13.逃走
地面が震えた。
乾いた大地に亀裂が走り、砂塵が空へと噴き上がる。
炎が爆ぜ、焦げた匂いが風に乗って鼻腔を刺す。
その日、再び魔族が襲撃した。
黒煙の向こうで魔力が衝突する。
空気が歪み、爆ぜるたびに鼓膜が揺れた。
「目を逸らすな、茜!」
ダンザの怒号が、轟音を裂いて届く。
茜の手が震える。
握りしめた剣が、汗で何度も滑りそうになる。
刃の冷たさが指先の感覚を奪い、血の気が引いていく。
返事は声にならなかった。
先日の戦いから、まともに眠れた夜はない。
目を閉じるたびに、血に染まった魔族の姿が浮かぶ。
——殺して。
あの声が、何度も蘇る。
その背後で、ジェレンの笑い声まで響く。
剣を振る手に力が入らない。
視界の端が白く霞む。
爆風が頬を打ち、砂が肌を裂いた。
「お前はカラーズだろうが!」
雷鳴のような叱責。
敵の放った攻撃が足元で炸裂し、地面が抉れる。
熱気が顔を焼き、髪を焦がした。
魔導士たちは必死で魔族と戦っている。
そして攻撃を受け、倒れていく。
リーインは彼らに目もくれない。
その隣では千弦の無差別な攻撃が、味方を巻き込み容赦なく降り注いでいた。
戦場には怒りが渦巻いていた。
リーインへ。
千弦へ。
そして、茜へ。
どうして勇者が戦わないのか、と。
刺すような視線が、背中を灼く。
それに気づかないほど、茜は鈍くない。
『何人、同僚を魔族にしたと思う?』
胸の奥で、ジェレンの声が響いた。
魔族は、元魔導士だった。
罪を犯したわけでもない。
ただ命令に従い、力を使い尽くし、不要と判断され、捨てられた人たち。
半人半獣というには、あまりにも人の面影を残す人たち。
殺せるはずがない。
茜の剣は形を変えなかった。
血に染まることはなく、光を宿すことすらない。
戦場の真ん中で、立ち尽くす。
「だって、あの人たち……っ」
続きを飲み込む。
『危険思想』
『その会話の相手も粛清対象になり得ます』
冷たい通告が、脳裏を掠めた。
ダンザが舌打ちする。
時間がない。
まもなく敵幹部が現れる。
魔族を“回収”するために。
今の茜を、彼らと会わせるわけにはいかない。
幹部は甘い言葉を囁く。
心の隙間に入り込み、疑念を育て、亀裂を広げる。
そして今の茜は、確実に流される。
「……帰れ、茜」
低く、抑えた声。
「目障りだ」
物を見るような冷たい視線と、有無を言わせな声音。
命を賭して戦う人たちに背を向けて、茜は走り出した。
砂を蹴り、悲鳴の中を走る。
戦場の真ん中で背を向ける。
それは、魔導士がその場で粛清対象になる行為だった。
「なぜ……カラーズが……」
兵士の口から、乾いた呟きがこぼれた。
自分より遥かに強い存在が。
世界を救うと予言された勇者が。
なぜ、立ち去ることを許されるのか。
その青年の胸を、魔族の黒い爪が背後から貫いた。
血飛沫が、熱い雨のように散る。
茜は振り返らない。
地面に倒れ込みながら、彼はその遠ざかる背中を見つめていた。
その時。
白い風が青年の体を抱き止めた。
ふわりと地面に下ろされる。
「……!」
青年がゆっくりと体を起こす。
貫かれた傷も痛みも消えている。
「何をしている」
頭上から、ダンザの声がかかる。
「ぼさっとしてるな。治ったなら、戦え」
その言葉を聞いた瞬間、青年に死の恐怖が蘇る。
胸を貫く痛みも。
「戦えない魔導士などいらん」
(……これが、《回復》よ)
その光景を眺めながら、リーインはそっと眼を伏せた。
彼らが抱える痛みも恐怖もすべて無視して、人を永遠に戦わせることができる能力。
回復する限り、彼らは死ぬまで地獄で戦い続ける。
リーインは千弦を見る。
青の勇者が誕生して二年。
味方も関係なく殺す勇者であることは、魔導士なら誰もが知っている。
なのに、彼の近くで戦う魔導士は後を絶たない。
まるで、巻き込まれることを望んでいるかのように。




