表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十五章
PR
104/127

心の隙間(2)

最近新たに建てられた12階建てのビルの最上階は柱1つない空間となっていた。全面をガラスで覆われたこの空間にあるものはといえばわずかながらの応接セットのみであり、殺風景この上なかった。真四角の大きな木のテーブルを囲むように4つの1人掛けソファが色も種類もバラバラに並び、そのテーブルの上にはファイルやら書類が乱雑に山のように積み上げられているだけなのだ。だだっ広い空間のど真ん中にあるそのソファとテーブルの周りには誰もいない。いるのは南に面した天井から床まであるガラス窓から外の景色を眺めている背中までの黒髪をうなじの辺りで縛っている男と、そこから5メートルほど離れた位置に座って居眠りをしている短い金色の髪をした男のみであった。その男は髪を染めているのではなく、元から鮮やかな金髪をしていた。閉じていてもわかる切れ長の目にすらっとした鼻筋からして外人であると一目で判断できよう。紫のシャツに黒いパンツを履いた長髪の男はジッと目の前に広がるビルの林を見ているのみで何をしているわけでもない。後ろ手に組んだ手も爪が綺麗に手入れされており、この人物の性格を見事にあらわしていた。


「帰ってきたぞ」


外人ながら流暢な日本語でそう言った男の目は閉じられたままである。緑色のTシャツから見える右腕は筋肉が張っており、かなり鍛え上げられていることがわかる。対してその左腕の異様さはなんだ。ツヤの無いメタリックなその腕は肘から下が機械仕掛けの義手であることがありありとわかる状態となっていた。手の部分こそ人間のそれを形作っており、指も全ての間接が動くように完璧に作られている。だが正常なのはそこだけで手首から肘までは異様な形状をしていた。手首を頂点に肘へ三角に伸びた板のようなものが真横に2つ付いており、基本的な腕の部分はまるで螺旋を描くまるでドリルのような形をしている。さらに細かく見ればでこぼこが不規則にいくつも並んでいるのだ。あえて義手を隠そうともしないこの外人こそ、秋田が『ゼット』と呼んだ要注意人物である。そして秋田が同じく『信用ならない』と言った男こそ、ゼットの言葉にドアのある方向へと頭を向けた長髪の人物であった。ゼットの言葉どおりドアが開き、そこから2人の男が入ってくる。


「渋谷で2人、新宿で5人・・・ヤってきた」


まるでモップにくせをつけたような金髪のパーマは明らかに変な髪形だ。だがこれこそが一番自分に似合っていると思っているこの長身の男は確固たるポリシーをもっているため、この髪型を小馬鹿にして無傷だったのはゼットだけだった。身の丈190センチはある長身だが、かなり痩せているためにさらに背が高く見える。


「上野方面は1チーム潰しておいた・・・『ミレニアム』は相変わらずだけどね」


パーマの男に続いて入ってきたのは見るからに中学生か高校生とおぼしき少年だった。ガムを噛みながら風船を作り、それをつぶしてはまた膨らませるといった動作を延々と繰り返している。青いニット帽を深くかぶり、今や貴重品ともいえるカセットテープの入ったウォークマンを大音量で聞いているのも特徴か。


「ご苦労さん・・・今おいしい飲み物を用意させましょう」


長髪の男はにこやかにそう言うと携帯電話でどこかへと電話を掛け始める。そんな長髪の男を無視してソファに腰掛けた2人を見たゼットは小さく喉を鳴らして笑うと、おもむろに立ち上がって懐から1枚の写真を取り出した。それを左手に持ち替えるとソファに座る2人の前にあるテーブルの方へと向ける。次の瞬間、なんとワイヤーで接続された手首から先が射出され、手は写真を持ったままテーブルの上にあるファイルを直撃した。乱雑だったファイルや書類がその衝撃で吹き飛ぶ中、そのまま機械的な音と共に手の平が開くと写真だけを残して手首はゼットの下へと戻ってくると完璧なまでに手首と合体したのだった。ワイヤーが絡むことも無ければ手首がずれることもなく元通りに。


「この女、誰?」


危険な目とまではいかないが、いきなりすぐ目の前に手を飛ばされても平然としているパーマの男が写真を手に取ってそう言った。ニット帽の少年は全く興味がないのかウォークマンを聞きながら目を閉じている。



「『次世代の王を生む聖母』ってところですね」


電話を終えた長髪の男が相変わらず外の景色を見たままそう答えた。


「聖母?」

「福山氏が我らに秘密で推し進めている新たな計画の鍵、といったところかな」

「鍵・・・ねぇ」


説明を受けながらももう飽きたのか、写真をヒラヒラしながら小さくため息をつくパーマの男はソファに体重をかけて座るとさもつまらなさそうに天井を見やった。


「D、これは重要な事なんだ・・・・Xiザイもちゃんと聞いて欲しい事なんだが」


Dと呼ばれたパーマの男はそう言われて再度写真を目にした。そこに写っているのは女性、しかも二十代半ばとおぼしき美女だ。ショートカットが似合う薄化粧が特徴か。


「Xi、見る?」


Dのその言葉に小さく首を横に振ったXiは音楽にノッているのかリズミカルな動きで常に足が動いていた。そんな2人の様子を見てやれやれという苦笑を漏らした長髪の男はドアをノックする音にそちらを見やった。


「失礼します」


震える声でそう言って入ってきたのはまっ茶色したショートカットの少女であった。かなりの美少女でタレントとしてもやっていけそうな顔立ちだ。だが、その姿は異様であった。全裸に黒い首輪をされ、廊下の奥まで続く長く太い鎖で繋がれているのだ。スタイルも良く、年齢に似合わず発達したバストや綺麗な曲線を描く腰つきなど、顔と体のアンバランスさがいやらしさを倍増させていた。緊張からか、はたまた恐怖からか震える手でゆっくりとトレイに乗せたアイスコーヒーをテーブルの上に置いていく。つい先程ゼットが机の上を吹き飛ばして掃除してくれたおかげで障害物がなく、置きやすいのが救いかもしれない。


「あんた新入り?どこの子?」

「渋谷で拾った家出娘だ・・・ウリをしているところを連れてきた」

「なぁんだ、じゃぁ優香ちゃんの後任かよ」


長髪の男の説明を受けたDは舌なめずりしながら少女の顔からつま先までを品定めするかのように見つめつづけた。そしてコーヒーを置いた少女を自分の方へと引き寄せると片手で軽々と少女を持ち上げるようにして自分の膝の上に乗せた。脅えきった少女は止めて下さいと小さな声を震わせながら訴えるが、Dは無視してそっと耳元に息をふきかける。


「優香ちゃんはね、タレントの卵だったんだけど、事務所に食い物にされてあっさり捨てられたんだ。んで俺たちが拾って飼ってやってたんだけど、逃げようとしたから殺しちゃったんだよ。君はそうならないようにねぇ」


恐怖を植え付けるためか恐ろしいことを甘えた声で言うDの言葉によって恐怖が頂点に達した少女はつい3日前に両親とささいな事でケンカし、軽々しく家出したことを今更ながらに後悔していた。周りもそうだったが、何か気にいらなければダルイ、ウザイを連呼して何もせず、親ともめれば即家出が常識だった。だが、その結果がこれだ。


「ゼロ、この子さぁ、オレのペットにしていいっしょ?最高に好みなんだよなぁ」


ゼロと呼ばれた長髪の男は小さくうなずいただけで景色から目を離さない。


「俺もペット欲しいよ」


ようやく興味のある話題になったのか、ウォークマンを外したXiは少女が持ってきたコーヒーを一口飲んだ。すでに少女はDのおもちゃにされはじめている。それを横目に立ち上がったXiはコーヒーを持ったままゼロの横に立った。


「あの子のはともかく、Dの汚い裸は見たくないから、今から探してきていい?」


汚いと言われたDはこれみよがしに下着ごとズボンを脱ぎ去ってからニヤリと笑ってXiを見た。そんなDに深々とため息をついたXiはゼロからの返事も待たずにコップを持ったままドアの方へと歩き始めた。


「今までどおり小生意気な家出娘にしろよ・・・福山たちに感付かれたらやっかいだ。今はまだその時じゃないからね」

「はいはい」


気だるそうにそう言うと、Xiはさっさと部屋を出て行ってしまった。


「さて、俺も出てくるか」


そう言って立ち上がると、ゼットは欲望を全開にしているDを見て、苦笑してから部屋を後にした。残されたゼロはチラッとDを見て、見る者全てを凍らせる凄惨な笑みを浮かべてみせた。


「ペットは1人につき何匹いてもいいな・・・いずれはこの国は俺たち『アーク』のものになるのだから」

「んじゃぁさ、赤瀬未来はオレにちょうだい!」


強引に奪った少女の唇から自身の口を離してそう言うDに小さな苦笑を見せたゼロは考えておくと言い残して部屋を後にした。残された少女は悲痛な表情をしてみせたが助けは来ない。声も出せずに絶望感だけが増していく中、Dの欲望を受け止めるしかない今の現状にただただ泣くことしかできなかった。


ダメージが抜けきれずにフラフラの光二は哲生が自宅まで送り届ける事となり、それなりにダメージを受けたにも関わらず平気な様子の周人は道着の入ったカバンをバイクの後ろにくくりつけてからヘルメットをかぶった。もはや真夏の日差しとなっている太陽はフルフェイスのヘルメットにはかなりきつい。だがここから目的地まではそう遠くないため、周人はエンジンをかけるとなるべく日影が多い道路を選んでバイクを飛ばした。今の時刻は夕方5時。道路が混んでいると仮定してもバイクと徒歩で目的地には5時半には到着するだろう。そして予想通りの時間である5時35分に目的地であるレストランの前に立った周人は相変わらず大盛況なこの店に小さな笑みを見せた。入り口をくぐればボーイが礼をして出迎えてくれ、空いている席へと案内してくれた。自分よりも一回りは若いであろうボーイに先導されながらきょろきょろする周人だったが、意外にも入り口から近いカウンター席へと案内された。大盛況とはいえ、満席まで時間的にまだ余裕がある。にもかかわらず誰もいないカウンター席へと案内されたのは1人で来たからなのか。それでも案内された席に黙って座った周人はリーズナブルな値段ながらなかなか豪華で美味しいAセットをオーダーした。お手拭で手を拭きながらひんやりとしたその感覚を楽しんでいると、真後ろから野太い声と共にシャンペンがドカッと置かれた。


「最近こねぇと思ったら、人が忘れた頃に来やがる」

「あら・・・いたの?」


その声の主が誰だかわかっている周人は振り返る事もしないで置かれたシャンペンを見つめた。見るからに高そうなそのシャンペンは誰のお金で飲むのかを心配しつつ、前を見たまま隣の椅子を差し出した。


「いるさ・・・俺はいつもこの店だ」

「この間4号店、西桜花中央店には行ったんだぜ?」


椅子が小さく見える巨体を動かし、周人の横に座ったのは金髪を短く刈り込んだヘアースタイルの男だった。だが、その風貌に似合わず窮屈そうな蝶ネクタイも様になっているのはどこかこっけいだ。


「普通オーナーは本店にいるもんだ」


言いながら無造作にシャンペンを開けるこのレストラン『ミレニアム』のオーナー千早茂樹は今やこの業界では有名人だ。暴走族の元リーダーだった茂樹が始めたこの『ミレニアム』は今やこの桜ノ宮本店以外に三店舗、4号店まで持つ大型チェーン店となり、妥協を許さない経営方針は他店でも取り入れられているほどだ。


「それはそうとして・・・このシャンペンは店持ちだろうな?」

「お前・・・大企業の役職付きがセコイ事言うんじゃねぇよ・・・」


すでにグラスに注がれたシャンペンは2つ。つまりは周人と茂樹の物だ。


「勝手に持ってきておいてそりゃねえだろ・・・」


うんざりしたような口調でそう言った周人は肘をついた手にあごを乗せると疲れた表情まで付けてみせる。そんな周人を無視してグラスを置くとにんまりしながらもどこか照れた笑顔を見せた。


「まぁ、理由わけを聞いたらおごりたくなる」

「ホントかよ・・・」

「あぁ、俺よぉ、結婚するわ」

「へぇ~、そう・・・・・・・って、け、結婚?お前が?いつ?誰と?って彼女いたのかよ!」


他の客の注目を集めながらもそれどころではない周人は一気にそうまくし立てた後、自分を制する茂樹からの答えを待った。珍しく、というか今まで見せた事のない真っ赤に照れた顔をする茂樹はシャンペンが泡立つグラスを見つめながらゆっくりと話を始めた。


「実は2年前に知り合ってな・・・そこから清く正しい交際をしてきた。んでつい先月プロポーズして、ま、OKもらったんだわ」


そう言いながら胸ポケットから写真を取り出す。とびっきりの笑顔からは愛情があふれ出ているとわかるその写真の女性は若く、そしてかなりの美人だった。聞けば元モデル兼タレントで、この店にローカル番組の取材に来た際に親密になったという。それでも茂樹にしてみれば取材の際の社交辞令的なものだと思っていたところ、本気で彼女はこの店を気に入ってくれたようでちょくちょく顔を出してくれたのだ。そして交際が始まり、あまり売れなかった彼女はタレントを辞め、今では『ミレニアム』でマネージャーをしているというのだ。


「じゃぁ、彼女、今ここにいるのか?」

「ん?ん~、今日はいない・・・3号店だ」

「そうか、そりゃ残念」


茂樹も紹介したかったのか、やや残念そうにそう言ったために周人も言葉どおり残念さを口にしたのだ。


「今度予約して来るから、その時は紹介してくれ」

「あぁ、必ずな!」


その周人の言葉にかなり嬉しそうな茂樹はグラスを持って乾杯をした。周人もこの強引とも言える祝杯に満足し、2人のことをあれこれ質問した。茂樹は照れながらも嬉しそうに答え、周人が食事している間ものろけ話も含めた話をしてくれたのだった。


「でもさ、その身なりで・・・相手のご両親にいい印象与えられるのか?」


言われてみれば確かにそうだ。短く刈り込んだ金髪にピアス、巨体はどう見てもヤクザだ。中身は人情味溢れる性格をしているが、第一印象はルックスで決まると言っても過言ではない。


「彼女には母親しかいねぇんだ・・・その母親もちょくちょく店に来てくれてる。何度か彼女の家にも行ったし、結婚にゃぁ賛成してくれたよ」


照れながらもそう言った茂樹に心からおめでとうを言った周人はあの暴れん坊で強かった茂樹が結婚というだけで何故か泣きそうになるぐらい嬉しさが溢れてきていた。共に敵として出会い、戦い、そして『キング』との決戦の時には二百人からなる『キング』の部下をこの茂樹率いる『ミレニアム』が迎撃してくれたのだ。彼らの、いや、茂樹の援護がなければ『キング』に勝つどころか満足に戦うことすらできなかっただろう。そしてこの桜町での思わぬ再会。ここでもまたレストランを経営する茂樹には世話になっている。


「おめでとう、本当におめでとう」

「ありがとよ」


そう言って2度目の乾杯をする2人の間に、かつて敵同士だった関係はもう微塵もなかった。


「で、オメーはどうすんだ?結婚はよぉ」


何故かオーナーであるはずの茂樹はさっきまで着ていた制服を私服に着替え、周人と同じAセットを頬張っていた。気が付けばシャンペンも2本目であり、混んできた店にもかかわらずカウンター席の一角を占領している形となってしまっている。


「え?あぁ・・・まぁ前向きに善処中ってことで・・・」

「なんでぇ、歯切れが悪いな」


そう言われて自分でもそう思う周人は苦笑しながら一口サイズに切られているステーキを口へと運ぶ。硬さも程よく、味も焼き具合も抜群だ。オーナーである茂樹が連れてきた料理長は超一流ながらそれを振りかざすことなくお客第一の精神でこの店のために腕をふるっているプロ中のプロだ。そんな料理長が作った料理だけに、周人はやはりミレニアムはこの本店が一番美味しいと思っていた。


「まぁ、オメーにゃ複雑な事情もあるだろう。が、こういうのはしっかり考えて答えを出さないとな」

「そうだな・・・・まぁ、結婚はするさ、必ずね」


これまたやや歯切れの悪い返事だったが、茂樹はそれ以上何も言わなかった。そして周人が何を思ってそう言ったのか、わかるような気もしていた。


夜の新宿は平日週末問わず人が多い。特に今日のような土曜の夜ともなればその人の多さはグンと跳ね上がり、街を行き交う人たちはおろか店に入る客もハンパな数ではなかった。道端では中学生とおぼしき少女が座り込んで話をし、それに声をかけるサラリーマンがいる。チンピラ風の若者が群れをなし、大声で話しながら笑う。濃い化粧をした若い女性が呼子をしてあやしげな店に誘う。これがこの街の普通だった。


「す、凄いですね・・・東京って」


そんな様子に目を丸くする黒いTシャツにジーンズといったこの街にふさわしくない服装をした女性が隣を歩く背の高い連れの男性に声をかけるが反応は全くない。だが、この男性の性格をよく知っている女性は返事を期待してそう言ったわけではない。自然と口から出た言葉なのだ。


「予約したホテルはそこだったな」


普段から無口で無愛想ながら料理の腕前は超一流のこの長身の男性は人目を引いたが、そんな周囲の目など気にならないのか黙々と歩きつづける。見えてきた大通りの角にある白い壁のビジネスホテルは全国に展開する規模をもったホテルであり、かなり信用性の高いホテルでもあった。波島という沖縄のさらに南に位置するリゾート地からはるばるこの東京の新宿までやってきた2人だったが、長身の男性は都会の夜に興味がないのか空港から寄り道もせずにただ目的地であるこのホテルを目指して来たのみだった。対して横に並んで歩く女性は見るもの全てに一喜一憂し、ふらふらした足取りであちこち立ち寄ろうとしては男性に置いていかれそうになってあわてて後を追うといった行動を繰り返していた。


「黒崎さんって・・・東京に来たことあるんですか?」


目的地が近いせいか、ようやく真横に並んで歩き出した女性は隣を歩く長身の男性にして波島にただ1つしかないグランドホテルのレストランの副料理長たる黒崎星くろさきせいにそう問い掛けた。


「昔、東京に住んでた、もうずいぶん昔の事だ」


相変わらず愛想の無い返事だったが、女性にすれば十分な答えだった。


「へぇ!凄いですねぇ、東京に住んでたなんて・・・私は島しか知らないから」


嬉々として言った後、かなり落ち込む女性にさすがの星も苦笑が漏れる。


「凄いなぁ・・・紫杏しあんさんも昔N県に住んでたっていうし」

「東京なんかより、波島の方がいいところだ」


男の長髪が流行りの中、耳が隠れる程度の髪を揺らしながら歩く星の言葉にきょとんとした様子の女性はそうは思えずに芝居がかった感じで首をひねった。


「今にわかるさ。神島かみしまさんもこの街の恐さを知ればね」


意味ありげな言葉と共に少し歩く速度を上げた星は追いすがる連れの女性、神島千絵を無視してさっさとホテルの正面玄関をくぐっていった。さすがにこうされては寄り道はおろか余所見もできず、千絵は小走りにしながら自分の荷物も持ってくれている星の後を追うのだった。


「へぇ・・・あれが『渋谷の狼』か、いい男じゃない」


短いデニムのスカートに水色のキャミソール姿をしたショートカットの美女がせいを見てそうつぶやく。薄い化粧ながら彼女の美しさが際立つのは元の顔立ちがいいからに他ならない。現に通り過ぎる男たちの視線を集めて止まないほどだ。やや小柄な背丈だが、タレントとしても十分やっていけるであろう女性は小さく微笑むと自分のそばに寄って来た若い男を見上げた。


「1人?俺らとどっか行かない?」


流行なのかよく見る長髪にピアス、そして清潔感を損なうあごひげを生やした二十歳前後の男が角の方で手を振る仲間とおぼしき4人組を指差しながら女性にそう言った。


「目障りだから消えて」


そっけない口調でそうとだけ言った女性はホテルに背を向ける感じでナンパしてきた男を無視して歩き始めた。さすがにその言葉と態度に頭にきた男は女性の腕を掴むと自分の方へと引き寄せる。


「あ?何その態度・・・お仕置きいるんじゃねぇ?」


今風な独特のアクセントが気に入らない女性は男を睨むようにして見上げると右手でなにやら合図のような仕草を取った。その瞬間、男は突然アスファルトの上に崩れ落ちた。いや、ナンパした男だけではない、その仲間の男たちもほぼ同時に倒れてしまい、そのまま意識を失った。周囲の人は何が起こったのかわからずにただ通り過ぎながら好奇な目で男を見るだけの無関心に近い状態だ。こういう時、東京という街は便利だと思う女性は男たちが立っていた方向とは逆の角に立つサングラスの男に片手を上げて合図してみせた。男はその合図を見て恭しく頭を下げると一瞬の内に人ごみの中に消え去った。


「この私に色気を出したい気持ちはわかるけど・・・私は既に妊娠中よ」


気を失って足元に倒れているナンパ男にそう言葉を投げると女性は男の頭を蹴りつけた。そのまま鼻でフフンと笑うとホテルを背にしたまま歩き始めたその女性こそ、昼間ゼットが投げつけた写真の女性である事を知っている者は今のこの街にはいなかった。


周人がミレニアムを後にしたのは午後9時を前にした時間だった。3時間半も茂樹と語り、少なからず酔いが回っている。それでもバイクを飛ばして帰った周人は翌日の由衣とのデートの待ち合わせ時間を確認すべく電話しようとしたが、今日は会社の飲み会と聞いていたためにメールに切り替えるのだった。


由衣のスマホが軽快なメロディを奏で出すが、話し声やらガヤガヤうるさい周囲のせいでカバンの中にあるその音が由衣の耳まで届かない。今日は若手ばかりを集めた由衣が勤める桜坂銀行桜町支店のメンバーによる飲み会である。基本的に土曜日は休みなのだが、今日はいろいろあって支店長である浦安和幸の命令で全員が強制的に出社させられたのだ。上司として、また支店長としては無能な浦安だが、世渡りは上手かった。本部長に気に入られているせいもあり、多少の成績悪化では降格にもならないことを知っている浦安は口は動くが手は動かない。実務は有能な主任である田村隆弘が行っているおかげで成績が落ちていないだけなのだ。従業員は皆それを知っているため、今日こうして上司の悪口を言いあってストレスを発散させようということになったのだ。桜ノ宮駅から北に行けば大きな飲み屋街がある。そこにあるおしゃれな居酒屋で浦安の悪口を話しているメンバーは由衣を含めた窓口を担当している三人と、中で業務を行っている七人の計十名である。


「あいつのセクハラだけでも頭にくるんだ!なのに体臭はキツイわ、口臭もくさいわでもうサイアク!」


さっきからそう悪口を言ってはビールを仰いでいるのは融資の業務を主にしている新村成海にいむらなるみだ。3年前までは窓口業務をしていたのだが、支店長である浦安に反抗したために一番しんどい部署である融資の担当に回されたのだ。しかも浦安の狙いはそれだけではない。大型小型の融資に関わらず常に支店長である浦安の判断を仰がなくてならない成海の立場ははっきり言って浦安の秘書同然だった。だからこそ一番ストレスが溜まっているといえよう。


「しかもさ、あいつ事あるごとに『オレの女にならないか?』て・・・キショイんだよ!トドみたいな嫁とちちくりあってろっつーの!」


成海の言葉に十名中七名いる女性社員が一斉にうなずいた。浦安のセクハラ行為は言葉だけにとどまらず、お尻を触ることなど日常茶飯事、ヘタをすれば偶然を装って抱きついてくる始末だ。そして今、浦安のセクハラのターゲットは由衣と成海に絞られつつあった。成海には不倫の関係を迫り、由衣には痴漢にも似たセクハラ行為を行っているのだ。


「でもさ、吾妻さん、大変ね・・・毎日何回触られてる?」


そう心配そうにたずねてきたのは入社3年目の富山美子とやまよしこだ。


「1日平均4回、過去最高は7回」


ビールを口にしながら淡々とそう告げる由衣は辞める時は絶対蹴り飛ばしてやると誓っていた。だがそれはいつの日になるやらであるが。


「俺、やっぱ言ってみるよ、本部長にさ。でなきゃこのまま行ったらみんなボロボロだろ?」


そう言いながらもどこか頼りなさげに見える隆弘に期待をしていない女性メンバーをよそに、隣に座っている成海はわざとらしい動きで隆弘の腕に手をからめるとここぞとばかりに甘い声を出した。


「えぇ~!マジですか?それ、すごく助かりますぅ!」


もはや見慣れた光景に一同は無言となり、一斉に飲み物を口にした。


「あ、うん、今度隙を見て、ね」


こりゃ言いそうにないなと心の中で思う成海だが、嬉しそうにしながら掴んだ腕を胸に押し付けることを忘れない。


「目ざといんだよ・・・」


少々酔ってきた由衣は成海に聞こえないようにビールを口にしながらそうつぶやいた。とはいえ、隆弘は仕事の出来る人間だった。たしかに少々気の弱いところもあるが、仕事に関してはずば抜けている。言い換えれば『強くない周人』といった感じで優しくもあり、どこか頼りなさげでもあるのだ。そういった感じで宴会も進み、時間が経つにつれて席もまちまちとなってしまった。成海も今や同期の坂崎健太に絡んでおり、美子も1年後輩の山本清美と話しこんでいる。入社2年目の由衣は少し飲みすぎた自分をセーブする感じでソフトドリンクを飲みながら食べる方に重点を置いていた。


「酔ったのかい?」


枝豆をちびちび食べていた由衣は不意にそう声をかけられてあわてたせいか、枝豆を1つ落としてしまった。その落ちた枝豆を拾い上げ、皮を捨ててある皿の上にそれを乗せた隆弘は申し訳なさそうに頭を掻きながら由衣の横に座った。


「ちょっと酔った程度です。最近は結構強くなりましたから」


そう言うとほんのり頬の赤くなった表情を和らげて笑顔を見せる由衣に、隆弘は酔いからではない火照りを顔に感じていた。手にしていた青りんごの酎ハイが入った自分のグラスを由衣のグラスの横に置いて枝豆を口に入れる。しばらく言葉もない状態で枝豆をつつきあう2人だが、そう冷たい空気が流れているわけでもなかった。


「すまないと思ってる・・・あの人を抑えられない自分が情けないよ」


あと残り3つほどとなってしまった枝豆の乗った皿を見つめながら隆弘はポツリとそうつぶやいた。今、隆弘が言った『あの人』が浦安を指している事はすぐにわかった由衣は小さく苦笑じみた笑顔を見せると残った枝豆を全て口の中に放り込んだ。


「仕方ないっていうか・・・まぁ、私たちも立ち上がれば少しは変わるんでしょうけど、あの人世渡り上手だから」


外見に違わぬ可愛らしい声でそう言う由衣は隆弘を慰めるような笑顔を見せた。少し収まっていた顔の火照りが再燃し、さらにはそう酔っていないのに顔が赤くなる。生まれてからの三十一年間で片思いが2回、付き合った女性の数はわずかに1人の隆弘が、今現在密かに好意を寄せている由衣をすぐ横に置いてのこの反応は仕方がないと言えよう。由衣が入社したのは2年前の4月、男女2人しか入ってこなかった年の新人であり、ひときわ目立つ美人の由衣は数少ない男性社員の心を一瞬にして掴んだのだ。それは隆弘も同じであり、由衣に彼氏がいると聞いてそれは当然と思いつつも落ち込んだものだった。だからといって彼氏から由衣を奪おうとも思えず、密かな恋心を抱いたままずるずると2年近くも経ってしまっていた。由衣にしてみれば頼りない部分もあるのだが仕事のできる上司として尊敬し、また塾の講師時代の周人を思い出させるせいか仲は良かった。だが由衣は隆弘の好意になど全く気付いていないため、会社を出れば友達感覚の付き合いをしているのも隆弘が想いを抱えつづけている原因の1つかもしれない。


「CM、周囲の反応はどう?」

「・・・出なきゃよかったって思うぐらいに反応良すぎ」

「彼氏もかい?」

「彼氏は・・・私に対してはイマイチ反応なかったけど、こっそりパソコンで編集したDVDにしてるのは知ってます」

「そうか、まぁあの出来なら納得だよ」


そう誉められているのに何故か表情を曇らせた由衣は隆弘に気付かれないように小さな小さなため息をついた。CMというのは地元桜町のローカルTV局に対しての銀行のCMであり、普通はタレントを起用するのだが予算の都合上各支店から女性社員を2人ずつ書類で選考し、その中から本部が1人を選出したのだ。桜坂銀行は桜町を含めた5つの町に展開する地元のみの銀行であり、桜町に支店は1つしかない。あとは小さな出張所程度のものがいくつかあるが、桜町の代表しては由衣と成海が選出されていた。しかもそれは支店長である浦安の独断であり、内部には何の告知もしなかったのだ。結局選考された中でも一番美人の由衣が選ばれ、戸惑う本人をよそに撮影は開始、昨年秋から放送されていたのだった。まだ地域限定なだけ我慢できると出演した由衣だったが、このネットワーク社会を甘く見ていたのも事実だ。由衣の可愛さに周人同様CMをパソコンに取り込み、インターネットで配信した者がおり、密かに由衣は全国的に有名になりつつあった。


「出来がどうとかじゃなくって・・・ああいうの、好きじゃないから」

「でもおかげでお客も増えたし・・・会社としては利益あったけど」


確かにそうだった。若い男性が由衣を見ようと通帳を作ったりして顧客の数は大きく跳ね上がった。CMの効果としては大成功と言える。


「第二弾が企画中って話だったけど、今度は絶対断ります!」


きっぱりそう言ってジュースを一気飲みした由衣はジッと自分を見つめている視線に気付いてそちらへと顔を前に向けた。


「じゃ、今度は私が出るわ」

「そうしてください」


肘をついた手にあごを乗せて小さく笑いながらそう言った成海に対し、実にそっけない返事を返した由衣は通りかかった店員にオレンジジュースのおかわりを頼んでいたために一瞬鋭くなった成海の目つきには気付かない。


「でもさ、有名になりたいもんじゃないの?普通なら大喜びだよ」


明らかに嫉妬がからんだ言い方をする成海だが、由衣は大きなため息をついてすぐ横に置いてある焼き鳥に手を伸ばした。


「興味ないんです、全く」

「エメラルドのモデルしてたのに?」

「あれはバイトですから」


どうやら本心から嫌がっているようだと判断した成海はそれ以上何も言わなくなった。隆弘も話を聞くだけでその事が理解できたためにこの話題を変えようと前から気になっていたことを口にした。


「興味があるのは彼氏のことだけってね・・・・結婚はしないの?」


何故かドキドキ高鳴る胸の鼓動を抑えつつそうたずねる。由衣は全く表情を変えずに運ばれてきたジュースを受け取るとコップにその愛らしい口を近づけた。


「したいと思ってますよ、ここんところはずっと」

「その言い方からして、彼氏にその意思がないのかい?」


歯切れの悪い由衣の言葉に対して隆弘はそうこぼした。自分が由衣の彼氏ならば悪い虫がつかないようにずっと一緒にいたいと即結婚を申し込みたいほどだ。今の由衣の話っぷりからして由衣は結婚したいが彼氏にその意志がないのは明白だ。だが一応確認を取ってみることにする。


「彼氏は、結婚したくないのかな?」


何故か緊張した口調でそう言う隆弘に対して心の奥底で嫉妬心が大きくなっていく成海は明らかに不機嫌そうな顔をしながら由衣の返事を待つ。


「そうじゃないみたいですけどね、一応結婚の意志はあるんですよ。でも・・・何か問題があるっぽいっていうか・・・悩んでるっていうか」

「マザコンなんじゃない?」

「それはない」


成海の横やりすらきっぱりとそう否定する由衣の言葉から、全ては彼の中だけの問題だと悟った隆弘はグラスの中の酎ハイを飲み干すと神妙な顔つきで何かを考え始めた。もし、彼氏が結婚の意志を示さずに別れ話にでもなればしめたものだと邪な心を抱いたのだが、どうやらそれはなさそうだ。


「なんとなく、原因はわかってるんですけどね・・・・・」


そう言ったきり黙りこんでしまった由衣は、ここ最近の周人の様子がおかしいことに気付いていた。もちろん自分から結婚を迫った事は無い。以前であればデパートの家具コーナーに行った際にはいつかはこういうのを買ってどういう家に置いてと仮想の話に華を咲かせたものだった。それに周人からも結婚に対する意思は感じていた。だが、最近の周人はわざとそういう話題を避けていた。そしてその原因が結婚というものを真剣に考え始めた結果だという事もわかっている。もっと深く言えば何かに戸惑っているような気がしていた。


「話してくれればいいのにね」


ポツリとつぶやく由衣の寂しそうな横顔を見てしまった隆弘は何かあれば相談に乗るよと声をかけるのが精一杯であり、そんな隆弘を寂しい目で見つめる成海は視線を落とす事しか出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ