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星降る屋上アイドル部―屋上で歌うと流れ星が落ちるらしいので、女子高生アイドル部を作ることにした  作者: 明石竜


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第十六章 最後のライブ

 三月後半の土曜日は、晴れだった。朝から空が高くて、風が少しだけあたたかかった。桜はまだ咲いていなかったけれど、春はもう来ていた。体育館に着いたのは、昼の十二時だった。

 みんなで荷物を持って、正面玄関から入った。廊下を歩くと、岸本先生がすでに体育館の準備をしていた。パイプ椅子が並んでいた。スピーカーが設置されていた。舞台の上に、マイクスタンドが五本立っていた。

「来たわね」

「おはようございます」

「今日は天気がいい。声が通りやすい日よ」

 先生は相変わらずだった。淡々としていて、でも来てくれていた。準備をしてくれていた。わたしはそれだけで、じゅうぶんだと思った。

 四人が舞台の確認をしている間、わたしは体育館の入り口に立って、客席を見た。

 まだ誰も来ていない。パイプ椅子が整然と並んでいる。高い天井から光が差し込んでいる。文化祭のときと同じ場所なのに、今日は少し違う感じがした。あのときより、重かった。あのときより、大事だった。

 開場は一時。ライブは一時半。

 まだ一時間以上ある。


 楽屋代わりにした会議室で、みんなで衣装に着替えた。白い衣装を着ると、少し背筋が伸びた。玲奈さんが仕上げた衣装は、最初に作ったときより少しだけ綺麗になっていた。ましろちゃんが「きれいです」と言って、凛ちゃんが「でしょ」と自慢そうに言った。

 鏡の前で、みんなで並んだ。

 わたしは四人の顔を順番に見た。凛ちゃんは少し緊張した顔をしていたけれど、目が笑っていた。今日が楽しみで仕方ない、という顔だった。

 玲奈さんは落ち着いていた。いつものコンクール前と同じ顔、とは少し違った。コンクールのときより、どこか柔らかかった。

 ましろちゃんは緊張で顔が白かった。でも背筋は伸びていた。半年前に踊り場で膝を抱えていた子が、今日は舞台に立つ。

 透子は鏡を見ていなかった。窓の外を見ていた。何かを確認しているみたいな目だった。

 わたしは透子の隣に立った。

「大丈夫?」

「……うん」

「妹さんに、ちゃんと届くといいね」

 透子の肩が少し動いた。

「……うん」

「きっと届くよ」

 透子は何も言わなかった。でも耳が少し赤くなった。


 凛ちゃんがわたしを呼んだ。

「ひかり、玲奈に髪直してもらってる。来る?」

「行く」

 わたしは透子の肩を一度だけ軽く叩いて、凛ちゃんの方に向かった。


 一時になった。会議室の扉の外から、人の声が聞こえてきた。廊下に人が集まってきているらしかった。凛ちゃんが扉に近づいて耳を当てた。

「けっこう来てる。笑い声とか聞こえる」

「文化祭のとき来てた子たちかな」

「あとSNSで見た人とか。外部の人もいるかも」

 ましろちゃんが「外部の人も来るんですか」と少し驚いた顔をした。

「来るかもしれない。でも怖くないよ。誰が来ても、わたしたちが歌うことは変わらないから」

 ましろちゃんが頷いた。でも顔は白いままだった。

 透子が立ち上がった。少し部屋を歩いて、また座った。落ち着かないのか、と思ったけれど透子が体を動かしているのは珍しかった。

「透子、緊張してる?」

「……してる」

「文化祭のときも緊張してたよね」

「あのときより、してる」

「なんで?」

 透子は少し間を置いた。

「妹がいるから」

「見られるのが緊張する?」

「……見ててほしい人がいると、ちゃんとしたくなる」

 わたしはその言葉を聞いて、少し胸があたたかくなった。

 透子は変わった。最初に屋上で一人で歌っていた透子は、誰かに見ていてほしいとは思っていなかったはずだ。でも今は、見ていてほしい人がいる。

「ちゃんとできるよ」とわたしは言った。

「根拠は」

「今まで全部ちゃんとできたから」

「それだけ?」

「それだけ。でもじゅうぶんでしょ」

 透子はわずかに口元を緩めた。


 一時半になった。みんなで体育館の袖に移動した。

 客席を袖から覗いた。満員だった。パイプ椅子が全部埋まっていた。後ろに立っている人もいた。文化祭のときより多かった。知っている顔も見えた。同じクラスの子、他のクラスの子、先生たち。岸本先生が後ろの方に立っていた。

 そして、前の方に、母親の姿があった。

 その隣に、見慣れない女の子が座っていた。中学生くらいの、黒い髪の子だった。

 一瞬だけ誰だろうと思って、それからすぐに分かった。

 透子の妹だ。透子に少し似ていた。

 透子も気づいていた。袖から客席を見て、少しだけ息を止めたのが分かった。

「見えた?」

わたしは小さな声で尋ねた。

「……見えた」

「よかった」

 透子はそれ以上何も言わなかった。でも、目が少し変わった。さっきまでの緊張とは違う、何か別のものが混じった目になった。

 凛ちゃんがわたしの手を握った。ましろちゃんがわたしの袖を掴んだ。

「行こう」とわたしは言った。


 舞台に出た。照明が眩しかった。文化祭のときと同じ眩しさだったけれど、今日はもっと体の芯に来た。客席がざわめいていたのが、少しずつ静かになった。

 みんなで定位置に立った。マイクを持った。

 玲奈さんが音源を確認した。頷いた。

 音楽が流れ始めた。

 一曲目。最初に作った曲。屋上で初めてみんなで歌ったメロディ。

 わたしが入った。凛ちゃんが続いた。透子が入った。

 透子の声が入ると、空気が変わった。今日も同じだった。

 客席が静かになった。一曲目を歌いながら、わたしは一年間のことを思い出していた。

 転校してきた日の屋上。透子が一人で歌っていた。流れ星が落ちた。凛ちゃんに声をかけた。玲奈さんの教室に行った。踊り場でましろちゃんが膝を抱えていた。文化祭で初めてライブをした。体育館の窓から流れ星が落ちた。

 全部が、この一曲に入っている気がした。

 サビで声を張った。

 みんなの声が体育館に広がった。

 客席の前の方で、わたしの母親が口に手を当てていた。

 一曲目が終わった。拍手が来た。


 MCを短くした。

「星降る屋上アイドル部、ほしあま部です。今日は来てくれてありがとうございます」

 拍手。

「今日は三曲やります。最後まで聴いていただけたら嬉しいです」

 それだけにした。

 余分なことを言う時間がもったいなかった。早く歌いたかった。


 二曲目が始まった。

 玲奈さんが作った、覚悟の曲。内側から外側へ広がる曲。

 凛ちゃんの振り付けが始まった。サビの前半で抑えて、後半で解放される動き。練習通りだった。でも練習より、全部が大きかった。

 透子が歌っていた。

 二曲目の透子は、一曲目より深いところから声を出していた。妹がいるから、とさっき言っていた。見ていてほしい人がいると、ちゃんとしたくなる、と。

 サビに入ったとき、窓の外に光が見えた。

 体育館の高い窓から、空が見えた。その空を、光が走った。

 文化祭のときと同じだった。

 凛ちゃんが踊りながら気づいた。目が少し大きくなった。でも踊り続けた。

 流れ星が落ちていた。体育館の外でも、わたしたちが歌えば落ちる。

 二曲目が終わった。

 拍手の中で、凛ちゃんがわたしに小声で言った。

「さっき、窓の外」

「見てた」

「落ちてた」

「うん」

「最後の曲でも落ちるかな」

「落ちると思う」

 凛ちゃんが小さく頷いた。


 三曲目の前に、少しだけ間を置いた。

 みんなで一度顔を見合わせた。

 凛ちゃんが頷いた。玲奈さんが目を閉じた。ましろちゃんが唇を少し噛んだ。透子がわたしを見た。

 わたしは透子の目を見た。

 何も言わなかった。でも、何かを伝えた気がした。全部、伝わった気がした。

 音楽が流れ始めた。

 星が降らなくなった日。

 穏やかな始まり。玲奈さんのピアノの音が体育館に広がった。ゆっくりとしたテンポで、でも単純じゃない。何層かの音が重なって、少しずつ積み上がっていく。

 透子が最初の一音を出した。その瞬間、客席の空気が変わった。

 二曲目の透子も良かった。でも三曲目の透子は、もっと違った。声の中に何かが入っていた。さっきまでの透子とも、練習のときの透子とも、違った。

 別れる気持ち、と透子は言っていた。本番のときにしか、本当の意味では歌えない、と。

 本当のことだった。

 今日の透子の声は、透子が半年間で経験したことが全部入っているみたいだった。一人で屋上で歌っていたこと。ひとりでいる方が楽だと思っていたこと。みんなと歌って、違いが分かったこと。妹との記憶が消えていったこと。それでも続けることを選んだこと。全部が、声に乗っていた。

 Bメロに入った。

 凛ちゃんが踊っていた。

 踊りながら、突然動きが一瞬止まりそうになった。

 わたしには分かった。

 凛ちゃんの顔が、何かを思い出したときの顔になっていた。

 でも凛ちゃんは踊り続けた。止まらなかった。目に涙が浮かんでいたけれど、踊り続けた。

 しばらくして、凛ちゃんが小さく声を漏らした。歌いながら、踊りながら、ぽつりと言った。

「思い出した……」

 客席には聞こえない声だった。でもわたしには聞こえた。

「あの子の名前……思い出した」

 凛ちゃんは泣きながら踊り続けた。笑いながら踊り続けた。


 サビに入った。

 玲奈さんがピアノ伴奏をしながら、突然涙をこぼした。

 演奏は止まらなかった。指が動き続けていた。でも頬を涙が伝っていた。

 玲奈さんが歌いながら、小さく言った。

「お母様……」

 それだけだった。でもその一言に、全部入っていた。

 玲奈さんは演奏を続けた。声を出し続けた。


 二番のAメロ。

 ましろちゃんが歌いながら、少し顔を上げた。

 普段は一点を見て歌うましろちゃんが、今日は空を見ていた。体育館の高い天井を。

 そして歌いながら、ゆっくりと言った。

「ましろ、思い出しました」

 声が少し震えていた。

「ましろの夢……歌手じゃなくて」

 間があった。

「学校の先生になりたかったんです」

 ましろちゃんの目から涙がこぼれた。でも歌い続けた。声が震えていたけれど、音程は外れなかった。

 学校の先生。

 ましろちゃんが忘れていた夢が、戻ってきた。

 この場所に来たかった理由が、戻ってきた。


 二番のサビ。透子の声が、突然変わった。

 変わった、というより、何かが加わった。声の芯に、熱いものが混じった。

 透子が歌いながら泣いていた。透子が泣くのを、わたしは初めて見た。表情を変えない透子が、舞台の上で泣いていた。涙をこぼしながら、まっすぐ前を向いて歌っていた。

 透子が歌いながら言った。声が少し乱れていたけれど、歌い続けた。

「妹のこと……思い出した」

 間。

「私、約束してた」

 また間。

「ずっと歌を聴かせるって」

 透子の声が、一瞬だけ途切れそうになった。

 でも途切れなかった。

 次の瞬間、今日一番の声が出た。サビの最後の音を、透子は今日の最高の声で歌った。体育館全体に広がった。客席のどこかで、誰かが息を飲む音がした。


 最後のサビへの前奏が始まった。

 空を見た。体育館の高い窓から、空が見えた。

 光が走った。一本じゃなかった。

何本も落ちていた。数えられないくらい。文化祭のときの一本とも、屋上の五本とも違った。体育館の外の空を、何本もの流れ星が同時に落ちていった。

 凛ちゃんが気づいた。ましろちゃんが気づいた。玲奈さんが気づいた。透子が気づいた。

 客席でも、窓の方を向いた人がいた。

「星」と誰かが言った。

 でも音楽は止まらなかった。わたしたちも止まらなかった。

 最後のサビが来た。


 最後のサビ前、わたしは息を吸った。

 空を見た。窓の外に、一番大きな流れ星が落ちていった。

 その瞬間、わたしの頭の中で何かが動いた。

 公園。ブランコ。二つ並んで。黒い髪の子。

 その子が歌っていた。小さな声で、でも透き通るような声で。

 わたしが「上手いね」と言った。

 その子が振り返った。

 顔が見えた。

 見えた。

 小さい透子だった。

 あの写真の子は、透子だった。ブランコに並んで乗っていたのは、透子だった。透き通るような声で歌っていたのは、透子だった。

 そして透子が言っていた。

「また一緒に歌おうね」

 その声が、頭の中で鮮明に聞こえた。

 わたしは泣きながら、最後のサビを歌った。

 客席に、わたしの母親がいた。隣に透子の妹がいた。二人とも泣いていた。

 透子がわたしを見ていた。

 わたしも透子を見た。透子の目が少し大きくなった。

 きっと透子にも、何かが戻っていた。あの公園の記憶が。ブランコに並んで座った記憶が。「また一緒に歌おうね」と言った記憶が。

 全部が繋がった。わたしたちは、最初から知っていた。

 忘れていただけで、ずっと前から知っていた。

 最後のサビを、みんなで歌い切った。


 音楽が止まった。体育館が静かになった。

一秒。二秒。それから、拍手が来た。文化祭のときより大きかった。スタンディングオベーションだった。パイプ椅子から立ち上がっている人が、客席のあちこちにいた。

 わたしは少し前に出て、マイクを持った。

 MCをする予定だった。最後の挨拶を、ちゃんと言おうと思っていた。

 でも言葉が出てこなかった。

 涙が先に来た。わたしは少し笑いながら、泣きながら、それでもマイクを握った。

「流れ星が落ちる屋上で、わたしたちは出会いました」

 声が少し震えた。でも続けた。

「願い事も、夢も、思い出も、たくさんありました」

 客席のみんなが静かに聞いていた。

「でも、いちばん大事だったのは」

 透子を見た。凛ちゃんを見た。玲奈さんを見た。ましろちゃんを見た。

「ここでみんなと歌っていた時間です」

 また拍手が起きそうになった。でもみんな、続きを待っていた。

「流れ星がなくなっても」

「アイドル部が終わっても」

「わたしたちは、きっと大丈夫です」

 最後の一言を、はっきりと言った。

「だって私たちは――」

 みんなで声を揃えた。

「「「「「一緒に歌ったから」」」」」

 拍手が来た。

 体育館全体が、音に包まれた。


 舞台裏に引っ込んだ。凛ちゃんが泣き笑いの顔でわたしに抱きついてきた。ましろちゃんが凛ちゃんの後ろから重なってきた。玲奈さんが三人の外側からそっと手を添えた。

 透子が、少し離れたところに立っていた。

 わたしは凛ちゃんとましろちゃんから離れて、透子の前に立った。

「透子」

「……うん」

「思い出した?」

 透子は少し間を置いた。

「……公園。ブランコ。あなたが来て、歌が上手いって言ってくれた」

「うん」

「また一緒に歌おうねって、言った」

「覚えてた」

「……やっと」

 透子の目が少し潤んでいた。泣いたあとの目だった。

「幼なじみ、透子だった」

「……うん」

「ずっと一緒にいた。忘れてただけで」

「……ずっと一緒にいた」

 透子が少し前に出た。わたしの胸に、額を押し当ててきた。

 抱きつくというより、ただもたれてきた。でもそれが透子らしかった。

 わたしは透子の背中に手を回した。

 凛ちゃんが「えっ」と声を上げた。ましろちゃんは「あっ」と小さく息を呑んだ。玲奈さんが穏やかに微笑んだ。体育館からは、まだ拍手が聞こえていた。春の光が廊下の窓から差し込んでいた。

 星降る屋上アイドル部の、最後のライブが終わった。


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