15.あなたに望むもの
「……“王女“」
黙って聞いていた采牙が口を開く。
「トウラって、いい国ですよね。自然豊かで、一年通して暖かくて、のんびりしていて」
穏やかな、懐かしむような口調だ。
茜は不思議そうに采牙を見つめた。
なぜトウラ国の話が出てくるのかわからない、と言うように。
「あと、食べ物が美味しくて、人も穏やかなところもいいですよね」
「………」
「敵と争って奪うのではなく、話し合って解決する方法を探す。王家が、そんな人たちで——」
采牙が優しく言う。
「王女。あなたは覚えていないかもしれないけど……。僕は子どもの頃、あなたに会ったことがあるんです」
「え?」
茜が息を飲んだ。
魔法が発現する少し前。
采牙が十三歳の時だ。
「僕が山菜採りをしていたら、あなたは町娘のような服装で、たった一人で山に入ってきました」
少し遠くを見つめ、采牙は話し始めた。
「どう見ても山に入る服じゃないのに、スルスルと子リスみたいに登っていました」
そこに思い出すように笑った。
「気になって後をつけたんです。そうしたら、目の前に急に泉と野原が現れて……」
一面に咲く花を背に、
『私しか知らないと思っていた』
と屈託なく笑っていた。
茜の目が丸くなる。
「あなた、あの時の……?」
「はい。翌日、王都のパレードであなたの姿を見かけて驚きましたよ。まさか王女だなんて思わなかったから」
よく似た他人かと思った。
豪華なドレスに身を包み、化粧をして、髪も綺麗に結い上げていたから。
その時、子供が馬車の前を横切った。
馬車が急停止する。
王女は真っ先に馬車を飛び降りた。
靴を脱ぎ捨て、ドレスをたくしあげて子どもに駆け寄る。
その場の誰よりも、動くのが早かった。
『怪我はない?』
と尋ね、子どもが頷くとほっとしたように笑った。
——あの子だ。
身軽さも、その笑顔も。
そしてこれが“王女“であることに驚いた。
王家はもっと、怖いものだと思っていたから。
「あなたは魔導士として、カラーズとしては、未熟なのかもしれない。だけど、人としては間違っていないと思います」
黙って聞いていた茜が目を伏せる。
「これはカラーズや魔導士としてではなく、トウラ国民としての勝手な意見です。いつか魔王を倒して平和が訪れたら……」
采牙の言葉に、茜の目から涙がこぼれ落ちた。
「平気で敵を殺せる英雄ではなく、敵であろうと殺さない方法を考える優しいあなたのままで。……トウラに帰ってきてほしいです」
戦闘中も訓練中も流さなかった涙が、止まらなかった。
◇
長い石造りの廊下。
足音だけが、静かに反響する。
訓練場から出た采牙は、無言で歩いていた。
その背後から、低い声が落ちる。
「よくあんなにスラスラと、思ってもねぇこと言えるもんだな」
足を止める。
振り返らなくても分かる。
千弦だった。
壁にもたれ、気怠げに笑っている。
口元は楽しげだが、目は一切笑っていない。
采牙が小さくため息をつく。
「……そういう発言は控えてください。ここがどこだか、忘れてませんよね」
「周りに誰もいねーよ。“声”は聞こえねぇ」
千弦の笑みが、わずかに深まる。
《同調》。
他者の心を読む非制御魔法。
望まなくても、周囲の“声”が流れ込んでくる。
カラーズの絶大な魔力のため、感知できる範囲は聴力を遥かに上回る。
千弦が他人の心を感知できないということは、二人の会話を聞く者は周囲にいないということだ。
「なんで誰も気づかねーのか、不思議だよ」
千弦が壁から身を起こす。
「お前が敵だって」
その言葉に、采牙はぴたりと足を止めた。
「……普通の人は、心なんて読めませんからね。《同調》能力者のあなたと違って」
数秒の沈黙の後、微笑を返す。
「普通の人は、目で見たもの、耳で聞いたこと、感じたこと——それだけが真実なんですよ」
「おめでたすぎて羨ましいな。俺もそうやって楽しく生きてみてぇよ」
千弦が喉で笑う。
「十分、自由で楽しそうに見えますけど?」
采牙の目が細められる。
その瞳に、冷たい光が宿っていた。
「てめーが一番、“救世主”の目じゃねぇな」
軽く笑いながら、千弦が言う。
「無差別殺人の死刑囚にだけは言われたくありませんね。あなたが勇者とか、世の中終わってます」
「魔王の血で勇者を選ぶシステム自体が狂ってんだろ」
「同意します」
ほんの少しの間が空いて、采牙の口元にそっと笑みが浮かぶ。
「……まぁ、今の魔王様は“いい人”なんですけど」
「その話が一番、狂ってんだよ」
廊下に、短い沈黙が落ちた。
「王女に、“勇者“になってもらっては困るんです。魔王様のためにも」
何も考えずに戦いたい。
そう呟く彼女の背中を押すのは簡単だった。
だけど、殺せない勇者のままでいてくれる方が、都合がいい。
「千弦さんは?」
采牙が千弦を見る。真意を探るような視線。
「あの人に何を望みます?」
「……あいつの心、うるせぇんだよな」
返ってきたのはその一言だった。
いつもの軽口ではなく、冷たい声。
采牙は知っている。
千弦の“うるさい“は、“殺したい“と同義だ。
「王女も大変ですね」
他人事のように采牙が言う。
人を殺せる駒になってほしい。
戦えない勇者のまま孤立して欲しい。
うるさいから消えて欲しい。
仲間たちが抱いている勝手な思いを、彼女は知らない。
千弦がふと、何もない空間を見つめた。
じっと、焦点を合わせる。
何かを“聞く”ように。
「……誰か来たな。じゃあな」
片手をひらりと上げる。
足音も軽く、去っていく。
采牙はその背を見送り、その場にとどまる。
数人の魔導士が雑談を交わしながら現れたのは、
長い廊下の奥に、千弦の姿が消えた後だった。




