16.迷い
再び魔族が出撃した。
狙われたのは人里ではなく、オルディアの砦の一つだ。
その中心に立つのは、茨雷と澪だった。
「やぁ。紹介するよ」
茨雷はまるで家族を紹介するかのように、穏やかに両手を広げる。
「こないだ回収した魔物の子たちだ。この顔に見覚えはない?茜ちゃん」
茜の背筋が強張った。
前に見たとき、彼らは半分獣だった。
人の形をしていても、爪は異様に長く、牙を剥き、血走った目で咆哮していた。
だが今そこに立っているのは、完全な“人間”だった。
異形の面影はどこにもない。
茨雷たちと同じ隊服を纏い、整然と並んでいる。
ただ、その瞳だけが違う。
静かで、鋭く、研ぎ澄まされた決意を宿していた。
「だからなんだ」
ダンザが吐き捨てる。
「そこに立ってる時点で粛正対象だ」
号令が飛ぶ。
地面が震え、砦は一瞬で戦場へと変わった。
魔族たち——いや魔王軍の動きは無駄がない。
血に飢えた乱戦ではない。統率された兵のそれだった。
カラーズの前に、茨雷と澪が進み出る。
「君たちの相手は、僕らがしよう」
千弦の氷刃は、茨雷の炎に触れた瞬間、蒸発する。
リーインの風刃は、澪の土壁に吸収される。
ダンザの槍は水流に呑まれ、
采牙の植物は燃え落ち、灰すら残らない。
「すべての魔法には制約がある」
茨雷が、講義をするかのような口調で言う。
「この人たち……いくつ紋章を持ってるの……?」
茜の声が震えた。
紋章は一人一つか二つ。
カラーズでさえ、三つが限界。
だが目の前の二人は——炎、水、雷、風。
さらに結界と回復。
戦場そのものを掌握している。
異常だった。
「茜!突っ立ってるんじゃねぇ!!」
ダンザの怒号。
「幹部は俺たちがやる!お前は魔族を倒せ!!」
茜は剣を握り締める。
地獄の訓練が脳裏をよぎる。
何か一つでも出来なければ、あの場所へ戻される。
逃げ場はない。
だけど。
目の前にいるのは、人だ。
組織によって化け物にされた人間。
そして、魔族幹部によって人に戻された人間。
「魔族を殺せ!」
一斉に魔導士たちが襲いかかる。
千弦の攻撃は魔族には当たらない。
茨雷の《結界》が守るからだ。
倒れるのは、魔導士ばかり。
「命を惜しまず戦え!!」
怯む魔導士へ、ダンザが怒鳴る。
魔法がぶつかり合い、血が飛ぶ。
倒れた魔族の体が、茨雷の放った金色の光に包まれ——
次の瞬間、傷は消えていた。
敵は立ち上がる。
魔導士は、倒れたままだ。
リーインは回復しない。
「そこにいると邪魔よ」
傷ついた魔導士は《風》で後方へと放り投げる。悲鳴も、呻きも、彼女の耳には届かない。
茜も震える手で剣を構えた。
体中が痛い。訓練でできた痣も傷も、まだ全身に残っている。
今日戦わなければ、さらに訓練はひどいものになる。その思いが、茜を突き動かす。
——何も、見るな。
刃がしなる。
巨大化した剣が敵を斬り裂く。
金色の光に包まれ、敵は何もなかったかのように立ち上がった。
「茜!回復する前に即死させろ!」
——何も感じるな。
魔族が地面に叩きつけられる刹那、澪が柔らかな砂へ変えて衝撃を抑えた。
「もう魔力切れだろう?撤退していい」
魔族は守られ、退かされる。
魔導士の負傷者ばかりが増えていく。
千弦の攻撃に巻き込まれ、
リーインは回復をしない。
ダンザは撤退を許さず、
茜が中途半端に傷つけた魔族は、即座に回復されて魔導士を襲い返す。
魔導士に目を向けているのは采牙だけだった。
「大丈夫ですか?」
蔓で引き上げ、庇い、重症者に撤退の指示を出す。
それが、これまでの采牙の役割だった。
だが——
采牙の視線が、茜へ向く。
(まさか、ここまで士気が下がるとは)
仲間を巻き込む千弦。
《回復》を持ちながら治さないリーイン。
《結界》を持ちながら守らないジェレン。
どれも、最低の勇者だ。
今更茜が加わったところで、そこまで空気は変わらないと思っていた。
それなのに、戦場はかつてないほどの嫌悪感に包まれている。
魔導士にとって、自分たちは魔王を倒すための戦士。
そしてカラーズは魔王を倒すための最強の戦力で、世界に平和をもたらす存在だった。
『殺したくない』
『魔族だって、命があるから』
茜は直接その言葉を口にしていない。
けれど、その迷いは嫌というほど魔導士に伝わっていた。
世界を救うはずのカラーズの一員が、
命を懸ける彼らの覚悟を揺らがせている。
茜は本来なら、数多の魔族を一瞬で葬れる。
だが、彼女は一人も殺さない。
殺されなかった敵は回復され、再び立ち上がる。そして魔導士を斬る。
それでもなお、彼女は平和を信じようとする。
命が大事だと言うのなら——
(あなたが見逃した敵に殺される、私たちの命は?)
茜の視線がどこを向いているのか、彼らには分からなかった。
元魔導士を守るために、今戦っている魔導士を犠牲にしていい理由も。
なぜ敵の一言で、そこまで動揺できるのかも理解できない。
魔王が人と戦いたくない?
それならなぜ、砦を攻撃する。
剣を取り、魔法を放ち、血を流させているのは誰だ。
自分たちの悲鳴は、茜には届かない。
魔導士は最低なカラーズに慣れている。
それでも、
“味方を守らない勇者“よりも
“敵を倒さない勇者“が許せなかった。
それはもう、勇者ですらないから。
◇
茜は必死で戦っている。
何度も姿を変えた剣は、刀身を真紅に染めていた。
だが、倒れたままの敵はいない。
すべて《回復》され、あるいは《撤退》していった。
誰も殺せないままで、勇者が許されるはずがない。
頭の中は真っ白だった。
何のために戦っているのか。
誰のための戦いなのか。
分からないまま、戦っている。
「とどめを刺せと言っているだろう!!!」
ダンザの怒号が雷鳴のように響く。
景色が遠い。
自分の体を、どこか外側から見ているようだった。
刺すような視線。
罰のような訓練。
血まみれの剣。
いろんなものが頭の中を、駆け巡る。
(もう……終わりにしてしまいたい)
操っている自覚もないのに、勝手に剣が形を変えた。
真っ直ぐに伸び、魔族の胸を狙う。
(……これで、終われる?)
その瞬間。
ふいに、声が蘇った。
『敵であろうと殺さない方法を考える王女のままで……帰ってきてほしいと思っています』
刃が吸い込まれる直前に、剣はまた形を変えた。
巨大な刃ではなく、手のひらに治まる小さなナイフへと。
茜は、それを構えることなくゆっくりと手を下ろす。
そして、目の前に迫った敵の刃を、感情のない目で見つめた。
一瞬の衝撃。
茜の体が横に弾かれた。
「……馬鹿ね」
肉を裂く音がして、温かい血が茜の頬に散る。
目の前で斬り裂かれたのは、リーインだった。
突き飛ばされたのだと理解するまで、数秒かかった。
「あなたのその迷いは、仲間を殺す……」
リーインは、微笑んでいる。
「そう、教わらなかった?」
次の瞬間、彼女の体がぐらりと揺れる。
血が、足元に広がる。
そしてそのまま、静かに崩れ落ちた。
茜の世界から、音が消えた。




