5.『エスト』
ゆっくりと、フィールドに向けて歩を進める。
真っすぐに前を向いて、呼吸を整えながら、一歩ずつ地面を踏みしめる。
通路を抜けて、フィールドに足を踏み入れる。
先日アンナと戦ってから、さらに1ヵ月と少しぶりのディーム。アウェイの箱ゆえに慣れ親しんだ空気は薄く、エストの緊張を加速させる。
それでも今は内心の弱気を見せないように、『戦乙女』としての立ち振る舞いを意識しながらファンたちの前に姿を現した。
エストが現れた途端、湧き上がる観客と加速するコメント。
その反応はエストの久しぶりの帰還に対して、だけではない。
今のエストが身に纏っているのは、いつもの青い鎧、ではなく、控えめな装飾と刺繍を施された――美しい薄水色のドレス。
光沢を抑えた上品な質感に仕上げてもらったそれは、肩から腕にかけて清流のような青と白の差し色があり、胸の部分には華美な印象を崩さないよう控えめにデザインされたブレストプレート。地面に触れない程度のスカートには、同じく差し色と共にスリットが入れられており、足元は動きが制約されないようなシンプルな造りの、白銀の細い足鎧。そして頭には銀色のティアラと、背には大きな剣の鞘。
それは単なるドレスではなく、あくまで戦闘服であることを示す意匠が随所に施されていた。
背中の鞘は緑がかった青色で、流れるような風と翼をイメージしたデザイン。翼と剣が折り重なるようなマークは、あえて変えずに以前と同じものを使っているお気に入りの国章。武器は以前までの剣よりもふたまわりほど刃幅と刃渡りの増した、エストにしては少し攻めた大剣だ。
「どう、かな‥‥?」
エストは照れ笑いを浮かべながら、目の前の彼女に新装備の感想を求める。
エストの対戦相手――歪宮ルナは、エストの衣装を見つめて瞳をキラキラと輝かせた。
「すっっっごく素敵です! とっても似合ってます! 綺麗ですッ! カッコいいですッ! まさに『戦乙女』って感じですッッ!」
べた褒めしてくれる歪宮に小さな声で、けれど真っすぐに彼女を見ながら「ありがと」と返す。
コメントでも『かわいい』『キレイ』『最高です』『すき(遺言)』などの褒めと共にかなりの数のBETも投げられており、恥ずかしさと嬉しさと、様々な感情が混じり合っていた。
待ちに待った、と言うべきその新装備。実のところ元々予定していた装備と現在のそれは、全く別物となっていた。
元はこれまでと同じく戦士らしいものをイメージしていたが、改めて自分の求めるディーマーとしての姿を考えて、現在の衣装へと至ったのだった。
エストが憧れるディーマーの、誰よりも眩しく輝く魅力。そして華やかに戦う『戦乙女』としての、自分自身の強さと凛々しさ。そのどちらもが、エストが追い求める理想の姿。
だからこの衣装は、エストの目指す『エスト』という存在そのものだと言えた。
「武器も変えたんですね。前はもっと細身の剣でしたよね」
「うん、こういうのもカッコいいかなって、歪宮さん見てたらちょっと思ったから」
「えっ、そう言ってもらえると嬉しいです!」
「そういう歪宮さんも、ちょっと前から武器だけ変えてますよね」
「はいっ、そうなんです! これ、カッコよくないですかッ!?」
「あはは、そうですね‥‥」
今、歪宮の手に握られているのは、以前戦った時の鉄塊のような大剣ではなく――ドス黒い鉈のような武器だった。
相変わらずというべきか、それは鉈にしては異様に巨大で、色も形も禍々しい。刃の部分には血のような赤色がべったりと塗りたくられており、パニック系のホラー映画かよと言いたくなってしまう。
歪宮の武器はエストのように今回が初お披露目ではなく、半月ほど前から武器を変えていたことをエストは知っていた。
今日までしばらく休んでいた間、エストはずっと歪宮の試合を配信で見ていたから。
歪宮は長時間枠を好んでおり、日常的に5枠に現れては以前エストと戦った時と同様、疲れなど忘れてしまったかのように最初から最後まで全力で戦い続けていた。
名の知られていなかった当初こそその冗長な試合に苛立ちを覚える人も多かったものの、今ではその不屈の精神が彼女の魅力として知れ渡り、評価されるようになっていた。
エストにとって歪宮との戦いはあまりにも印象的で、鮮烈で、あの日の記憶がエストの感情を揺さぶり続けている。
だから今ここで、文字通り身も心も新たになった状態でもう一度歪宮と戦いたかった。
自分が抱いているはずの『楽しい』を、きちんと確かめておきたかったから。
歪宮なら、それを教えてくれるに違いないと思ったから。
エストは背中の鞘から大剣を抜き、歪宮に向けて構えを取った。
鞘という存在を物理的に無視しながら解き放たれたその大剣の刃は、照明の光を受けてわずかに青く輝く不思議な色を放っている。ズシリと存在しないはずの重量を感じ、その感覚に思わず笑みが零れた。
「私、このサイズの武器に全然慣れてないから色々と試行錯誤させてもらいますけど、今日はたっぷり付き合ってくださいね、歪宮さん」
「もちろんですッ! こちらこそよろしくお願いします、エスト様。今日はたっぷり時間がありますからね」
そう、今日は時間がたっぷりある。長時間枠を好む歪宮が言う通り、だ。
今日はエストも初挑戦となる――10枠での参戦だった。
歪宮とは予め連絡を取り合ったわけではなく、このマッチングは偶然のもの。
ただ毎日のように歪宮を配信で見て、彼女がいつも10枠を取って相手が見つからず5枠に移動させられていたことは知っていたし、恐らく今日はこの箱のこの時間に来るだろうことも分かっていた。プニッターもチェックして、今日は特別な用事がなさそうなことも把握していた。
だからこれは偶然でありながら必然。大丈夫だろうとは思っていたけど、違う人とマッチしたらどうしようとちょっとドキドキしてたことは内緒。
「実はわたし、エスト様がお休みしてる間に二つ名をもらったんですよ」
「うん、知ってます。――『妖魔』、ですよね」
満面の笑みで「はいっ」と頷く歪宮。
イベントだとか記念だとか関係なしに、毎日のように長時間枠で耐久を行う異常なまでの体力。最初から最後まで、勝っていても負けていても笑顔で戦い続ける精神力。そして、前進以外知らないかのように、どちらかが倒れるまで戦うことを止めようとしない好戦意欲。
ベルやもふねこのように人外の姿をしているディーマーは多々いるが、ヒトの姿をしていながら誰よりも人間離れしたその在り方に付けられた二つ名は、人ならざる者『妖魔』。
「歪宮さんらしくて、うん、良いと思います。武器も、なんていうか、イメージ通りって感じだし」
「えへへ、ありがとうございます。わたしもすっごく気に入ってるんです」
「実際、大剣ってどんな感じですか? 歪宮さん、武器種的にはふたつとも大剣ですよね」
「すっごく楽しいですよ! これで戦ってると、わたし今、命を刈り取ってるんだな~って実感できます!」
「あんまり実感したくないなあ」
そのまま歪宮が紡ぐ穏やかな言葉の波に乗るように、しばらくの間その緩やかな時間に身を浸した。
いつもなら詰まりがちな言葉が今は自然と紡がれて、他愛のない会話が続く。普段のエストであれば雑談は出来る限り避けたいと思うのだが、歪宮と話すのは嫌ではなかった。
久々に訪れるディームはエストの緊張を高めるのに十分すぎるものだったが、歪宮と言葉を交わしその可愛らしい声を聞いていると、むしろ少しずつ心が安らいでくる。
このままずっと歪宮の柔らかな声を聴いていたいという想いもあるが、しかし、今のエストの中にはさらに大きな欲求が渦巻いていた。
「――‥‥それじゃあ歪宮さん、そろそろ、戦いましょうか」
「‥‥‥‥ッ! はいッ!」
普通の女の子のように談笑に花を咲かせていた歪宮は、戦闘の話になった途端に目の色を変えて、にんまりと口端を持ち上げる。
その表情を見て、今日ここに来たことはやはり正しかったのだと確信した。
歪宮が二つ名を得られるほど成長したとて、いまだエストが格上だと考えるのは傲慢ではないだろう。
この試合、歪宮にとっては楽な戦いにはならないはずだ。だが歪宮はそんな相手を前にしても、恐れることも躊躇うこともない。
彼女は目先の勝利よりも、もっと深い部分にあるものに目を向けているから。
エストは歪宮と向かい合って、フィールドの中央に立った。
音が遠のく。実況や歓声はもうほとんど聞こえない。景色の色が薄れ、視界の端で流れるコメントも全て意識の外へと消えてゆく。
そしてそれとは反対に、目の前の歪宮は輝きを増してゆく。周囲を漂う光が全て歪宮に吸い込まれて、世界が歪宮に集約されてゆく。
――試合開始のブザーが鳴った。
同時に、エストの世界も色を取り戻す。
フィールドを取り囲む観客。色とりどりのコメント。熱狂と歓声が包み込むフィールドに、強敵に立ち向かう喜びに瞳を輝かせるふたりのディーマー。
――――私が憧れた景色、そのものだ。
試合が始まったと同時、歪宮の周囲に大量の短剣が出現した。歪宮は少しだけ悪戯っぽく笑って、短剣が一斉にエストに降り注ぐ。
歪宮らしい最高の挨拶に、思わず「ハッ」と笑みが溢れ出す。
歓喜に震える手で大剣の柄を握りしめ、効率なんて考えない、叩き下ろす大振りの一撃。
暴風が吹き荒れ、襲い来る短剣を全て吹き飛ばす。歪宮の淡いピンクの髪が激しく揺れて、紫色の瞳はさらに輝きを増した。
突風の余波にフィールド全体がざわりと揺れ、輝く波のようにドレスの裾がひらめいた。その感触に、エストは満足げな笑みを浮かべる。
歪宮は即座に次の短剣を生み出すが、今度は以前のように手当たり次第に投げつけてはこず、正確にエストを狙って数本ずつ波状攻撃を仕掛けてくる。
前回からしばらくの間に、歪宮も成長している。真正面から強引に手数で押そうとするスタイルは変わらないけれど、攻撃が少し洗練されている。
それらの攻撃を、新しい剣の具合を確かめながら弾いてゆく。この大剣ならやっぱり突きよりも薙ぎのほうが効果的だろうかとか、間合いが違うから踏み込みも変えたほうがいいかななんて考えながら、歪宮の眼前にまで躍り出た。
裂帛の気合いと共に、大剣を思いきり横薙ぎに振るう。歪宮は大鉈とでも言うべきソレで攻撃を受け止め、そのまま力任せに弾き返されてしまった。
重っ、とその威力に驚愕しつつも、やはりもうひと息技術が足りないとも感じる。反撃の余地は少なくない。
今度は歪宮がエストに飛びかかり、大鉈を振り上げた。巨大な影がエストを覆い、攻撃よりも先にその圧迫感に押し潰されてしまいそうだ。
受けるか、避けるか、流すか。悩むが、せっかく新装備の楽しさを味わおうとしてるんだから、ここは正面から受けるとしよう。
そんな思考と共に、大鉈の攻撃を真正面から受け止めた。弾けるように衝撃が広がり、互いの髪を揺らしながら好戦的な笑みがぶつかり合う。
そのまま力任せに歪宮を弾いてドレスの裾を大胆に翻しながら、正確さなど無縁に大剣をぶん回した。
言った通り、エストはまだ新しい武器に馴染んでいない。歪宮もその辺りは承知で、どこか手加減してくれているように感じる。舐めプとかそういうのじゃない。ただ、お互いに楽しめるようにエストの求めるツボを探ってくれている。
‥‥楽しめるように。
そうだ。やっぱりこの子は、ディームを楽しんでるんだよなあ。
この子だけじゃない。ディーマーたちはみんな、ここで戦うことを、それを通じてたくさんのディーマーと交流することを楽しんでいる。
そうでないと、ディーマーを続けるのは難しい。エストのように、本人でさえ不明確な理由で消えていく人は珍しくない世界だ。
ディーマーに必要なのは勝つことだけじゃない。ずっとディーマーを続けていきたいと思うなら、まずは楽しまなくちゃ。
だから、こうしてこの子に会いに来たんだから。
エストは抑えきれない高揚に突き動かされ、真正面から歪宮の間合いに飛び込んだ。
歪宮は驚いたようにクワッと目を見開いて、すぐににんまりと深い笑みを浮かべた。
歪宮は両手で思い切り引き絞って、大鉈を思い切り振るう。勢いは凄まじいが、狙いは甘すぎる。上手く攻撃を誘い出せたことに満足するエストは、後ろに跳んでそれを躱す。目の前の空間を抉り取るような斬撃に、空気が震えた。
エストは即座に向きを変えて再び歪宮に向かって跳ぶ。大鉈を振り抜いたばかりの歪宮は反応しきれない。相変わらず、攻撃ばかりに意識を取られすぎだ。
エストは高く腕を振り上げ、力いっぱいに振り下ろした大剣が歪宮の脳天に直撃した。
「‥‥‥‥良いじゃん!」
その感触に、思わず感嘆の声を漏らした。
10枠というシチュエーションではどの程度ダメージを与えられているのか分かりづらいが、体感としては悪くない。
武器自体に攻撃力はないものの、大きな武器は接触の時間や面積が大きくなる影響でダメージが出やすい仕様になっている。その代わり魔力の消費も少し大きいことや取り回しの悪さ等もあり、エストは不得手だと思っていた大きめの武器。けれど実際に使ってみなければ分からない、という当たり前のことを改めて実感していた。
歪宮はすぐに起き上がり、じりじりと間合いを測っている。歪宮が動く前に、こちらから仕掛ける。
繰り返される正面からの攻撃に歪宮は笑みを深くし、エストの攻撃を真っすぐに受ける。いや受けきれない。魔力量というよりは多分、技量の差で歪宮が押し切られた。
歪宮は楽しそうに笑いながら回復し、シールドがほぼ全快した。以前はもどかしく感じたその回復も、今はこの時間が長く続くことに喜びすら感じられる。
難しいことなんて考えず、先程の歪宮のように両手で引き絞り、力任せに大剣を振るう。ドレスの袖が荒波のように激しく揺れた。
歪宮も同じように避ける――のかと思いきや、全力で攻撃を受ける。「あ」と気の抜けた声が尾を引いて、歪宮の身体が宙を舞った。
えぇ‥‥、と攻撃をしたエストがむしろ困惑していると、コメント欄は慣れた様子でたくさんの草を生やしていた。
歪宮は寝転がったまま楽しそうに笑い、「やっちゃった」とやはり楽しそうに起き上がって頬を掻いた。
画面の向こうの歪宮もいつも楽しそうだったけれど、こうして実際に相対してみるとより一層それが実感できる。ニコニコしている彼女を見ていると、勝利なんてものは本当にどうでもいいオマケのように感じてしまいそうだ。
エストはもう一度正面から懐に飛び込み、同じように横薙ぎに払う。今度はさすがに避けられる。だがそのまま体を回転させて叩き下ろすと、今度は避けられず歪宮は地面に叩きつけられる。
さらなる追撃を仕掛けようと剣を構えるも、歪宮はごろりと転がって回避とともに身体を起こした。
エストは振りかぶっていた腕を引いて、そのまま風の魔力を纏わせた刺突を放つ。中途半端な体勢になっていた歪宮の回避は間に合わない。再び、その華奢な身体が宙を舞う。
いつも通りの感覚で刺突を使ってみたワケだが、やはりというか、大剣での刺突は若干コレジャナイ感がある。体勢が悪かったことを差し引いても、いつもほど威力が乗っていない感じがする。『風の剣戟』と呼ぶには少し鋭さが足りない。技を封印するほどではないにしろ、使いどころを考える必要はありそうだ。代わりになるような、何か勝手の良い技はないだろうか。
――そうだ、どうすれば上手く戦えるのか、どうすればもっと強くなれるのか、必死に頭を巡らせるこの感じ。
新人の頃、何も考えずに突っ込むアンナはバカだなあと思いながら、必死に頭を使って勝つために必要なことを考えていたのを思い出す。
何もかもが新鮮で、勝ったら大はしゃぎして、負けたら歯を食い縛りながら自分の戦闘を見返して反省して。
誰もが大切だと言うことで、だからこそ忘れていた『初心』というヤツ。エストは今まさに、それを思い出していた。
それを思い出せたのは、わざわざ説明するまでもない、目の前にいるその人のおかげだ。
――ありがとう歪宮さん。私は、あなたと出会えて良かった。
彼女の存在に感謝しつつ、新しい武器の感触を確かめながら顔を上げると――歪宮の姿がなかった。
「‥‥‥‥――っ!」
慌てて振り返ると、そこには目ン玉をかっ開いて狂喜の笑みを浮かべる歪宮の姿。身体ごと振り回して放たれた大鉈の一撃は、エストの横っ腹に見事に食い込んだ。
体をくの字に折ってかなりの勢いで壁に叩きつけられ、激しく移り変わる視界に目を白黒させてしまう。痛みこそないが、あまりの威力に脳ミソを直接揺さぶられたかのようだ。
新人らしいと言うべきか魔力の出力が安定しておらず、武器の大きさも相まって上振れの時の威力が凄まじい。
それ以上に、完全に油断していた。どうせ真正面から来るから簡単に対応出来る、なんて考えはあまりにも慢心がすぎた。狩りをする野生動物のように、歪宮はこの瞬間を狙っていたのだろうか。
畳みかけるようにこちらに迫ってきていた歪宮だったが、エストが跳ね起きて剣を構えるのを見ると、慌てて横に跳んで距離を取る。本当に野生動物みたいな動きだ。
じり、と読みあいの間は一瞬。駆け引きなんて知ったことかというように、歪宮は今度こそ正面から飛びかかってきた。
思い切り振り下ろされる大鉈を、捧げるように持った剣で受け止める。衝撃の重さに腕がビリビリと痺れるが、どうにか耐えて刃を押し返し、歪宮の動きが一瞬止まる。
「うううおおおおおりゃああああああああああっ!」
即座に剣を両手持ちにすると、気合いの雄叫びと共に腰を捻って野球のようなフルスイング。さっきのお返しと言わんばかりに、歪宮の横っ腹にもはや打撃と呼ぶべき一撃を叩き込んだ。
カキィーン!とSEが聞こえてきそうなほどのクリーンヒット。歪宮の身体は空中を滑るように薙ぎ飛ばされ、ごろごろと激しく回転しながら地面を転がった。
歪宮は地面を滑りながら姿勢を整え、跳ねるように身を起こした。
休む暇など与えるものかと、即座に正面から歪宮との距離を詰める。歪宮が腰を落としたのを見て、エストは強く地を蹴り、高く飛び上がった。
歪宮の大きな眼が上空のエストを捉える。落下するエストはあまりにも無防備。真っ向からの力比べが出来ることに高揚しているのか、歪宮の瞳がさらに好戦的に輝いて大鉈を振りかぶる。
そしてエストも大剣を構えて――空を蹴った。
重力に逆らうように真横に移動したエストの動きに、歪宮の目はわずかに追いつかない。そのままもう一度空を蹴り、再び重力を味方につけたエストの斬撃が歪宮を見事に斬り裂いた。
四天王のもふねこが見せる、空を蹴る動き。咄嗟の思い付きで試してみたのだが、思った以上に上手くいって「よっしゃ!」と拳を握る。
ただ、いつも以上に繊細な魔力操作が必要となり、集中力の消耗は桁違い。たった二度空を蹴っただけで、こめかみの辺りがチクリと痛んだ。
だがこの程度で勢いを緩めるワケにはいかない。予想外の動きに歪宮が動揺しているうちに、振り向きざまに一撃。歪宮は必死にエストから距離を取ろうとするも、ピッタリ張り付くように追い縋ってさらなる追撃を叩き込む。
いつも通りに剣を振るっているのに、威力が大きい。間合いも少し広く、動きながらでも命中させやすい。その反面、どうしても振りが大きくなりがちで少し動きが雑になる。いつもの感覚に頼ろうとすると腕がついて来ず、攻撃回数は減ってしまう。
エストの猛攻を受けながら、歪宮がどうにか反撃を試みようとしたところを、素早く背後に回り込む。
そうだ、攻撃が遅いなら、そのぶん速く動けばいいだけのこと!
無防備な歪宮の背を断ち割るように、魔力を乗せた渾身の一撃を振り下ろした。
歪宮が振り返って大鉈を振りかぶろうとして――試合終了のブザーが鳴った。
クワッ!と眼を見開いて歪宮が顔を上げると。そこに表示されている彼女のゲージはすでにゼロ。「そんなぁ~」と悔しそうな声を上げつつ、とても楽しそうに天井を見上げた。
「エスト様、やっぱりスゴいですね! 空中をぴょんぴょん跳ねてたのなんか、どうしたらいいか全然分からなかったです! それじゃあ――もう一戦やりましょうッ!」
憂いも躊躇いもなく、歪宮は再戦を希望する。ほとんど見せ場なんてないくらい完敗したにもかかわらず、次の試合が待ち切れないように満面の笑みを浮かべて。
そして躊躇いがないのはエストだって同じ。今日は気のすむまで歪宮に付き合おうと決めたのだから。
「もちろん!」
――エストは後悔し始めていた。
‥‥5枠にしとけば良かったかなあ。
休憩時間にゼリー飲料を吸いながら、エストは小さく息を吐いた。
経過時間はおよそ5時間。戦績は現在、エストが全勝を収めている。文句のつけようのない結果だ。
だが端的に言って、疲れた。スゴく。
魔力も体力も尽きたとは言わないものの、すでにレッドゾーン。これで折り返しと思うと絶望しかない。
まあ、当然といえば当然だ。以前、まだ二つ名さえなかった歪宮と5枠で戦った時でさえフラフラだったのだから、精神的な余裕が出来たとはいえブランク明けにいきなり10枠なんて、狂気の沙汰だ。
じゃあ5枠にして歪宮が10枠から降りてくるのを待てばよかったかというと、別の人と当たる可能性が高くなるので却下。
予め歪宮と相談して5枠で申請していれば確実だが、当然ながらそちらも却下。理由など考えるまでもない。別に仲が良いってワケでもない人に直接連絡するなんて出来るワケないだろいい加減にしろ。
要するに、初めからエストに選択肢などなかったのだ。
ゼリー飲料のフタを指先で弄びながらちらりと歪宮のほうへ視線を向けると、彼女は全く疲れた様子を見せることなく、小さなお口でこくこくとペットボトルのお茶を飲んでいる。かわいいかよ。人間に擬態するのが上手すぎるだろ。
楽しくないかと問われればもちろん否定するが、そういうことではなくてとにかく疲れている。ここからは気合いと根性が必要な場面だ。
そういう熱血思考はあまり得意じゃないんだけどなあ、とエストは小さく息を吐いた。
だけどきっと、これも夢へ向かうための過程なんだと自分を納得させる。そうでもしないと、ヘロヘロと空気の抜けた風船みたいになってしまいそうだったから。
休憩時間が終わり、重い身体を強引に持ち上げてフィールドの中央へと向かう。
歪宮と向き合って、彼女の心から楽しそうな笑顔を眺めていると少し、ほんの少しだけれど、身体が軽くなったような気がした。まるで無尽蔵の彼女のエネルギーを分け与えられているかのようだ。
実際そんな能力があるとしたら、歪宮は迷わずそうするだろう。今日まで何度もその試合を見てきて、彼女の戦闘に対する飽くなき欲求はよく知っている。
歪宮が求めているのは単なる勝利ではなく、血沸き肉躍る戦い。
まるで歪宮の元気と一緒に、闘志まで流し込まれているみたいだ。
高揚している。こんな気持ちは久々だ。いや、より正確に言うならば、高揚しているのを自覚するのは久々だ。
そして、楽しいと感じるのと同時に、エストの中でひとつの欲求が大きくなっていくのを感じていた。
そうだ、楽しければそれだけで良いというワケじゃない。エストが望んでいるソレだって、ひとつのディームの楽しみ方のはずだ。
大切なのは、ちゃんとそれを自覚すること。
「歪宮さん、私――絶対に勝ってみせるから」
だからエストは真っすぐに歪宮を見据えて、心のままにそれを宣言した。
戦って、強くなって、誰よりも強く、誰よりも輝かしいディーマーになる。
だから――勝つ。
それが今のエストの、やりたいこと。
最初からそれを求めていたはずなのに、どうしようもなく遠回りをして、再びその場所に帰ってきた。
だけど今のエストはもう、迷わない。真っすぐに、全力で、勝利と栄光を掴み取りに行く。
何でも出来るディームなんだから欲しいものは全部欲しいって言っちゃえ、とエストの憧れるディーマーも言っていた。
だからディーマーたちが望んでいるだろうもの、あれもこれも全部、貪欲に強欲に遠慮なんてしないで求めまくってやるんだ。
エストの宣言を受けて歪宮はアメジスト色の瞳をペカッと輝かせたが、ハッとして唇を引き結ぶと眉を吊り上げて腕を組み、力強くそう言った。
「もちろん、わたしも絶対に負けません!」
多分、エストに合わせてくれたのだろう。なんだかカッコいい感じで言っているが、いかんせん、可愛い。
お前は何を言っているんだと言われそうだが、言葉通り、歪宮ルナは可愛いのである。
いまいちキマっていない歪宮の立ち姿に癒されながら、エストは大剣を握り直す。
歪宮も満足そうにふんすと鼻を鳴らして、大鉈を握りしめてゆらりと構えを取った。
本日何度目になるか、試合開始のブザーが鳴り響いた――
――いったいどれくらい戦っているのだろう。残り時間はどれくらいだろう。
エストは大きく肩で息をしながら、狭まる視界の中で歪宮と相対していた。
少し調子に乗りすぎたのは自覚している。楽しくなってペース配分を間違えたのは確かだ。
魔力はほとんど残っていなくて、体力も限界が見えている。気合いと根性で戦うだなんて、本当に自分らしくない。
そう思いながらも、エストは口の端にわずかな笑みを浮かべて、だらりと腕を垂らして歪宮を迎え撃つ。ほんのわずかでも体力消費を抑えたい魂胆ではあるが、これはこれでなんかカッコ良くね、とか思ったりしなくもない。
エストがそんな状態にも関わらず、歪宮はいまだウキウキと愉しそうな様子を崩さない。変わらぬ動きで、変わらぬ笑顔で、変わらぬテンションで、大鉈を振るい続けている。いやむしろテンションはちょっと上がっている。
どれだけ攻撃しても退くことを覚えず、何度倒されても起き上がる。めちゃくちゃ嬉しそうな笑顔で。
本当に、なんなんだこの子は。どう考えたって自分よりよっぽど激しく魔力を消費しているのに、なんでここまで疲れた様子が見られないんだ。マジで人間じゃないんじゃないか。
嬉しそうに斬りかかってくる歪宮の刃を弾き、がら空きの身体に一撃を入れる。威力が足りず勢いを殺しきれず、歪宮はすぐに追撃を繰り出すがそれも最小限の動きでどうにか受け流す。
いつもの片手剣が欲しい。万全の状態じゃないというのは、思った以上にもどかしい。
――絶対に、勝ちたい。
疲弊しきったこんな状況でも、そんなことを考える。
勝利数を稼ぐとかファンを増やしたいとかBETが欲しいとか、ディーマーを続けていくために必要なそういうことを考えない、純粋な意地。
思えば、こんなことを思うのは本当に久しぶりかもしれない。少し前まではずっと、周りから見える自分のこと、ディーマーとしての『エスト』のことばかり意識していたから。
歪宮はシールドを回復させながら、立ち尽くすエストとの距離をじりじりと詰める。
歪宮は特に隙を見つけたワケでもなく飛びかかり、エストは同じように弾き、受け流し、突き飛ばす。歪宮との距離が空いて、その隙にじわじわと減らされていたシールドを回復する。
今回も所持数10倍のルールを設けているものの、エストの回復薬はほとんど無くなりかけていた。元々あまり多くは持っていなかったせいで、時間経過とともに増えつつある消費のペースに耐えられていない。
休んでいた間に出来る限りは集めたものの、しばらく何もしていなかったのは痛い。購入、も出来なくはなかったが、回復薬課金はちょっと負けた気がするのでイヤだ。
歪宮の回復薬は残りどれくらいだろう。それが尽きることはあまり期待しない方がいいかもしれない。
気になるのはそれだけではない。正面から突っ込んで来てはあっさりと反撃を受けるばかりだった歪宮は、剣を交える毎に少しずつ、しかし確実に、こちらの動きを学習していっている。
これだけ長時間戦っているのだ、慣れるのは当たり前。だが恐れるべきは、その学習の安定感だ。頭を使わない代わりに、何度も繰り返すことで確実に身体に叩き込んでいる。
じわじわと、這い寄るような速度で鋭い牙が喉元へと迫ってくるような緊張感。追い詰められれば追い詰められるほど、その遅々とした歩みがむしろ脅威としてエストの心を浸食する。
歪宮の大鉈の攻撃を弾き、さらなる追撃を紙一重で避け、遠心力を利用して叩きつけるような斬撃を繰り出す。大きなダメージは与えられない。歪宮は変わらぬ笑顔で再び迫る。
「絶対に、負けたくないッ!」
嬉々として大鉈を振るいながら、歪宮が叫んだ。
だが歪宮はすでに今回の枠での勝利を逃している。ここまで全てエストの勝利で終わっているのだから、ここからの逆転は不可能。
だから歪宮が求めているものはきっと、単純に言葉通りの『勝利』などではない。
歪宮の試合を何度も見て、直接何時間も剣を交え続けて分かってきた、彼女の在り方。
――いいなあ、楽しそうで。羨ましい。
皮肉ではなく、心からそう思う。自分もこんな風になれたら、今よりももっと強くなれるだろうか。
「――あっ、やっちゃった!」
曖昧な思考のまま同じような攻防を何度か続けていると、気付くと歪宮のシールドがゼロになっていた。回復を忘れていたらしい。疲れて集中力が切れているというワケではなく、前進しか知らない歪宮には特に珍しくないことだ。
「う~ん、もうちょっとで行けそうって思ったんですけど」
「いやいや、私まだ余裕残ってるから」
肩で息をしながら憔悴しきった顔で強がりを言ってみるものの、実際エストのシールドはまだ半分近く残っていた。惜しいというにはやや遠い。
そんな軽口を交わしてから一度お互いのスペースに戻って、しばしの休憩を取る。エストは倒れ込むようにどっかりと椅子に腰を下ろして、ちらりと時間に目を向けた。
経過時間は現在、9時間ちょっと。10枠ゆえに次の試合は控えておらず、時間いっぱいまでフィールドを使っても問題ないだろう。だがもう2戦するには時間ギリギリになるかもしれなくて、そうなると余計な焦りも生まれる。すでに疲労困憊ではあるが、出来れば最後まで憂いなく戦いたい。
となれば――
歪宮のほうへ視線を向けると、あちらも時間を気にして少し残念そうな表情を浮かべている。
――恐らく、次が最後の一戦となる。
ぐったりと項垂れて顔を上げることもほとんど出来ないエストに向け、『エストさまがんばえ~』『やっぱ安定感あって好きだわ』『へろへろエストかわいい』『大剣エストも良き』『このまま全勝行ける!』といったコメントが流れている。応援されてるんだなあ、と〝エスト〟というディーマーの評価を改めて実感した。
休憩を終えて、フィールドの中央で向かい合うのはもう何度目か。
視線を合わせると、歪宮は眉尻を下げて小さく肩をすくめて見せた。
「残念ですけど、もう最後にしなきゃいけないみたいですね」
「そうだね‥‥」
この時を待ちわびていたはずなのに、いざ終わりの時が近付いてくると少し名残惜しく感じてしまうのはなぜだろう。
けれどエストの体力も魔力も限界で、どちらにせよこれ以上はもう動けない。
だからこそ、この最後の戦いは何が何でも勝ってみせる。
最後の気力を振り絞って、歪宮と相対する。回復薬はもうほとんど残っておらず、体力の差は歴然。
絶望的とも言える状況のはずなのに、エストはどうしようもないほどに高揚していた。
まだ新人だった頃、自分より格上の相手に勝った時のことを思い出す。無我夢中で剣を振るい、意地で勝利をもぎ取りにいった時のことを。あの日の勝利の感動を。
今はあの時と状況が逆とも言えるし、同じとも言える。
間違いなく変わらないのは、あの時も今も、絶対に勝ちたいと思っていること。
「エスト様、わたし、次こそ勝てそうな気がするんです!」
「残念だけど次も私が勝つから、気のせいですよ」
最後の一戦を前にして、歪宮の瞳に宿る炎がさらに明るさを増したように見えた。
だがその力強い台詞は最後だからというワケではなく、ここに至るまで何度も繰り返し言っている台詞だ。今更特別感はない。
ただ、少しだけ、もしかすると歪宮なら本当に、最後に何かを魅せてくれるんじゃないかって。
今日まで何度も、歪宮の心震わせる試合を見てきたからこそ抱いてしまう、絶対に勝ちたいという意志とは裏腹の、そんな期待。
歪宮ルナというディーマーは、理屈っぽいことなんて言わずにひたすら真っすぐに、たったひとつのことだけを伝え続けてくれている。
――ディームって、楽しいッ!
言葉なんてなくても、歪宮は最初からずっとそれを全身で表し続けている。楽しいんだな、好きなんだなってことが、見ているだけで分かってしまう。
そんな歪宮の感情に触発されるように、歪宮と戦っている人もみな同じように楽しそうに笑っていた。
――今の私も、そんな人たちと同じように笑えているのかな。
勝利に固執して凝り固まっていた自分の顔を思い出し、少しだけ不安が首をもたげる。
けれど今は、そのために自分はココにいるのだと、真っすぐに歪宮と視線を合わせた。
――もっと楽しませてよ、歪宮さん! あなたの『楽しい』を、もっと私にも教えてよ!
そうしてついに、最後の試合開始を告げるブザーが鳴り響いた。
長時間の試合にやや落ち着いていたフィールドが再び熱狂に包まれ、スクリーンは多くのコメントで鮮やかに彩られていた。
エストは内心のやる気とは裏腹に、その場にだらりと立ち尽くして歪宮を迎え撃つ。柔らかな清流のようだったドレスも、今やぼちゃぼちゃと流れ落ちる滝みたいになってしまった。
動かないエストに対し、歪宮はやはり真正面から突っ込んでくる。
エストが疲れて動けないのは分かっているのだから、もっと他の戦い方があるはずなのに。
けれど歪宮はそうしない。多分、理由はすごく単純で――その方が楽しいから。
狭まった視界で、それでも歪宮がその中に正確に入り込んでくるおかげで見失うことがない。
それを対等と呼ぶべきなのかどうかは分からないけれど、歪宮からすれば今の状態のエストの虚を突いて勝ったとて納得出来ないのだろう。
たとえそれで勝利を逃すことになったとしても、こうして最後までそのこだわりを貫いてくる。
そうと決めたら絶対に揺るがない。自らの意志を、『楽しい』という絶対的な基準を頑なに覆そうとしない、歪宮ルナというディーマー。
そんな歪宮の、真正面からの振り下ろす一撃。見切る必要もないほど単純な攻撃。
――ただし、重い。
魔力不足でずいぶんと攻撃力の下がっているエストに対し、歪宮の攻撃はまるで疲れを感じさせない。9時間前との違いが分からない。
耐え切れずバランスを崩したエストに、すかさず追撃の横薙ぎ。受けることは不可能と判断して、剣を斜めに当てて攻撃を滑らせる。
歪宮は攻撃の手を緩めない。逸らされて空を斬った勢いそのままに身体を回転させ、さらに一撃。
判断は悪くないが、動きが雑すぎる。見様見真似の動きはまるで腰が入っておらず、対処はさほど難しくない。
攻撃を防がれ、今度は歪宮の体勢が崩れる。惰性のような勢いを利用して腕を捻り、風の剣戟には程遠い突きを入れる。
歪宮は一度後ろに跳んで距離を取る。エストはそれを追わない。体力が残っていないというだけでなく、今の状態で一撃でも反撃を受ければ戦局は大きく変わってしまうから。とにかく慎重に、確実な勝利を狙いに行く。
距離を取った歪宮は、まだ余裕があるように見えるが早めの回復を試みる。歪宮も少なからず慎重になっているのだろう。
慎重に回復はするが、攻撃は慎重さとは程遠い。やはり正面から大振りの攻撃を仕掛けてくる歪宮。
刃をぶつけて勢いを殺し、即座に二撃目を放って押し返す。さらに素早く三撃目を放とうとするも、体勢を崩しきれなかったうえに武器が重く振りが遅れ、斬撃が交差する。互いにダメージを受けるが、シールドの削れ幅はエストのほうが大きい。
歯噛みしながら顔を上げると、歪宮の瞳がギラリと怪しげに光ったような気がした。
嫌な予感がして、重い脚を強引に動かしてその場を飛び退く。瞬間、先程までエストがいた空間を数本の短剣が貫いた。
着地するも脚に力が入らず、膝をつきそうになる。どうにか全身で踏ん張って、歪宮に向き合った。
はっきり言って、状況はかなり悪い。ひとつのミスがたちまち敗北に繋がりかねない。
――だけど、絶対に勝つ。
勝利への執念というのはプラスにもマイナスにも働くらしいということを、エストは身をもって感じていた。
胸の奥からふつふつと湧き上がるこの感情は、これだけ疲れていてもなおエストを高揚させてくれる。多分、今のエストの脳ミソはアドレナリンにざぶざぶ浸かっていることだろう。
歪宮はやはり、正面から攻撃を仕掛ける。叩き下ろす一撃。刃を斜めに沿わせて攻撃を逸らし、避ける。歪宮は地面に刺さった大鉈をそのまま振り上げ、鉈の背を使ったアゴを狙う打撃を繰り出す。上体を逸らせて回避しようとするも、わずかに掠める。エストは手首だけで剣を振って反撃。防御など考えていない歪宮はそれを受けるが、威力といえるほどのものはなくシールドはほとんど削れない。
歪宮は再び正面から大鉈を叩き下ろしてくる。エストはフウッと息を吐いて身体を捻り、回避する動きと共に斬撃を放つ。鋭い一撃は正確に歪宮を捉え、歪宮は後ろに跳んで距離を取った。
歪宮は隙とタイミングを窺っているようだが、結局真っすぐに突っ込んでくるのだからそれもあまり意味を成していない。
再び、正面から叩き下ろす一撃。攻撃は単調。だが、最初から最後まで単調であり続けるというのは並大抵のことではない。
それでも単調であるという事実に変わりはない。同じ動きで逸らし、弾き、避けきれずにシールドを削られながら、一進一退の攻防を続けてゆく。
エストは自身のシールドにちらりと視線をやり、回復薬を使い――ついにその残数がゼロとなった。
出来ればこうなる前に歪宮のミスを誘いたかったのだが、やはりそう簡単には勝たせてくれないようだ。
ここから先は受け身の戦いではジリ貧になるだけ。だから、攻めるしかない。
この後のことを考えると嫌になる。体力と魔力の尽きた時のあの感覚は、あまり繰り返したいものではない。
だから試合後のことは一旦思考の隅に追いやって長く息を吐き、ぶっ倒れる覚悟を決める。
エストは動かない。そう高を括っている歪宮に向けて、素早く足を踏み出――
カクン、と膝が折れて、躓いてコケそうになった。
いくらなんでもこれはカッコ悪いぞ、と必死に左手でもがいて地面を掴み、這うような低い姿勢で突撃することでギリギリ誤魔化すことが出来た、と思う。
手も足も、全身が鉛のように重い。魔力による身体強化はほとんど出来ていなくて、リアルな肉体の強度がものを言う。申し訳程度の日々のトレーニングが少しは役立っているだろうか。
そんなヨロヨロの攻撃でも、想定外の動きに歪宮は反応できない。下から掬い上げる斬撃は正確にその身体を捉え、シールドを削る。
たった一振りで途方もない疲労が押し寄せ、ぐらりと視界が揺らいだ。
もはや立っているのも、呼吸をすることすらツラい。だけど倒れるわけにはいかない。歯を食い縛って、歪宮みたいに目ン玉をギラギラと見開いて、今この瞬間の勝利にどこまでも執着する。
身体の動きは最小限に、腕だけを動かして突きを入れる。直撃。ぶん回す歪宮の反撃。避ける。身体ごと捻って強引に勢いをつけた横薙ぎ。直撃。脳天をかち割るような歪宮の振り下ろし。掠る。
丸い目ン玉をさらにまん丸くかっ開いて、歓喜の笑みを浮かべる歪宮。そんな彼女の姿に、エストもニイッと笑みを深くする。
最後まで思い切り戦えることに喜びを抑えきれない歪宮と――計算通り、と邪悪に微笑むエスト。
好戦的なエストを見て、やや慎重だった歪宮の戦い方が再び積極的に戻った。
おかげで――その意識が自身のシールドから逸れている。
一度でも回復されたら終わる。シールドのことを忘れろ。戦いのことだけを考えろ。私だけに集中しろ。
『私だけを見て!』なんて可愛らしい欲求ではなく、『コッチヲ見ロォ!』という狂気の瞳で歪宮を縛りつける。
血で血を洗う喜びを思い出した『妖魔』歪宮は、防御にも回避にも頓着しない。ただひたすらに、命を刈り取ることだけを考えている。興奮で動きがやや雑になっているゆえ、攻撃の命中精度はエストのほうが圧倒的に上。
だが、魔力と体力の残量は歪宮のほうが圧倒的に上。一撃の重さがあまりにも違う。命中率に差はあれど、ダメージ量にはそれほどの違いはない。
一歩踏み出すごとに、身体が溶けて地面に吸い込まれていくようだ。剣を振るう度に、武器と自身の重さでボロボロと腕が崩れていくようだ。
それでも絶対に譲ることの出来ない勝利という栄光を奪い取りにいくため、崩れる身体をその場で組み立てるように最後の瞬間まで己を保ち続ける。
エストの斬撃が歪宮に命中する。歪宮が大鉈を振り上げる。半ば倒れ込むように背後に回り込んで細い身体を蹴り飛ばしながら、視界の端で歪宮のシールドを確認した。
その数値はすでにゼロに近い。あと二撃、いや三撃あれば確実に削りきれる。
本当の本当に、これが最後。回復の隙など与えるはずもなく、霞む視界で、震える脚で、ブラストビートを刻む心臓を握り潰したくなる衝動と共に、大地を蹴って歪宮に肉薄した。
「やああああっ!」
と声を上げるのは単なる気合いではなく、歪宮の意識を少しでもこちらに引き寄せるため。最後の最後まで自分らしく、小賢しく確実に勝利を手繰り寄せる。
正面から真っすぐに飛びかかるエストを、歪宮は大鉈を振り上げて迎え撃つ。
全力で振り下ろされるその攻撃を、今日何度もやってきたように斜めに刃を沿わせて攻撃を滑らせるべく大剣を構える。
当たり前のように繰り返しているけれど、受ける角度と力の調整がかなりシビアなその防御。極限の疲労状態で難易度は跳ね上がっているが、この最後の一回を絶対にミスしないよう、集中力をさらに高めて歪宮の腕の動きを凝視する。
――途端に周囲の動きがスローになって、視界の中の全てが鮮明に映りこんだ。
歪宮が腕を振り下ろし、刃と刃がぶつかり、大剣の刃が火花を散らし、禍々しい大鉈の刃がが大剣の上を滑り、エストの横を通り過ぎ――地面に刺さる。
その動きを最後まで見届け、自分のシールドが削れていないことを確かめて、間違いなく防御に成功したと確信する。
瞬間、重くてどうしようもなかった腕が、ふと軽くなったのを感じた。
――来た! ゾーンに入った! これで勝つる!
攻撃を外して隙だらけになった歪宮の身体に攻撃を叩き込むイメージが、明確に視界の中に現れる。この先の歪宮の動きが、エストの取るべき動きが、5秒先の未来が見える。
歪宮とエストの視線が、交差する。
勝利を確信してギンギンに瞳孔の開き切ったイキかけの瞳で歪んだ笑みを浮かべるエストと、同じくバキバキにキマった目ン玉でヒトを喰らう悪魔のように口角を吊り上げる歪宮。
まずは一撃目。勝利へと続く放物線を描く腕は軽く、とても軽く――あまりにも軽すぎる。
そうしてイメージ通りに目の前に現れた自分の手の中には――何もなくて。
ゆっくりと流れてゆく視界の端に一瞬だけ、回転しながら遠くへ流されてゆく、新調したばかりの己の大剣が見えた。
緩やかに速度を失ったままの景色の中で、歪宮が大鉈を振り上げる。
愛らしく丸い目ン玉を爛々と輝かせて、猫みたいに小さくて可愛い口をにんまりと歪ませて、彼女よりも巨大な禍々しい鉈を振りかぶって、最高に嬉しそうでありながら、終わりを惜しむようにどこか哀しげな表情を浮かべて――
大鉈が、振り下ろされる。
同時に、世界が速度を取り戻した。ぷつりと糸が切れたように全身から力が抜けて、全力で顔面から地面に叩きつけられた。
――――試合終了のブザーが鳴った。
視界の半分を地面に埋もれさせ、肺に溜まった熱を押し出すように深く息を吐く。
曖昧な思考の中で、けれどその現実を理解するのにさほど時間はかからなかった。
‥‥‥‥負けた、のか。そうか、また、負けたんだ。
『戦乙女』エストは10時間という長い長い戦いの末に、二つ名を貰ったばかりの新人ディーマー、『妖魔』歪宮ルナに敗北を喫したのだ。
だけどこれで負けたとしても、総合結果としてのエストの勝利に変わりはない。この結果はエストの勝率に何の影響も与えない――はずなのに。
‥‥‥‥悔しいなあ。
感情が乱れている。気を抜くと泣いてしまいそうだ。泣くほど悔しいと思ったのはいつ以来だろうか。
歓声が遠い。実況が何か言っているのは分かるが、言葉を言葉として聞き取れない。もう一歩も動けない。このまま眠ってしまいたい。
視界の端で、歪宮が観客たちに向けて手を振っているのが見える。
試合結果としては敗北したはずの彼女は、だけどそれを感じさせないほどに誰よりも眩しくキラキラと輝いていた。
情けなく倒れ伏して敗北を噛みしめながら、エストはこの戦いの目的を思い出す。
――今日のディーム、どうだった?
声に出さずに、自問する。だけどそんなこと考えるまでもない。答えは明白だ。
モニターに映し出されている最高の笑顔の歪宮と、その後ろでドレスを乱して水たまりみたいに無様に地面に張り付く自身の姿。それを他人事のように眺めながら、エストはフヘッと気持ちの悪い笑みをこぼしたのだった。
――――最ッ高に、楽しかった。




