24.利害の一致
「ねぇ…京のいた世界ってどんな感じだったの?」
茜が小さく尋ねる。
京は首をかしげ、ゆっくりと語り始めた。
「えっと……朱嶺にいちゃんに会う前のこと、実はあんまり覚えてないんだ。ひとりで外で生きてて、にいちゃんに会ったんだ」
思い出すというより、手探りで記憶を拾い上げるような口調だった。
「ひとりで?」
「うん、気づいたらみんなも、おかあさんもいなくなっちゃって……。お金持ちは地下のシェルターにいたけど、おれは何もなかったから。朱嶺にいちゃんは、『忘れていい。思い出そうとするな』って言ってた」
京はあっけらかんとした口調で続けた。そこに悲しみも恐怖も感じられなかった。
「あ、ぼんやり覚えてるのはね。食べ物をずっと探してたのと……空がさぁ、いつも赤いんだ。昼も、夜も。隠れるところがないから、ずっとそれを見てて……それは覚えてる」
曖昧で、掴みどころのない話。
なのに、なぜか“嘘ではない”と感じさせる、得体の知れない真実味があった。
「ごめんね、全然覚えてなくて。……にいちゃんとの楽しかった思い出ならたくさん言えるよ!」
パッと明るい笑顔。
しかしその明るさが、話の内容とまったく噛み合わず、場の空気は逆に静まり返った。
重苦しい沈黙の中、ダンザがゆっくりと口を開いた。
その声はいつもより低く、しかし揺るぎない決意を帯びていた。
「——休戦だ」
その一言は、場にいた全員の呼吸を止めた。
もっとも“休戦”という言葉から遠いはずの男の口から出たのだから、衝撃は大きい。
茜が耳を疑うように目を見開く。
「あなたが…それを言うの?」
ダンザは顔を強張らせたまま応じた。
「朱嶺の予言書が絡んでいる。信じるかどうかは別として……魔王を確実に倒せる方法があるなら、知る価値はある」
澪が静かに言葉を継いだ。
「『魔王を生かすためには、魔王に知らせるな』と言っていただろう。完全な休戦は不可能だ。魔王様にもオルディアにも怪しまれる。それに……予言は魔王様を倒すためのもの。どう転んでも戦争は避けられない可能性が高い」
「最低速度で戦争を続けて、伝承の時間を稼ぐ。……というのが現実的な線ね」
リーインが補足した。
静かに采牙が口を開く。
「……魔王様を倒すための伝承集めなんて、加担したくはないのですが」
魔王を倒すための伝承に協力したくはない。
だが、魔族が全滅し、魔王が世界を滅ぼす未来は避けたい。
「伝承集めの期間中、魔王軍の魔族を殺さないでください。——その条件を飲むなら、協力します。体裁だけの戦争で、無意味に死なせる気はありません」
それが、采牙の妥協点だった。
ダンザが苛立ちを隠さず、舌打ちした。
今後の伝承集めにカラーズである采牙は必要。そのことを誰もが理解している。
「……どのみち、魔族を滅ぼしても未来は変わらん。魔族が人を襲わないのなら……クソッ」
握りしめられた拳が震える。
「お前らが脅威にならないと認めたらだ!」
澪は溜息のような声で答えた。
「襲わないに決まっている。魔族なんて、組織が見捨てた魔導士の集団にすぎない。元から“魔族”という種族は存在しない」
そして、茨雷も静かに続ける。
「僕らはただ平和に暮らしたいだけだって、何度も言っているだろ?カラーズが邪魔しないのなら、手を出す理由がない」
今までも人々を襲うのは、オルディアが作り出す魔族。
彼ら魔王軍が襲撃するのは、オルディアの砦だけだった。
ダンザは不機嫌に顔を歪めながらも叫ぶ。
「だったら、手を組んでもいい。……いいか、人を守るためだからな!」
その言葉に、リーインが冷めた口調で応じる。
「私が用があるのは、シキだけよ。シキを確実に殺すためなら、魔族と協力してもいいわ。色々欲張って、また彼を見逃す未来だけはお断りよ」
千弦も吐き捨てるように言った。
「過去を繰り返すのだけはごめんだ。それくらいなら誰とでも手を組んでやるよ」
茜も大きく頷く。
「誰も救えないなら、殺す必要なんてないじゃない!もともと誰も殺さないのが私の理想よ。戦わないのは大歓迎!」
しかしダンザの怒りは収まらなかった。
額に青筋を浮かべ、吠えるように言う。
「お前ら、京の話を聞いて……誰も魔王を倒そうとは思わないのか!?」
澪が皮肉めいた視線を送った。
「……意外にも、貴様が一番まともだな」
「魔王は必ず倒す。それだけだ」
ダンザの迷いのない言葉に、澪はきっぱりと返す。
「断固阻止する。だが、我々も無駄死にしたいわけではない。他に良い方法があるなら、話し合いには応じる。采牙を通じて連絡しろ」
そう言って澪は立ち上がる。
その表情は険しいが、どこか希望を手探りにしている色もあった。
「雹には共有させてもらう。魔王様と魔族には話さない。……魔王様を救う方法があるという言葉を、一応は信じる」
「……さっき朱嶺も言ってたけど、『雹』って誰なの?」
茜の問いに、茨雷が軽い調子で答える。
「もう一人の幹部だよ。魔王様は基本無害なお兄さんだから、雹くんが軍のリーダーだ」
魔王が“無害なお兄さん”と言われる違和感はすさまじいが、今はそこではない。
怪訝そうに視線を送るカラーズへ、澪がため息混じりに続けた。
「雹は思慮深いし、平和を好む。雹から魔王様に漏れることはないし、貴様らの妨害もしない」
「魔王は《同調》を使うんだろ。隠せるのか?」
千弦の疑問に、茨雷は肩をすくめた。
「まぁ心で言語化しなければ、内容までは分からないよ。隠し事してるのは気づかれるだろうけど、悪意がないのも分かるはず」
そして千弦を見た。
「《同調》の抜け道、君も知ってるだろ?」
「……まぁな」
すべての心を暴けるわけではない。
流れてくるのは、その時に浮かべている思考と感情だけだ。
そして、茨雷はふっと笑った。
「僕らの行動理由が“魔王と魔族のため”なのは事実だからさ。悪意がないのは伝わるよ。隠し事に気づくとは思うけど、触れないでほしいと頼めば触れてこない」
「気は進まないがな。おそらく寂しがるだろうからな……」
澪が軽くため息をついた。
「え、魔王が???」
思わず漏れた茜の言葉は、室内の空気を一瞬だけ緩ませる。
茨雷はそこには触れず話を戻した。
「それより問題はオルディアだ。そっちは隠し事が許される世界じゃないだろう?」
「……組織に話すなよ」
澪の声音は鋭く、確かな警告を含んでいた。
リーインが淡々と言葉を継ぐ。
「話せば、京は拷問にかけられるでしょうね。実際に朱嶺の伝承を聞いてみなければ誰も信じないし……信じても『無理に吐かせた方が早い』って判断されるわ」
采牙も淡々と言葉を重ねる。
「伝承の魔法なんて聞いたことありません。京は魔導士でもない。根も葉もない噂で、異端児扱いされたら、粛清される可能性が高いです」
千弦が皮肉めいた口調で続けた。
「殺されるならまだマシだな。時を超えたと信じられたら、奴らのおもちゃになる。実験棟が喜んで引き取るだろうよ」
その不穏さを断ち切るように、ダンザが強く言い切った。
「組織には話さん。京の身の安全も確保する」
その声には強固な決意があった。
茜がぽつりと漏らす。
「ダンザって、話が分かるの?」
その言葉に、ダンザが鋭い視線を向けた。
「俺の目的は魔王の討伐だ。組織だろうと、平和の障害になるなら排除する」
「初めて、気が合ったわね」
リーインがくすりと笑った。
緊張が少しだけ和らぐ。
茜が京のそばへ歩み寄り、その手をぎゅっと握った。
「これからよろしくね、京。そんな未来になんて、させないわ!」




