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推しの騎士団長に玉砕するはずでした――利害一致から始まる偽装交際。三十歳年上の変態伯爵の九番目の妻にはなりたくありません!  作者: じょーもん


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第三十二話 渇望の臨界点

 後方の仮設テントは、妙に静まり返っていた。

 前線へ人員が出払ったため、残っているのは負傷兵と看護人だけだ。


「――これから、付与魔法士殿の治療を行う。

 手出しは無用だ。誰も近づくな」


 短く言い捨てると、カイルは将官用テントのひとつへ踏み込んだ。



 簡易ベッドから掛布を払い落とし、エセルを器用にうつぶせに寝かせる。

 彼女は気を失っており、顔いろは青ざめていたが、その体温は異様に高かった。


 背中は酷い有様だった。


 火傷は見るからに重度。

 血と浸出液と、服の焼け焦げた残骸がまじりあって、目をそむけたくなる。


 カイルは、ベッドの上のエセルを見下ろし、言葉を失った。


 焼けただれた背と、滲む血と体液――

 目を覆いたくなるような惨状の中で、



 甘い匂いが、ふいに鼻腔を満たした。



「……こんな時に……なぜ……」


 ベッドの端に手を突き、荒く息を吐く。


 熱を帯びた、濃密な香り。

 空気中に飽和した、エセルの――血と、体液の匂い。


 他の者には、感じ取れないだろう。

 だがカイルには、はっきりと分かる。


 身体の奥で、劣情が目を覚ます。


 ――相手の血や体液は、甘美な媚薬にもなり得るし……


 彼の脳裏に、再びよみがえる。

 抗いがたい衝動が、静かにせり上がってきていた。


「血や体液は、驚異の回復薬――」


 カイルはあえて口に出し、必死に気を散らす。


「体液……汗、涙、唾液――」


 思いつくものを上げてゆく。

 そうしていなければ、我を忘れてしまいそうだった。


 だがしかし、カイルは、最も魔力を多量に含む、最強の体液を既に思い当たっていた。


 むせかえる甘い香りの中で、不埒な妄想に、思考が塗りつぶされてゆく。


 ――想いのままに情熱を彼女にぶちまけられたら……

 彼女の火傷も治るし、自分の熱も収まる。

 だが、しかし――


 カイルは欲望に霞んでゆく思考の中、唇を噛みしめる。

 衝動は既に臨界を越え、決壊するその瞬間――


「チクショウ――」


 らしくなく口汚くののしって、

 カイルは自らの腕を掻き切った。



 指先から滴る血が、エセルの傷に触れた瞬間――

 じゅ、と小さな音を立てた。


 白い蒸気が立ちのぼる。


 ほんの数滴落ちるだけで、醜く爛れた皮膚が瞬時に再生して、

 何事もなかったかのように、象牙のような滑らかさを取り戻した。


 だがカイルは止めない。


 失血の感覚が、じわじわと身体を侵していく中で――

 カイルは淡々と血を流し、それを塗り広げていった。




 +++++


「ん……」


 エセルは身じろぎして、ぼんやりとまぶたを開けた。

 陽はすっかり傾いて、天幕の布越しのオレンジ色の光線が当たり一面染め上げていた。


 ――ルミナ・ドラゴンを倒したと思って油断して、背中を焼かれて……


 意識をなくす前の事をゆっくりと思い出す。


 ――うつぶせで寝ているのは、背中の火傷に障るからだろう。

 でも全然痛くない……


 それにしても――何だろう。この、甘い――酔ってしまいそうな、良い香り――


 その甘美な香りの出所を探ろうと、ゆっくりと首を巡らせて……


 自分の隣で気を失っている美丈夫に気が付いた。

 暖色の光の中でも、彼の顔色が紙のように白いことが見て取れる。


 よくよく見れば、左腕にバッサリと刀傷が走り、出血はほぼ止まっているものの、

 シーツに赤い血だまりを作っていた。


「――カイルさんっ!」


 エセルは飛び起きて彼の肩に手をかける。

 触れた瞬間、わかってしまった。


「……魔力が、生命力が枯渇してる。」


 血だまり、そして気を失ったカイル、治った背中の火傷――


 エセルの中で瞬時につながってゆく。


 ――相手の血や体液は、甘美な媚薬にもなり得るし、

 時に驚異的な回復をもたらすこともある――


 ヘルマンの言葉がよみがえり、カイルが舐めた指の傷が、瞬時に治ったことを思い出す。

 考える前に身体が動いていた。


 舌先を伸ばして傷に触れると、唾液が触れる端から治癒が始まる。

 乾いた血を丁寧に舐めとると、鉄の味と共に言いようのない甘酸っぱさが口いっぱいに広がって、

 甘美な香りが鼻腔へと抜けていった。


 ――なに、これ……おいしい……


 頭の芯がしびれるような感覚の中、エセルはいつしか夢中で嚥下していた。


 唾液はすぐに足りなくなり、傷口に唇を寄せた。



 やがて、左腕の裂傷が全てふさがると、カイルの顔色は幾分よくなったものの、まだまだ予断を許さない。


 ――傷はふさがったけれど……魔力がら全然足りないわ……


 エセルは、苦しげに歪んだままのカイルの顔を見つめる。


 ――戦闘後の口づけは、君への“ご褒美”……そう思っていたか?

 どちらかというと、私の方が恩恵が大きい。身体の回復が……まるで違う


 ドレーク戦後のカイルの言葉が耳の奥でこだました。


 ――私から……カイルさんにキスする……


 カイルの薄く半開きの唇見つめ、エセルはごくりと喉を鳴らした。


 思えば、口づけはいつもカイルからで、エセルは魔力をもらうばかりだった。

 エセルからしてみようなど、思ってみたこともなかった。


 唇を重ねる様子を頭の中で思い描けば、腹の奥がグズリと怪しくうずき、全身に震えが走った。


 ――ちがう、そんな不埒な事じゃない……彼を助けるため。

 いつも彼がしてくれていることを返すだけ――


 言い訳しながらも、今朝方の、一線守っただけのきわどい交感の記憶が脳を支配する。


 血の香りは理性を甘美に酔わせ、彼の唇の引力はエセルの覚悟が固まる前に、彼女の唇を引き寄せた。



 ふに……



 柔らかく重なって、すぐに離れる。

 エセルの心臓の高鳴りは最高潮に上り詰めたが――


 彼女の心に沸き上がったのは、とてつもない快感と、多幸感――そして、絶望的な渇望だった。


 二度目はかじりつくように、彼の魂まで吸い上げてしまうように、

 深く、そして長く、口づけた。


 やがて、ピクリとカイルのまぶたが震え、

 無反応だった舌が応える。


 彼のたくましい腕がエセルの背と腰に回されて、彼女の逃げ場をなくす。


「ん……んん――」


 すぐに主導権をカイルに奪われ、翻弄されているうちに組み敷かれた。



 長い長い口づけが解かれて、二人は間近で見つめ合う。


「――カイルさん……身体、大丈夫ですか?」


 エセルが泣きそうにたずねると、カイルはくすりと苦笑する。


「それは……私の言葉だよ……酷い火傷だった。もうどこも痛くないか?」


「ええ……痛くない。痛くないんだけど――」


 エセルはもじもじと視線を逸らす。


 そんな彼女を、カイルは目を細めて楽し気に見つめる。


 まもなく、耐えきれなくなったエセルは、覚悟を決めて彼の背に手を回す。


「――もっと、あなたが欲しいの。」


「それは――、最後のもう一歩……戻れないところまで進めて良いってことかい?」


 カイルのひそめた低い声は、エセルの官能を直撃する。

 狼狽えるエセルとは裏腹に、カイルは余裕の笑みを浮かべているように見えた。


 それがなんだか悔しくて――

 エセルはカイルの身体に、自分の身体をすり寄せる。


「――うん。最後まで――良い。」


 彼の耳元で、囁いて、ふっと耳に息を吹きかけると、彼の身体がビクリと跳ねた。


「――なんか、私ばっかり必死で、カイルさんは余裕で。」


 エセルが少しむくれると、カイルは彼女の首筋に顔を埋める。


「――そう見えているかい? 本当は、余裕なんて全然ない。

 君をメチャクチャにしないよう、理性を総動員しているところだ。」


 彼は低く笑う。

 エセルは彼の髪を撫でながら、言った。


「――いい、メチャクチャでもいい……好きにしてほしい……全部受け止めたいし……」


 彼の額に口付けを落して、伏し目がちに続ける。


「どんなにメチャクチャになったって……あなたと私で、すぐに回復できるでしょう?」



 カイルは一虚をつかれ――彼女の言葉を呑み込むと、

 嵐のように彼女を求めた。

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