29.はじめまして
二十二時。
カラーズ専用棟の一階最奥。
廊下の突き当たりにある扉の前に、六つの影が並んでいた。
采牙が静かに扉をノックした。
少しの沈黙。そして——
「ほんとに来たの?君たちとお茶会なんて絶対に嫌なんだけど」
重たい扉の向こうから、冷めきった声が返ってきた。
采牙は淡々と答える。
「伝令にも書きましたけど。このままだとジェレンさんは、魔導士に殺されるらしいですよ」
一通目の伝令には、ジェレンが迎える“最悪の史実”がすでに記されている。
扉の向こうで、小さく息を吐く気配がした。
「僕が魔王を封印しなければいいでしょ。全部無視して引きこもれば良くない?」
気怠げな声。
その言葉に、ダンザが淡々とかぶせた。
「わざわざ封印するために部屋を出た時点で、未来のお前は引きこもりを諦めてるんだ」
『無視して引きこもればいい』
ジェレンが本気でそう考えていたなら、史実でも引きこもったままのはずだ。
未来のジェレンは外へ出ている。
「どうせ諦めるなら、今諦めろ。俺たちとお茶会を開け」
扉の向こうで、明らかに嫌そうな沈黙が落ちる。
「君の口から“お茶会”とか、たちの悪い冗談としか思えない。嫌なんだけど」
「埒があかねぇな」
千弦が肩を回した。
「全員で結界破壊した方が早くねぇか?」
「やっぱりそれしかないですよね。ジェレンさん、《伝令》で伝えた通り、カラーズみんなであなたの結界を破りますね」
采牙が穏やかな声で続ける。
「私たちが力を合わせれば棟ごと吹き飛ばせるよ!」
茜が嬉しそうに剣を抜いた。剣先が光を反射し、部屋の扉に不穏な明かりが走った。
「十秒以内だ。それ以上は待たん」
ダンザが無慈悲にカウントを始めた瞬間。
バン、と乾いた音を立てて扉が開いた。
紫の髪の青年が、開いた本を片手に立っていた。
指をページに挟んだまま、心底うんざりした顔をしている。
「お茶飲んだら帰って」
ジェレンは柔らかな癖のある髪を軽くかき上げ、眼鏡を指で押し上げながら深いため息をついた。
扉の向こうに広がっていた空間を見て、茜がぴたりと足を止めた。
「……広!!なにこの部屋!?え、ジェレンの部屋だけスイートルーム!?」
視界の先まで床が広がり、簡素な寮の部屋とは明らかに違う。
「簡易応接室を兼ねた共同談話室だ」
淡々と、ダンザが説明した。
「元々は来客用と会議用に使われていた。今は使用されていないのをいいことに、ジェレンが結界で封鎖して乗っ取った」
「乗っ取ったって言い方はひどいな」
ジェレンが即座に言い返す。
「カラーズの専用棟になった時点で不要になった部屋だろ。僕は有効活用しているだけだよ」
「それを乗っ取ったと言うんだ。カラーズのための談話室がなくなっただろうが」
「問題ないはずだ。君らに談話する習慣なんてないだろ」
ジェレンは呆れたようにため息をついた。
「今はその必要があるの。だから、談話室で集まるのは当然よね」
柔らかく微笑みながらリーインが部屋に入る。
「はじめまして、ジェレン。意外と若いのね」
「君より年上だけどね」
ジェレンは無表情のまま答えた。
彼は二十一歳。
この中ではダンザに次ぐ年長者だ。
「ジェレンって本当に紫の髪と目なのね」
茜が好奇心いっぱいの目で覗き込む。
ドア越しに会話した時とまるで違う態度に、ジェレンは露骨に疲れた顔をした。
「当たり前だろ。で、最近沈んでた赤の勇者と同一人物?」
「茜よ。よろしくね。誰も殺さなくていいんだって思ったら、開放感でいっぱいよ!」
明るい笑顔で茜が答える。
「まだ、未来は地獄だと言ってるだろう。お前は本当に……それでも勇者か!」
ダンザの怒号は変わらず響くが、茜は悪びれる様子はない。
最後に部屋に入った采牙は、扉を閉めるとジェレンの名を呼んだ。
「ジェレンさん。この子が未来から来た子です」
采牙の隣に、ローブを纏った京がいる。
千弦の能力で周囲に人がいないことは確認済みだが、念のためローブで姿を隠して連れてきたのだ。
一通目の伝令に、京のことは記してある。
「もう喋っていいですよ」
采牙の合図で少年がぱっと顔を上げた。
フードを外すと、まるで光を撒き散らすような笑顔だった。
「おれ、京!朱嶺にいちゃんの友達で、未来からきましたっ!よろしくね、ジェレンにいちゃんっ!」
沈黙。
「よろしく」
興味の欠片もない声でジェレンは答えた。
カラーズは勝手に部屋を眺め、ソファにくつろいでいる。
「ねぇ、ジェレンのベッド……大きくない?」
「来客用だからね」
部屋の中央には大きなテーブルと、人数分以上の椅子。
ソファも並んでいる。
ここが“誰かの部屋”ではなく、“皆で使う場所”だったことが、一目で分かった。
ただ、部屋の雰囲気は、談話室の響きからはかけ離れていた。
静謐だった。
壁一面を埋める本棚には、きっちりと背表紙が整列している。
床にはほこり一つなく、誰かの生活の匂いがしない。
まるで時間さえ止まっているような静けさだ。
「引きこもりっていうから、ゴミ屋敷かと思ったのに。綺麗な部屋ね」
遠慮のない茜の言葉に、ジェレンは小さく息を吐く。
部屋から一歩も出ていないはずなのに、妙に身なりが整っていた。上質な生地の服には、染みひとつない。
「余計なお世話だよ」
その仕草やため息でさえ、どこか品があった。




