プロローグ
「咲さんに何かしたでしょ?」
悠太は、不機嫌そうな顔でコーヒーを啜るカウンター席の凛太郎に尋ねる。
「はぁ? 俺が?」
思わぬ濡れ衣に、凛太郎はキョトンとして悠太を見つめた。
「なんで俺が……そもそも、あいつとはこことエレベーターぐらいでしか顔を合わせない……」
そこまで言って、凛太郎はハタと気がついた。
「そういえば、あいつ、最近ここに来ていないんじゃないか?」
凛太郎の問いに、悠太は大きくうなずく。
「そうなんです。咲さん、最近、全然顔を出してくれなくて。しかも最後に来たとき、気になることを言っていたんです」
「気になること?」と凛太郎は片眉を上げた。
「はい――『引っ越そうかな』って。それはもう深刻な顔で。だから、凛太郎さんの嫌がらせが続いているのかと思って、聞いてみたんですけど……」
悠太はジトリと凛太郎を睨んだ。
「だから、俺じゃないって」
凛太郎はブンブンと手を振り、否定する。それから辺りを見渡し、「あいつじゃねーの」と後ろを親指で差し示した。
悠太がその指を辿ると、テーブルフラワーを生けている花音に行き当たる。
花音は話が聞こえていたのか、愕然とした表情を浮かべていた。
――絶対、何か心当たりがあるな。
「な、武雄っ」と声をかけると、花音はハッとして、視線をこちらへと向けた。
「ぼ、僕?」
聞き返した花音の目が忙しなく宙を泳ぐ。
「さ、さぁ、どうかな」とボソボソと呟き、花生けを再開した。しかし、動揺しているのは傍目からも明らかだ。
「……お前、何やってんの? それじゃあ生けられないじゃん」
ジニアを花首で切り落とした花音に、凛太郎は呆れた声を上げた。
*
「やっぱり最近、花音さんも変ですよね」
花音が去った店内で、悠太が首を捻った。
まぁな、と凛太郎はため息を吐く。店内のテーブルフラワーに目を向けると、明らかに花あしらいが乱れていた。
「遊園地で何かあったんですかね?」
「遊園地?」
「ほら、凛太郎さんに言ったじゃないですか――遊園地で花音さんとたまたま遭ったって」
へぇー、と凛太郎は口の端を歪めた。たまたまねぇ、と鼻で笑う。
「あのあとくらいから、二人とも様子が変なんですよ」
ふーん、と凛太郎は肘をつき、悠太を見つめた。
悠太は鈍感なように見えて、人の機微には驚くほど敏感だ。おそらく児童養護施設という、常に他人と生活を共にする環境の中で身につけた能力なのだろう。
集団の中のバランスを取ろうと周囲に気を配り、結果、ムードメーカー的存在になっている。ここ、華村ビルにおいても、悠太はそういう役割を果たしていた。
対して自分はその真逆だ。常に人との関係性を壊す存在だった。人間関係において、心安らぐような関係を築けたことがない。ただ一人『華村花音』を除けば。
「それで、そんとき何があった?」
「さぁ。僕がいたときは何にも――そのあとのことは別行動だったので、わかりませんけど……」
そうか、と凛太郎はコーヒーカップを指先で弾いた。
――つまり、別行動のときに何かあったわけだ。
まあ、二人っきりの時に何かあったのなら、大体の想像はつく。
「……僕」と悠太が思い詰めたような表情で凛太郎を見つめた。
「咲さんが居なくなるの、嫌です」
しょんぼりとうなだれる。
「花音さん、咲さんが来てからよく笑うようになりましたよね」
凛太郎に同意を求める。たしかにそうだ、と凛太郎もうなずいた。
以前の武雄は、いつも鹿爪らしい顔をしていて、ピリピリとした空気を纏っていた。それが咲が来てからは、その空気が柔らかくなり、どこか天然ボケな一面が垣間見えるようになった。
「僕、今の花音さんが好きなんです」
悠太は真っ直ぐに凛太郎を見つめ、告げる。
「すっごく穏やかな顔をしていて、毎日楽しそうにしている花音さんが……」
「お前……そっちの気があったのか……」
「は?」
凛太郎の言葉に、悠太がキョトンとした顔をする。凛太郎はニヤリと笑い、しなだれるようなポーズを取った。
「……いやいや、違いますよっ。そういう好きじゃなくて、人間的にってことで……」
凛太郎の意図に気づいた悠太が慌てて否定する。
「なーに、必死になってんだよ」
凛太郎は立ち上がり、ガシガシと悠太の頭を掻き回した。
もー、やめてくださいよ、と悠太が髪の毛を抑え、抵抗する。しかし、力では勝てず結局、いつもどおりなすがままだ。
「まぁ、心配するな。二人のことは俺が一肌脱いでやるから」
凛太郎は悪戯っ子のように笑い、喫茶店をあとにした。




