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『底辺配信者の俺、異世界素材でパワードアーマーを作る ~町工場から始める異世界ヒーロー計画~』  作者: バックドロップ


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第10話 予定外の異世界入り



 神代拓真が初めて異世界へ足を踏み入れる日は、本来ならもっと先になるはずだった。


 少なくとも、拓真本人以外の全員はそう思っていた。


     ◇ ◇ ◇


「神代さん。確認します」


「はい」


「今日は何をする日ですか?」


「ゲート内部への無人探査です」


「向こう側へ行くのは?」


「ドローン」


「神代さんは?」


「行きません」


「もう一度」


「俺は行きませんって!」


 三枝が拓真の顔をじっと見つめる。


「……本当に理解していますね?」


「さすがに分かってますよ!」


 拓真は両腕を広げた。


 その身体を覆っているのは、つい先日完成したばかりの全身型強化外装だった。


 正式名称は《多環境対応型強化外装・試作一号》。


 ただ、そんな長い名前を毎回使う者はいない。拓真自身は単純に《アーマー試作一号》と呼んでいる。


 黒と銀を基調とした無骨な装甲。胸部、肩、前腕、脛には、かつて拓真を襲った甲殻犬型魔獣の外殻が使用されている。


 背部には大型バッテリーユニット、その左右には冷却装置と生命維持装置。頭部は完全密閉式となっており、複数の外部カメラから得た映像を内部ディスプレイへ表示する。


 今日、拓真がアーマーを着ている理由は、異世界へ行くためではない。


 あくまでゲート周辺で安全に作業するためだ。


 本当に、それだけだった。


「それならいいです」


 三枝はようやく視線を外した。


『全然信用されてないね』


 ヘルメット内の通信機から、真帆の声が聞こえてくる。


「一年付き合ってこれだからな」


『一年付き合った結果じゃない?』


「酷くない?」


『事実。それと、今日の出力制限を忘れないでよ』


「通常二十五パーセント。重量物を扱う時だけ三十五」


『走らない。跳ばない。ゲートへ触らない。勝手に向こう側へ手を突っ込まない』


「そんなことしないって」


『前にドローンを入れた時、顔を近づけてたでしょ』


「あれは観察」


『今日は観察も距離を取って』


「はい」


『よろしい』


「真帆まで親父みたいになってきたな……」


 拓真は苦笑しながら周囲を見渡した。


 ここは一年前、甲殻犬型と遭遇した山中だった。


 ただし、当時とは様子がまるで違う。


 一般人が不用意に近づけないよう、周辺道路は表向きには地質調査を理由として立ち入りが規制されている。山中には複数の観測装置が設置され、仮設テントや大型電源、通信設備まで運び込まれていた。


 政府関係者や研究者だけではない。警察関係者に加え、万一の魔獣越境に備えた武装要員も少し離れた場所で待機している。


 一年前は拓真と陽斗の二人だけだった。


 それを思えば、とんでもない変わりようだ。


「……ずいぶん大袈裟になったな」


『誰のせいだと思ってるの?』


「俺じゃないだろ。ゲートと魔獣のせいだ」


『最初に魔獣と殴り合った民間人』


「出てきた方が悪い」


『それはそう』


 拓真はゲートの発生予測地点へ目を向けた。


 まだ、そこには何もない。


 ただし、アーマーに搭載された各種センサーは、平常時とは明らかに異なる数値を示していた。


《未知環境反応値:上昇》


《局所磁場変動》


《気温:21.4℃》


《気圧:1007.8hPa》


「真帆」


『見えてる』


「未知粒子の反応、前回より強いな」


『こっちの観測機器でも同じ。まだ開いてないのに、かなり上がってる』


 拓真の心臓が少しずつ速くなる。


 一年。


 今日のために準備してきた、と言ってもいい。


 ゲートを調べ、魔石を研究し、異世界素材を分析し、その過程でアーマーまで完成させた。


 全ての始まりが、この場所だった。


「境界変動値、上昇!」


 観測員の声で、現場の空気が一変した。


 三枝が無線を手に取る。


「全員、所定位置へ。観測班は記録開始。ドローン班は待機。警戒班、配置確認」


『警戒班、配置完了』


『医療班、待機しています』


 拓真も姿勢を正した。


《External Recording:ON》


《All Sensors:Recording》


「拓真」


 少し離れたところから鉄平が呼んだ。


 今日はアーマーの技術担当として現地へ同行している。


「何?」


「余計なことすんなよ」


「今日は行かないって」


「お前の場合、向こうから余計なことが来るかもしれねえだろ」


「それ俺が悪いの?」


「だから気をつけろって言ってんだ」


「分かった。今日は安全第一」


「その台詞、覚えとけよ」


     ◇ ◇ ◇


 午前十時二十三分。


 最初の変化が起きた。


「来ます!」


 何も存在しなかった空間が、陽炎のようにゆらりと歪む。


 拓真は無意識に息を止めた。


 一年前と同じ現象。


 だが今回は、ただ呆然と見るだけではない。


《境界反応値:急上昇》


《UNKNOWN ENERGY DETECTED》


 アーマーへ新しく搭載された未知環境センサーが、はっきりと反応を示している。


「未知粒子濃度、上昇!」


『こちらでも確認!』


 真帆の声が返ってくる。


『発生予測地点を中心に拡散してる。でも中心部だけ濃度が桁違い』


「ゲートが通り道になってる?」


『可能性はある』


 やがて、歪んだ空間の中心に一本の青白い線が浮かんだ。


 線は縦へ伸び、一メートル、二メートル、三メートルと成長していく。


 そして左右へ開いた。


「……来た」


 青白い光に縁取られた空間の向こう側に、地球とは異なる景色が現れる。


 巨大な樹木。


 青みがかった葉。


 見たこともない植物。


 一年前、映像越しに何度も確認した異世界の森だった。


 今回は昼間であるため、より鮮明に見える。


「すげえ……」


『拓真』


「分かってる。近づかない」


『ならよし』


 ゲートは高さ約三・四メートル、幅約二・二メートルで安定した。


「開口安定を確認。維持時間予測、最低十二分」


 三枝が無線を取った。


「ドローン第一機、投入準備」


 今回の調査の主役である大型探査ドローンが運び出される。


 一年前に使用したものとは違う。


 六枚ローターの大型機で、高感度カメラ、赤外線カメラ、気体分析装置、温湿度計、気圧計、未知粒子センサー、さらに簡易的な試料採取アームまで搭載している。


 通信方式も改良した。


 ゲートを越えると無線が不安定になることが分かっているため、高強度通信ケーブルを併用した有線式だ。


「一号機、起動」


 六枚のローターが回転し、ドローンが地面から浮き上がる。


「映像正常」


『各センサー正常』


「通信ケーブル正常」


 三枝が頷いた。


「投入してください」


 ドローンがゆっくりとゲートへ接近する。


 残り一メートル。


 五十センチ。


 そして、境界面を越えた。


 一瞬だけ映像が激しく乱れる。


『映像復帰!』


「通信維持しています!」


 拓真の口元が上がった。


「よし……!」


 モニターに映るのは、紛れもなく異世界の森だ。


 前回は十数メートル進んだところで魔獣に襲われた。


 だが今回は二十メートル、三十メートル、五十メートルと順調に距離を伸ばしていく。


「生体反応複数。いずれも小型」


「大型生物は?」


「今のところ確認されません」


 続いて環境データが送られてくる。


「酸素濃度二十・四パーセント。窒素系成分にも大きな差はなし。未知成分を微量検出」


「気圧は地球側より約二パーセント低い」


 拓真は次々に表示される数値へ視線を走らせた。


 本当に別世界が存在している。


 しかも、今回は「景色」ではなく具体的なデータとして、その世界を調べることができている。


『拓真』


「うん?」


 真帆の声が少し違った。


『未知粒子の数値……すごい』


「どれくらい?」


『地球側のゲート周辺を一とすると、向こう側は平均で四十七』


「四十七倍?」


『うん』


 拓真の表情が変わる。


「魔石が回復する環境……」


『可能性はかなり高くなったね』


「向こうへ空の魔石を持っていって測りたいな」


『駄目』


「言ってみただけ」


 ドローンはさらに森の奥へ進んでいった。


     ◇ ◇ ◇


 異常が起きたのは、調査開始から七分ほど経った頃だった。


『待って』


「どうした?」


『境界値が揺れてる』


 三枝もすぐに端末を確認する。


「観測班、状況は?」


『こちらでも確認しています。変動幅が急激に増大』


「閉じる可能性は?」


『不明です』


 拓真はゲートへ視線を向けた。


 青白い輪郭が微かに揺れている。


「一号機を戻した方がいい」


 三枝も即座に判断した。


「一号機、帰還」


『了解』


 ドローンが反転し、ゲートへ向かって戻り始める。


 五十メートル。


 四十。


 三十。


「ケーブル巻き取り開始」


 電動リールが動き始めた。


 だが数秒後。


 ガクンッ、と大きな音を立ててリールが停止した。


「何だ?」


『ケーブル張力、異常上昇!』


 拓真が向こう側の映像を確認する。


「木の根に引っかかってる!」


 地面近くを通っていた通信ケーブルが、大きく露出した樹木の根へ絡みついていた。


『自動解除を試します』


 ドローンが上下左右へ動き、ケーブルを外そうとする。


 しかし、取れない。


『境界値、さらに上昇!』


 三枝が即座に判断した。


「ケーブルを切断。機体は放棄します」


 数千万円単位の探査機だろうと、人命には代えられない。


 拓真も異論はなかった。


「遠隔切断を実行」


『……作動しません!』


「どうした?」


『切断ユニットとの通信に異常!』


「リール側から切れないのか?」


『張力が掛かりすぎています!』


 ゲートの揺れがさらに大きくなる。


 三枝が声を張り上げた。


「全員、一旦十メートル後退!」


 拓真も指示に従い、一歩、二歩とゲートから距離を取る。


 その直後。


 張り詰めていたケーブルが激しく震えた。


「何だ!?」


 向こう側で何かがドローンを引っ張っている。


『生体反応! 大型です!』


「映像を!」


 画面が激しく乱れる。


 木々の間から巨大な影が飛び出し、ドローンへ襲いかかった。


 バキッ!


『一号機、損傷!』


 ケーブルが強く引かれ、地面へ固定されていたリールの架台まで僅かに動く。


 その時だった。


「あっ!」


 リール付近で作業していた研究員の一人が転倒した。


 足へケーブルが絡みついている。


「待て!」


「助けて!」


 異世界側から引かれるケーブルに巻き込まれ、研究員の身体がゲート方向へ引きずられ始めた。


 三枝が叫ぶ。


「ケーブルを切れ!」


 職員が大型カッターを持って駆け寄る。


 だが通信線だけではない。高強度繊維で補強されたケーブルは、一度では切断できない。


 研究員とゲートの距離が縮まる。


 六メートル。


 五メートル。


「拓真!」


 鉄平の声が聞こえた時には、もう拓真は動いていた。


「出力制限解除! 救助モード!」


『拓真!?』


《LIMITER RELEASE》


《ASSIST OUTPUT 60%》


 アーマーが駆動音を上げる。


 拓真は一気に研究員まで駆け寄ると、その腕を掴んだ。


「掴まって!」


「神代さん!」


 脚部アクチュエーターへ力をかけ、地面を踏みしめる。


 だが、強い。


 何がドローンを引っ張っているのか分からないが、アーマーの補助を使っても身体ごと持っていかれそうになる。


「足のケーブルを外して!」


「今やっています!」


 別の職員が必死にカッターを動かす。


『境界変動、危険域!』


 観測班から警告が飛ぶ。


「ゲート形状が変化しています!」


 拓真が顔を上げた。


「……広がってる?」


 ゲートは収縮するどころか、急速に拡大していた。


 高さ四メートル。


 幅三メートル。


「全員退避!」


 三枝が叫ぶ。


「神代さん、研究員を離脱させてください!」


「やってる!」


「切れました!」


 パツンッ、とケーブルが切れた。


 研究員の足が自由になる。


「よし!」


 拓真は研究員を抱え上げると、後方へいる職員たちへ押し出した。


「受け取って!」


 二人が研究員を受け止める。


『拓真も離れて!』


 真帆の声。


「今戻る!」


 拓真が振り返った。


 その瞬間だった。


 音が消えた。


「……え?」


 風の音。


 虫の声。


 周囲の人間が叫ぶ声。


 それら全てが一瞬にして遠ざかったように感じる。


 青白いゲートが視界いっぱいに広がった。


「拓真!」


 鉄平の声だけが、かろうじて耳に届いた。


 後ろへ跳ぼうとする。


 だが、遅かった。


 膨張した境界面が拓真の身体を飲み込んだ。


     ◇ ◇ ◇


 最初に消えたのは、重力だった。


「――っ!?」


 上下の感覚がなくなる。


 次に音。


 そして一瞬、自分の身体がどこにあるのかさえ分からなくなった。


《ERROR》


《POSITION LOST》


《MAGNETIC SENSOR ERROR》


 ヘルメット内部へ警告が連続表示される。


 拓真は何か叫んだつもりだったが、自分の声さえ聞こえなかった。


 前も後ろもない。


 右も左もない。


 時間の感覚まで曖昧になる。


 永遠にも感じられた。


 だが実際には、ほんの一瞬だったのだろう。


 突然、重力が戻った。


「うわっ!」


 身体が地面へ落ちる。


 拓真は片膝と左手をついた。


 百キロを超えるアーマーが地面を抉ったものの、脚部の衝撃吸収機構が作動する。


《IMPACT DETECTED》


《LEFT KNEE LOAD 48%》


《NO STRUCTURAL DAMAGE》


「っ……!」


 大きく息を吐く。


 身体は動く。


 手も脚も問題ない。


「真帆!」


 通信には激しいノイズしか返ってこない。


「真帆! 三枝さん! 親父!」


『――ザザッ――』


 返事はない。


 拓真はゆっくりと顔を上げた。


「…………」


 そこに、日本の山はなかった。


 目の前に広がっているのは巨大な森だ。


 幹の直径だけで数メートルもある木々。その中には十メートル近い巨木さえ混じっている。葉は緑だけではなく、青や銀色を帯びたものもあった。


 空は青い。


 しかし地球より僅かに紫がかって見える。


 頭上を飛んでいった鳥らしき生物には、翼が四枚あった。


《External Atmosphere Analysis》


《O₂:20.1%》


《N₂ Equivalent:74.8%》


《Unknown Components:2.7%》


《Unknown Particle Density:Earth-side Gate Area ×52.4》


《External Temperature:26.8℃》


《Pressure:982hPa》


「……来ちゃった」


 思わず、そんな言葉が漏れた。


 一年間調べ続けた。


 何度も向こうへ行きたいと思った。


 それでも準備が足りないことは、自分でも理解していた。


 だから今日は行かないと約束した。


 なのに今、自分の足は異世界の土を踏んでいる。


「……異世界」


 心臓が激しく脈打っていた。


 帰れるのか。


 通信はどうなった。


 魔獣はいるのか。


 本来なら不安を真っ先に感じるべきだった。


 それなのに、最初に口から出たのは違う言葉だった。


「すげえ……!」


 子供のような声が出る。


 巨大な木。


 未知の植物。


 未知の生物。


 ずっと探していた場所。


 映像でも、ドローン越しでもない。


 自分自身が、今ここにいる。


「本当にあったんだ……」


 しばらく見惚れてから、拓真は我に返った。


「……いや、感動してる場合じゃない」


 まず帰還しなければならない。


 振り返る。


 ゲートはまだ存在していた。


「よかった……!」


 ただし、様子がおかしい。


 さっきまで数メートルあった開口部が、急速に縮んでいる。


「まずい!」


 拓真はゲートへ向かう。


 走りたい衝動を抑えながらも、可能な限り急いだ。


「真帆! 聞こえる!?」


『――ザザ――』


 一瞬。


『――たく――ま――!』


「真帆!」


『――ゲート――不安――早く――!』


「俺は無事! 今戻る!」


 残り五メートル。


 四メートル。


 三メートル。


 ゲートはもう、人一人が通れる程度まで縮んでいる。


『拓真! 早く!』


「分かってる!」


 残り二メートル。


 一メートル。


 拓真が手を伸ばした。


 だが。


 青白い裂け目は細い一本の線となり――。


 消えた。


「……」


 伸ばした右手だけが、空中に残る。


 森を吹き抜ける風がアーマーの装甲を撫でた。


「……嘘だろ」


 拓真はゲートが存在していた場所へ手を伸ばす。


 何もない。


《Boundary Signature:Rapidly Falling》


《Unknown Particle Density:Stable》


「閉じた……」


 そこでようやく、状況が現実として拓真へ押し寄せてきた。


「…………帰れない?」


     ◇ ◇ ◇


 最初にしたことは、深呼吸だった。


「落ち着け」


 自分へ言い聞かせる。


 パニックになっても何も解決しない。


 まずは現状確認だ。


《Battery:74%》


「七十四パーセント……」


 救助の際に出力制限を解除したことで、かなり電力を消費している。


 アーマー試作一号最大の弱点。


 バッテリーだ。


 高負荷を連続させれば二時間程度。低出力で移動するだけなら、もっと長く動ける。


 だが、いつ次のゲートが開くか分からない。


「できるだけ使わない方がいい」


 続いて生命維持装置を確認する。


《Oxygen Reserve:84min》


「酸素は温存」


 外気の酸素濃度は地球と大きく変わらない。


 問題は二・七パーセント存在する未知成分だ。


 安全性が確認できない以上、ヘルメットを開けるわけにはいかない。


 ただし、アーマーには災害現場での活動を想定した外気浄化モードがある。粉塵や有害微粒子、一定範囲の化学物質ならフィルターで除去できる。


 未知成分に通用する保証はないが、酸素ボンベを使い切った後の選択肢にはなる。


「次は荷物」


 背面バッテリーの下部には、小型の非常用持ち出し袋が取り付けられている。


 今日のような山中調査で、事故や災害により孤立した場合を想定した装備だ。


 鉄平、美智子、真帆の三人から、


『絶対持て』


 と言われ、半ば強制的に追加されたものだった。


「……ありがとう。本当に」


 地面へ座り、補助出力を最小の八パーセントまで落とす。


 非常袋を外して中身を確認した。


 まず工具類。


 マルチツール、小型レンチ、ドライバーセット、六角レンチ、プライヤー。絶縁テープ、強力な布テープ、ワイヤー、結束バンド、簡易補修材、折り畳みノコギリ、携帯ナイフ。


 明らかに鉄平が選んだ内容だ。


「親父セレクトだな」


 次に救命用品。


 止血帯、包帯、消毒剤、鎮痛薬、救急シート、使い捨て手袋、簡易副木、携帯浄水器、浄水錠。


 こちらは、おそらく母親の美智子だろう。


 食料は高カロリーバーや栄養補助ゼリー、固形携行食など、節約すれば三日程度は持つ量がある。


 水は五百ミリリットルのペットボトルが二本。


「一リットルか……」


 水については、早い段階で追加確保する必要がある。


 防水ライター。


 ファイヤースターター。


 一年前、真帆には「アーマー着て火打石いる?」と笑われた。


「いるじゃん……」


 まさか異世界で役立つことになるとは思わなかった。


 小型ライト、予備電池、十メートルの細引きロープ、圧縮タオル、防塵マスク、メモ帳、油性ペン、簡易コンパス。


 さらに袋の奥から、小さな包みが出てきた。


「……羊羹?」


 一口サイズの羊羹が五本。


 間違いなく母親だ。


「母さん……ありがとう」


 少しだけ笑えた。


 そして袋の底には、小型の緊急電源も入っている。


 アーマー全体を駆動させることはできないが、ヘルメットの電子機器、センサー、生命維持装置程度なら数時間延命できる。


「これは大きいな」


 最悪の場合、メインバッテリーを完全に停止させ、電子装備だけを維持することも可能だ。


 装備を確認し終えたところで、拓真は改めて周囲を見渡した。


 知らない森。


 知らない生物。


 知らない地形。


 そして、ゲートは消えた。


「俺……マジで異世界で遭難したのか」


 自分で言ってみても、現実感がなかった。


     ◇ ◇ ◇


 拓真は最初の方針を決めた。


 ゲートが発生した地点から、不用意に離れない。


 遭難時の基本でもある。


 地球側では三枝たちが間違いなく拓真を探している。次の境界変動を予測し、同地点で再びゲートを開こうとするはずだ。


「親父も、真帆も……絶対諦めない」


 ならば自分も、彼らが見つけやすい場所にいるべきだ。


 GPSを確認する。


《NO SATELLITE SIGNAL》


「まあ、そうだよな」


 この世界に地球の人工衛星があるはずもない。


 慣性航法装置もゲート通過時に大きく狂っている。


 アーマー内蔵の磁気センサーは不安定だったが、非常袋に入っていた普通のコンパスは一応、一定方向を示していた。


 それが地球で言う北と同じ意味を持つかは分からない。


 拓真はゲートが消失した位置を記録し、周囲の特徴的な巨木も映像として保存する。


 さらに落ち枝を集め、地面へ大きな円と矢印を作った。


「ドローンが来れば分かるようにしておこう」


 非常用の反射材を中央へ固定する。


 上空からでも目につくはずだ。


 次に周辺の安全確認。


《Motion Scan》


《Thermal Scan》


 半径五十メートル。


 小さな生体反応は多数存在するが、大型の反応はない。


「今のうちに調べるか」


 拓真は周囲を慎重に観察した。


 植物は地球のものと似ているが、どこか違う。


 青みがかった草。


 銀色の樹皮。


 六本脚の虫。


「六本脚なら普通……」


 そう思った直後、虫が三対の羽を広げて飛んでいく。


「いや、普通じゃないな」


 ヘルメットカメラは録画を続けている。


「こんな状況でも記録してるの、我ながら配信者っぽいな」


 だが、この記録は重要だ。


 生きて帰れば、全て貴重な研究データになる。


「……生きて帰る」


 あえて口にする。


「絶対に」


 ヒーローになる前に、異世界で遭難して死ぬなど冗談ではない。


 次に必要なのは水源だった。


 とはいえ、自分で森を歩き回るのは危険だ。


「こういう時のためのドローンだな」


 アーマー腰部に搭載された小型偵察ドローンを取り外す。


 周辺の簡易地図作成を目的とした機体で、通信範囲は決して広くない。


 まず二百メートル以内。


 それ以上は飛ばさない。


「頼むぞ」


 ローターが回転し、ドローンが上昇する。


 十メートル。


 二十メートル。


 巨大な木々の間を抜け、樹冠より上へ出た瞬間。


「……うわ」


 拓真は息を呑んだ。


 森がどこまでも続いている。


 緑だけではない。


 青や銀の葉を持つ木々が混ざり、遠方には巨大な山脈が横たわっていた。


 そして空の彼方。


「……あれ?」


 巨大な何かが飛んでいる。


 鳥にしては大きすぎる。


 広い翼。


 長い尾。


「……ドラゴン?」


 距離が遠すぎて断定できない。


 それでも拓真は笑ってしまった。


「マジでいるのかよ……」


 興奮を抑えながらドローンの向きを変える。


 すると、別方向の森の向こうに細い白煙が見えた。


「煙?」


 一本だけではない。


 二本。


 三本。


 複数の煙が立ち上っている。


 自然火災にしては規則的だ。


「……人がいる?」


 知的生命体。


 その可能性に胸が高鳴る。


 だが、拓真は自分へ言い聞かせた。


「行かない」


 今日は接触しない。


 そもそも、勝手に異世界文明とファーストコンタクトするなど、三枝が聞けば卒倒しかねない。


「まず帰る。ゲートを待つ」


 数秒、煙を見つめる。


「……気になるけど」


 首を振った。


「真帆に怒られる」


 それを考えると、意外と踏みとどまれた。


 ドローンを帰還させようとした、その時。


《WARNING》


《LARGE BIOLOGICAL RESPONSE》


「……何?」


 拓真の表情が変わった。


《Distance:47m》


「近い!」


 ドローンのカメラを生体反応の方向へ向ける。


 木々の間で、何かが動いた。


 四足歩行。


 大きい。


 だが、一年前に戦った甲殻犬型とは形が違う。


 もっと細身だ。


 それでも体高は一・五メートル近くある。


「勘弁してくれよ……」


 拓真は立ち上がり、非常袋を背面へ固定する。


《Power Assist:20%》


 武器はない。


 アーマー試作一号は、あくまで探索と防護を目的とした装備だ。


 だが、一年前の脚部外骨格だけの状態とは違う。


 全身を装甲で覆い、腕力も補助されている。


「戦わない。まず避ける」


 生体反応は四十メートル。


 三十七。


 三十二。


「……こっち来てるな」


 逃げればゲート発生地点から離れる。


 かといって、この重いアーマーで巨木へ登るわけにもいかない。


「来るなら……」


 腰部の工具ホルダーから、大型のモンキーレンチを抜く。


 そして自分で手元を見て、少し笑った。


「一年前は三脚とバールで、今度はレンチかよ。俺、武器運なさすぎない?」


 茂みが大きく揺れた。


 拓真はレンチを構える。


 何かが飛び出してくる。


 その姿を見て。


「……え?」


 動きが止まった。


 獣ではない。


「……人?」


 木々の間に立っていたのは、人間によく似た若い女性だった。


 皮革と金属を組み合わせた軽装。


 手には剣。


 淡い金色の髪。


 そして何より目についたのは、髪の間から伸びる長い耳だった。


「……」


 拓真が固まる。


 向こうも固まっていた。


 黒と銀の巨大な鎧が森の中に立っているのだから、驚くのも当然だろう。


 数秒。


 互いに見つめ合う。


「エル……」


 口から出かけた言葉を飲み込んだ。


 断定するには早い。


 だが、その特徴は拓真が知る空想上の種族にあまりにも似ていた。


 その時。


 女性の後ろで、茂みが大きく揺れた。


「……あ」


 拓真はようやく気づく。


 さっきセンサーが拾った大型生体反応。


 彼女ではない。


 さらに後ろにいる。


 巨大な獣が姿を現した。


 そして女性がこちらへ来た理由も理解した。


 逃げていたのだ。


「危ない!」


 拓真が叫ぶ。


 当然、言葉が通じる保証などない。


 女性は拓真の声に驚き、こちらを振り返った。


 その背後から。


 獣が地面を蹴った。


「っ!」


 考えるより早く身体が動いた。


《ASSIST OUTPUT:45%》


「うおおおおっ!」


 アーマー試作一号が唸りを上げる。


 拓真は女性と獣の間へ飛び込んだ。


 これは神代拓真にとって、予定にも計画にも存在しなかった異世界への第一歩だった。


 そして同時に。


 後にこの世界の人々から――


 《鉄の騎士》


 と呼ばれることになる奇妙な鎧の男が、初めて目撃された瞬間でもあった。

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