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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十六章
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108/127

笑顔の条件(1)

梅雨が完全に明けきってないせいか、朝から曇っていた空にぽっかりと穴が開いたような状態で見える青い空はまるで白い液体の上から青いしずくを垂らしたかのようにぼんやりと浮かび上がっていた。梅雨も明けようという七月の半ばの午後は晴れる気配を少しながら見せ始めている。かなりの蒸し暑さが襲う外の熱気など冷房という名の文明の前ではその威力も威厳も無いに等しかった。そんな文明の威力をいかんなく発揮しているファミリーレストランの中は快適なほど涼しく、食事を終えて外に出るのがいやになるほど程よい冷気が体全体を包んでいた。そういう店内で凍ったように動かない1人の男性客がいるが、もちろん冷房のせいで本当に凍っているわけではない。目を見開き、息をするのがやっとといった状態の白い半袖のYシャツに赤みがかかった紫のネクタイを締めたサラリーマン木戸周人は、すぐ横の席に座ってコーヒーを口にしている女性の顔をまじましと見つめていた。口元のほくろがワンポイントのその女性は優雅な手つきでソーサーにカップを置くと再度周人を見てにこやかに微笑んだ。自分が座っている席のすぐ脇ではバギーの中でスヤスヤと小さな寝息を立てている1歳ぐらいの男の赤ん坊がおり、また、向かい合う席の部分には本来あるべき椅子の替わりに置かれた赤いバギーの中で3歳ぐらいの女の子がこれまた安らかな寝息をたてていた。パーマをあてた肩まである髪を無造作に掻き上げ、やや体ごと周人の方へと向き直るその女性はかなりの美人であり、どこか気品にも満ちた上品な雰囲気を全身から漂わせている。


「そう驚くのも無理はないけど・・・それもお互い様よ。お久しぶりね、『魔獣』さん」


まるで歌うかのように澄んだ声でそういう女性の口調は持っている雰囲気と同じく気品に満ちている。少なくとも周人が知っているこの女性のものとは似ても似つかない、もはや別人だ。


「あぁ、十二年ぶりだな、江崎」


そう言いながら、さっき出会った高原みさおと名乗る女性のことを思い出す周人は、今まで自分の過去を知る人間にこうも立て続けに会った記憶が無いことに心の中で苦笑した。そんな周人に対し、千江美もまたかつて知っている周人とはまるで別人の印象を受けていた。『魔獣』と呼ばれ、殺気立った彼の鋭さ、触れる者見る者全てを切り裂くほどの殺気を持っていた彼とはとても同一人物とは思えないほどの和らいだ雰囲気を持っている。


「そうね、もうそんなになるわね・・・でも1つ間違ってるわ」


その言葉に首を傾げるが、何も間違った事は言っていないはずだと思う。そんな周人の表情を読み取った女性は小さくくすりと笑うとすらっとした足を組んでみせた。やや短めのスカートを履いているために妖艶な雰囲気を出しながらさっきよりも露出された素足を見せていく。


「もう江崎じゃないわ。今は福山千江美よ」


その言葉から彼女が結婚したことを悟った周人の顔がまたもや驚きに変わるのを見た千江美は今度は少し声を出して笑った。


「そんなに意外だったかしら?」

「そりゃまぁ・・・・あの『破滅の魔女』が結婚ともなれば少なくとも驚くさ」

「そう?4人の『魔女』のうち3人結婚してるのよ?」

「綾瀬桜の結婚にも驚いたが、佐伯緑の結婚にゃかなり驚かされたけどな」


そう言って苦笑する周人にうなずく千江美も緑の結婚には驚かされたものだった。かつて『キング四天王』と呼ばれる最強の『変異種』たちがいた。その4人の男たちの彼女を人々は『魔女』と呼んで恐れていたのだった。もちろんそれはバックにいる『キング四天王』の影がチラついたからだが、理由はそれだけではなく、彼女たち自身もまた強く恐れられていたからである。自分の爪を研ぎ澄まし、男女問わず容赦なく相手を切りつける『冷血の魔女』こと佐伯緑は2年前にIT関連の会社社長と電撃結婚をして世間を騒がせた。もちろんそのIT会社の社長が有名だったせいもあるが、人気アイドル黄味島悠斗の元マネージャーという緑の肩書きもその報道に拍車をかけていたのだった。次に、手にしたカミソリで相手を切り刻むことで有名だった『鮮血の魔女』こと綾瀬桜は周人が勤めるカムイモータースの関西支部に在籍しているエリート社員である島原丈と4年前に結婚していた。島原と周人は半年ほど一緒に仕事をしたこともあり、その際に桜本人からそのことを聞かされてずいぶん驚いたものだった。現在は1児をもうけて幸せに暮らしているという。そして今目の前に座っているこの女性、福山千江美は旧姓江崎千江美といい、かつてついたあだ名は『破滅の魔女』である。彼女は敵対する組織に入り込んでそのリーダーとサブリーダーに当たる男と内密に関係を持ち、それを暴露して仲たがいをさせて組織そのものを内部から壊滅させる手腕を持っていたのだった。もちろん狙いは組織の金品であり、彼女が『キング四天王』の1人大場圭介と本格的に付き合い始めてからはそれもしなくなっていたのだが、周人たちの噂を聞きつけて何度か接触したことがあった。もちろん周人たちがそんな安っぽい罠にかかるわけもなく、彼女は姿を見せるにとどめていただけだったが。それに数多くの闇組織の中にいた彼女のネットワークはハンパではなく、周人が『キング』を倒した後に警察によって拘束された際にはその裏情報を引き出そうと警察はおろか政府の関係機関も必死になったと言われているほどだ。


「2人の結婚式に出席したけど、2人とも幸せそうだったわ。もちろん私の時にも来てくれたしね」


『魔女』同士は仲が良く、皆バラバラになってからも連絡を取り合うほどだった。今の話を聞いて前から思っていた疑問が解決したような気がした周人は小さく笑うと水を飲んで一息入れた。


「福山か・・・相手はサラリーマンか?社長か?」


少々皮肉をこめてそう言う周人に微笑を浮かべる千江美から何か言い知れないものを感じ取った周人はコップを置くと体ごと千江美の方へと向いて正面に彼女をとらえるようにした。


「どっちも外れ。旦那は防衛庁の高官、エリートさんよ」


その言葉に再会してから一番驚かされた周人は口を開けたまま情けない顔をしている。そんな周人だったが、ずっと前から抱えていた疑問の答えが完全に解決して微笑を浮かべて見せた。


「なるほど・・・綾瀬に情報を提供したのはお前か」

「そういうことね。少しは役に立ったかしら?」


クスッと笑ってからそう言う千江美の言葉に表情を曇らせた周人は4年前に突然自分の前に現れた桜が日本最強の暴走族すら知らなかった『ゼロ』の事を知っていた事実が判明し、複雑な気分になった。かつての彼氏で『キング四天王』の1人である御手洗慈円みたらいじえんが持っていた『神剣フラガラッハ』を周人に預けに来た際にその話をしたのが全ての始まりだ。


「あぁ、おかげで余計な悩みも増えたよ」


確かに、桜が『ゼロ』を知っていた事実は解明された。だが、そのおかげで周人が由衣との結婚に踏み込めない最大の理由ができたのもまた事実だ。知らなければ今ごろ2人で式場探しをしているか、あるいはすでに結婚して父親になっていたかもしれないと思える。


「夫は私の過去を全て知っている。それだけじゃないわ・・・あなたの、『魔獣』や『キング』の事も、全てね・・・それに私には今でも切れない糸で繋がってる組織もあるから情報には事欠かないしね」


そう言って冷めかけのコーヒーを一口すする千江美に目を細める周人の顔つきが変わった。自分や『キング』、そして千江美の事を知るその福山とは何者かが気になって仕方が無いのだ。しかも防衛庁のエリート高官ともなればおそらくは『ゼロ』にも関与しているだろう。そしてそんな周人の表情から全てを察した千江美はカップを置くと真剣な目つきになって周人の目をみつめた。


「次世代『キング』として木戸百零きどびゃくれいを選出し、『プロジェクト・ゼロ』を企画、立案、実行したのが私の夫、福山耀司ふくやまようじ。そしてそれに一応ながら賛同しているのがあの秋田巌あきたいわおよ」


十二年前、かつての『キング事件』において周人たちを擁護し、その復讐劇を理解してくれていたはずの人物である秋田が第二の『キング』を擁立する計画に賛同していると聞いた周人のショックは計り知れなかった。『キング』を裏から操っていたのは内閣総理大臣すら操っているとされていた当時の外務大臣である猪狩惣一郎いかりそういちろうである。その猪狩の汚職を追いつづけ、『キング』が倒されたことをきっかけに逮捕に踏み切った秋田が、『キング』という存在を作り上げた猪狩に激しい憎悪を燃やしていたあの秋田がその模倣的計画に同意しているとは到底思えないのだ。小刻みに震える体を抑えることもせず、周人はややうつむき加減で今の言葉を何度も頭の中で繰り返し続けた。


「秋田警部が?嘘だろ?」

「今はもう警部じゃないわ。彼の今の肩書きは警視庁副総監。噂ではその地位につければ警察組織全体を見なくてはならないため、下手な動きは取れないだろうとの政府の魂胆よ。つまりは役職という肩書きにからめとって動きを封じる、といった感じね」

「副総監か・・・・」

「私も反対したんだけね・・・『プロジェクト・ゼロ』には」


悲しげな表情を見せながら顔を横に向け、晴れ間がさしてきた外の景色へと目をやる千江美を見やる周人は彼女もまた『キング』という存在の怖さを知っている女性だったことを思い出した。『キング』は誰にも何物にも縛られずに本能のままに生きていた男であり、たとえそれが部下の女であっても容赦なく抱いた。部下である四天王もそれを容認していたのもあるが、全ては『キング』という存在がもたらす圧倒的恐怖が原因である。確かに『キング』という存在が日本の裏社会を統制し、外国人によるマフィアをいくつも壊滅させた功績は大きい。だが本能のままに自分が気に入らない相手は殺し、気に入った女を犯し、気に入らない組織は潰してきた、その結果周人のように心に傷を負った者も多くいたのだ。そしてそれは愛してもいない相手に、しかも獣のように犯されたも同然の『魔女』たちも同じであった。その絶対的権力を持って裏社会を統率する『王』に対し、果たして政府が事細かくそれら全てを把握して管理することなどできるわけもない。それを知っているがゆえに、千江美は夫が考えたその計画に対して真っ向から否定したのだが、残念ながら効果は無かった。


「何故、なんで百零なんだ?」

「『キング』こと久我晴海くがはるみを倒したあなたが強かったのではなく、木戸無明流きどむみょうりゅうが強かったと判断したのよ。でも最大の功労者であるあなたは『キング』には成り得ない。なるはずもないとわかっていた」


暗い表情のままそう言う千江美の言葉に周人はうなずいた。別に『キング』になりたくて倒したわけではない。すべては愛した女性の仇を討つため、ただそれだけのために倒したのだ。そしてそれを知っている千江美たち『魔女』はそんな周人を凄いと思い、またその彼女をうらやましいと思ったのだった。自分もそこまで一途に愛されたいと思ったのだ。


「そこで木戸流について調べた夫は木戸無双流の存在に気付いた。江戸時代中期に、木戸の分家として人を殺す技を磨き続け、宗家を倒す目的をもって受け継がれてきたその無双流の継承者、木戸百零があなたに勝るとも劣らない実力と、そしてあなたにはない野心をもっていることを知って『新たなる王』に選出したのよ」

「なるほどな・・・はっきり言って悪いが、あんたの旦那は大馬鹿野郎だ」


吐き捨てるようにそう言う周人に嫌な顔1つ見せなかったのは不思議だが、千江美は悲しげな表情を浮かべると、そうね、とだけつぶやいた。


「あの人は猪狩になりたいのよ・・・『王』を操る真の支配者にね。でも家族はそんな事は望んでいないの。ただ、普通に暮らしたいだけ」


より良い暮らしを求めてそうしている夫を知っているが、千江美が望むのはごく普通の生活だけだった。『王』を操り、権力をもって豊かな暮らしを得てもそれは本当の幸せではない。『キング四天王』の彼女時代にそれを知った千江美は自分を理解し、過去を全て知っている上でなおも自分を愛してくれた夫を誇りに思っているし尊敬もしている。だが、今の仕事だけは理解できないでいた。


「あの人は良き夫であり、子供たちにとっても良き父なの。でもね、彼の仕事だけは賛成できない・・・」


素直に自分の心の奥にしまっておいた気持ちを敵であった周人に吐露するが、敵であったがゆえに千江美の気持ちがよくわかる人物もまた周人しかいない。『キング』という人物に真っ向からぶつかった彼ならば夫のその野望を打ち砕いてくれるかもしれないと思う千江美だが、さすがにそれは口にしなかった。その言葉にうつむく周人は運ばれて来た料理を見ながらも手をつけずに黙って千江美が言った言葉を噛みしめていた。


「いつか・・・いつかオレが『ゼロ』と戦う事になった時は、あんたの旦那にも強烈なのを一発叩きつけてやるよ」


まるで自分の気持ちを汲み取ってそう言ってくれたように思えた千江美は小さく、本当に小さく微笑むと帰り支度を整え始めるのだった。それを見た周人も椅子に座り直してスパゲティを正面にフォークを手にする。今見せた千江美の笑みが意味していたのはそれこそ本当に彼女が願っていることだと感じ、周人はそれ以上何も言わずに食事に集中した。だがある事にふと気付いてその手を止めるとバッグからリップとおぼしき小さな筒を取り出している千江美の方を向いた。


「最後の魔女、『沈黙の魔女』は?彼女はどうしてる?」


塗りかけた手を一旦止めた千江美だったが、すぐに再開してから横目で周人を見やった。


「さぁ?あの子は特別だったしね・・・政府も情報を掴んでないみたい。おそらくもう日本にはいないんじゃないかな」


こうまで裏情報に詳しい千江美がそう言うのだ、間違いなく誰にもその行方がわからないとみえる。


「そうか・・・・まぁ彼女はその方がいいかもしれないな」


そうとしか言えない周人は寡黙で無表情、無感動だった人形のような少女の姿を思い出しながらそれ以上何も言わなかった。


「私を含めた『キング』に関与した人物全てのデータは政府が管理してる。今何をしてるか、どういう仕事をしてるかまで書かれているわ。そのリストがある限り、私たちに平穏はないかもね」

「そうか」


ここへ来る前に出会った高原みさおが自分のことを事細かく知っていたのはそのせいかと思いながら何故彼女がそのリストを見ることが出来たのかが疑問である。周人はそう考えをめぐらせるとスパゲティを見ながら無意識的にそれを口へと運んだ。


「それと、『ゼロ』に不審な動きがあるそうよ」


リップを塗り終えた千江美の言葉に顔だけをそちらへと向ける周人は食べかけのスパゲティを勢いよく吸い込むと片眉を動かして今の言葉に対する疑問を表現した。


「政府の裏で闇の組織と接触してるらしいわ」


リップを高級ブランドのバッグにしまうとこれまたブランド品の財布を取り出してテーブルの上に置く千江美はかつて『魔女』と呼ばれていた頃の鋭い目つきになっていた。


「夫も知っているはずだけど、これは私が独自に掴んだ情報よ」

「なら、政府や旦那が動くだろう?さすがに『木戸』でも銃火器には勝てないからな」

「そう言うあなたは拳銃の弾を避けたけどね・・・」


その言葉に周人は1つ思い当たる。あれは確か、さくら塾でアルバイトをしていた際、そう、西塾へのかけもちを打診された前後だったはずだ。何者かの介入、襲撃によって自分が『魔獣』という名から逃れられないと悟った小さな事件。あの時、確かにその襲撃者とは違う視線を感じていたのだ。


「そうか、やっぱあの時、あんたは見てたのか・・・でも、まぁ、あれは1発だけだったし、ああいうのを避けるのは木戸流の技にある。けど、マシンガンなんかは無理だな、イチコロで蜂の巣だ」

「ゼロの側近、『D』の持つ特殊能力は機械や武器に対しては絶対的に有効よ」

「ディ?」


新たな名前に首を傾げるしかない周人だったが、それに関しては何も言うつもりが無いというか、言う必要が無いと判断した千江美は席を立つと向かい側の席に置いていたバギーを手前にあるバギーの横へと運んでくる。母親に似た女の子は愛らしい寝顔を周人の方へと向け、その寝顔を見た周人の顔が自然とほころぶ。寝汗をかいているために前髪がおでこにくっついているのを直してあげる千江美に母親の姿を見た周人は口元に淡い微笑を浮かべ、その表情を見た千江美は何故か一瞬だけ心がときめくような感覚に襲われて自分自身に対して苦笑した。だがすぐに気を取り直すと無表情に周人を見る。


「『ゼロ』の側近は『ゼット』、『D』、『Xiザイ』の3人・・・ちなみに『ゼット』は外人よ」

「知ってる・・・ヤツとは因縁浅からぬ関係だよ」


その言葉に情報通なはずの千江美の表情が曇ったが、そのまま何も言わずにスパゲティを食べる周人の真横に立った。


「なんとかって義手を持つ外人、元アメリカ海軍大佐ゾルディアック・・・違うか?」


食べながらそう言う周人にうなずく千江美はかなり詳しいその確かな情報から、ゾルディアックがある日本人と戦って敗れた結果、国を追われたという噂からして、その日本人がこの周人であることを悟った。


「彼ら4人を『アーク』と呼び、そのアークに不審な動きをキャッチした政府は彼らに『首輪』をつけようと画策中だそうよ」

「銃もきかない最強の4人にどうやって?自分たちが選出した最強メンバーなんだろ?」


皮肉をこめてそう言う周人に千江美も笑みを漏らした。


「さぁね・・・そこまでは知らないわ」

「なら、そのプロジェクトもおじゃん、だな・・・所詮は穴だらけの計画ってか?」

「いいえ・・・政府、というか夫はもっと恐ろしい計画を考案したみたいだわ」


口調がさっきまでとはまるで違うため、周人は食べる手を止めて体ごと千江美の方に向き直った。彼女からはかつて『魔女』時代に見せた妖気ともいうべきオーラが発せられているのがわかる。


「『リジェネレイト計画』・・・・聡明なあなたならこの意味から想像つくはずよ」

「リジェネレイト?」


そう怪訝な顔をしながら口に出して言う周人を見ながら2つのバギーを起用に動かす千江美は顔だけを周人の方へと向けた。さっきまでの怖い顔つきは再会した当初の落ち着いた女性のそれに変わっている。昔は可愛さが溢れていたが、今は可愛いというよりは綺麗だと言った方が正しいか。


「じゃぁ、もう会うこともないかもしれないけど・・・・お元気で」

「ああ・・・君もな。貴重な情報ありがとう」


素直にそう言う周人に優しい微笑を見せた千江美はテーブルの上にある伝票を手に取るとそれを脇に挟んだ状態で2つのバギーをそれぞれの腕で器用にまっすぐ動かした。そんな千江美を見送る周人は彼女が残した言葉を頭の中でつぶやいてから、そっと口に出してもう1度ささやくように言うのだった。


「リジェネレイト・・・・再生、再創・・・か」


そう言ってからさっき出会ったみさおの言葉、自らを『聖母』と名乗った彼女の言葉を思い出し、千江美の言った『リジェネレイト』という言葉に重ねてみた。そこから導き出される答えは予測にすぎないが確かに恐ろしい。


「まさか・・・そんなことが?」


自分の考えが信じられない周人はあわてた様子で背後にあるレジの方へと顔を向けたが、そこにいるのは店員のみですでに千江美の姿はなかった。出入りするには階段しかないこのファミレスで一体どうやって2つのバギーを運んだかは分からないが、周人は頭を掻く仕草をした後、晴れてきた空とは対照的な曇った表情をしながら残ったスパゲティを食べ始めたのだった。


「ありがとう」


そう礼を言われた相手はなかなかの筋肉をした腕をTシャツの下からからのぞかせていた。


「いえ」


無愛想にそう返事をし、4WD車の後部座席に積んである2つのチャイルドシートにそれぞれ眠っている男の赤ちゃんと女の子をそっと乗せてあげた男は電動式のドアを閉めるとすぐに助手席のドアを開いて先程礼を言った女性をエスコートするのを忘れない。別に頭を下げることも礼を言う事もしないその女性、千江美は乗りかけて一旦ファミレスを見上げるようにしてみせた。


「約束よ・・・『その時』は必ず、夫を・・・」


そうつぶやいてから助手席に乗り込んだ千江美を確認してからドアを閉めた男はすぐに運転席へと向かうと素早く乗り込み、かけていた冷房温度を調節してから車を発進させた。千江美と子供たちが食事をしている間中エンジンをかけて車内を冷やしておいてくれたおかげで快適な空気が車内を流れている。もっとも、子供たちは料理を注文する前に寝てしまったのだが。


「山本、あなたは『魔獣』を知ってる?」


ファミレスの駐車場から車を大通りへと出している最中の山本はチラッと千江美を見てから返事を返す。


「知ってます。あの『キング』を倒した男でしょう?」

「彼に会ったわ・・・ついさっき、偶然にね」


その言葉に山本は少なからず驚いた様子だ。


「とぼけた感じが新鮮だったけど・・・・あの傷、あの雰囲気、間違いなく彼だったわ。フフッ・・・」


何故最後に笑ったかがわからないが、千江美はそう言ったきりしばらく黙ってしまった。聞かれたこと以外は口にしない性格の山本はかつて『キング』と戦って秒殺された過去を持っているだけに、『魔獣』という男がどういう男なのか見てみたいと思っていた。だが、今さっきの千江美の言葉から自分が抱いている『魔獣』のイメージは正しくないと悟ったため、ますますその思いが大きくなっていくのを感じていた矢先、隣の千江美が景色を見たままポツリとつぶやいた。


「彼なら、きっと倒せるわ・・・ううん、彼にしかできないから」


その言葉が意味するところがわからない山本は運転に集中し、千江美は景色を見たまま少しうたた寝を始めるのだった。


スパゲティを食べ終わり、食後のコーヒーを味わいながら窓の外の景色をぼんやり眺める周人はみさおと千江美の言った言葉の数々をもう1度頭の中で反復していた。自らを『聖母』と呼び、自分に『新たなる王』の補佐を要求してきた事。政府の高官福山が考案した『プロジェクト・ゼロ』と『新たなるキング』である『ゼロ』の事。そして最後に千江美が残した言葉『リジェネレイト計画』。それら全てを統合すればおのずと恐ろしい回答が導き出されてくる。知らず知らずのうちに目つきが鋭くなり、表情も強張ってくる周人はそんな自分を不思議そうに見やる視線を感じて今見ている窓とは反対の方向、フロア側を向いて小さく驚きの声をあげた。


「お・・・おう、早かったんだね」

「はい、一通り説明の後は担当の人の出番だそうで・・・」


やや小さめの声でそう言うと周人の前に座るのは理紗であった。どこかよそよそしい様子の理紗はそう言ったきり周人と目を合わさずに注文を取りに来たウェイトレスに周人がオーダーしたものと同じスパゲティをオーダーした。ここのコーヒーはおかわり自由なため、やや気まずい雰囲気から逃れるように席を立つとレジの少し奥にあるドリンクバーへと行き、アイスコーヒーを新たなコップに注いでいきながらチラッと理紗の方へと視線を走らせる周人。ここから席までは距離があるものの、理沙とは正面に位置しているために目が合うが、その瞬間理紗は視線を落としてしまった。周人は少し困った感じで頭を掻くと入れ終わったコーヒーにシロップとミルクを注いで自分の好みの味に仕上げていく。ストローでかき混ぜ、色を黒から茶色く変えてから席へ向かって歩き出す周人は場の空気をどうしたものかと思案しているためにいつもより遅い速度で歩いていた。まずコップを置いてから自分が座ると、理紗は咳払いを1つしてからいつも調子で話し掛けてきた。


「何かあったんですか?怖い顔してましたけど」


話を切り出すのも気まずい雰囲気をどうしようかと考えていた事が馬鹿らしく思えてきた周人だったが、このストレートさこそが理紗の持ち味だと思う周人は小さく苦笑してからその答えを口にした。


「いや・・・今さっき昔の知人と偶然ここで再会したもんでね・・・そのせいかな」


コーヒーをすする周人をジッと見ながら、そう言う前に何故苦笑したのかが気になった理紗はある結論にたどり着いて返事を返すことにした。


「昔の彼女ですか?」


その言葉にさらなる苦笑をする周人は理紗をますます混乱させた。


「いや、そうじゃなくて・・・う~ん・・・敵って言うかさ、ケンカ友達っていうか」


実際は友達ではないのだが、はっきり言って説明しずらい周人のその言いにくそうな答えからますます怪しいと思えてきた理紗はやや軽蔑のまなざしで周人を見ながら意味ありげな感じで水を口にする。


「・・・・あやしい」

「え?あー、いや・・・説明が難しいんだよなぁ」


かなり困った顔をする周人を見て、そうさせている自分が楽しく思えてきた理紗はいたずら心に火をつけながらそれを顔には出さず、目を細めて周人を見たままそっとコップを置いた。


「好きだったけど、フラれたとか?」

「そういうんじゃないんだよ・・・・」

「その人を巡って誰かと奪い合ったとか?」

「いや、それはないよ」

「じゃぁなんです?はっきり言えない事ですか?」


何故そんなにムキになって聞きたがるのかわからない周人だが、もはや言わないと収拾がつかないと判断してため息をつく。理紗もどうしても聞きたい気持ちが先走り、ややきつめの言い方になってしまったがもう自分を抑えられない。


「ん~・・・その人はオレが敵対していたグループのメンバーだったんだ。結局オレたちが勝ったんだけど、それ以来の再会だったもんでね・・・いろいろ思い出していたわけだ」


かなり端折った言い方だったと思うがこれが精一杯な周人はそう言うとコーヒーを飲む。理紗は今の説明を理解しながらも次々と沸きあがってくる好奇心から詳しく聞きたいと思う気持ちが強くなっていたが、周人の困った態度からあまり話したくない過去だと悟りそれ以上突っ込むことをやめた。自分が周人の彼女ならばそれも許されたのだろうが、会社の部下という立場でしかないためにここはグッと我慢するしかないのだ。それでもやはり好きな人のことを知りたいと思う理紗は自分の心の中にいる天使と悪魔が激しく戦い続ける中、穏やかな表情で自分を見ている周人に小首を傾げて見せた。


「ゴメンな・・・興味がわくような言い方しちまって。悪かったね」

「い、いえ・・・私も個人的なことにムキになって・・・すみません」


素直に謝る周人にこちらもまた素直になる理紗。そんな理紗の前にスパゲティが運ばれてきたためにこの話題もここで終わりとなった。しばらく周人はコーヒーを、理紗は食事を堪能して会話もなく時間が流れていく。だが、コーヒーを飲み終えた周人はくるくる上手に麺を巻いていく理紗の手つきを見ながら小さく微笑みを浮かべた。そんな周人に気付いた理紗はスパゲティを口にくわえながら再び小首をかしげる仕草を取る。


「いや・・・なかなか似合ってたと思ってね、さっきの君がさ」


そう言われた理紗はくわえていたスパゲティを全て口の中に入れるとモグモグ噛みしめて冷静さを保ちつつ、少々頬を赤くしていた。心臓もその動きを加速させていく中、そのまま口の中の物を全て飲み込んだ理紗はややうつむき加減にしながら上目遣いで周人を見やる。


「恥ずかしいだけでしたけど・・・」

「そうかい?でも、可愛らしいというか、かっこよかったっていうか」


そう言って淡い微笑を浮かべる周人を見てはっきりわかるぐらいに顔を赤く染めた理紗はプイっと顔を横へと向けてしまった。周人はそんな理紗を見て小さく笑うと、おでこを掻きながら窓の外の景色、海に雲間からの日差しが差し込んで幻想的な光景となっているその様へと目をやった。やや胸元を強調するような襟のあるビキニタイプとミニスカートは白地に赤のワンポイントが入っていてスタイルのいい理沙とピッタリマッチしていた。その様子を思い浮かべながら、周人は何故この理紗に彼氏がいないのか不思議になるほど不可解に思っていた。確かに自分にはキツイ口調で素っ気ない態度を取るが、仕事はしっかりこなし、手際もいい。また、人との応対も良く、受けも良かった。その上美人でスタイルもいい彼女がいまだに彼氏はおろか好きな人もいないということが信じられない。まさか自分を好いているなどとは露ほども思わない周人はその疑問を口にはせずに、料理を全て平らげた理紗を見てから席を立つと再度コーヒーのおかわりと理紗の為の食後のレモンティーを運んできた。そんな周人に恐縮して礼を言う理紗がこういう自分を好きになっているとすらわかっていない周人はにこやかに微笑みながら席へと着いた。その後、今後のことを少し話した2人は冷房のよく効いた天国とも言えるファミリーレストランから灼熱地獄たる外へと出て汗をかきながら展示場へと戻っていくのだった。

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