4.魔王の血
司祭の姿が見えなくなると、采牙はふっと表情を緩めた。
「お疲れ様でした。王女……いえ、茜さん」
穏やかな口調。
先ほどまでとは打って変わって、驚くほど印象がやわらいでいる。
「体は大丈夫ですか?」
「口の中がめちゃくちゃ不味いだけよ。何が入ってるのかしら」
喉はまだ熱い。舌も少し痺れている。
采牙は首を傾げた。
「何って……魔王の血ですけど」
秘薬には魔王の血が含まれている。
原液ではなく、湖水から特殊な方法で抽出した成分を濃縮したものだ。
「はぁ!?」
茜の声が部屋に響いた。
「……当たり前だろう?」
その反応に、逆にダンザの方が驚いた顔をする。
「知らなかったんですか?」
采牙もきょとんとしている。
茜は余計に混乱した。
「え、待って!?魔導士って、血を飲む習慣でもあるの?」
「それは吸血鬼ですね。魔導士じゃないですよ」
冷静すぎる突っ込みに、茜は思わず声を荒げた。
「そうだけど!やってること同じでしょ!?いきなり“魔王の血”とか言われて普通に受け入れられると思う!?」
「秘薬に限らず、魔導士の力の源は魔王の血です。……もしかして、それすら知らないんですか?」
「聞いたことないわよ!」
茜は思わず口元を押さえる。
「うぇ。吐きそう」
急にさっき飲んだ秘薬を思い出して、顔が青くなった。
采牙は少し考えてから、話を切り替えた。
「茜さん、朱嶺の予言書は知ってます?」
「名前くらいは知ってるわ。読んだことはないけど」
「………」
重苦しい沈黙が落ちる。
ダンザは固まっていた。
「……魔法が発現したときに、読めと言われるはずだが」
信じられないものを見る目で茜を見つめている。
「どこにそんな暇があったってのよ!」
茜は即座に言い返した。
「この二週間、怒涛の日々だったんだからね!?魔法に目覚めたと思ったら迎えが来て、フェルメリアの試験場に送られて、訓練して、そのままカラーズの儀式よ!?」
本を悠長に読んでいる暇も余裕もなかった。
「フェルメリアの訓練でも、予言書読めとか、魔王の血を飲めとか言われなかったわよ!?」
「血を飲むのはカラーズの儀式だけです。他の場で言われることはありません」
「聖剣の使い手候補が、予言書を知らないとは思わなかったんだろう」
ダンザが額に手をやった。
「……ただの古代の予言者が残した言葉でしょ?魔導士の教科書かなにかなの?」
茜は怪訝な顔をする。
いつか読めばいい、くらいに思っていた。
「もっと重い」
ダンザが低く言った。
「魔導士が、世界に生存を許された理由だ」
茜の表情が固まる。
「……は?」
采牙が少しだけ目を伏せる。
「……四百年の魔王襲撃については、どこまでご存知ですか?」
「ごめんなさい。それもあまり知らないのよ」
茜は肩をすくめた。
「昔話で読んだ程度。聖剣フェルメリアの形質や能力なら最近学んだばかりだけど」
そして少し考えてから続ける。
「四百年前に、魔王が初めて人の前に姿を現した。闇色の髪と金の目をした化け物で、魔法を振るって暴れ回った。その時に聖剣を手にした勇者が、命と引き換えに魔王を倒した。以上。……昔話で知ってるのは、この程度よ」
四百年前に起きた魔王の襲撃は、各地で記録が残されている。
その多くが、伝説や逸話という形で語り継がれていた。
たとえば——
『人と獣の間のような姿をしていた。青黒い肌、歪んだ角、裂けた口に並ぶ牙。巨体の背に蠢くのは羽ではなく、闇そのものだった』
魔王の容姿。
『金色の眼が向いた先から、人が、街が、音もなく削り取られる。雷の雨が降り注ぎ、一振りの腕で街が消えた』
その惨状。
『その闇色の髪は紫とも緑ともつかない色が沈み、銀の光を放つ。黒と記録されているのに、誰一人それを「黒」とは呼ばなかった。「血に濡れた赤」「底のない青」と証言している』
見る人によって色を変える闇色の髪。
記録は少しずつ違う。
だが終わり方は共通していた。
『勇者は自らの命と引き換えに聖剣で魔王を倒しました。魔王は湖に沈み、世界に平和が戻りました。めでたしめでたし』




