32.聖剣フェルメリア
伝承は止まらない。
「もう一つ。魔力不足については、茜と聖剣フェルメリアで補う」
京の口から紡がれる声は京のものでありながら、誰かの確信を帯びた響きだけが淡々と室内を満たしていく。
その冷静さが、かえって重くのしかかる。
聖剣フェルメリアの名が出た瞬間、場の空気がわずかに引き締まった。
かつて魔王を貫いたその剣は、その時に紋章を宿した。
現在、紋章を持つ唯一の器物である。
「フェルメリアは、もとはただの武器だ。だが、魔王の血に触れ、魔へ共鳴する性質を得た。秘薬と同じで魔に惹かれる」
フェルメリアの紋章は《奪取》。
使い手の魔力を吸い上げ、剣自身のタンクに貯蔵する。
しかも奪うのは魔力だけではない。魔法すら飲み込む。
そして溜め込んだ魔力を、使い手の魔法へと変換して解き放つ——
それが、この特別な剣の本質だった。
「フェルメリアに人格はない。あるのは“感情”への反応だけだ。《奪取》の本質は欲望。強欲な使い手ほど、その力は増す」
茜の顔に困惑が浮かんだ。
茜はカラーズの儀式の前に、フェルメリアの適正試験を受けている。
結果は、適性なし。
だが、史実で茜はフェルメリアを使っていた。
その迷いに応えるかのように、伝承は続いた。
「史実では、茜はカラーズになった後に、二度目の適性試験を受けている」
今回も、きっと同じ命令が下る。
伝承を告げる声はそう確信していた。
「一度目の試験で茜に足りなかったのは力ではない。欲だ。力が欲しいと望め。秘薬に選ばれた時点で相性は良いはずだ」
「……力を、望む……」
茜が呟く。
「フェルメリアはただの武器だ。怯えれば飲まれるが、お前が欲すれば必ず応える」
伝承は、淡々と。
迷いも、感情も見せることなく続いていく。
「次にフェルメリアを使った封印の手順だ。まず茜がフェルメリアに魔力を貯める。ジェレンは、フェルメリアへ向けて、ごく弱い魔力でさっき伝えた封印の魔法をかけろ。茜はそれを魔王へ向けて、フェルメリアに蓄えた最大魔力で《反射》しろ」
伝承は一方的に続く。
「同時にジェレン、お前自身も魔王へ封印の魔法を放て。カラーズ二人分とフェルメリアの魔力が揃えば、必ず封印できる」
紙に記された文字は増えていくのに、ジェレンの視線は動かない。
はるか遠くを見ているかのように固まったままだ。
「茜は聖剣を手に入れる前に《反射》を確実に習得すること。そしてジェレンは封印の魔法を習得しろ」
未来の声はまったく迷いがなかった。
その静かさが、むしろ冷たく感じられるほどだ。
「そして反射の訓練はジェレンが付き合え。攻撃魔法では相手が死ぬ可能性があるが、結界攻撃なら跳ね返されてもお前なら防げる。当たったところで、茜もお前も致命傷には至らない」
そして、明瞭な忠告が落ちた。
「くれぐれも、死なないからと千弦に茜の訓練をさせるなよ。双方の心が死ぬからな」
一瞬、なんとも言えない空気が漂う。
死なないからと、千弦が「自分を殺してみろ」と特訓させたのは、つい最近の出来事だ。
千弦はともかく、茜の心は死にかけた。
千弦はふっと鼻で笑い、茜だけが「もっと早く言ってよ!」と騒いでいる。
「茜。フェルメリアは《反射》を会得してからだ。カラーズの魔力だけでも人は死ぬ。タンクに魔力を貯めてから暴れれば、お前は確実に大量殺戮兵器になる」
ジェレンはまだ、沈黙したまま紙を見つめていた。
光が再び紅茶に宿り、京の口から最後の声が紡がれた。
「伝承は以上だ。次の伝承の発動条件を伝える。千弦と京の二人で釣りに行け」
「は?ふざけんな」
指名された千弦が思わず不機嫌な声を出す。
だが、当然その声が朱嶺に届くはずはない。
「二人で行かせるのが心配であれば、リーインが同行してもいい。釣って食べるまでが釣りだからな。続きは釣り堀で話す。——以上だ」
紅茶の表面の光が完全に消える。
再び、静寂が落ちた。




