第三十一話 一瞬の油断
四匹のドラゴンそれぞれに、二、三百人が群がってゆく。
古代種ではないものの、それぞれ変異種で、並みのドラゴンではない。
苦戦は目に見えている。
しかし、北森の部隊が続々と到着し、王都に残っていた魔法士隊や付与魔法士も集まりつつあった。
ローデリックを守るプリニーツの私兵と、第一騎士団も戦闘に入っている。
勝てない相手ではなかった。
魔法と剣戟が乱れ飛ぶ戦場の中央――
ルミナ・ドラゴンとカイルは静かに対峙していた。
お互いがお互いを強者と認め、一歩も譲らない。
その少し後方で、エセルも緊張の糸を張り詰めていた。
――最強の古代種、光属性……分かっていることはそれくらい。
事前の対策はできないから、一瞬の遅れや判断ミスが、命取りになる。
エセルがこぶしを握り締めた時、ドラゴンとカイルが同時に動いた。
「――筋力増強最大っ! 重力軽減――」
重ねがけされた魔法が、カイルの身体を押し上げる。
彼の動きは見る間に、素早く滑らかになり、人の限界を超えてゆく。
一息――吐き出す間もなく、カイルは地面をけり上げ、最初の一太刀をくらわせた。
『―――――――』
ルミナ・ドラゴンが咆哮を上げる。
が――、“それ”は、その場にいる誰も聞いたことのない、明瞭しがたい音だった。
大きく開いた口の中――喉の奥から、咆哮と共に、熱と光が放たれるのが目に入った。
――なに、あれ……、炎を吐くドラゴンは珍しくないけど、
あれはもうそんなレベルじゃないっ!
「シールド展開っ! 耐熱および、反射付与っ!」
エセルはとっさに強固なシールドをカイルの前へ展開。
次の瞬間、青白い閃光がほとばしり、太陽にも等しい数千度の熱がカイルに迫る。
――耐えて……
エセルは目をつむりそうになるのを必死にこらえて、祈るようにその光景を見守った。
カイルの直前で、閃光はシールドに阻まれ、絶妙な角度で空へと反射する。
その光の軌跡は、上空の大気を貫き、南東の空は一瞬妙な群青色に染まった。
それはまるで、空に穴が開いたようだった。
戦場は一瞬の静寂に包まれ、
人も、魔獣も、変異種のドラゴンですら、動きを止めた。
「見ろ、エセルっ! 奴の鱗が――」
カイルの叫び声で、エセルはハッとしてルミナ・ドラゴンへと意識を戻した。
先ほどまで二本足で立っていた巨体が、
今は前足と顎を地面につけ、荒い呼吸を繰り返している。
その鱗が――
真珠色から、くすんだ灰色へと半分ほど変化していた。
――あの鱗の輝きが、魔力によるものなら、消耗している?
魔力の弱いものや、使用済みのものは……あんな色だったのではないかしら。
エセルの脳裏に、かつて魔法薬の材料として手にした竜の鱗がよぎった。
「畳みかけるっ! 援護をっ!!」
再びカイルが雄叫びをあげ、刃を返して竜へと向っていった。
一太刀、一太刀。変色した部分へ、続けざまに的確に振り下ろしてゆく。
エセルも忙しなく重力の軽重を操り、支援魔法をかけ、シールドを貼り直す。
――やっぱり……、あれは、ルミナ・ドラゴンであって、そうではない。
魔法でそれらしく蘇らせた、まがい物――
エセルの中で、疑惑が確信へと変わってゆく。
――もし、現代に本物のルミナ・ドラゴンを完璧によみがえらせられたら、
そんな貴重な兵器を、未開の辺境の一貴族に渡すわけない。
リューセイオン王国は、あれが不完全な粗悪品ってわかってて、プリニーツに渡したのよ。
エセルの口元が、わずかに吊り上がる。
竜はなおも暴れた。
尾が薙ぎ払い、腕が叩きつけられ、時折、光を吐き出す。
だが――その色が違った。
青白かった閃光は、次第に赤みを帯び、熱も、勢いも、確実に落ちている。
カイルの剣は、確実に体力をそぎ、一撃ごとに、巨体の動きが鈍る。
輝いていた鱗は、次々とくすんだ灰へと沈んでいく。
そして――
限界が、訪れた。
重い地響きとともに、巨体が崩れ落ちる。
竜は伏し、
ゆっくりと、そのまぶたを閉じた。
――勝った……!
エセルの頬が、ぱっと綻ぶ。
戦場を見渡す。
他部隊も次々と竜を討ち、残るはあと一体――
「カイルさんっ! 最後一匹、片づけちゃいましょう!」
笑みのまま、彼女は駆け出す。
カイルも屠った竜を一瞥し、その背を追った。
「よーし、みなさんっ! 支援します!
体力増強、筋力増強、疲労軽減――」
魔法を重ねようとした、その瞬間。
「――っ」
声にならない息が、喉で止まる。
視界が揺れた。
遅れて――
背中が、焼けた。
「エセル――――っっ!!」
カイルの絶叫が、戦場を引き裂く。
エセルの身体が前のめりに崩れ落ちる。
一瞬にして、彼女の背中の服が燃え、皮膚が焼けただれた。
息が、できない。
地面に叩きつけられた瞬間、
世界が、遠のいた。
背後で、かすかな咆哮が途切れる。
限界を迎えた竜が、最後の力を振り絞って吐き出した一撃だった。
既に余力のない、冷えかけた炎。
しかし、無防備な肌を焼くには、それで十分すぎた。
次の瞬間――
その巨体は崩れ、肉は砂のように瓦解し、
骨だけを残して、完全に沈黙した。
「エセルっ、エセルっ!!」
カイルは駆け寄ると、彼女の名を連呼する。
うつぶせに倒れた背中の痛々しさに、カイルですら彼女に触れることをためらった。
「誰かっ!! 彼女に治癒魔法を――っ!
治癒力上昇でもいいっ! とにかく早く助けてくれっ!」
カイルは顔を青ざめさせ、あたりを見回した。
だが、誰もが顔を見合わせる。
ことに付与魔法士たちは首を横に振って俯いた。
「――カイル団長、発言することをお許しください。」
最後のドラゴンと交戦を終え、隊から離脱してきた、付与魔法士の二番が寄ってきて挙手する。
「ご存じだとは思いますが、付与魔法士は、一切の魔法を受け付けません。
だから、私たちは、彼女に何もしてあげられないのです。
でも――」
覆面で顔は見えなかったが、彼女が恐ろしく真剣に発言しているのは、誰からでもわかった。
「一人だけ、彼女を救える人がいます。
“魔力の番”――カイル団長、あなたです。
あなただけが、彼女を救うことができます。」
彼女の言葉にカイルは一瞬虚を突かれた。
表情が一切抜け落ち、次の瞬間、脳裏に言葉がよみがえる。
――相手の血や体液は、甘美な媚薬にもなり得るし、
時に驚異的な回復をもたらすこともある――
彼は瞬時に我を取り戻すと、すぐさま鎧を脱ぎ棄てて、彼女を背中に負ぶった。
「――すまない。彼女を救うっ!
第一騎士団長へ伝令! 以後全権を一時的に委譲するっ!」
カイルは一方的に叫ぶと、猛然と騎士隊の仮設テントまで走り始めた。
けっして近い距離ではない。
だが、彼の身体には、まだエセルの付与魔法が残っている。
――間に合うっ! 絶対に!
増強された筋肉は彼女をがっちりと背中にホールドし、脚力が増した脚で、平原を風のように走り抜けた。




