第9話 アーマー完成
それから一年が過ぎた。
神代製作所の一角は、もはや町工場と呼んでいいのか分からない状態になっていた。
「拓真! 三番のボルトどこやった!」
「三番ってどれ!?」
「肩の固定用だ! 昨日お前が仮組みしただろうが!」
「あ、CAD用のパソコンの横!」
「現実のボルトがCADの横にあるわけねえだろ!」
「だから、パソコンの横!」
「最初からそう言え!」
旋盤やマシニングセンタの駆動音に混じり、拓真と父・鉄平の怒鳴り声が工場中に響く。
作業台には設計図、工具、配線、試作品、加工途中の部品が並び、中央には高さ約百九十センチの金属製フレームが固定されていた。
一年前まで設計画面の中にしかなかったものが、今は現物として立っている。
「見つけた!」
拓真がボルトを掲げる。
「何でノートパソコンの裏に置いてんだ」
「覚えてない」
「自分の部品くらい管理しろ」
「工具じゃないって」
「同じだ!」
鉄平に頭を軽く叩かれ、拓真は額を押さえながら機械を見上げた。
脚、腰、胸、腕、肩、頭。
最初に使った試作外骨格とは、もはや別物だった。あれは脚と腰を補助する作業支援機にすぎない。
目の前にあるのは、人間の全身を覆うための機械だ。
拓真が設計し、鉄平が加工方法を修正し、真帆が制御システムを組み、久世教授が構造解析と安全性評価を行った。政府側の研究班から提供された異世界生物のデータも、装甲設計に活用している。
当初の設計は、もっと細く、もっと格好よかった。
『ここ薄すぎる』
『肩が動かねえ』
『その形状じゃ旋盤で作れねえ』
『整備性最悪』
『バッテリー交換するのに装甲全部外すの?』
『拓真、これ着た人どうやってトイレ行くの』
『それ今必要!?』
修正、再設計、試作、失敗。その繰り返しの末、完成間近のアーマーは、拓真が子供の頃に想像した流線型のヒーロースーツとは違う姿になった。
無骨で機械的。各部には整備用パネルがあり、肩や腰の可動部は柔軟材で覆われている。背中には交換式バッテリーユニット。胸部は厚く、腕や脚には複数の装甲を重ねていた。
「……格好いい」
「自分で言うな」
「格好いいものは格好いいだろ」
「まだ外装の付いてねえところもあるぞ」
「それでも、俺が想像してたよりずっとヒーローっぽい」
鉄平は返事をしなかったが、口元がわずかに緩んだ。
◇ ◇ ◇
一年、アーマー開発だけをしていたわけではない。
政府が《境界開口現象》と呼ぶゲートは、あの夜以降も完全には止まっていなかった。全国各地で短時間の小規模な《境界変動》が観測され、人が通れるほど開く例は少ないものの、拓真たちは観測データの一部を共有されるようになっていた。
最初のゲートを高精度で撮影し、自作ドローンを内部へ投入した実績が評価されたためだ。
魔石――政府側の呼称では《異常生体核》――についても、新たな試料の存在が明らかになった。
「ほら! やっぱり黄色あったじゃん!」
『……神代さん』
三枝は露骨に嫌そうな顔をしていた。
黄色の核を持つ個体の周辺では強い放電現象が、緑色の核を持つ個体の周辺では局所的な気流異常が確認されている。
断定には至っていないが、拓真の中では仮説が固まりつつあった。
核には、それぞれ異なる性質がある。
熱、冷気、電気、風。
「属性だよなぁ……」
そう言うたび、久世教授から『その言葉を研究資料に書くな』と叱られる。正式な資料では《特性》と記し、拓真のノートには堂々と《属性》と書いていた。
魔石が現象を起こす際に消費するものについても研究は進んでいた。ゲート発生時に増加する未知の環境因子へ魔石が反応し、何かを取り込んでいる可能性が高い。
拓真はそれを《X粒子》と仮称した。
『ダサい』
真帆には一蹴された。
『じゃあ真帆が考えてよ』
『未知粒子でいいじゃん』
『もっと夢のある名前にしようよ』
『科学に夢を求めないで』
そんな研究もアーマー開発と並行して進められ、今日、ついにアーマーが完全な形になる。
◇ ◇ ◇
「持ってきました」
午後、相馬が銀色のケースを抱えて神代製作所へ現れた。三枝も同行している。
「待ってました!」
「拓真、走らない」
真帆が作業着の背中をつかむ。
「子供じゃないんだから」
「今の顔は完全に子供」
「失礼な」
久世も加わり、政府側との共同試験が始まった。
相馬がケースを作業台へ置く。
「例のものです」
「開けていい?」
「こちらで開けます」
三枝がロックを外しながら釘を刺す。
「以前も説明しましたが、持ち帰らない、削り屑を勝手に取らない、分析結果を勝手に配信しない」
「よく覚えていますね」
「一年で何回言われたと思ってるんですか」
「あなたの場合、それでも不安なので」
「信用ないなぁ」
「技術面では信用しています」
「人格は?」
三枝は答えなかった。
ケースの中には、黒褐色の甲殻が収められていた。拓真が最初に戦った甲殻犬型魔獣の外殻だ。加工され、複数の装甲パーツへ切り出されている。
拓真は、その一枚を見つめた。
あの日、山中でこの甲殻を持つ獣と戦った。死を覚悟するほどの恐怖だった。それでも生き残り、獣の甲殻を見た瞬間に思った。
装甲にできる。
「これが、俺の鎧になるんだな」
「感動してる暇があったら付けるぞ」
鉄平が言う。
「親父、こういう時くらい余韻を」
「納期がある」
「今日、納品じゃないだろ!」
「なら早くやれ」
「はいはい」
全身を異世界素材で覆えるほどの量はない。そこで胸部、肩、前腕、脛などの重要箇所に甲殻を使い、残りを高強度アルミ合金、チタン系部材、防弾繊維、セラミックで補った。
地球側の素材と異世界側の素材を組み合わせた装甲だ。
拓真がボルトを締める。
「胸部、固定」
「トルク」
「規定値」
「確認」
「OK」
右肩、左肩、前腕、脛。装甲を一枚ずつ取り付け、最後に胸中央の大きな甲殻装甲を固定する。
カチッ。
拓真が一歩下がる。
工場中央に、人型の鎧が立っていた。
黒、銀、濃い灰色。塗装は最低限で、異世界甲殻の部分は素材本来の黒褐色を残している。
頭部はフルフェイスヘルメット。透明バイザーではなく、外部カメラの映像を内部ディスプレイへ表示する方式だ。カメラが故障した場合に備え、緊急時には物理視界も確保できる。
胸部は心臓や肺を守るために最も厚く、背中には大型バッテリー、酸素供給装置、冷却装置、演算ユニットを搭載。腕は筋力を補助し、脚は走行、跳躍、衝撃吸収に対応する。
まだ兵器ではない。武器もなく、飛行もできない。
それでも、間違いなくパワードアーマーだった。
「……完成」
「まだ試験してないよ」
「それくらい言わせて」
「形としては、完成だね」
拓真はアーマーを見つめた。
子供の頃に画用紙へ描いたヒーローは、空を飛び、腕から光を放ち、怪物を倒していた。それに比べれば、目の前のアーマーは地味だ。飛べず、武器もなく、稼働時間も短い。バッテリーが切れれば、ただの重い鎧になる。
それでも、空想でも絵でも設計図でもない。現実に存在している。
「俺、本当に作ったんだ」
「まだ俺たちも手伝ったぞ」
鉄平が言った。
「あ」
「『俺が作った』じゃねえ」
「そうだな」
拓真は周囲を見回した。
「……みんなで、か」
真帆が嬉しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
「では、装着試験へ移る」
久世が告げる。
「はい!」
「先に言っておく。走るな、跳ぶな、重いものを持ち上げるな、パンチするな、外へ出るな」
「信用してくださいよ」
「だから条件を言っている」
「先生まで三枝さん化してきたな」
「神代君」
「すみません」
まず内部スーツを着る。耐熱、汗処理、心拍、体温、筋電などを計測するセンサーが組み込まれている。
次に脚部フレームへ足を入れ、太腿、膝、脛、足首、腰を固定する。
《Lower Frame Connected》
「真帆」
「何?」
「英語?」
「仮だから」
「日本製なのに」
「格好いいと思って」
「分かってるじゃん!」
「うるさい」
腰、胸、背面、腕を固定し、最後にヘルメットを被る。
拓真は一瞬だけ手を止めた。
これを閉じれば、完成する。
子供の頃、何度も想像した機械の鎧を着る自分。その夢が、今は目の前にある。
「……何でもない」
ヘルメットを固定すると、視界が一度暗転した。次の瞬間、内部ディスプレイが点灯する。
《SYSTEM CHECK》
中央にカメラ映像。左端に心拍、体温、血中酸素。右側にバッテリー、各関節、外気温、気圧が表示された。
『聞こえる?』
「聞こえる」
『音声通信正常。カメラは?』
「前面、左右とも正常」
『首を動かして』
右、左、上、下。外部カメラが追従する。
「問題なし」
『じゃあ、起動するよ』
「頼む」
『外骨格駆動開始』
低いモーター音が響き、脚、腰、背中、肩、腕の機械が拓真の動きに追従する。
《FULL FRAME ONLINE》
《Battery 100%》
《Life Support Standby》
《Armor Lock Confirmed》
《All Systems Normal》
拓真が右手を握る。機械の指が開き、滑らかに拳を作った。
『どう?』
「すごい」
『具体的に』
「それしか出てこない」
『研究者失格』
「今日は許して」
拓真が一歩踏み出す。百キロを超える装備の重量を、外骨格が支えていた。
「軽い」
筋電、荷重、姿勢センサーと真帆の制御システムが連動し、人間と機械の遅延を最小限に抑えている。歩行、腕の上げ下げ、しゃがむ動作も問題ない。
「真帆、前より全然いい」
『当然。誰が一年寝不足になって調整したと思ってるの』
「ありがとう」
『急に素直になるのやめて。調子狂う』
鉄平が各部を確認する。
「膝、違和感ないか?」
「ない」
「右は?」
「問題なし」
「腰」
「大丈夫」
「肩」
「左が少し重い」
「傷だろ。無理すんな」
「分かってる」
鉄平が少し離れた。
「普通に歩いてみろ。機械を意識するな」
拓真は息を吐き、アーマーを動かすのではなく、自分の身体を補助させるつもりで歩いた。
今度は自然だった。
工場の壁に立てかけた大型の磨き板に、黒と銀の鎧が映る。その中に自分がいる。
「……ヒーローだ」
『今、ヒーローって言ったよね?』
「言ってない!」
『録音してるよ』
「消して!」
『やだ』
周囲から笑い声が上がり、鉄平まで口元を緩めた。
◇ ◇ ◇
続いて出力試験に移る。
「補助率二十パーセント」
真帆が設定する。
拓真の前に五十キロの鋼材が置かれた。
「上げます」
『ゆっくり』
「分かってる」
鋼材を持ち上げる。
「……軽い」
体感では二十キロ以下だった。
「四十パー」
『まだ』
「はい」
「神代君、今日は最大出力試験ではない」
「分かってます」
「声で分かる」
鋼材を下ろし、重量物を持ったまま歩く。動作に問題はなかったが、開始から二十分でバッテリーは九パーセント減っていた。
《Battery 91%》
『予測より少し消費が多い』
「冷却?」
『三割くらい』
密閉装甲の内部では、人間、モーター、制御装置が発する熱を処理しなければならない。その冷却に電力を消費している。
「……青い魔石が欲しいな」
『魔石って呼ばない』
「真帆もそう思ってるだろ」
『思ってない』
「今、間があった」
『黙って試験して』
拓真は青い核をアーマーの冷却装置へ、赤い核を発電へ、黄色い核を電力供給へ利用する未来を思い描いていた。
『拓真、また変なこと考えてる?』
「将来設計」
『今の機体の試験に集中して』
「はーい」
◇ ◇ ◇
約二時間後。
《Battery 18%》
「ここまで」
久世の指示に、拓真は素直に従った。
動作、装甲接続、制御システム、生命維持、熱管理、基本性能。いずれも大きな問題はなかった。
課題は残っている。バッテリーは重く、稼働時間は短い。冷却は電力を食い、整備性にも改善の余地がある。歩行時には一部装甲が干渉し、左腕にはわずかな追従遅延があった。背中の重量バランスも見直しが必要だ。
それでも、鉄平は言った。
「……完成だな」
拓真がヘルメットを外す。
「親父が完成って言った」
「とりあえずな」
「ただし、これで異世界へ行けるとは思うな」
「分かってるよ」
「今、間があっただろ」
拓真は完成したアーマーを見た。
密閉、酸素、装甲、外骨格、センサー、通信、未知環境測定。生身よりはるかに安全なのは間違いない。
「……行けそうじゃん」
「拓真」
「冗談!」
三枝が尋ねる。
「本当に?」
「八割くらい」
「残り二割は?」
「行きたい」
「神代さん」
「分かってますって!」
その時、三枝の端末が鳴った。
「……」
彼の表情が変わる。
「三枝さん?」
「少し失礼します」
三枝は工場の隅へ移動し、通信を始めた。
「三枝です。規模は? ……予測範囲は? 継続していますか? ……了解」
通信を終えた三枝が戻ってくる。
「何かあった?」
「境界変動が観測されました」
「ゲート?」
「現時点では開口していません」
「場所は?」
三枝が拓真を見る。
「以前、あなたが甲殻犬型と遭遇した地域です」
拓真の胸が跳ねた。
「規模は?」
「上昇しています」
相馬が尋ねる。
「開く可能性は?」
「高い」
拓真は工場中央のアーマーを振り返った。
「すごいタイミングだな」
「行かないよ?」
「まだ何も言ってない」
「言う前に言った」
「みんな三枝さんみたいになってる……」
三枝はアーマーを一度見てから、拓真へ向き直った。
「神代さん。以前提案した、無人機によるゲート内部調査ですが」
「許可が?」
「条件付きです。今回の境界変動が実際の開口へ移行した場合、共同調査を実施します」
拓真の目が輝く。
「行きます!」
「ドローンがです」
「分かってますって!」
「今、一瞬、自分が行くつもりでしたよね?」
「気のせいです」
「拓真」
「はい」
真帆に睨まれた。
それでも拓真は、完成したアーマーを見つめた。
異世界の甲殻、地球の金属、人類の工業技術。それらが一つの形になっている。
飛べない。ビームもない。子供の頃に夢見た完成されたヒーローには、まだ遠い。
それでも。
「……一歩目だ」
拓真は呟いた。
彼はまだ知らない。
次に開くゲートの向こうで、ただのドローン調査では終わらないことを。
完成したばかりのアーマーをまとい、神代拓真自身が初めて異世界の大地へ足を踏み入れることになるのを。




