30.美学
采牙が持参した茶器をテーブルに並べていると、ジェレンがふいに立ち上がった。
ゆっくりと戸棚へ向かう。
扉を開けると、中には大小さまざまな紅茶缶が整然と並んでいた。
金属の缶、陶器の瓶、木箱。ラベルには細かな文字が並び、どれも几帳面に揃えられている。
「茶葉も用意しましたけど」
采牙が言うと、ジェレンは振り返りもせずに答えた。
「悪いけど、君を信用していないんだ」
軽い口調だった。
「《植物》の能力者で、組織のお気に入りで、魔王のスパイ?そんな君が持参する茶葉を飲むほど、僕は勇者じゃない」
その言葉に、采牙が小さく微笑む。
「奇遇ですね。僕も実験棟の研究員の淹れてくれるお茶は不安だったんです」
「どっちも何も入ってねーよ。どうでもいいから、早くしろ」
ソファに座ったまま千弦が口を挟んだ。
心が読める千弦の一言に、あっさりと采牙が引き下がった。
「では、ジェレンさんにお任せします」
「紅茶の種類がすごいわね。好きなの?」
茜が戸棚を覗き込む。
「まぁね」
「おすすめは?」
「ヴァイオレクシア・セプテントリオンかな」
「……呪文?」
茜を無視して、ジェレンが一つの缶を取り出す。
蓋を開けると、かすかな花の香りがふわりと漂った。
「極北の高地で採れる、紫色の花の香りを持つ紅茶だ」
慣れた手つきでポットを持ち上げる。
まずポットへ湯を注ぎ、ゆっくり回す。
続いてカップにも湯を注ぎ、温める。
その動きは正確で、しかしどこか楽しそうでもあった。
「リラックス効果がある。落ち着きのない君たちにはぴったりだよ」
温めた湯を捨て、茶葉を計量してポットへ落とす。
そして静かに熱湯を注ぐと、ジェレンはふいにその場を離れた。
「手伝うわ」
茜がポットを持ち上げてカップに注ごうとした、その時。
戻ってきたジェレンが茜の手を止めた。
「君は茶葉を殺す気か?」
「茶葉を、……殺す?」
殺すと言う言葉は、最近山ほど聞かされた。
『味方を殺すな』『敵を殺せ』
千弦からは『自分を殺せ』
色々言われてきたが、茶葉は初めてだ。
「そうだよ。紅茶は蒸らすのが大切なんだ。いきなり淹れたら風味が死ぬ。それはもう——紅茶じゃない」
ジェレンは静かにポットの蓋を閉じた。
その仕草が、妙に丁寧だった。
彼が持ってきたのは砂時計だった。
すでに裏返っており、砂は半分ほど落ちている。
細い砂が静かに流れ落ちていく。
落ちていく砂を、京が面白そうに覗き込んでいた。
「長ぇよ。飲めれば味なんてなんでもいいだろ」
千弦がぼやく。
お茶会はなかなか始まらないが、ジェレンは気にする様子はない。
「美味しいものを、美味しく味わう。世界の命運なんかより、僕には大事なことだからね」
砂が最後まで落ちきってから、ジェレンはポットを持ち上げた。
蒸らし終えた紅茶を、ゆっくりとカップへ注ぐ。
琥珀色の液体が細い筋になって落ちていく。
部屋の空気に、やわらかな花の香りが広がった。
「文句は飲んでから聞くよ」
テーブルにカップを並べると、勝手に部屋を見て回っていたカラーズ達が自然と集まってくる。
一口、紅茶を口に含む。
ふわりと花の香りが広がった。
口の中でやさしく甘い余韻がほどけ、あとからほんのりとした温かさが胸に落ちる。
「……美味しい」
茜が思わず呟く。
「紅茶と思えんな」
ダンザが驚く。紅茶なんてなんでもいいと思っていたはずなのに。
その反応を見て、ジェレンの口元が綻んだ。
静かな満足の笑みだった。
「だろう?」
自分のカップを持ち上げる。
香りを一度確かめるように軽く息を吸い込み、ゆっくり一口飲む。
「お茶を淹れる時間すら待てない——そんな人生なんて、ごめんだね」
静かな声だった。
「……そういえば、朱嶺って“あの引きこもりをなんとかしろ”って言ってなかった?連れ出さなくていいのかな?」
茜が首を傾げる。
采牙が肩をすくめた。
「ダメなら屋外で第二回ですね」
「君たちと二度もお茶会しろって?最悪だな」
ジェレンが肩をすくめる。
「最悪なのはこっちだ」
千弦が紅茶を含みながら嫌そうな顔をする。
しかし背もたれに体を預け、完全にくつろぎモードだ。
輪になって親睦を深めるなど、絶対に似合わないメンバーだ。
リーインも、ダンザも、千弦も。
なのに、なぜか全員がテーブルを囲んでいる。
「で。君たち、いつからそんなに仲良くなったの?」
カップを持ち上げながらジェレンが尋ねる。
「全然仲良くないから!」
真っ先に茜の声が響いた。
「手を組んでいるだけだ。魔王を倒すためにな」
ダンザは苦々しい顔をしている。
「僕は魔王様が幸せになるためです」
采牙は淡々としているが、言っている内容はおかしい。
「私は魔王なんて、どうでもいいけど」
リーインが微笑む。
「……よくそれで手を組めたね?」
ジェレンの言葉に返事はない。
采牙が小声で囁く。
「これっていつ条件クリアなんですかね」
「さぁな。お茶飲んでればそのうちだろ」
雑談を交わしながら、昨日の伝承の様子をジェレンに伝えた。
魔族幹部と休戦協定を結んだことも。
「……ふぅん。朱嶺の予言書が未来の記録、ね。非現実だけど、筋は通るな」
ジェレンが軽くため息をついたそのとき。
京の周りの空気がふっと揺れた。




