第三章 最初の歌
アイドル部に名前がついたのは、結成から三日後だった。
提案したのは凛ちゃんだった。
「星降る屋上アイドル部、どう?」
放課後の屋上で、四人で空を見上げながら言った。
「そのまますぎない?」
わたしは突っ込んだ。
「そのままがいいんだよ。分かりやすいし、覚えやすい」
透子は黙っていた。玲奈さんが少し考える顔をした。
「略称はどうしましょう?」
「ほしあま部」
凛ちゃんが即答した。
「ほしあま」
わたしは繰り返した。
「……なんか可愛いかも」
「でしょ!」
透子がぼそっと言った。
「……悪くない」
玲奈さんが微笑んだ。
「では、そちらで」
こうして星降る屋上アイドル部、通称ほしあま部が正式に誕生した。部員四名、顧問なし、部室なし、楽器なし、曲なし。あるのは屋上と、流れ星と、四人の声だけだった。
問題は、曲だった。一緒に歌うと言っても、今は既存の曲を合わせているだけだ。アイドル部として活動するなら、いつか自分たちの曲が必要になる。
でも、それはまだ先の話だとわたしは思っていた。
思っていたのに、玲奈さんが曲の断片を持ってきていた。
「……作っちゃったの?」
凛ちゃんが目を丸くした。
「メロディの欠片だけです。まだ歌詞もなくて、構成もなくて」
玲奈さんは少し恥ずかしそうに打ち明けた。丁寧な言葉遣いのまま、でもどこか照れている。
「弾いてみてもいいですか。スマホで録音してきたのですが」
「聴かせてください」
わたしがお願いしたら、玲奈さんがスマホを取り出して、再生した。ピアノの音が流れた。ゆっくりとした旋律で、でも途中から少し上がって、また穏やかになる。一分もない断片だった。
みんなで聴いた。透子がスマホに少し顔を近づけていた。凛ちゃんは体を小さく揺らしていた。
音が止まった。
「……好き」
透子がそう言ったら、玲奈さんが少し目を見開いた。
「白石さんに気に入っていただけると、作った甲斐があります」
「透子でいい、って昨日言った」
「……そうでしたね。透子さん」
「さんもいらない」
玲奈さんは少しだけ戸惑った顔をして、それから「透子」と小さく呼んだ。透子が頷いた。凛ちゃんがその様子をにこにこしながら見ていた。
「歌詞、わたしが書いてもいい?」
三人がわたしを見た。
「書けるの?」
凛ちゃんがちょっと驚き顔で尋ねた。
「書いたことはないけど、書いてみたい」
「……あなたが書くなら、聴いてみたい」
透子がそう言ってくれて、嬉しかった。
玲奈さんが頷いた。
「ひかりさんの言葉、楽しみにしています」
こうして曲作りも始まった。
玲奈さんがメロディを作る。わたしが歌詞を考える。透子がボーカルをとる。凛ちゃんがダンスと振り付けを担当する。役割が自然に決まっていった。
歌詞を書くのは、思ったより難しかった。
夜、部屋でノートを広げて、ペンを持った。書きたいことはある気がした。でも言葉にすると違う気がする。消して書いて、消して書いて、気づいたら一時間経っていた。
書けたのは一行だった。
空が橙になるころ、わたしたちはここにいた。
それだけだった。でも悪くない気がした。ここから広げられる気がした。
翌日、屋上でそれを透子に見せた。
「これだけ?」
「これだけ。でも気に入ってる」
透子はその一行を、じっと見ていた。
「……うん」
「好き?」
「……嫌いじゃない」
わたしは笑った。透子の「嫌いじゃない」は、たぶんかなりの褒め言葉だと、最近分かってきていた。
第一回の「ちゃんとした練習」は、結成から一週間後の放課後だった。
玲奈さんがメロディをさらに整えてきた。Aメロ、Bメロ、サビの形がようやく見えてきたという。わたしの書いた歌詞は四割くらい埋まっていた。
「まだ完成じゃないけど、今日はここまでの部分を通してみたい」
「歌えるの? メロディ分かる?」
わたしがそう言ったら、凜ちゃんが問いかけた。
「玲奈さんに昨日教えてもらった」
「あたしは?」
「明日教える」
「今教えて」
凛ちゃんに五分でメロディを覚えさせた。凛ちゃんは覚えが早かった。何度か口ずさんだら、もうほとんど歌えていた。
「じゃあ行こう」
四人で向き合った。空は夕方で、橙の光が全員の顔を照らしていた。
玲奈さんが出だしを口ずさんで、テンポを確認した。
わたしが入った。凛ちゃんが続いた。透子が最後に入った。
透子の声が入った瞬間、音が変わった。
分かりやすかった。三人で歌っていた音に、透子の声が加わると、全体がまとまる。芯ができる。バラバラだった糸が、透子の声を中心に束になる感じがした。
Aメロを歌い終えたあと、
「透子が入ると全然違う」
凛ちゃんが正直に言った。
「……そんなことない」
「いや、ある。あたしたちの声がちゃんとした感じになった」
玲奈さんが頷いた。
「透子の声は、全体のピッチを整える力があります。不思議と周囲が引っ張られる」
透子は少しだけ下を向いた。褒められるのが得意じゃないんだと、わたしはだんだん分かってきていた。
「サビもやろう」
わたしはそう言って、話を進めた。
サビに入った。
まだ歌詞が完成していないから、わたしは途中でラララに変えた。凛ちゃんも同じようにした。玲奈さんのメロディは綺麗で、サビになるとぐっと広がる。透子が声を張った。
その瞬間だった。
空に、光が走った。
一本。二本。三本、四本。
凛ちゃんが歌いながら空を指差した。透子も上を向いた。玲奈さんが息を飲んだ。わたしは歌いながら空を見上げた。四本の流れ星が、橙の空を、同時に落ちていった。
歌が止まった。四人とも、空を見上げたまま黙っていた。
しばらく誰も何も言わなかった。
やがて凛ちゃんが口を開いた。
「……四本」
「うん」
「人数分」
「……かもしれない」
「すごくない? これ」
玲奈さんが穏やかな声で言った。
「人数分落ちたとしたら、偶然ではないですね」
「最初から偶然じゃないと思ってた」
わたしがそう言うと、透子は黙っていた。でも空を見る目が、少し違う気がした。何かを確認しているみたいな目だった。
「透子、どうした?」
「……なんでもない」
「何か考えてた?」
透子は少し間を置いてから、聞いた。
「願い事って、してみたことある?」
流れ星に、ということだろう。
「ある。小さいころ」
わたしは答えた。
「何を願ったの?」
「……覚えてない。たぶん他愛もないこと」
透子は、それ以上は聞かなかった。また空を見た。
「あたしはいつも流れ星に足速くなりたいって願ってたな。一回も叶ったことないけど」
「あら、わたくしもピアノの上達を願ったことがあります」
「叶った?」
「どうでしょう。叶ったかどうか分からないまま、練習は続けていました」
わたしはみんなの話を聞きながら、なんとなく思った。
流れ星に願い事をするというのは、きっと誰もがやったことのある、ありふれたことだ。子どもの頃に一度はやる、特別でも何でもないこと。
でも今、この屋上に流れ星が落ちている。
何かが違う気がした。
どこが違うのか、うまく言えなかった。ただ、この流れ星は、ただ綺麗なだけじゃない気がした。でもそれを言葉にする前に、凛ちゃんが「続き歌おう!」と言ったので、わたしは考えるのをやめた。練習が終わって、四人で屋上の端に並んで座った。フェンスにもたれて、脚を伸ばして、街を見下ろした。夕日がほとんど沈んで、空が紺と橙の境目みたいな色になっていた。街の灯りがぽつぽつと点き始めていた。
「ねえ、みんなに聞いていい?」
わたしは言った。
「なに?」
凛ちゃんが問いかけた。
「このアイドル部、最終的にどうしたい? 何を目指したい?」
誰も即答しなかった。
凛ちゃんが少し考えて、言った。
「ライブ、したい。ちゃんとしたやつ。衣装着て、曲やって、お客さんの前で」
「どんな規模で?」
「学校の体育館でも全然いい。でもやりたい」
そのあと玲奈さんが言った。
「わたくしは、自分で作った曲を、誰かに届けたいと思っています。曲を作るのは好きですが、それがずっとピアノの中だけにあるのは、少し寂しかった」
「透子は?」
凜ちゃんが聞くと、透子はしばらく黙っていた。
夜に近づいていく空を見たまま、ぽつりと言った。
「……歌い続けたい」
「今みたいに?」
「今よりもっと。もっとうまく、もっと遠くまで届くように」
短い言葉だった。でもそこに、何かが詰まっている気がした。透子が今まで一人で屋上に来て、誰にも聴かせないで歌い続けてきた理由が、少しだけ見えた気がした。
「わたしはね、みんなと一緒に歌いたい。それだけ」
「それだけ?」
凛ちゃんが笑った。
「それだけ。自分の夢とかじゃなくて、ただみんなと一緒に歌っていたい」
「じゅうぶんじゃん」
「そうかな」
「そうだよ。まとめ役がそれくらいの気持ちの人の方が、みんな安心できる」
玲奈さんが頷いた。透子も小さく頷いた。
わたしは少し照れくさかった。でも嬉しかった。
「じゃあ目標、文化祭でライブやろう。秋だから、まだ時間はある」
「文化祭か。いいじゃん!」
凛ちゃんが目を輝かせた。
「部として申請もしないといけない。顧問の先生も見つけないといけない。曲も完成させないといけない」
「やること多いな」
「多い。でもできる」
「根拠は?」
透子が突っ込んだ。
「流れ星が四本落ちたから」
凜ちゃんが答えたら、透子がまた「馬鹿みたいな根拠」と言いかけた。でも今度は言わなかった。代わりに、ほんの少しだけ、口の端が上がった。
凛ちゃんがそれを見てにっこりした。玲奈さんが穏やかに微笑んだ。
街の灯りが増えていた。空がもう少し暗くなった。
わたしは四人の横顔を見て、胸の中が少しあたたかくなるのを感じた。
流れ星が四本落ちた夕空の下で、ほしあま部はゆっくりと、でも確かに動き始めていた。




