チューリップはよく動く ―1―
「さっきの咲ちゃんの顔ったら……」
斜め隣の席で、花音はクスクスと声を上げて笑う。
「もう、やめて下さい」
咲はケーキを頬張る手を止め、花音を睨んだ。
今は喫茶店を辞去し、アトリエ花音に戻ったところである。
「私、本当に虫はダメなんです」
さっき食べそびれたケーキと紅茶をおかずに、花音との会話を楽しんでいた。
「あんなに可愛いのに虫を食べてるところ想像したら、急に怖くなっちゃって」
「わかる。僕もその系統だから」
そう言って花音はとても優雅な仕草で紅茶を飲む。ついつい見惚れていたら、目が合った。
「……そういえば、悠太さんがずっと厨房にいたって、なんでわかったんですか?」
咲はバツが悪くなり、誤魔化すように尋ねた。
「チューリップだよ」
花音はティーカップをソーサーに戻し、こともなげに答えた。
「チューリップ?」
うん、と花音がうなずく。それから、その瞳に怪しい光を宿し、「ここだけの話なんだけど……」と咲の耳に口を寄せた。
花音のフローラル系の香りが鼻をくすぐり、咲はドキドキしながら、耳を傾けた。
「実はチューリップって動くんだ」と花音が怪しげな声で囁いた。
「……チューリップが、動く?」
驚いて花音を見ると、すぐ鼻先に彼の顔があり、それでまた驚いて椅子ごと離れる。
――びっくりした。
咲は胸の動悸と顔のほてりを治めようと、顔を押さえたまま、うつむいた。
「あれ、怖い話ダメだった?」
そんな咲の様子を、花音は怖がっていると勘違いしたようだ。
「まぁ、怖い話ではないんだけど」と花音は明るい声で続けた。
「咲ちゃんは、お花は土から離れると、死んじゃうって思ってない?」
「……思ってます」
「でも、実際は生きているんだ。枯れるその時まで、息をして生きてる――なんなら、枯れたあとだって、種を残して、新しい命を繋いでる」
「すごい生命力ですね……」
咲は感心した。
「そうだよね。お花って、すごいよね――だから僕は、お花が土から離れたあとも、出来るだけ長く、綺麗に生きられるよう、手助けをしてるんだ」
「素敵な考えですね」
咲の言葉に、花音は、いやぁ、とおどけてみせた。
「で、話を戻すと、チューリップは生きているから、光を求める」
「光を求める?」
うん、と花音はうなずいた。
「光屈性っていう性質なんだけど」
「光屈性……」
なんだか難しい言葉だ。
「有名なところだと、向日葵かな」
「向日葵?」
咲は首を傾げた。
「ほら、向日葵って、太陽を追いかけてクルクル動くでしょ」
そういえば、小学校の理科で習った気がする。
「それが、光屈性――いろんな植物が持ってる性質だけど、チューリップは特にそれが強くて、光を求めてグニャグニャ動くんだ」
「そうなんですか?」
「そうなの。朝に生けたお花が、夜には全然違うほうを向いてたりする」
暴れん坊なんだよね、と花音は肩をすくめた。
「で、悠太くんの喫茶店のチューリップは、全部、厨房を向いていた」
「あ、それで」
悠太の喫茶店で、花音がアレンジを見ていた理由が、ようやくわかった。
「だから、長い間、厨房にいたんだろうな、って想像できたんだ」
花音は推理の種明かしをして、ニッコリと笑った。
「……お花って、奥深いですね」
花音の話を聞いて、つくづくそう思った。今までなんとなく眺めていた花の、ちょっとしたエピソードを知ることで、別の見方ができるのが面白い。
チューリップは、咲の中で、随分前に流行った『フラワーロック』のイメージに変わっていた――あれは、音に反応して動くのだけど。
「もっとお花について、知りたくなりました」
「お花だけ?」
「えっ?」
「僕は?」
花音が悪戯っぽい目を向ける。思いがけない言葉に咲の顔は真っ赤に染まった。
「な、なにを……」
「なーんてね」
答えに困って慌てる咲を、花音はクスクスと笑った。
「冗談だよ、冗談。咲ちゃんってば、かわいい」
――花音さんは意外に意地悪だ。
咲はプクッと頬を膨らませた。
「まあまあ、そう怒らないで」
花音は笑いをこらえながら、咲をなだめた。
「――でも、お花のこと知りたいってことは、生徒さんになってくれるってことなんでしょ?」
嬉しそうに尋ねる。
「お願いしますって言いたいところなんですけど……」
咲は口ごもった。
「言いたいところなんですけど?」
花音が首を傾げ、その先を促す。
「ちょっとこれから、忙しくなりそうで」
「忙しくなる?」
「はい」
「お仕事?」
「えっと……」
「それとも、結婚?」
『結婚』という単語に、咲は小さく肩を動かした。そのままうつむき、黙りこくる。
その様子に、花音が小さくため息をついた。




