バレンタインの贈り物 ―2―
「――皇帝はバレンタイン司祭に改宗を求めたんだ」
「え、改宗?」
思いがけない展開に、咲はパチパチと目を瞬かせた。
どこをどうしたらそんな話になるのだろう、と首を捻る。
「実は、当時のローマ帝国ってローマ教が主流だったの」
「ローマ教?」
咲は耳にしたことがない宗教だ。
「そう。で、キリスト教は迫害を受けていた」
「キリスト教が迫害?」
今は世界中で信仰されているキリスト教が迫害を受けていた時期があったなんて。ちょっと信じられない。
「だから、司祭がローマ教に改宗さえすれば、勝手に結婚式を執り行えなくなるし、キリスト教信者も減るから、一石二鳥だと思ったんだね」
「一石二鳥……」
「けれどバレンタイン司祭は己の信仰を貫いて、改宗はしなかった」
花音の顔が僅かに曇る。
「強い信仰の持ち主だったんですね」
感心する咲に、花音は複雑な表情を浮かべた。
「そうだね。だけど、行き過ぎた信仰は身を滅ぼしてしまう」
「え?」
花音が口にした強い言葉に、咲は彼を見る。
「――バレンタイン司祭は二月一四日に処刑されるんだ」
「処刑……」
人助けの結果が処刑とは、なんて酷い仕打ちなんだろう、と咲は唖然とした。
「ただ、司祭に対して処刑というのは外聞がよくなくてね……だから、皇帝は二月一五日に行われるルペルカリア祭の『生贄』という形にして、処刑を行なったんだ」
「そんなっ」と咲はギュッと拳を握りしめた。
「生贄も処刑も言葉が違うだけで、同じことですよね。そんな外聞を気にするくらいなら、処刑なんてしなければいいのに」
その理不尽さに腹が立ち、つい声を荒げてしまう。
それに花音は驚いたように大きく目を見開き、それから嬉しそうに目を細めた。
「だけど、その意思が引き継がれて恋人たちが大っぴらに愛を語り合う日になった。バレンタイン司祭の努力も無駄ではなかったんだ」
そう言って花音は微笑む。
そんな花音の横顔を見つめ、そうですね、と咲は頷いた。
花音の意見はいつも前向きで、自分も見習わなければならないな、と思う。
「それにしても花音さんは歴史にも詳しいんですね」
「歴史、になるのかな?」
花音は首を傾げた。
「まぁ、でも、フラワーアレンジメントは西洋の文化に沿って発展してきたものだから、背景を知らないとトンチンカンなものが出来上がってしまうんだ」
「そういうものなんですか……」
「そういうものなの」
花音はしたり顔をする。
「で、お届け先の旦那さんはね、アメリカに赴任中らしくて。……それで向こうの習慣を知ったらしく、今回注文に至ったの」
「素敵ですね。私もそんなふうに花束を貰ってみたいです」
咲の言葉に、フフッと花音が小さく笑う。
「なんですか?」
怪訝そうに尋ねた咲に、「別に」と花音は答えて、「この辺りなんだけどな」と速度を落とした。
「あ、あれだ」
花音の視線がレンガ色の屋根に白い塗壁の一軒家を捉える。軒先には小綺麗に整えられた小さな庭が見えた。
「一応地図アプリで確認したときは、家の前に駐車場があるっぽかったんだけど……」と花音は独りごちる。
「あ、あったあった。良かった」
家の前、庭の横に二台分の駐車スペースがあった。車が一台止められていて、その隣が空いている。
花音はギアをバックに入れ、助手席へと手を回し、半身を捩った。
自然と花音との距離が狭まり、フローラル系のいい香りが鼻をくすぐる。目線のすぐ先には細い首が見え、その耳元から鎖骨へと浮き出る筋が、男らしい色気を感じさせた。
咲は目のやり場に困り、サイドミラーで後ろを確認しているフリをした。
「よしっと」
駐車を終えた花音は、ギアをパーキングに入れ、エンジンを切った。
それから、「じゃ、行こうか」と咲を促す。
「え?」
――私が行って、なんの役に立つのだろう?
疑問に思いながらも咲は車を降りた。
「咲ちゃん」と呼ばれ、運転席側に回ると、大きな円筒状のガラスの花器を渡された。
「ちょっと花束が大きすぎて、花器まで持てないから、お願いね」
そう言って、花音は後部座席から花束を取り出した。
濃いピンク色のバラとピンク系統の紫陽花で構成された花束は、花の種類こそ少ないものの、一つ一つの花が大きく、全体的にかなりのボリュームのある仕上がりになっている。
両手で胸の辺りに抱えた花束は、花音の顔にかかるくらいの大きさだ。
「すごく素敵ですね」
咲は思わず感嘆の声を上げた。いつかはこんな花束を貰ってみたいと憧憬の目で見つめる。
「ありがとう」
そんな咲を眺め、花音は嬉しそうに笑った。
「でも、バレンタインだからって張りきり過ぎちゃった。気が付いたら、こんなボリュームになってて。重くて、自由がきかないんだ」と肩を竦める。
「だから、咲ちゃんにはインターホン押してもらいたいの」
あ、インターホン要員ですね、と咲は納得した。
スロープを通り、レンガの敷かれたエントランスを抜けて玄関へと辿り着く。玄関ドア横の表札には『小峰』と刻まれていた。
花音の命に従い、インターホンのボタンを押す。
はい、と女性の声が返ってきた。




