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華村花音の事件簿  作者: 川端睦月
水仙の誘惑

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22/92

元カノ ―1―


 華村ビルは新しめのマンションが立ち並ぶ住宅街の一角にある。

 東側には海があり、反対の西側に五分も歩けば商店街や病院など一通りの生活環境は整っている。


「寒(さむ)っ」


 三月初旬とはいえ、建物の間を吹き抜けてくる海風は冷たい。


『来週には桜の開花宣言が聞けそうですね』


 そうテレビで天気予報のお姉さんが曰(のたま)っていたが、今日の気温ではそんな春らしさはまるっきり感じられない。


 咲はトレンチコートの襟元をギュッと握り締めた。


 その目先に。


 歩道にしゃがみこむ人影を見つけた。咲より年上の髪の長い女性である。たぶん、三〇代前半くらいだろうか。


「大丈夫ですか?」


 咲は女性の元に駆け寄り、声をかけた。女性は血の気のない真っ青な顔をしていた。


 なのに顔を上げると、「大丈夫です。少し貧血を起こしただけですから」と笑顔を作り答えた。


「でも……」


 咲は女性の様子を窺う。


 道端にしゃがみ込んでいるのだから、絶対に大丈夫なわけがない。


 ふと目についたトートバッグにマタニティマークのキーホルダーを見つける。


「あの、もしかして、妊娠されているのでは……」


 咲の問いかけに女性は一瞬ためらい、それから、ええ、と頷いた。


 それなら、と咲は女性と同じようにしゃがみ込み、目線を合わせた。


「身体を冷やすのは赤ちゃんに良くありません。近くに知り合いの喫茶店がありますから、そこで休ませてもらいましょう」

「……喫茶店?」


 途端、女性は戸惑った表情を浮かべた。


「ええ。すぐそこにあるんです。喫茶カノンっていう……」

「喫茶カノン?」


 女性の表情が戸惑いから懐かしさに変わる。


「それって、華村ビルの一階の?」


 少し興奮気味に尋ねた。


「ええ、そうです」


 どうやら彼女は華村ビルを知っているらしい。もしかしたら目的地は華村ビルだったのかもしれない。


「私、そのビルに入居しているんです。田邊咲といいます」


 そのビルに住んでいると言ったら、安心するかもしれないと思い、咲は自己紹介をした。


「……田邊咲さん」

「はい」


 女性を安心させようと、できるだけの笑顔を浮かべる。


「だから、一緒に行きませんか?」


 やんわりと手を差し伸べる。


 女性は少し考えたあと、「ありがとうございます」と咲の手に自分の手を重ねた。すっかり冷え切っていて、指先が氷のように冷たい。


 咲は女性を支え、ゆっくりと立ち上がり、華村ビルへと向かった。


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