9.殺して
燃え上がる炎の向こうで、倒れ伏す魔導士たちの悲鳴が遠く響く。
茜は喉の奥が焼けるような息を吐いた。
(……これが、戦い)
視界の端で、千弦の放つ氷刃が敵も味方も区別なく襲いかかる。
その隣では、リーインが風刃で魔族を薙ぎ払いながら、
倒れた者の中から“誰を癒やすか”を冷静に選別している。
風が吹くたびに灰が舞い、焼けた土が鈍く光った。
「おい、いつまで突っ立ってる」
突然、ダンザに肩を掴まれた。
「みんな命を懸けてるんだ。勇者なら前に出ろ!」
茜ははっと我に返った。
「この魔族を放置したらどうなる?別の村が地獄に落ちるだけだ!」
声が戦場に響き渡る。
「俺たちのすべきことは、一刻も早く終わらせることだ。違うか?」
その言葉が胸に突き刺さる。
「突っ立っていて、誰を守れる!」
目の前に広がるのは、紛れもない地獄だった。
破壊され、焼き払われた村。
転がる死体。
焦げた匂いと血の臭気。
人々を守る方法は、彼らを倒すこと。
茜は息を整え、剣を握りしめる。
(……戦わなきゃ。みんなを、守るために)
空気が震えた。
茜の剣が赤い光を放つ。
次の瞬間、刃が音を立てて伸び、鞭のようにしなった。
それはまるで生き物のようにうねり、目前の敵を一掃する。
金属の光が閃き、十数体の魔族が一斉に吹き飛んだ。
衝撃で大地が裂け、砂塵が舞う。
「……え?」
思わず声が漏れた。
儀式の場でも魔法は使った。
だがそれは、指輪を剣へ変え、小瓶を破壊する程度のものだった。
(前に使った時は、こんな風じゃなかったのに……)
発現から半月。訓練も積んできた。
それでも鋼の威力は、ただの剣術と大差なかったはずだ。
《鋼》は本来、金属の形状を変えるだけの魔法。攻撃力は、魔力を持たぬ剣士と変わらない。
広範囲魔法が重宝される戦場では、単体物理攻撃は低威力。
思い切り振るったところで、攻撃力はたかが知れている。
だからこそ自分の技術がすべて。
フェルメリアの訓練場で、そう教えられた。
だが今は違う。
秘薬の儀によって得た莫大な魔力が、鋼を意志ひとつで巨大化させ、鋭く伸ばし、薙ぎ払わせる。
その破壊力は、カラーズの中でも屈指だった。
そのとき。
「とどめを刺せ!」
ダンザの怒声が響く。
その声に、茜の心臓が跳ねた。
「……とどめ?」
周囲を見渡す。
敵は死んでいなかった。
両断できるはずの刃は、無意識のうちに致命を避けていた。
切り裂かれ、血を流しながらも、誰ひとり死んではいない。
茜は血まみれの魔族を見下ろした。
胸はかすかに上下していた。
生きている。
地を赤く染めながらも、再び立ち上がろうとしている。
彼女には、もうひとつの魔法があった。
《反射》と呼ばれる力。
秘薬の儀の夜、茜の胸に現れた紋章がその証だった。
けれどその魔法は、まだ発現していない。
使おうとしても光は生まれず、ただ静かに肌の奥で眠り続けている。
だから今の茜が戦える力は、《鋼》だけだった。
剣を振るう手が震えた。
刃を振り下ろすと、空気が裂ける音がした。
敵の呻き声が、耳に刺さる。
血の匂いが鋭く鼻腔をついた。
その実感が、茜を襲った。
斬るということの、生々しさ。痛み。叫び。
刃先に伝わる震え。
なのに、まだ死んでいない。
「……うそ、でしょ……」
乾いた呟きが、唇からこぼれた。
剣を振るっているのに、敵が、死なない。
倒れた魔族は激しく喘ぎながら、まだ刃先に絡まるように手を伸ばした。
血を流しながら、魔族は茜を見つめていた。
焦点の合わないその瞳に涙が浮かんでいる。
唇が、ゆっくりと動いた。
コ、ロ、シ、テ。
——殺して。
喉の奥で小さく音が鳴った。
茜の呼吸が止まる。
刃を握る手が汗に濡れ、震えた。
その時、一人の魔族がよろめきながら立ち上がる。血を吐きながら鋭い爪を茜に振りかぶった。
「……やめて」
茜は動けなかった。
次の刹那、風が唸りをあげた。
透明な刃が空を裂く。
音もなく、魔族の身体が崩れ落ちた。
鮮血が散る。
魔族の命を絶ったのは、リーインの《風》だ。
「あなたの甘さは、他人の手を汚すだけよ」
その声は、凍えるように静かだった。
茜の胸を、鋭い刃が貫いたような痛みが走る。
喉の奥が焼けるように熱いのに、言葉が出ない。
少し離れた場所で、千弦が嘲笑った。
「とどめ刺せないとか、逆に残酷だろ。死なないって地獄だぜ」
千弦が軽く指を弾くと、無数の氷の刃が降り注ぐ。
茜に斬り裂かれ、地面に伏していた魔族たちの心臓を、一つ残らず貫いていく。
叫びも、呻きも、すぐに静寂へと変わった。
「俺、《同調》で他人の心が読めるんだけどさ。全員、死ぬ方がマシだってよ?」
千弦の声は軽い。
「俺に『ひどすぎる』って言うから、どんなお優しい勇者かと思えば。……すげぇな。敵から『殺してくれ』なんて、言われたことねぇよ」
その目は笑っていなかった。
青い瞳に、冷たい光が宿っている。
戦場に、風が吹いた。
血の匂いが混ざり、冷たい鉄の味が喉を刺す。
茜は顔を上げられなかった。
視界が揺れる。
手の中の剣が、何か恐ろしいもののように重く感じた。
(私は、何をしているの……!?)
吐き気が込み上げ、唇を噛み締める。
自分の鼓動だけが、やけに大きく聞こえた。




