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『底辺配信者の俺、異世界素材でパワードアーマーを作る ~町工場から始める異世界ヒーロー計画~』  作者: バックドロップ


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第3話 初めての魔獣



 獣が地面を蹴った。


「陽斗、下がれ!」


 拓真は叫びながら、外骨格へ向かって走った。


 同時に背後から、重い足音が響く。


 速い。


 想像していたより、はるかに速い。


「拓真!」


 陽斗の叫び声。


 振り返る余裕はなかった。


 拓真は機材ケースの横へ飛び込むように身を投げる。


 次の瞬間。


 ブンッ――!


 頭上を何かが通過した。


「うわっ!」


 反射的に地面へ伏せる。


 ほんの一瞬前まで拓真の頭があった場所を、巨大な前脚が薙ぎ払っていた。


 風圧だけで髪が揺れる。


 外れた爪が機材ケースへ叩きつけられた。


 バギンッ!


「……っ!」


 頑丈な樹脂ケースが、一撃で割れた。


 中に入っていた測定器が地面へ転がる。


「嘘だろ……!」


 熊どころではない。


 まともに食らえば、人間の身体など簡単に裂かれる。


 拓真は転がるように距離を取った。


 獣が向きを変える。


 赤い目。


 牙の隙間から涎が落ちる。


 近くで見ると、さらに大きかった。


 肩までの高さが拓真の胸近くまである。


 四足でこれだ。


 黒い体毛の間には、まるで甲冑を纏っているかのような黒褐色の外殻がある。


 特に頭部から肩、背中にかけてが厚い。


「グルルルル……」


 獣の喉が震えた。


 拓真も動けない。


 視線を逸らすのが怖い。


 心臓が痛いほど鳴っている。


 怖い。


 間違いなく怖かった。


 五年間探し続けた異世界。


 そこから出てきた初めての生物。


 本来なら、観察したい。


 記録したい。


 どんな生物なのか調べたい。


 だが今、拓真の頭にそんな感情はほとんどなかった。


 目の前にいるものは研究対象ではない。


 自分を殺せる生き物だ。


「拓真! 伏せろ!」


「え?」


 陽斗の声。


 直後。


 シューッ!


 白い霧が獣の顔へ吹きつけられた。


「ギャウッ!?」


 獣が大きく頭を振る。


 陽斗だった。


 両手で熊撃退スプレーを構えている。


「効いた!?」


「分かんねえ! とにかく離れろ!」


「ナイス!」


「褒めてる場合か!」


 獣が暴れる。


 前脚で顔を擦り、低い唸り声を上げていた。


 完全に無効ではない。


 目や鼻など、粘膜への刺激は効いているらしい。


 だが。


「ガァァァッ!」


「全然逃げてくれねえ!」


 むしろ怒らせた。


「陽斗! もう一回!」


「分かってる!」


 陽斗がスプレーを構える。


 その間に拓真は外骨格へ手を伸ばした。


 腰部ユニットを掴む。


 本来なら立った状態で装着するものだ。


 腰のベルト、太腿、膝、脛を左右順番に固定する。普段なら一分以上かかる作業だが、今はそんな時間などなかった。


「くそ……!」


 拓真は腰を固定し、右脚のバックルを一つ、二つと締めた。


「拓真!」


 陽斗が再び噴射する。


「グァウッ!」


 獣が横へ跳んだ。


 完全には当たっていない。


 今度は陽斗を見る。


「あ」


 陽斗の顔が引きつった。


「こっち見るなって……」


「陽斗、逃げろ!」


「言われなくても!」


 陽斗が走る。


 獣が追う。


「待て!」


 拓真は左脚のバックルを締めた。


 まだ膝下が固定されていない。


「起動!」


 腰部のスイッチを押す。


 ピッ。


 モーターが唸る。


《SYSTEM START》


 スマートフォンと連携していた簡易制御システムが立ち上がった。


《右脚接続確認》


《左脚――固定不完全》


「知ってる!」


 拓真は左脛のベルトを引っ張る。


 カチッ。


《左脚接続確認》


《関節補助開始》


「よし!」


 立ち上がる。


 ウィン――。


 モーターが拓真の動きに合わせて作動した。


 脚が軽い。


 だが。


「うわっ!」


 最初の一歩で身体が前へ傾いた。


 慌てて踏み直す。


 山の斜面と落ち葉の上は、工場の平らな床とは違う。


「こんなところで実地試験する予定じゃなかったんだけどな!」


「俺も異世界の化け物に追いかけられる予定はなかったわ!」


 陽斗が叫びながら木の間を走っている。


 獣はその後ろ。


 速い。


 陽斗との距離がみるみる縮んでいく。


「まずい!」


 拓真は走った。


 右脚、左脚と踏み出すたびに、センサーが筋肉の動きを拾い、アクチュエーターが補助する。普段より一歩が大きい。


「おおっ!?」


 予想以上の加速に、身体が前へ持っていかれる。


「速っ!」


 自分で驚いた。


「拓真ぁ!」


「今行く!」


 三歩、四歩と進むうちに、さらに加速する。外骨格の補助によって、拓真は普段なら出せない速度で獣へ追いついていく。


 だが、そこで重大な問題に気づいた。


「……で、どうすんだこれ!?」


 追いついた。それはいい。


 しかし、武器がない。


 この外骨格は重量物運搬用だ。脚力は補助できるし、腰への負担も減らせる。だが腕部フレームはまだ存在せず、装甲もない。戦闘機能など当然なかった。


「何か……!」


 拓真は周囲を見回した。


 工具箱、破壊されたケース、三脚。


「……これだ!」


 拓真は走りながら、地面に置いてあった撮影用三脚を掴んだ。


「それで戦うの!?」


「他にないだろ!」


「俺の三脚!」


「命と三脚どっちが大事だ!」


「それ七万するんだぞ!」


「あとで弁償する!」


「絶対だぞ!」


 そんなやり取りをしている間にも、獣が陽斗へ迫る。


「グァッ!」


「うわっ!」


 前脚が振り下ろされ、陽斗が横へ飛ぶ。爪が服を掠め、布が裂けた。


「陽斗!」


「平気!」


 地面を転がった陽斗へ、獣が飛びかかろうとする。


「こっちだ!」


 拓真は三脚を振り上げた。


 そして、外骨格の補助を受けた脚で思いきり踏み込む。


「おおおおっ!」


 全身を使って、三脚を獣の横腹へ叩きつけた。


 ゴンッ!


「ギャンッ!」


 鈍い音が響き、獣の身体が横へずれた。


「……効いた!」


 驚いたのは拓真自身だった。


 普通の人間が三脚で殴った程度なら、大型獣には大したダメージにならないだろう。


 だが、外骨格による踏み込みと腰部補助、全身の運動エネルギーが合わさり、想像以上の威力になった。


 もっとも。


「あ」


 拓真の手元で、三脚が曲がっている。


「俺の七万円!」


「ごめん!」


「絶対弁償しろよ!」


「生きて帰ったら!」


「死亡フラグみたいに言うな!」


 獣が起き上がった。


 明らかに怒っている。


「グルルルルル……!」


「……ですよね」


 拓真は曲がった三脚を構え直した。


 手が震えている。


 怖い。


 正直、逃げたい。


 だが、今度は自分へ注意が向いている。陽斗から引き離せたのだ。


「陽斗」


「何だ」


「車まで走れる?」


「お前は?」


「こいつの注意を引く」


「アホか」


「外骨格がある」


「装甲はねえだろ!」


「それは……」


 言われるまでもない。一発食らえば終わる可能性がある。


「じゃあ二人で逃げるぞ」


「追いつかれる」


「だったら――」


 陽斗が周囲を見回し、地面に転がった工具箱へ走った。


「武器!」


「え?」


 陽斗は蓋を開けた。


「これ使え!」


 投げてきたものを、拓真が受け取る。


「重っ!」


 大型のバールだった。機材の固定や、万が一倒木などに対応するため積んでいたもので、全長は約九十センチ、無垢の鋼鉄製だ。三脚よりはるかに頑丈だった。


「陽斗」


「七万よりマシだ!」


「そこ!?」


 だが、確かにこちらの方がいい。


 拓真は両手でバールを握った。重く、腕の補助はない。それでも持てないほどではなかった。


「……来い」


 口に出した直後、自分で後悔した。


「いや、やっぱ来なくていい」


「どっちだよ!」


 獣が地面を蹴った。


「来た!」


「うわあああっ!」


 拓真も前へ出る。


 逃げれば背中を見せる。それなら正面から動きを見るしかない。


 獣の口、牙、前脚。どこを見るのか、どう避けるのか、拓真には分からなかった。格闘技など本格的に習ったことはない。ゲームとは違い、相手の攻撃パターンが表示されるわけでもない。


「右!」


 陽斗の声。


 獣の前脚が迫る。


「っ!」


 拓真は反射的に左へ踏み込んだ。


 外骨格が補助し、身体が大きく横へ動く。爪が胸元を掠めた。


「うわっ!」


 服が裂けた。


 熱い。


 だが痛みは浅い。


「ギリ……!」


 拓真はそのままバールを振った。


 獣の肩にある黒い甲殻へ叩きつける。


 ガンッ!


「硬っ!?」


 まるで鉄板を殴ったような感触に、手が痺れた。


 獣はほとんど怯まない。


「嘘だろ!」


 もう一撃を加えようとした瞬間、獣の頭がこちらを向いた。


「まず――」


 牙が迫る。


「っ!」


 拓真はバールを横へ構えた。


 ガキンッ!


 巨大な顎がバールへ食らいついた。


「うおおおっ!?」


 鋼鉄製のバールが軋む。


「マジかよ!」


 拓真は引いたが、獣も離さない。まるで綱引きだった。


「離せ!」


 拓真は蹴った。


 外骨格で補助された右脚が、獣の胸へ叩き込まれる。


 ドンッ!


「ギャンッ!」


 ようやく顎が離れた。


 獣が数歩後退し、拓真も後ろへよろめいた。


《右膝部負荷上昇》


 スマートフォンから警告音が鳴る。


「今それ言う!?」


《瞬間負荷 設計値超過》


「分かってるよ!」


「何が!?」


「膝がヤバい!」


「お前も十分ヤバい!」


 確かに、この外骨格は戦うための機械ではない。走る、急停止する、横へ飛ぶ、蹴る。そのどれもが想定以上の負荷をかけていた。特に膝は、昨日父親が指摘した部分だった。


「……そうだ」


 拓真の視線が工具箱へ向く。


 父親が作ってくれた補強材がある。


「陽斗!」


「今度は何だ!」


「工具箱の中に銀色の補強材がある!」


「どれ!?」


「小さい袋!」


「これか!?」


「投げて!」


「戦闘中に修理すんの!?」


「壊れてからじゃ遅い!」


「今やることかよ!」


「今だからだよ!」


 袋が飛んできた。


 拓真が受け取る。


 獣を警戒しながら後退し、陽斗へ叫ぶ。


「時間稼いで!」


「俺が!?」


「スプレー!」


「くそっ!」


 陽斗が熊スプレーを構える。


「こっち来い、化け物!」


「いや陽斗、無理に煽らなくても――」


「お前が言ったんだろ!」


 獣が陽斗を見る。


「来たぁ!」


「逃げて!」


「言われなくても!」


 陽斗が全力疾走する。


 拓真はしゃがみ込み、ボルトと工具を取り出した。


「親父、マジでありがとう!」


 膝横のカバーを外し、補強材を当てる。父親が作っただけあって、穴の位置は完璧だった。


 ボルトを一つ、二つと締める。


《右脚部構造変化》


「そんな機能まで分かるわけないだろ!」


 単にセンサーが振動特性の変化を拾っただけだ。


「拓真! まだ!?」


「あと十秒!」


「十秒長えよ!」


 陽斗が木の周囲を回り、獣がその後を追う。


「五!」


 拓真がボルトを締める。


「四!」


「勝手にカウントすんな!」


「三!」


「プレッシャーかけるな!」


「二!」


「よし!」


 拓真が立ち上がる。


「陽斗、こっち!」


「今度こそ頼むぞ!」


 陽斗が方向転換し、こちらへ走ってくる。その後ろには獣が迫っていた。


 拓真はバールを構えた。


「頭は硬い。肩も甲殻。背中も。なら、狙うなら……」


 腹、脚、首の下。甲殻のない場所だ。


 陽斗が拓真の横を通過する。


「行け!」


「簡単に言うな!」


 獣が飛びかかる。


 拓真は逃げず、ぎりぎりまで引きつけた。


 怖い。


 赤い目。


 牙。


 口の奥まで見える。


「まだ……」


 距離が三メートル、二メートル、一メートルと縮まる。


「今!」


 拓真は横へ跳んだ。


 外骨格が補助出力を上げる。


 右膝に負荷がかかった。


《負荷上昇》


「持ってくれ!」


 父親の補強材が軋む。


 ギギッ。


 だが、折れない。


 拓真は獣の横へ回り込み、バールを甲殻のない前脚へ振り下ろした。


 ゴキッ。


「ギャウンッ!」


 明らかに、さっきまでとは違う感触だった。


 骨が折れ、獣の右前脚が崩れる。


「効いた!」


 獣が倒れる。


「拓真!」


「分かってる!」


 追撃しようとした。


 だが、倒れた獣が突然身体を捻った。


「――っ!」


 残った左前脚が迫る。


 避けられない。


 ドンッ!


「ぐっ!」


 拓真の身体が吹き飛んだ。


「拓真!」


 背中から地面へ落ちる。


「がっ……!」


 息が消えた。


 肺から空気が全部押し出されたような感覚に襲われ、視界が白くなる。


「っ……ぁ……」


 呼吸できない。


 左肩が痛い。


 胸も痛む。


 それでも。


「……生きてる」


 直撃ではなかった。


 爪ではなく、前脚の側面を受けただけだ。それでも数メートル飛ばされた。


《姿勢異常》


《左腰部センサー異常》


《緊急停止を推奨》


「今……止まったら……」


 拓真は息を吸う。


「死ぬ……!」


 起き上がる。


 獣も立とうとしていた。


 右前脚を引きずっている。


 ダメージはある。


 だが、まだ戦える。


 そして。


「グルルルル……」


 低い唸り声を上げ、拓真を睨んでいる。


 逃げる気はないらしい。


「……なんでだよ」


 普通の野生動物なら、ここまで傷つけば逃げてもおかしくない。


 この獣は違う。


 異常に攻撃的だ。


 あるいは――。


「向こうじゃ……これが普通なのか?」


 考えている場合ではない。


 獣が身体を低くする。


 右前脚が使えないため、さっきまでより姿勢が崩れている。


 それでも、こちらへ向かってくる。


「拓真!」


 陽斗が叫ぶ。


 その手には何かが握られていた。


「これ!」


 何かが飛んでくる。


「え?」


 拓真が受け取る。


 重い。


 大型ハンマーだった。


「どこにあった!?」


「工具箱!」


「こんなの持ってきたっけ!?」


「お前が積んだんだろ!」


「そうだった!」


 金属加工用の大型ハンマーで、重さは五キロ近い。片手ではまともに振れない代物だった。


 普通なら。


「……これなら」


 拓真は両手で握った。


 腕は生身だ。


 だが、脚と腰は外骨格が補助してくれる。腕だけで振る必要はない。全身で振ればいい。


「来い」


 今度は言い直さなかった。


 獣が走る。


 三本脚でも、それでも速い。


 拓真はハンマーを握りしめた。


 手が震えている。


 怖い。


 殺されるかもしれない。


 そして、もう一つ。自分が今からやろうとしていることを思う。


「……殺すのか」


 初めて見る生物。


 異世界の生物。


 拓真が五年間求め続けた未知の存在。


 できるなら、生きたまま観察したかった。


 知りたかった。


 だけど。


「グァァァッ!」


 牙と爪が拓真へ向けられている。


 陽斗もいる。


「……ごめん」


 小さく呟いた。


 迷いは、そこで終わった。


「生きる方を選ぶ!」


 獣が跳んだ。


 拓真も踏み込む。


 正面から迎え撃つ。


「拓真ぁ!」


「おおおおおっ!」


 左へ半歩ずれる。


 獣の牙が肩を掠めた。


 熱い。


 だが止まらない。


 拓真は身体を回転させた。


 腰、脚、外骨格の補助出力、そして両腕。そのすべてを一撃へ込める。


 狙うのは甲殻の境目、頭部と首の間だ。


「――っ!」


 ハンマーを振り下ろした。


 ゴガンッ!


 重い音が響く。


 獣の身体が地面へ叩きつけられ、ハンマーが拓真の手から離れた。


「……っ、はぁ……!」


 拓真も転倒した。


 すぐに振り返る。


 獣はまだ動いている。


「まだ……!」


 立ち上がろうとする。


「マジかよ……!」


 拓真はハンマーへ手を伸ばす。


 だが、獣の身体が一度大きく痙攣した。


 そして。


「……」


 動きが止まった。


 静寂。


 虫の声はまだ戻っていない。


 拓真は動けなかった。


 ハンマーを握ったまま、目の前の獣を見る。


「……死んだ?」


 陽斗がゆっくり近づいてくる。


「近づくな」


「でも」


「まだ分からない」


 拓真はバールを拾った。


 長い棒の先で獣を軽く押す。


 反応はない。


 もう一度押しても、何も起こらなかった。


 胸は動いていない。


 呼吸もない。


「……死んでる」


 拓真が言った。


 自分で口にして初めて、実感した。


 自分が殺したのだ。


「……」


 嬉しくはなかった。


 勝った。


 助かった。


 その安堵はある。


 だが、思っていたような達成感はない。


 手がまだ震えている。


「拓真」


「……うん」


「大丈夫か?」


「たぶん」


「肩」


「え?」


「血出てるぞ」


 見ると、服が裂けていた。


 左肩を爪が掠めたらしい。


 深くはない。


 血は出ているが、大量ではなかった。


「これくらいなら」


「座れ」


「でも――」


「座れ」


 陽斗の声が強い。


「……はい」


 拓真は素直に地面へ座った。


 陽斗が救急箱を持ってくる。


「お前さ」


「うん」


「マジで死ぬかと思った」


「……俺も」


「笑えねえぞ」


「ごめん」


「謝るなよ」


「うん」


 陽斗は裂けた服を捲り、傷を見る。


「浅いな」


「よかった」


「消毒するぞ」


「痛っ!」


「化け物と殴り合った奴が消毒で騒ぐな」


「種類が違う痛みなんだよ」


「知らねえよ」


 傷を洗浄し、消毒して止血する。処置を終えると、陽斗は言った。


「病院行くぞ」


「……」


「行くぞ?」


「はい」


「よろしい」


 拓真は息を吐いた。


 その時、視界の端に何かが映った。


「……あれ?」


「今度は何だ」


「ゲート」


 二人が見る。


 青白い裂け目は、さっきまで三メートル近くあったものが縮んでいた。


「閉じてる?」


「たぶん」


 拓真は慌ててカメラを見る。


「撮影!」


「まだ回ってる!」


「センサーも!」


「回収するのか?」


「できるものだけ!」


「無理すんな!」


「記録だけ確認!」


 ゲートは二メートル、一メートルと細くなり、向こう側の森が消えていく。


 そして最後に一本の青白い線となり、ふっと消えた。


「……」


 森は元通りになった。


 虫の声が一匹、二匹と少しずつ戻ってくる。


 風も吹き始めた。


 まるで、何もなかったかのように。


「……消えたな」


 陽斗が言う。


「うん」


「夢じゃないよな?」


「だったら」


 拓真は目の前を指した。


 巨大な黒い獣。


「こいつは何?」


「だよなぁ……」


 二人で黙る。


 しばらくして、拓真が立ち上がった。


「とりあえず記録を――」


「病院」


「分かってるって」


「その前に警察だろ」


「……」


 拓真が止まる。


「だよね」


「当たり前だろ。こんなの俺たちだけじゃどうにもできねえぞ」


 正論だった。


 全長二メートルを超える未知生物で、しかも人を襲い、ゲートから出てきた。本来なら行政機関へ報告するべきだ。いや、しなければならない。


「……まず110番かな?」


「他にどこへ電話するんだよ」


「自衛隊?」


「一般人が直接呼べると思うか?」


「それもそうか」


 拓真がスマートフォンを取り出す。


 その時だった。


 ピッ。


 手元の測定器が音を立てた。


「ん?」


「何?」


「ちょっと待って」


 拓真は電磁波測定器を見る。


 ゲート消失後、数値はほぼ通常値へ戻っていた。


 なのに、一か所だけ反応がある。


「……こいつ?」


 死んだ獣へ近づく。


 数値が上がった。


「拓真」


「触らない」


「本当だな?」


「測るだけ」


 拓真は獣の身体の周囲をゆっくり移動する。


 頭では低い。


 背中では少し上がる。


 そして胸の前で、数値が跳ね上がった。


「……ここだ」


「何が?」


「胸の奥から反応してる」


 拓真はしゃがみ込んだ。


 もちろん解剖などしない。


 ただ測定器を近づける。


 ピー。


 明らかな反応が返ってきた。


「磁気じゃない」


「じゃあ何だよ」


「分からない」


「その顔やめろ」


「え?」


「めちゃくちゃ楽しそうな顔してる」


「……してる?」


「してる」


 拓真は自分の頬を触った。


 確かに、怖かった。


 今も手は震えている。


 死にかけた。


 肩も痛い。


 それでも、未知の現象と未知の生物、既存の科学では説明できない何かが目の前にある。


「……だって」


 拓真は小さく笑った。


「本当に異世界があったんだぞ」


 陽斗がため息をつく。


「お前は本当に……」


 その時、拓真の視線が地面に止まった。


「ん?」


「どうした」


「これ……」


 獣の横に、戦闘中に割れたらしい甲殻の一部が落ちていた。


 大きさは拓真の掌ほどで、黒褐色をしている。厚さは数ミリ程度で、肩から剥がれたものだろう。


 拓真は手袋を確認し、ピンセットを取り出した。


「触らないんじゃなかったのか?」


「本体には触ってない」


「屁理屈」


「これは落ちてるだけ」


「同じだろ」


 拓真は慎重に甲殻片を持ち上げた。


「……軽い」


「そうなの?」


「見た目よりかなり」


 持ってみると、本当に軽かった。


 似た大きさの鉄板とは比較にならない。


「硬さは……」


「今調べるなよ」


「分かってる」


 拓真はサンプル用の密閉容器へ入れた。


「それ、持って帰る気?」


「証拠」


「警察来るだろ」


「だったら渡す」


「……本当か?」


「必要ならね」


 嘘ではない。


 ただ、拓真の視線は密閉容器から離れなかった。


 あれだけバールを叩きつけても、ほとんど傷つかなかった外殻。


 軽い。


 硬い。


 未知の材質。


 頭の中に、勝手に構造が浮かぶ。


 もし加工できたら。


「……装甲」


「ん?」


「いや」


 拓真は首を振った。


「何でもない」


 今考えることではない。


 まず安全、警察、病院、家族への連絡。それが先だ。


 拓真が110番を押そうとした。


 そこで、陽斗が突然声を上げた。


「あ」


「何?」


 陽斗がカメラを見る。


 表情が固まっている。


「どうした?」


「拓真」


「うん」


「これ……ずっと録画してたよな?」


「うん」


「ゲートも?」


「撮ってる」


「化け物も?」


「撮ってる」


「戦ってるところも?」


「たぶん」


「……」


 陽斗が無言になる。


 拓真も、意味を理解した。


「……全部?」


「全部」


 カメラは二台の固定カメラに加え、拓真の胸元につけていたアクションカメラもあった。戦闘前からずっと回していたのだ。


「……」


「……」


 二人は顔を見合わせる。


 数秒後、陽斗が言った。


「これ、出したらどうなると思う?」


 拓真は考える。


 青白いゲート。


 異世界の森。


 ドローン。


 未知生物。


 そして、作業用外骨格を装着した大学生が巨大な怪物と戦っている映像。


「……炎上?」


「そこじゃねえ」


「バズる?」


「たぶんな」


「登録者千人いくかな」


「お前、感覚バグってるぞ」


「じゃあ一万人?」


「もっと行くだろ」


「まさか」


 拓真は笑った。


 そんなわけがない。


 自分のチャンネルだ。


 登録者八百人台。


 普段の再生数は数百。


 ゲートを追い続けて五年。


 何度動画を出しても、『またやってる』『CG』『都市伝説』といった扱いだった。


 だけど、今回は違う。


 拓真は死んだ獣を見る。


「……本物なんだよな」


「本物だ」


 陽斗が答える。


「俺も見た」


 拓真の胸が熱くなる。


 五年間、ずっと証明したかった。


 あの日見たものが、自分の勘違いでも、夢でも、嘘でもなかったと。


「……陽斗」


「何?」


「動画」


「うん」


「絶対バックアップ取っといて」


「任せろ」


 陽斗が笑った。


「俺、こういう時のためにいるんだろ?」


「焼肉のためじゃなかったの?」


「それもある」


「あるんだ」


「当然だろ」


 二人とも少し笑った。


 緊張が、ようやくほんの少しだけ解けた。


 拓真はスマートフォンを握り直す。


「じゃあ」


「うん」


「警察呼ぶとするか」


「やっとだな」


「その後、病院にいくぞ」


「絶対だからな」


「分かってるよ」


 拓真は110番へ発信した。


 呼び出し音が一回、二回と鳴る。


 やがて。


『はい、警察です。事件ですか、事故ですか?』


「えーっと……」


 拓真は目の前の巨大な死骸を見る。


 ゲートはもうない。


 説明する。


 説明しなければならない。


 だが。


「……どっちだこれ?」


 陽斗が頭を抱えた。


「知らねえよ!」


     ◇ ◇ ◇


 その頃、拓真たちはまだ知らなかった。


 同じ夜、彼らがいた山から数十キロ離れた場所で、一台の特殊な観測装置が異常値を記録していたことを。


 地下にある窓のない部屋。


 壁一面のモニター。


 そこに表示された地図の一点が、赤く点滅している。


「境界変動を確認」


 白衣姿の男が画面を見る。


「規模は?」


「推定三・二。継続時間は約十四分」


「長いな」


「はい。これまで確認された国内事例では最長クラスです」


 別の職員が端末を操作する。


「それと……」


「何だ?」


「現地周辺から110番通報が入りました」


「内容は?」


 職員は一瞬、言葉に詰まった。


「……巨大な、狼のような生物に襲われた、と」


 部屋の空気が変わった。


 白衣の男が眼鏡を押し上げる。


「生物の越境か」


「可能性があります」


「警察へ連絡。現場保存を要請」


「了解」


「それから回収班を準備しろ」


「はい」


「映像記録が存在する可能性も確認しておけ」


 男は地図の赤い点を見つめた。


「……また開いたか」


 一方、その頃の神代拓真は、そんなことなど知る由もなかった。


『巨大な狼……ですか?』


「はい」


『熊ではなく?』


「狼です」


『かなり大きな?』


「二メートル以上はあります」


『……』


 電話口で困惑する警察官へ、拓真は一生懸命説明を続けていた。


「あとですね」


『はい』


「空中に突然、異世界につながってるみたいな穴が開いて、そこから出てきました」


『……』


「もしもし?」


『少々お待ちください』


「……切られた?」


「保留だろ」


「だよね?」


 陽斗が遠い目をする。


「お前、完全に頭ヤバい奴だと思われてるぞ」


「でも本当なんだから仕方ないだろ!」


 こうして、神代拓真が待ち望んだ、異世界との最初の遭遇は終わった。


 彼が手にしたものは、傷、壊れた機材、曲がった三脚、異世界の映像、そして一片の未知の甲殻だった。


 それが、子供の頃から彼が夢見ていた《ヒーロー》への第一歩になることを、この時の拓真はまだ知らなかった。

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