6.紋章
茜は静かに彼の亡骸に近づく。
そして側に座り、そっと手を合わせた。
「茜——」」
言いかけたダンザを、采牙が制する。
「……あなたたちの正義は分かった。朱嶺の予言書もすぐに読むわ」
茜の声は、静かだった。
「でも、魔王の眷族だとか魔導士である前に……人は、人よ。この人にもやりたいことや待っている人もいたはず。だから……悔しいのよ」
茜が立ち上がり、拳を握った。
「これが正義だ。慣れろ。戦場に甘さは必要ない」
ダンザの声には怒りも悲しみもない。
ほんの少しの哀れみが滲んでいた。
沈黙が流れる。
茜は小さく息を整えると、まっすぐに二人を見た。
「……それで、この後はどうするの?」
「引越しをお願いします」
采牙が微笑する。
予想外の言葉に、茜が目を丸くする。
「引越し?」
「はい。詳細は《伝令》で送ります。これを」
采牙が茜に小さな品を差し出した。
茜が受け取ると、それは細いチェーンだった。先端には小さな笛と小型のペンが付いている。
茜の目の前に緑の柔らかな光が生まれ、緑色の小さな鳥が現れた。
「基本的に、カラーズへの指令はこの子が届けます」
足には手紙が括り付けられている。
茜が紙を外すと、そこには今後についての指示が記されていた。
まずは引越し。魔導士は大部屋での共同生活だが、カラーズは専用棟がありそれぞれに個室が与えられている。
その他にもカラーズ専用ルールや、スケジュールなど細かな必要事項が掲載されていた。
例えば、服装。
魔導士は共通して黒のローブが支給される。
フードまで着用することが義務付けられており、頭から膝下までを覆うその姿は、威厳と隠匿の象徴だ。
ただし、カラーズだけは例外だった。
彼らにはカラーズ専用装束が与えられる。それぞれの色を基調としたコートと、実戦用の衣服で構成される。
魔導士のローブは、個を消し、集団に紛れさせるためのもの。逆にカラーズの装束は、その存在を目立たせるためのものだ。
「原則、着用する。ただし、違反しても罰則はない……魔導士の規則より、緩いのね」
魔導士はローブの着用は義務だ。違反すれば罰則もある。
門限も図書館などの関連施設の利用条件も、カラーズに関してはかなり自由度が高い。
「強制すると、不要なリスクが生まれるので」
采牙は曖昧な微笑を浮かべただけで、それ以上の説明をしなかった。
「伝令は白紙を添えて送ります。受け取ったら、読了の合図としてその紙を送り返してください。伝えたいことがなければ白紙のままで結構です」
白紙を結び直すと、小鳥は茜の前から姿を消し、采牙の元に現れた。
「用がある時は笛を吹けば鳥が現れます。足についた紙に、このペンで用件を書いて結んでください」
「魔法って、いろいろあるのね」
感心したように茜が呟く。
「僕は他に《植物》を、ダンザさんは《土》と《悪夢》を持っています」
「私は《鋼》だけよ」
「お前の紋章も増えているはずだ」
低く言ったのはダンザだった。
「カラーズになった時、新しい紋章が刻まれる確率が高い」
「後から増えることなんてあるの?」
紋章。
それは体内の魔力を魔法へ変換する装置のようなものだ。
魔導士の素質を持つ者は、生まれながらに体のどこかへ印を刻まれる。そして自分の紋章に対応する魔法しか使えない。通常は一つ、多くて二つ。
「魔導士が誕生した時、湖周辺で突然力を得た者が現れただろう。魔王の血に触れることも、条件の一つだ」
魔王の血に触れること。
あるいは、魔王の血に触れて魔導士となった者の血を引くこと。
それが、魔法を得る条件だ。
血統で力を得た者は、生まれながらに紋章を持つ。
魔王の血に触れた者は、その瞬間に紋章を得る。
だが、条件を満たせば、必ず力を得られるわけではない。
血に触れた者の中でも、血統の中でも、紋章を持つのは一握りの選ばれた者だけだった。
「秘薬は魔王の血を元に作られる。飲み、血を取り込めば……新たな力を得るきっかけになる」
湖に溶けた血に触れるだけでも力を得る。
カラーズは湖より遥かに濃い血を、直接取り込んでいる。死のリスクと引き換えに、強力な魔力を得た。
「カラーズは五人全員が、秘薬で新たな紋章を得ている。お前も増えているだろう」
「分かったわ」
「そういえば、残りの三人の勇者って……どんな人?」
その一言に、二人は黙って顔を見合わせた。
やがてダンザが口を開いた。
「青の千弦は、一言で言えば狂っている」
「気が狂っているわけではないんです。倫理観が狂っているだけですよ」
采牙が補足したが、フォローになっていない。
「白のリーインは……人の言うことを聞かない」
「《回復》を持っていますが、期待はしない方がいいですね。治すかどうかは彼女の気分次第なので」
「紫のジェレンは……儀式に立ち会った。あいつがカラーズになった瞬間は見たが、そこから一度も会っていない」
「僕は見たこともありません」
唖然とした茜を見つめ、采牙は苦笑を浮かべた。
「ジェレンさんの方が先にカラーズになったので、儀式に立ち会っていないんです。カラーズになると同時に《結界》を使って部屋に引きこもったそうなので……」
以来、ジェレンは部屋から一度も出てきていないという。
彼がどう生活しているのかは、謎に包まれている。
「……正義の勇者じゃないの?」
茜の呟きに、ダンザが吐き捨てるように言った。
「あいつらに、正義も倫理も使命もない。本来なら規範となるべきカラーズが、これでは示しがつかん」
「会ったら気をつけてくださいね。カラーズ同士の私闘は禁止……なんて、あの人たちは気にしませんから」
「組織の命令では動かない奴らだ」
困惑する茜に、采牙が優しく微笑む。
「困ったら《伝令》で呼んでください。助けに行きます」
「ありがとう。そうならないことを祈るわ」
茜は小さくため息をつきながら答える。
彼女が出ていくと、急にしん、と場が静かになった。




