仕事が面白く、やりがいがあるのも横浜支部にはなかった活発さや周人というかつての敵が素晴らしいまでの業務と管理、上司としての手腕をいかんなく発揮しているからだとも思っていた。そういうこともあり、周人以外の人間とのコンタクトを極力避けてきた龍馬の前にみさおが現れても、その勧誘を受ける理由もないために蹴っていたのだ。もう自分は昔の自分ではないのだ。
「その件と関係があるかどうかはわからねぇけど・・・昨日ウチの『剣王』と『魔術師』が何者かに襲撃された」
その言葉に驚く顔を見せる龍馬を珍しいと思いつつ、周人は心の中のモヤモヤが昨日よりも大きくなっていることに憂鬱になってしまった。
「それもあの女と関係が?」
「いや・・・違うと思ってる」
そうとだけ答えた周人は缶を捨てるとカバンを手にして立ち上がった。今の龍馬は裏社会には通じていない。もちろん周人もそうなのだが、ここ最近はそういう情報が勝手に入ってきていい迷惑をしている。はっきり言ってもうそういうことに係わり合いたくないし、させたくもないのだ。とりあえず『ゼロ』のことは伏せておいた周人は目下調査中とだけ答えて龍馬をうながし、休憩ルームを後にするのだった。
既に席についていた理紗はやってきた2人に朝の挨拶をかわすとさっきから見ていた雑誌へと目を戻した。つい3分ほど前にやってきた理紗はいつも早くから来て席に居るはずの龍馬の姿がないことに驚きつつ、いつも同じ時間に出社してくる周人がいないことに関しては自分の乗る電車が遅れたせいもあってそう気にもしていなかった。基本的に理紗は電車、周人は車で通勤している。周人は大抵決まった時間に来ており、そんな周人を好きになる前は偶然、そして好きになってしまった今は意図的に時間を合わせていた。その周人が龍馬と出社とは珍しかった。そしていつものごとく始業10分前にはメンバー全員が揃い、チャイムを待って仕事が開始される。今日も忙しい中、一息入れに席を立った龍馬に付きまとうように新人女性の相楽はやねも後を追う。そんな2人をチラッと見ながら、理紗は心の中でため息をついた。そしてため息をつかせる原因である周人の方を見やれば、さっきからパソコン画面を見ながら何やら携帯でずっと話をしている。またもため息を漏らす理紗はここ最近自分の中でどんどん大きくなっていく周人への想いに自分自身でも参っていた。4年前にその気持ちを封印しながらもずっと一緒に仕事をしてきた理紗にとって、こうなることはある程度の予測がついていた。周人にはお似合いの彼女がおり、またその彼女を深く愛しているということもよく知っている。だが、ずっと一緒であるがゆえにいい部分も悪い部分も含めて周人を毎日見ている理紗にとって、封印してある気持ちを今の今まで一切表に出していない事は誇れることでもある。みんな、周人を含めた全員が理紗の本当の気持ちになど微塵も気付いていないだろう。だが、押し殺した気持ちは彼女の中で膨張し、もはや破裂寸前なのだ。いつからか、理紗の中では由衣と別れて自分と付き合って欲しいと願うまでにその気持ちは巨大になっているのだった。そんな周人が電話を終えた矢先に自分を見たため、バッチリと目が合ってしまった。さすがに気まずいと思ったが、無表情のまま目を逸らさなかった。
「宮崎さん、明日と明後日で出張行けるかな?」
「はい・・・主任と、ですか?」
ここ1年ほど周人と2人での泊まりの出張は無い。前回は今ほどの気持ちがなかったせいで平静のままいられたが、はっきり言って今は自信がない。自分から襲うことはもちろんないだろうが、自分の気持ちを伝えてしまいそうだ。一度タガが外れてしまえば自分がどうなるかも想像がつかない。ドキドキする気持ちを顔には出さずに返事を待つが、緊張感が絶えず襲ってきていた。
「いや・・・オレは別件で会議三昧なんで里中君と行ってもらう。場所は神戸だ」
「里中さんと、神戸・・・」
システム手帳を見ながらそう言う周人の言葉をメモする理紗は内心ホッとしながらも残念なような複雑な心境だった。しかし龍馬とならば問題はない。女性社員に人気があるとはいえ、彼自身が女性と仕事以外に接点を持たないことは周知の事実。理紗と2人で出張でもお堅いというイメージの理紗とでは噂もたたないだろう。現に彼女は職場では周人よりも怖く、皆に恐れられている『鉄の女』だからだ。そして龍馬は仕事以外の会話をしない『クールマシーン』であり、そんな2人が出張で何をするかといえば仕事しかない。
「わかりました」
「内容に関しては後で・・・3時から打ち合わせしようか」
「はい」
そう言うと立ち上がる周人は背伸びをしてから会社用に使っている小銭入れを取り出すと理紗を休憩に誘った。見る限り他のメンバーの机の上にはコーヒーやジュースが置かれているが、理紗のそれには空になったお茶のペットボトルが置いてあるだけなのだ。一旦断ろうかとも思ったが喉が渇いているのも事実なために小銭を手に立ち上がる。
「小松君、資料できたら本社の遠藤に即メールで送ってくれ・・・さっきから催促が来てうっとーしいんだ・・・もし電話かかってきて遅いとかぬかしやがったらお前が取りに来いって言ってやれ」
その言葉に苦笑しながら返事をする入社2年目の小松が本社のエリートである遠藤にそんなことが言えるはずもない。周人と同じ役職ながら同期の遠藤は本社にいるというだけで皆の目つきが変わる。時折やってくるその遠藤に対して係長、課長クラスでも一目置くところ、周人のみがケンカにも似た口調で話をしていた。そしてこの池谷工場において、周人が遠藤共々社長自らが進言して本社に転属を言い渡されていたことを知る者は少ない。だが周人は本社ではなく、ここでの仕事を望んだ。今の仕事に誇りを持っている以上に、ここでの仕事にやりがいを感じているのだ。社長と直にその話をした結果、社長である菅生要はその意思を尊重し、彼をこの職場に留めることを決めたのだ。全国全社の中でも一番の出世頭が遠藤だと思われているが、その遠藤と互角の実力を持つ周人を知っている理紗にしてみればいずれは本社に行くのだろうと思っていた。いっそのことそっちに行ってくれれば少しは楽になるだろうにと考えながら周人の横を歩く理紗はそれはそれで悲しくて泣いてしまうかもしれないと人知れず小さなため息を漏らすのだった。




