8.戦場
茜は剣を手に、立ち尽くす。
初めて目の当たりにした戦場に、言葉も出なかった。
「魔族の襲撃だ。規模が大きい!至急、カラーズ全員出動しろ」
その命令を受けて駆けつけたとき。
数十体の魔族が村人に襲いかかっていた。
森は燃え、足元には血まみれの死体が転がり、悲鳴をあげながら村人たちが逃げ惑っている。
何より茜を凍り付かせたのは、魔族の姿だった。
半人半獣だと聞いていたから、獣に近い姿を想像していた。
しかし、彼らはあまりにも人に近かった。
それが鋭い爪を構え、牙を赤く染め、唸り声をあげながら襲いかかっていた。
意思も理性もなく血走った目で、闇雲に魔法を振るう。
野犬の群れなら見たことがある。
魔族は獲物を前にしたそれに近かった。
なのに、姿だけが、あまりにも人間だった。
手と口を赤く染めた人が、人を襲っている。
思わず吐き気が込み上げ、茜は口元を覆った。
儀式から三日。
彼女は“勇者”として、初めての戦に放り込まれた。
「茜」
背後から声がした。
ダンザは厳しい目つきで茜を見下ろしている。
「ぼさっとするな。剣を抜け」
淡々とした口調の奥に、怒りが滲んでいた。
茜は震える手で剣を引き抜いた。
刃が太陽を反射して、血のように赤く光る。
それを見て、ダンザはわずかに頷いた。
「突撃しろ!!」
その号令で、地獄が動き出す。
轟音。爆風。地面が抉れ、炎が弾けた。
茜は思わず耳を塞ぐ。
魔導士たちがダンザの指示で一斉に動く。
生きている村人を避難させる者。
森や建物に移った炎を鎮火する者。
そして、魔族と戦う者たち。
爆発音と光が各地で展開される。
(これが……“戦い”)
胸が軋んだ。
訓練で見た剣の軌跡も、書物で読んだ勇者の戦いも、
どれもこんな音や匂いをしていなかった。
「……くっ」
火の粉が頬を焼く。
前に出ようとするたび、足がすくむ。
敵の叫び。味方の悲鳴。
何が正しいのか、もう分からなかった。
「怯むな」
低い声が聞こえた。
炎の中から、黒い影が現れる。
ダンザだった。
土の魔法で地を割り、崩れた瓦礫を敵ごと押し潰す。
逃げる魔族を追って、地面から黒い腕が伸びた。
それは、まるで悪夢そのものだった。
仲間の魔導士たちが怯えて後ずさる。
「何をしている?命を惜しまず戦えと命じたはずだ」
ダンザの声が響く。
「覚悟ない魔導士など、必要ない」
容赦のない黒の視線が、魔導士を射抜いた。
その瞬間、弾かれるように魔導士たちが魔族へと向かっていく。
「……正義は結構ですけど」
冷たい声がその背後から降ってきた。采牙だ。
緑の光が迸り、蔓のような魔法が茂みを押し広げる。
「彼らは仲間です。脅しは士気を下げるだけですよ」
「無駄口を叩くな。用件は?」
「千弦さんが前線に出ました。いつも通り、味方の被害が甚大です」
采牙の報告に、ダンザが舌打ちした。
戦場の一角。
氷の城のような光景が広がっていた。
白い息の中、青髪の青年、千弦が立っている。
彼の前で、無数の魔族が氷漬けになっていた。
誰一人動かない。
死んでいるのか、生きているのか、それすら分からない。
「斬るより凍らせる方が手っ取り早いな」
千弦は笑う。
「死にたくないって声が、死ぬ前に消えてくれる」
その笑みを見た茜の背筋が凍った。
(これが、青の勇者……)
そして茜は気づいた。
氷漬けにされているのは、魔族だけではない。
魔族と戦っていた魔導士まで、戦う姿のまま凍りついていた。
「ひどすぎる。その人たちは……味方じゃないの?」
震える声で茜が言う。
「味方?」
千弦が軽く笑って手を翳す。
一面の氷が割れ、魔族と魔導士が床に投げ出された。
氷の檻から解放されたのに、彼らはぴくりとも動かない。
千弦が視線を茜に向けた。
吸い込まれそうなほど、深く澄んだ海の青。だけどそこに優しさはない。
「“どれ“のこと言ってんの?」
茜は息を飲む。答えることができなかった。
そしてその隣では、白い旋風が吹き荒れていた。
美しい女性、リーイン。
風刃が魔族たちの武器を切り裂き、
倒れた者には無言で回復の魔法をかけていく。
ただし、それは全員にではなかった。
「助けてくれ」
地面に倒れた魔導士が、リーインに向かって手を伸ばす。
「大丈夫よ。そのくらいなら、放っておいても死にはしないわ」
くすりと笑った。
「それに、あなたさっきも回復したでしょう?何度も癒すのは魔力の無駄だもの。平等に、一人一回ね」
息を呑むほど美しいのに、その目はどこまでも冷たい。
「私、役に立たない人はいらないの」
その言葉に、茜は怒りよりも背筋が冷たくなった。
阿鼻叫喚の地獄だった。
悠々と戦うカラーズとは違い、魔導士たちは次々と倒れていく。
茜はただ、剣を握ったまま動けなかった。
血の匂い。悲鳴。炎。
目を逸らすことさえ、罪のように思えた。
「ここに結界があれば……」
誰かが言った。
だが、その能力を持つ紫の勇者はここにはいない。
今も自室で本を読んでいるだろう。
誰にも破ることのできない、結界の向こう側で。
正義を掲げる戦場の中に、慈悲はなかった。




