第二十九話 南東に潜むもの
夜明け前――平原にはしっとりと夜露が下り、下草は一歩ごとにエセルとカイルの靴を濡らした。
仮設テントを出た二人は、夜更けの掃討の時とは別人のようだった。
言葉を交わさずとも歩調は寸分違わず揃い、踏みしめる音さえ、やけに静かだ。
カイルがエセルをエスコートして進むその姿は、戦場へ赴くものには見えない。
まるで王城の舞踏会へと向かうような優雅さ――
それでいて、前方へと向けられた気配は、刃のように鋭く張り詰めていた。
その場にいた騎士たちは、誰一人として声をかけることができず、
ただ背筋を震わせたまま、その場に縫い留められていた。
差し込む朝日とともに、平原から箒に乗った魔法士隊が引き上げてくる。
先導していたヘルマン・マデルナ組が、カイルたちの前に降り立った。
彼らは夜更けの魔力補給から、再び戦場に舞い戻っていた。
「雑魚はあらかた片づけた。
――夜明けとともに、騎士隊と交代だ。」
一旦補給を挟んだとはいえ、疲労の色は濃い。
ヘルマンの柔らかい髪は汗で頬に貼り付き、マデルナの三つ編みも、少しほつれている。
マデルナはエセルを見つめ、鼻を鳴らした。
「――それがあなた方の選択なら、それはそれでいいと思いますよ?
しかし、よくぞ一線を守りましたね。どこぞの駄犬に爪の垢を煎じて飲ませたいくらい。」
「――っっなんでマデルナさん! わかるんですかぁぁぁぁぁっっっ」
エセルが赤面しつつ叫ぶと、マデルナは涼しい顔で返す。
「それは――、私は“魔術師の塔”付きの事務員ですからね。局員の事は、見ればわかります。
それより、まだ純潔を守ってその同調率……えぐいですね。
それで、個々があれだけの実力――末恐ろしい。」
「――っっ……」
ヘルマンとマデルナは、エセルが目をそらすのをニヤニヤと眺めていたが、
やがて表情を引き締め、カイルへ向き直った。
「カイル団長、平原の強敵は、残りドラゴン十体あまり。どれも騎士隊からすれば大した相手ではない。
だが――、妙に胸騒ぎがする。」
ヘルマンの言葉に、カイルは少し考えてから口を開く。
「このスタンピード自体、人為的なものだ――騎士団としてはそう見ている。
魔術管理局やプリニーツが噛んでいた……と言えば伝わるだろうか?」
「――ああ……やはり。それならつじつまが合う。
群れを構成する魔獣の種類、成長段階、変異体の割合――どれをとっても妙な偏重が見られた。」
ヘルマンは、下唇を指で伸ばしながら満足げに頷いた。
「――魔法士隊の前線からの報告だが……
もし仮に、この規模でこの質のスタンピードを人為的に起したなら、王国全土からの魔物の終結が見込める。が――
実際は南東からの流入が、目に見えて少ないと。
正確に言えば、ブラント伯爵領から続く街道からは、ほとんど魔獣の流入がない。」
「うちの領地――、いったいなぜ?」
エセルが目を見開く。
ヘルマンは少し眉をひそめて、彼女を憐れむような視線で見つめる。
「君のご実家の領地だけ、何らかの魔法で守られたか、見逃されたか……
そんな理由なら問題ないが――そう都合よくはいかないだろう。
この騒ぎを起こした元凶がいるのか。
とっておきの強者が隠れているのか。
あるいは、その両方か――」
ヘルマンの言葉に、エセルの脳裏によみがえる。
『今年も小麦の不作に、雨期の洪水、魔獣の出没――借金は嵩む一方だ――』
――その後よっ!
『しかしだなぁ……プリニーツ伯とは業務提携が――』
――業務提携。そうよ……!
プリニーツはブラント伯爵家に資金提供と提携を持ち掛けて――
事業は、もう動き出していると父は言っていた。
その提携が、良からぬものだったのなら――
そもそも、ブラント伯爵領の“特産品”が、プリニーツの求めていたものだったのなら――
領地で暴れていた魔獣が、プリニーツの差し金だったのなら――
思考に沈みかけたエセルを引き戻したのは、
カイルの温かく大きな手――そっと肩を抱き、引き寄せる。
はっと我に返り、エセルは悲壮な顔でカイルを見上げた。
「エセル――、私は何があっても君を守る。
だから、今はこの戦いに勝つことだけを考えよう。」
カイルが真剣な眼差しで訴えると、ヘルマンも横から口を出す。
「君のご実家に何があろうと、“魔術師の塔”は君を仲間として全力で守るよ。
カイル団長。平原を掃討しつつ、南東へ向かうのを勧める。俺のこういう勘は、よく当たるんだ。」
「わかった。後は任せてくれ。
――行くぞ! まずはドラゴン十匹! 各方面からも応援が駆けつけている!
死力を尽くせっ! この国を守るのだっ!」
カイルが号令を上げると、
いつの間にか背後に集まっていた騎士隊が、鬨の声をあげた。
「じゃ、健闘を祈る。」
ヘルマンはいつもの軽さで、指を二本立てて挨拶を送り、ウィンクしてマデルナと共にすれ違ってゆく。
「――行きましょう、カイルさん。実家のことは、なるようにしかなりません。
私は私で最善を尽くすだけです。」
――体力増強、筋力増大――
エセルは振り向かず、騎士隊へ無詠唱で付与魔法をかけてゆく。
「前方の東方向に一体、南の方向に二体、ドラゴンを確認!
いずれも若い個体ですが――東の一体の強さが突出していますっ!」
南東方向へ、低級種の打ち洩らしを掃討しながら進んでいた。
その先頭で、エセルが声をあげた。
平原に打って出て初めての遭遇――
「よし!東は第七騎士団全部隊で当たれ! 何、お前たちなら力を合わせれば落とせる。
付与魔法士は二番様が随行していただきたい。
南は第九騎士団で当たれ! まもなく辺境の師団が随時到着する頃合いだ。
それまで何とか食い止め、持ちこたえよ!」
それぞれに指示を出し、カイルは第六騎士団を引き連れて、ひたすら南東へと進んでゆく。
緋色の鱗と金色の目を持つ、火竜――
ドラゴンの中でも上位種だ。
「――すごい……こんな個体、初めてです……」
対峙したエセルは、強敵を前にうっすらと笑みを浮かべた。
「本来は山奥に隠れ住むヤツだ。……それをわざわざ連れてきた。
神聖帝国で暴れさせたい個体、だろうな。あいつは高火力の炎を噴くぞ。」
カイルが横目で見ると、エセルはこくりとうなづいた。
「了解!――防炎シールド各個展開! 氷魔法付与!」
「よし、左右へ展開しろっ! 突撃っ!」
カイルの号令で、騎士隊は左右に分かれ、火竜を取り囲んでゆく。
火竜は殺気を察し、大きな口を開けて炎を吐いた。
他のドラゴンとは一線を画す――真っ青な炎だった。
「うわっ、シールド越しでも熱を感じるぞっ!」
「尾にも気を付けろっ!当たったらひとたまりもないっ」
騎士たちが口々に声を上げる。
――まずい、この程度のシールドでは防げないっ?!
「シールド追加っ! 氷魔法付与『極寒』っ!」
エセルは右手を突き出し、追加の魔法を重ねる。
火竜の周囲の温度を一気に下げた。
が――
「なっ……なんだこれっ!」
「霧が――」
途端に、水蒸気が火竜を包み込み、その姿が見えなくなる。
「熱気と冷気が反応して、霧が発生しているっ!
エセル逆だっ! ありったけの炎を付与してくれっ!」
カイルが叫んだ。
「ええっ、でも、炎を付与したら、もっと活性化してしまうのでは――」
「大丈夫だっ! やってくれ!」
戸惑うエセルに檄を飛ばす。
――カイルさんを信じるっ!
エセルは再び右手を上げると、火竜に向かって付与魔法を放った。
「――炎魔法付与『炎極』っ!」
最上級の炎を叩き込む。
すると、火竜は内側から輝き、苦しげにうめき、もがき始めた。
「えぇっ? 効いてますよぉっ!?」
「火竜は上位種だが、山奥で静かに暮らす。
それは、ヤツの命が危ういバランスの上で成り立っているから。
証拠に、火竜は比較的短命だ――この個体も、図体はでかいがまだ若い。」
カイルはにやりと笑みを浮かべながら、内側から崩壊してゆく火竜を見つめている。
エセルは首を傾げた。
「――といいますと?」
「高温の炎は、ヤツ自身も蝕む。生命として内包できるギリギリの温度だ。
少しでも暴れれば命を削るし、炎魔法で温度をさらに上げられれば、ひとたまりもない。」
「本当だ……よくご存じでしたね……」
エセルが呆然と呟くと、カイルは長剣を納め、彼女の肩を抱く。
「まあ――とっさに思い出しただけさ。
でも――エセル、すごいぞ。君一人でも竜を屠れたではないか。」
「――でも……このままじゃ、まるコゲですよ。資材が取れない――」
言いかけた彼女の顎に指がかけられ、カイルは軽く唇を重ねた。
「何を言っている……竜はこの戦場にいくらでもいる。
皆が無事、それで十分だ。」
カイルは微笑み、隊を見回した。
「よし――先へ進むぞっ! 続けっ!」
やがてカイルの隊は、平原でドラゴンを各個撃破した部隊と次々に合流した。
平原の南東側深くに至る頃には、数師団に及ぶ大軍勢へと膨れ上がっており、
その最後尾には、北森を守り切った第一騎士団や第三騎士団も加わっていた。
掃討を終えた平原を背に、彼らが対峙したのは、ブラント伯爵領まで続く広大な林――
そこから現れたのは、洗脳された第四騎士団と第一騎士団の王都残留部隊。
そして、五匹の巨竜と、ローデリック、プリニーツ。
その中央に、豪奢な輿に担がれた、セリーナ・アルシアだった。




