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星降る屋上アイドル部―屋上で歌うと流れ星が落ちるらしいので、女子高生アイドル部を作ることにした  作者: 明石竜


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第十一章 透子の過去

 十一月に入って、屋上の風が本格的に冷たくなった。

 凛ちゃんが「そろそろ屋上きつくない?」と言い出したけれど、透子が「ここじゃないと落ちない」と言ったので、結局屋上のままになった。全員が厚めの上着を着込んで、マフラーを巻いて練習するようになった。ましろちゃんは相変わらず手袋を忘れた。

 その頃から、透子とわたしが二人で話す時間が増えていた。

 練習後に残るのはいつものことだったけれど、以前より少し長く残るようになった。理由を言葉にするのは難しかった。透子といると、なんとなく穏やかな気持ちになれた。それだけのことだった。

 透子も嫌がらなかった。


 ある日の練習後、四人が帰って二人になってから、透子がぽつりと言った。

「妹から、また連絡があった」

「何て?」

「今度の日曜日、会いに来たいって」

「会うの?」

「会う。でも……」

透子は少し間を置いた。

「何を話せばいいか分からない」

 わたしは透子の横顔を見た。

「思い出せないから?」

「うん。妹は覚えてることが、わたしには覚えてない。それを隠しながら話すのが、しんどい」

「隠さなくていいんじゃないの?」

「言えない」

「なんで」

 透子は少し視線を落とした。

「妹は、わたしのことを信頼してる。お姉ちゃんはなんでも覚えてる、って思ってる。それを壊したくない」

「でも実際には覚えてないんでしょ」

「だから、しんどい」

 透子は短く言って、フェンスに寄りかかった。

 わたしは少し考えた。透子らしいと思った。弱いところを見せたくない。妹に心配させたくない。でも一人で抱えて、しんどくなっている。

「透子って、昔から妹の前でお姉ちゃんだった?」

「……そういうつもりはなかったけど、気づいたらそうなってた」

「妹さん、何歳?」

「二つ下。中学三年生」

「受験生じゃん」

「うん。だから余計、心配かけたくない」

 わたしはフェンスの近くに腰を下ろした。コンクリートが冷たかったけれど、構わなかった。透子も少し考えてから、隣に腰を下ろした。

 街の灯りが増え始めていた。

「透子はさ、妹さんに歌を聴かせたいって言ってたよね」

「うん」

「歌が上手くなりたいって願ったのも、それが理由?」

「……たぶん。でも、正確には違うかもしれない」

「どういうこと?」

「歌が上手くなりたいのは、本当のこと。でも、なんでそんなに上手くなりたかったのか。そこが、薄くなってきてる」

 わたしは黙った。

「妹に聴かせたかった、というのは覚えてる。でも、なんで妹に聴かせたかったのか。どういう約束をしたのか。もう出てこない」

 透子の声は穏やかだった。怒ってもなく、泣いてもなく、ただ淡々としていた。でもその淡々とした声が、かえってわたしには重く聞こえた。

「透子は、それが怖い?」

「怖い、とは少し違う。悲しい、とも違う。ただ、何かが抜けたみたいな感じがする。歯が抜けた穴みたいに、そこに何かがあったことは分かるけど、何があったかは分からない」

 的確な表現だとわたしは思った。透子はいつも、言葉が少ないけれど、言葉を選ぶのが上手い。


 日曜日が来た。練習はない日だったけれど、夕方に透子からメッセージが来た。

『妹に会ってきた』

 わたしはすぐに返した。

『どうだった?』

 しばらく間があって、返事が来た。

『歌を聴かせた』

『喜んでくれた?』

『泣いてた』

 わたしは少し胸が詰まった。

『透子は?』

『泣かなかった』

 また間があった。

『でも、歌いながら、少しだけ思い出した』

『何を?』

『妹が小さいとき、熱を出して寝込んでいたことがあった。そのとき、枕元で歌ったことがある。それを思い出した』

 わたしは返事を考えた。でも何を書けばいいか分からなくて、少し待った。

『妹、その話した?』

『した。覚えてた。お姉ちゃんが歌ってくれたから、早く元気になれたって』

 また間があった。

『それは覚えてた』

 最後の一文が、なんとも言えなかった。全部は覚えていない。でもそれだけは覚えていた。透子にとって、それがどれだけ大事だったか。

『よかった』とわたしは返した。

『うん』と透子は返してきた。


 翌週の練習で、透子の歌がまた変わっていた。技術的にどう変わったかは、わたしには説明できなかった。でも以前より、何かが乗っている感じがした。凛ちゃんが「透子、すごくない? 今日」と言って、透子が「そう?」と言った。

 玲奈さんが練習後にわたしに言った。

「透子さんの声に、感情が増えました」

「分かる?」

「音楽をやっていると、声の質より感情の有無の方が、聴き手に届くことがあります。透子さんの声は元から質がいい。でも最近、そこに何かが加わっている」

「何だと思う?」

「誰かに届けたい、という気持ちだと思います」

 わたしは透子を見た。今日も淡々と練習している。表情は変わらない。でも玲奈さんの言う通り、何かが違う。


 その日の練習後、二人で残った。

「妹さんに会ってきた話、教えてくれてありがとう」

「メッセージだったけど」

「それでも」

 透子は少し下を向いた。

「ひかりに言いたかった」

「なんで?」

「……なんでかは分からない。でも、言いたかった」

 わたしはそれを聞いて、少し不思議な気持ちになった。透子が誰かに話したくなる、ということ自体が、たぶん珍しい。透子は自分の中に溜めておくタイプだから。

「透子って、友達多い?」

 透子が少し考えた。

「少ない」

「ほしあま部より前は?」

「……ほとんどいなかった」

「なんで?」

「一人でいる方が楽だった。誰かといると、合わせないといけない。それが疲れる」

「わたしといるときも疲れる?」

 透子は少し間を置いた。

「……疲れない」

「なんで?」

「ひかりは、合わせろと言わないから」

 わたしは少し笑った。

「そんなこと意識したことなかったけど」

「だからいい」

 透子は真顔で言った。わたしは夕空を見た。もう星が落ちない時間になっていた。でも橙の空は綺麗だった。

「透子って、ずっと一人で屋上で歌ってたんだよね」

「うん」

「寂しくなかった?」

 透子は少し時間をかけて答えた。

「寂しいかどうか、分からなかった。一人が当たり前だったから」

「今は?」

「今は……」

透子が少し止まった。

「分かる」

「何が分かるの?」

「寂しかったんだと。一人で歌ってた頃が」

 わたしは何も言わなかった。

 透子が続けた。

「ひかりが来てから、分かった。一人のときとみんなといるときが、こんなに違うって」

「それって、よかった?」

「……よかったと思う」

透子がわたしを見た。

「でも、困ることもある」

「困ること?」

「一人でいられなくなってきてる」

 透子は少し困った顔で言った。困った顔を透子がするのは珍しかった。

「それのどこが困るの?」

「慣れてないから」

「慣れればいい」

「そう簡単に言う」

「簡単だよ。毎日ここに来て、みんなといればいい」

 透子はわたしを見た。少し、何かを言いかけた。でも言わなかった。

 代わりに、正面を向いた。夕風が吹いた。透子の黒い髪が揺れた。

「……ひかり」

「うん?」

「屋上で最初に見たとき、怖くなかった?」

「何が?」

「見知らぬ人が、ひとりで歌を歌ってた。普通は怖い」

「怖くなかったよ。透子の歌を聴いてたから」

「それだけで?」

「それだけで。いい歌を歌ってる人は、怖くない」

 透子はまた黙った。それからぽつりと言った。

「……あのとき、もし怖い顔されてたら、もう一回来なかったと思う?」

「怖い顔、しなくてよかった」

「……うん」

 透子の声が、少しだけ柔らかかった。

 街の灯りが増えていた。空が暗くなっていた。そろそろ帰らないといけない時間だった。

 でも、もう少しここにいたかった。透子の隣で、冷たい空気の中で、街を見ていたかった。

 それがなぜなのか、わたしにはまだうまく説明できなかった。

 ただ、透子の隣が、なんとなく、居心地よかった。


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