19.即死主義
数秒後、空気がざらりと揺れた。
血溜まりの中心で、死体だったはずの千弦が息を吸う。
そのまま何事もなかったように起き上がり、背筋を伸ばした。
「……まさか、自分の魔法で死ぬとはな」
茜の震えた声が漏れる。
「い、一体……何が……?」
「お前の《反射》だ」
答えたのはダンザだった。
「カラーズになった後、紋章が増えただろう。《反射》の魔法は、相手から受けた魔法攻撃を、そのまま相手に撃ち返す。欠点は、受けたダメージもそのまま残ることだ」
茜は自分の手を見る。
リーインが即座に回復してくれたが、肩の痛みと胸を満たす恐怖が蘇る。
儀式で得た新しい魔法。
紋章を得てから発現までには時間差がある。
その“発現”が、つい今、起きた。
「千弦が手加減した攻撃を……手加減なしで撃ち返したのね」
リーインが静かに呟く。
「良かったじゃねぇか」
千弦が、血のついた服を気にも留めずに笑った。
「もうわざわざ剣で殺す必要もねぇ。てめぇに魔法撃てば、勝手に相手が死ぬんだろ?羨ましい能力だな。《同調》よりもよほど欲しかったぜ」
茜は呟いた。
「敵の魔法攻撃を受けたら……相手が死ぬ……?」
《反射》は魔法攻撃に反応して必ず発動する魔法だ。
受けてから返すまでのタイムラグは数秒から数十秒。
力の制御を身につけるまで、今日のようなことはこれからも起き続ける。
「どのみち、てめーはもう人を殺してるんだよ」
千弦の声はあまりに軽い。
「それとも、死なない地獄をこれからも続けるか?」
死なない地獄。
さっきまで味わった痛みと恐怖が、脳ではなく身体に残っている。
リーインの魔法で傷は治っているのに、寒気だけが抜けない。
ずっと生かされて、何度も痛みだけを繰り返す地獄。
——自分が戦場でしていること。
『コロシテ』
死ぬことを許されず、何度も切り刻まれた魔族はそう言った。
茜が声を詰まらせるのを見て、千弦は薄く口角をあげた。
「——訓練終了」
それだけ告げて、踵を返した。
まるで仕事の区切りをつけるように、静かに。
残されたのは、治ったはずの身体の震えと、茜の荒い呼吸だけだった。
◇
夕食後。
リーインが部屋に戻ると、千弦が椅子に座っていた。
彼がリーインの部屋に来るのは、特に珍しいことではない。不在なら、お互い勝手に入る。
そして、お互いに無言。
これも、いつものことだ。
「……今日は、よく喋るな」
一言も発していないのに、ふと千弦が言った。
心の声の方だ。
リーインは椅子から立ち上がり、窓辺へ歩く。外の景色を見下ろしたまま、静かに口を開いた。
「……何回やられたの?」
「本当に死んだのは一回だ。《再生》がなかったら、全部で七回死んでるな」
軽く笑いながら千弦が答える。
「私が回復した数と同じね」
周りにいた魔導士たちは、千弦による一方的な暴力だと思っているだろう。
千弦は笑っている。立っている。
そして、一瞬で《再生》する。
だから他人は簡単に、彼が人間であることを忘れる。
茜と同じだけの痛みを味わっていることに、周りは気づいていない。
茜も、リーインが一瞬で回復している。
肉体が苦痛を味わった回数も時間も、同等だ。
「あの子は、それに気づいているかしら」
「さぁな。まぁ、俺のことはいいよ。あいつが被害者なのは間違いねぇし」
千弦は軽い口調で続けた。
「——これで、“死なない地獄”は分かったと思うぜ」
リーインは静かに目を伏せる。
「あなたが、こんなやり方をするとは思わなかったわ」
千弦は敵に容赦しないが、身体的な苦痛を与えることを嫌悪している。
拷問はもちろん、暴力さえも振るわない。
気に入らなければ、即死させる。それほどでもなければ、放置する。
千弦の選択肢は、常にそれだけだ。
今日の訓練は、千弦の主義に反するものだった。
「他にやり方はなかったの?」
千弦は背もたれに体を預け、天井を眺める。
「口で言っても無駄だったと思うぜ。あいつ、一度も地獄を味わったことねぇから」
千弦の目に、暗い光が浮かんだ。
「あいつの言う正義が、どれほど悲惨か。思い知らせてやりたかったんだよ」
そして、冷めた口調に殺気が混ざった。
「散々苦痛を与えておいて、死なないことを理想みたいに語るからな」
沈黙が流れる。
リーインは何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「私は、壊れた心までは直せないの」
静かな声だった。
「私を巻き込むなら、壊れるようなやり方はやめて」
「言われなくても、こんな真似二度としねぇよ」
千弦はいつもの口調で答える。
「一度限りだ。——次にうるさければ、殺す」
再び沈黙が落ちる。
どちらも何も話さない。それでも、部屋を出ようともしない。
千弦が立ち上がったのは、しばらく経ってからだった。
声はかけない。
リーインも振り向かない。
ドアが閉まる音だけが、静寂に響いた。




