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星降る屋上アイドル部―屋上で歌うと流れ星が落ちるらしいので、女子高生アイドル部を作ることにした  作者: 明石竜


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9/18

第九章 消えた思い出

 文化祭から二週間以上が経った。十月の屋上は、九月より冷たかった。練習を終えるころには風が少し冷たくなっていて、ましろちゃんが両手を袖の中に隠していた。

 変化は少しずつ来ていた。最初に気づいたのは、凛ちゃんの様子だった。

 練習の帰り道、凛ちゃんがわたしの隣を歩きながら、何かを考えている顔をしていた。いつもなら帰り道にうるさいくらいしゃべるのに、その日は黙っていた。

「どうしたの?」

わたしは聞いた。

「……ねえ、ひかり。地元の友達の話、したことあったっけ?」

「したよ。小学校のとき仲良かった子が思い出せないって」

「そうだ、した」

凛ちゃんが少し眉を寄せた。

「あれからずっと気になってて。名前も出てこなくなったんだよね」

「名前も?」

「うん。顔も名前も出てこない。でも確かにいた気がする。毎日一緒に走り回ってた子が」

 わたしは黙った。

「なんか変な感じがして、忘れてるんじゃなくて、最初からいなかったみたいな感じ。でも確かにいたはずなんだよ」

「どうして確かだと思うの?」

「体が覚えてる気がするんだよね。誰かと一緒に走った感覚。隣に誰かいた感覚。でもその誰かが誰なのか分からない」

 凛ちゃんは困ったような顔をして、でもすぐに「まあいいか」と言って前を向いた。切り替えが速いのが凛ちゃんらしかった。

 でもわたしは、気になった。


 翌日の昼休み、玲奈さんが音楽室にいると聞いて行ってみた。

 玲奈さんはピアノの前に座って、弾いていた。曲の途中で手を止めて、また同じところを弾いた。何かを確かめているみたいだった。

「玲奈さん」

 呼ぶと玲奈さんが振り返った。

「ひかりさん。どうしました?」

「少し話せる?」

「ええ」

 玲奈さんはピアノの椅子を少しずらして、わたしが座れるスペースを作った。わたしはその隣に座った。

「お母さんのこと、最近どうですか?」

 玲奈さんが少し目を細めた。

「……どうして聞くのですか」

「前に、写真を見ても思い出せないって言ってたから」

「ああ」

玲奈さんは鍵盤をじっくりと見た。

「最近、少し増えています」

「思い出せないことが?」

「はい。昨日、母親から電話があって、昔よく行っていたレストランの話をされたのですが、まったく記憶になくて。母は覚えているのに、わたくしだけ覚えていない」

「お母さんは何か言いましたか」

「少し不思議そうにしていました。でも、人は覚えていることが違うから、と。そのまま話が終わりました」

 玲奈さんは囁くような声で言った。感情を抑えているのか、もともとそういう話し方なのか、分かりにくかった。でも指先が鍵盤の上にそっと置かれて、少し力が入っているのは見えた。

「大事な記憶ですか、そのレストラン」

「分かりません。思い出せないから、大事だったかどうかも分からない。それが一番、怖い気がします」

 わたしは何も言えなかった。

 大事だったかどうかも分からない。思い出せないということは、それがどれほど大切だったかも、分からなくなるということだ。

「透子にも聞いてみる」

「透子さんも、何かありそうですか」

「たぶん」


 放課後の練習が終わって、透子と二人で残った。

 いつもの流れだった。凛ちゃんとましろちゃんが先に降りて、玲奈さんがあとを追って、透子とわたしが最後に残る。二人でフェンスの前に立って、街を見る。それがいつの間にか習慣になっていた。

「透子、妹さんのこと、最近どう?」

 透子が少し間を置いた。

「……増えた」

「思い出せないことが?」

「うん。名前は分かる。顔も分かる。でも一緒にいた記憶が、薄い。昨日、妹から連絡が来て、昔約束したことを聞かれた」

「何の約束?」

「歌を聴かせるって約束。妹がそう言うから、たぶんしたんだと思う。でもいつ、どこで約束したのか、まったく出てこない」

 透子は穏やかな声で言った。動揺しているようには見えなかった。でも、それが透子の怖いところだとわたしは思った。透子は感情を顔に出さない。だから、どれだけ傷ついているのか分からない。

「妹さんに、なんて答えたの?」

「……覚えてる、と言った」

「嘘をついたの?」

「嘘じゃない。約束したこと自体は、たぶん本当のことだから」

「でも内容は覚えてない」

「覚えてない」

 透子は空を見上げた。夕日が落ちかけていた。

「歌が上手くなりたいって、屋上で願った。それは覚えてる。でもその代わりに、こうなってるなら」

 透子が続けた。

「割に合わない、とは思わない。でも、知りたかった」

「最初から教えてほしかった、ってこと?」

「……うん」

 透子らしい言葉だった。怒っているわけじゃない。ただ、知りたかった。それだけだった。


 翌日の練習前、わたしは四人を屋上に集めた。

 練習じゃなくて、話し合いをしたかった。みんなに聞いてほしいことがあった。

「昨日と一昨日、凛ちゃんと玲奈さんと透子に話を聞いた」

 三人が少し緊張した顔になった。

「全員、大事な思い出が消えてる」

 沈黙。

「凛ちゃんは地元の友達の記憶。玲奈さんはお母さんとの思い出。透子は妹との記憶」

「それって、流れ星と関係してる?」

 凜ちゃんが尋ねた。

「たぶん」

「たぶんじゃなくて」

「証明はできない。でも、願いが叶ったタイミングと、思い出が消え始めたタイミングが、重なってる」

 玲奈さんが穏やかな声で言った。

「流れ星に願うと願いは叶う。でも代わりに、思い出が消える」

「そういうことだと思う」

 誰も反論しなかった。

 ましろちゃんが小さく手を挙げた。

「ましろも、あります」

「ましろちゃんも?」

「はい。ましろ、入学したくてこの学校を受験して、入れたんですけど。入学したかった理由が、思い出せなくて」

「どういうこと?」

「この学校に入りたいって、すごく強く思っていた記憶はあります。でも、なんでそんなに入りたかったのか。それが、全然出てこない」

 ましろちゃんは少し首を傾けた。

「昔、何か夢があった気がします。でもそれが何だったか、分からなくなっています」

 わたしは四人の顔を見回した。

 全員が、何かを失っていた。

 そしてわたし自身も、ずっと気になっていることがあった。

 言わないといけない、と思った。

「わたしも、ある」

 みんながわたしを見た。

「幼なじみの記憶がない」

「幼なじみ?」

「小さい頃に、仲良かった子がいた気がする。でも名前も顔も出てこない。それどころか、本当にいたのかどうかも分からなくなってきてる」

「いつから?」

「最初から薄かった。でも最近、もっと薄くなってる気がして」

 凛ちゃんが少し難しい顔をした。

「ひかりは、屋上で何を願ったの?」

 わたしは少し考えた。

「みんながずっと一緒にいられますように、って」

「叶ってる?」

「……今のところは」

「じゃあその代わりに、幼なじみの記憶が消えてるってこと?」

「たぶん」

 でも、と思った。

 わたしが屋上で初めて願ったのは、ほしあま部を始めてからだった。でも幼なじみの記憶は、もっと前から薄かった気がする。小さい頃から、すでに何かが欠けていた気がする。

 それはどういうことなのか、まだ分からなかった。

「なんで最初に教えてくれなかったの?」

凛ちゃんが問い詰めてきた。責めているわけじゃなかった。

「文化祭が終わってから向き合おうと思ってた。それまでは、ただ歌いたかった」

「……そっか」

「ごめん」

「謝らなくていい」

凛ちゃんが首を振った。

「ひかりのせいじゃないし」

「これからどうしますか?」

 玲奈さんに問われ、わたしは少し考えた。

「歌うのをやめるかどうか、みんなで決めたい。続けたら、もっと消えるかもしれない。でもやめたら、消えた思い出は戻らないかもしれない」

 誰も即答しなかった。

 風が吹いた。凛ちゃんが言った。

「少し、考えていい?」

「もちろん。急がなくていい」

「わたくしも、少し時間をください」

 透子は黙っていた。

 ましろちゃんが、そっとわたしの袖を掴んだ。

「先輩」

「なに?」

「ましろ、思い出が消えても、今ここにあるものは消えないと思います」

 わたしはましろちゃんを見た。

「今ここにあるもの」

「先輩たちと一緒に歌った記憶。ライブのこと。屋上のこと。それはまだあります」

 ましろちゃんは少し不安そうな顔をしながら、でもはっきりと言った。

「だから、ましろはまだここにいたいです」

 夕日が落ちていった。みんなの影がコンクリートに伸びた。

 答えはまだ出なかった。でも、ましろちゃんの言葉が、夕風の中にしばらく残っていた。


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