86.タリクとうさぎのしっぽ亭
ハルバートはシャルロッテたちの乗る馬車を見送った後、小さくため息をついた。
「俺も行きたかったな…」
赤ワインに盛られた毒のダメージからはすっかり回復したものの、王太子としても執務が山積みになっている。
これまでも兄と共に、あるいは兄の代わりに執務をした経験があるが、これほどの量だとは思っていなかった。
「雑務をちゃっちゃと片付けて会いに行けばいいではないですか。さ、執務室に戻りますよ、王太子殿下」
その言い方が返ってからかわれているようで癪に障る…そう思いながら隣に立つサイラスに冷ややかな一瞥をくれると、ハルバートは足早に執務室へと向かったのだった。
王城でやるべきことがあるのは、実はシャルロッテも同様だった。
王太子との婚約にあたり、シャルロッテは正式にマクロード公爵家との養子縁組が決まった。
マクロード公爵夫人はシャルロッテの実母なのだから当然、と思っているのはシャルロッテのみだ。
巫女様の身元引受先として名乗りを上げた貴族は数多くあり、その中でもマクロード公爵家とカタリナの実家であるハービッツ公爵家が凄まじい火花を散らした結果、最終的な決め手が「実母」であったというのが事実だった。
その養子縁組手続きや、避難していた領地から戻って来たマクロード公爵家への挨拶、王城での暮らしに向けた侍女選び、さらにはお妃教育と、シャルロッテもやるべきことが山積みだ。
ドラゴンの卵を守るのが最優先事項ではあるものの、実際は巣作りも抱卵も子育ても、人間の出る幕はない。
やれることは、餌の調達ぐらいだろうか。
そうであってもそばで見守りたいという個人的な思い入れでカシム村へとやって来たわけだが、事情をよく知らない国民からするとシャルロッテは「オルディスから攻めて来た白竜を手なずけた救国の巫女様」なのだ。
その手なずけた白竜がさらに産卵しドラゴンの子供が誕生したとなれば、シャルロッテは益々、祀り上げられることだろう。
もちろんそんな狙いがあることなど本人は気づきもしていない。
タリクにとっては、こちら側が卵の数をごまかして幼竜を引き渡さずに隠さないよう見張らなければならないという思惑があり、それならばドラゴンたちの見張りはタリクに任せればいい。
そしてシャルロッテの護衛と通訳という名目で帯同したカタリナは、タリクが白竜をオルディスに連れて帰るような画策をしないように見張ってくれという密命を負っていた。
まさかタリクが連れて帰るのが自分であることを、カタリナ本人はもちろんまだ知らない。
逗留先は、シャルロッテとカタリナが山小屋で、タリクは山を下りた村の中の宿屋となった。
到着した日はまずカシム村の村長宅を訪問し、国王陛下からの書簡を手渡して山頂を借りることを了承してもらい、簡単な事情説明を行った。
シャルロッテと村長はもちろん顔見知りだし、二週間前のサイラスによる白竜と村の子供たちのふれあいが功を奏し、難色を示されることなく終了した。
その後は早速ドラゴン夫婦が巣作りをしている山頂へと向かった三人だった。
黒ユリと黒竜が生い茂るこの一角だけは地面が黒っぽい下草で覆われている不思議な空間だ。
そこにせっせと小枝で大きな巣を作っている番のドラゴンは、何とも仲睦まじい様子で、自然と口元が綻ぶ三人だった。
その日の夕飯は、熊肉ジャーキー用の肉の注文を兼ねて『うさぎのしっぽ亭』へと赴いた。
シャルロッテの顔を見るなり、店主の妻で接客担当のドリスはカウンターから飛び出してきた。
「シャルロッテ!おかえり!」
そしてシャルロッテに抱き着くと、小声で囁いた。
「ハルさんと幸せにね」
もうっ、エレナがまたしゃべったのね?
苦笑するシャルロッテの肩越しに、後ろに立つカタリナに気づいたドリスは、「お久しぶりです、いらっしゃいませ!」と嬉しそうに笑った。
いつもの奥のテーブル席に座ると、カタリナがそわそわしながらホロホロ鳥は入っているかとドリスに尋ねている。
「はい、ありますよ。やっと最近、入荷するようになったんです。タイミングがよかったわ」
その言葉を聞いて、カタリナが喜んだのは言うまでもない。
ローストディアのサラダとホロホロ鳥のスープ、イノシシの厚切りベーコン、ガーリックトースト、料理に合う赤ワインを注文した。
鹿のブロック肉をじっくり加熱して薄切りにしたローストディアをスライスした玉ねぎの上に乗せてあるサラダは、一見、玉ねぎが多すぎやしないか!?という風に見えるのだが、ジューシーな鹿肉と甘みの強いこの時期の新玉ねぎとの相性が抜群だった。
お任せで選んでもらった渋みの利いた辛口の赤ワインとの相性もよくて、タリクは玉ねぎを鹿肉で包むようにして口の中へ放り込んで咀嚼したあと、赤ワインをぐいーっと飲むのが気に入ったようだ。
オニオンスープがベースになっているホロホロ鳥のスープは、期待を裏切らない安定の美味しさだった。
ホロホロ鳥料理は香辛料を利かせたものが定番であるオルディスとは違う味付けにタリクは驚きを隠せない様子で、こちらのほうがホロホロ鳥の味を最大限に生かしているとカタリナと話している。
イノシシのベーコンには、ジャガイモとアスパラガスも添えられていた。
イノシシのバラ肉をハーブと塩漬けにして水分を抜きながら熟成させた後に干して、さらに燻製しているのだろう。
弾力のある食感の肉をしっかりと咀嚼すればするほどに旨味が出てくるし、鼻から抜ける燻香も楽しめる絶品で、これまた赤ワインとよく合うものだから、どんどん飲もうとするカタリナをハラハラしながら止めるシャルロッテだった。
噂には聞いていたが、オルディス人はかなりお酒が強いらしい。
美味しい料理と共に相当な量を飲んだはずのタリクは、顔色一つ変えず、食後は足取りも確かなまま立ち上がって公用語でドリスに料理の感想を述べ「また来ます」と言っていた。
カタリナはほろ酔いで頬をピンクに染め、ベタベタとシャルロッテに抱き着いている。
帰り道、山のふもとまで送ってくれたタリクが、そんなカタリナのことを愛おしそうに目を細めて見ていたことをシャルロッテは見逃さなかった。




