第二十八話 戦場の番
出立はすでに午後も遅く、ヴェルグラート平原に辿り着いたのは、夜も更けてからだった。
拠点は平原と北への道を一望できる丘の上に設けられ、先行した魔法士隊や近隣から駆け付けた騎士団の部隊が、せわしなく出入りしている。
先行した魔法士隊は、夕暮れの薄明かりが残るうちに到着したらしい。
そのときにはすでに――平原一面を埋め尽くす、大小強弱さまざまな魔獣の群れが確認されていたという。
平原の向こう――闇の奥で、魔獣の咆哮が途切れることなく響いていた。
「――払っても払ってもきりがない……北への街道は閉鎖してるから、溜まる一方だ。
いっそ……共食いでも始めてくれりゃ、手間が省けるんだがな」
前線から食事と魔力補給のために戻ってきたヘルマンが、到着したばかりのカイルとエセルの顔を見て言った。
「騎士隊の正念場は夜明け頃になりそうですね……
街道に入り込んだ強個体の駆除は、夜通しお願いすることになりそうですが――」
マデルナはヘルマンに肩を貸しながら、遠慮のない口ぶりで続けた。
「……まあ、団長ならどうにかするでしょ。
エセルさんもいるし」
「……マデルナさん、それどういう意味ですか……?」
エセルがじとりと聞くと、マデルナは涼しい顔で言う。
「“魔力の番”って――要するに、命の番。
生命力そのものを繋げて増幅できるってことですよ。
ふれあいや交わりが深くなればなるほど、お互いに力が高まる。
恋人同士のあなたたちなら――もう身体で分かってるでしょ?」
「なっ……」
マデルナの言葉は、思い当たることばかりで――
エセルもカイルも頬を染め、ぎくりとする。
「まあ、番が見つかって、それが婚約者なら、悩む理由もないだろう。
ちょっと気は早いが――関係を進めるのも、悪くない」
「進めるって――どこまで――」
エセルがわたわたと赤面すれば、ヘルマンとマデルナは答えず、
ひらひらと手を振り、そのまま奥の仮眠室へと消えていった。
「ねぇ……カイルさん……。ヘルマンさんとマデルナさん……番って、そういう関係だったんですね……」
口にしてから、エセルははっとして言葉を詰まらせる。
自分で言っておきながら、顔が熱を持っていくのが分かった。
「……」
カイルは一瞬だけ視線を逸らし、わずかに息を吐いた。
「……とにかく、まずは街道の視察に行こう。
第九騎士団と辺境第十一師団が応援に来ているはずだ」
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小高い丘から平野を望めば――
満月の下、魔獣たちの目が無数に赤く光っていた。
黒々とした影が、地を埋め尽くすようにひしめき合っている。
その上空を魔法士たちが飛び交い、炎や稲妻が縦横無尽に走る。
さらに地上からも、同じく魔法が撃ち上げられていた。
「ドラゴンが何体か――少なくとも数十体はいますね……」
エセルは月明かりの中、神経を尖らせ、目を凝らす。
「その中でも……強個体が五体。
これらと、まともにぶつかれるのは――カイルさんくらいですね。
国中でも指折りの竜ばかりでしょう。」
「五体か……」
カイルは低く呟く。
「それはスタンピードとは無関係に、引っ張り出されたな。
あいつらは、魔獣の暴走と並行して――竜を操る術を探っていた」
「……だとしたら、スタンピードは目くらましの可能性がありますね。
神聖帝国の戦力は詳しくは分かりませんが……あの国にドラゴンはいないはずです。
いきなり数十体も現れれば――まともに対処できる軍は、ほとんどないでしょう」
エセルはなおも平原を観察していたが、やがて目元を軽くこすると、カイルに振り向いた。
「意外と高位種や、ドラゴン以外の強個体はまだ来ていないようです。
このままなら、魔法士隊の広域魔法で朝までに九割は片づけられるかと」
「――大したものだな……エセル」
カイルが感心すると、エセルはわずかに胸を張った。
「それは――私は付与魔法士ですから……。
言葉を発することを禁じられて、それでも騎士さんたちへ的確に付与魔法をかけるんです。
戦況や、敵や味方の状態を読むのも、仕事のうちですよ」
「……もし付与魔法士隊と騎士隊が、もっと密に連携できれば――
せめて言葉を交わすことができれば……」
カイルが言いかけると、エセルは首を横に振った。
「……それは……あまり良くない気がします。
さあ、街道まで応援に行きましょう。
……ほら、もうドラゴンが二体、こちらに向かっています」
カイルはエセルを乗せたまま、丘を駆け下りた。
第六騎士団の部隊も、それに続く。
付与魔法士の二番と三番も騎士と同じ馬に乗り、
前線に着くなり、負傷者の回復や騎士たちの強化、疲労軽減に次々と対応していた。
カイルは愛馬ノクスを後方に預け、エセルとともに徒歩で前線へと向かう。
「筋力増強――、体力増強――」
エセルはすれ違い、追い抜く騎士たちへ、次々と付与魔法をかけていく。
魔獣と組み合っていた騎士たちは、たちまち形勢を覆し、魔獣を屠っていった。
「――筋力増強、帯電と畏怖を付与……」
最前線に踏み込む直前、カイルにも付与を施す。
帯電は彼の身体を淡く紫に輝かせ、畏怖は並みの魔獣を本能的に退かせる。
――ふふふ……ぴかぴか光ってても、カイルさんはかっこいいですねぇ。
どこにいても、絶対見失いませんよっ。
久々に余裕のある戦場に、エセルは思わず笑みをこぼした。
『『グォォォォォォ』』
やがて咆哮とともにカイルの前に立ちはだかったのは、二匹の竜――
中型の若い個体。だが、並の魔獣とは比べ物にならない威圧を放っていた。
「バルザック隊は右の竜を引き付けろ! ヘンドリック隊は左から私を援護しろ!
一体ずつ確実に仕留めるぞ!」
カイルが号令をかけると、すかさずエセルが各隊に付与魔法をかける。
「筋力増強、速度二倍! 疲労軽減および遅延抑制、各個シールド展開っ! 勇猛付与っ!」
途端に騎士も馬も勇んで竜へと立ち向かってゆく。
「――さすが一番……
しかし、私以外の男に魔法をかけるのは……どうにも、複雑な気分だな」
部下を見やりながら、カイルがぼそりとつぶやく。
「……魔力補給は、あなただけですよ」
彼の背に追いついたエセルが言うと――
カイルは一瞬だけ振り返り、
次の瞬間、彼女の唇を奪った。
「すぐ片付けて戻る」
そう言い残すと、彼は猛然とドラゴンへと向かって走り出した。
エセルの身体にも、かすかに紫電が伝う。
その余韻に、彼女はぞくりと身を震わせた。
北森の王・ドレークを一太刀で屠ったカイルにとって、並みのドラゴンはもはや敵ではなかった。
バルザック隊が一匹を引き付けている隙に、もう一匹を瞬く間に斬り伏せる。
返す刃で、引き離されたもう一匹にも斬りかかり――そのまま屠った。
だが、竜が倒れて生まれた空白には、
平野で魔法士隊の広域魔法に追われた魔獣たちが、次々と流れ込んでくる。
それを騎士隊の部隊と共に薙ぎ払い、切り捨て、押し返し――
月が山の向こうへ沈む頃には、街道へ迫る魔獣の数も、はっきりと減少していた。
「――少し、休憩をとる。
各隊も交代で休み、夜明けの総攻撃に備えろ!」
カイルは声を張り、ベアウルフを切り捨てると踵を返す。
彼が抜けた場所には、後方からやって来た第九騎士団の部隊がすかさず入った。
前線からやや後方で付与魔法をかけ続けていたエセルは、即座にカイルへと駆け寄る。
さして強くはない魔獣とはいえ、かれこれ三時間は斬り続けたカイルの呼吸は荒く、疲労の色が浮かんでいた。
「――大丈夫ですか?! すぐに回復促進を――」
エセルが手を伸ばした、その瞬間。
カイルはその手を掴み、強く引き寄せると、そのまま彼女を抱き上げた。
「魔法より――君が必要だ」
低く、息の混じる声で囁かれる。
その目に宿る熱に、エセルは思わず息を呑んだ。
「……みんなから見えないところがいいです。
私も……少し疲れました……」
「もちろんだ」
カイルは短く応じると、歩調を速めた。
そのまま二人が身を滑り込ませたのは、後方に設けられていた将官用の仮設テントのベッドで――
最後の一線は守ったものの、
二人の距離は確かに、これまでよりも近づいていた。




