第二十五話 黒幕の名
着衣を整え、エセルもしっかりと覆面を下ろして向かった本部の天幕――
そこには、微かに腐敗臭が漂っていた。
中央には、人の形をしたものがムシロに包まれ置かれていた。
エセルは思わず袖で鼻を覆う。
――そのとき。
ムシロの端から、白く長い髪が、わずかに覗いているのが見えた。
彼女は、思わず顔をゆがめた。
そのすぐ後ろには、酷く殴られたのだろう、ボロボロになった少年が後ろ手に縛られ、座らされていた。
「この少年以外は、包囲した時点で自害しました。
こいつだけは……死にきれなかったようです。
歯に仕込んでいた毒も除去済みです。自害の心配はありません」
第二騎士団長のエリック・フィンゼンは、声を落としてカイルに告げた。
「……そうか。ご苦労」
カイルは短く応じ、ムシロへと一瞥をくれる。
「思ったより早かったな」
「ええ。ドレークをおびき寄せる以上、そう遠くへは動けなかったのでしょう。
先発隊が足止めしてくれていたおかげです」
カイルはムシロへと近づくと、そっと端をめくり上げて、中を自分とその少年に見えるようにした。
中には、目も口も半開きのエルフの少女――ドレークの“いとし子”が横たわっている。
死後すでに時間が経っているのだろう、濁った瞳は虚空を見つめ、皮膚はうっすらと変色し始めていた。
「……まだ二十歳に満たないだろうに……むごいことをする。
――なぜ、このようなことをした……」
カイルが迫ると、少年はふいっと顔をそらした。
「――黙っていても無駄だぞ。こちらも素人ではないのでね、大方調べはついている。」
腕を組んだ姿勢で少年を見下し、横から口を挟んだのは
この少年を拿捕した、第二騎士団の分隊長だった。
「おまえも、おまえの死んだ仲間も、この国の者ではないな?
その赤みがかった髪色や、何より首から下げていた聖エンペリオスのメダイユ――
神聖帝国の者だろう?」
分隊長の言葉に、少年は明らかに動揺した。
カイルはスッと目を細めると、少しの間少年を見つめ、猫なで声で言う。
「――ここで黙っていて、状況が好転すると思うか?
正直に言えば――、こちらとしても扱いは考えないこともない。」
少年はしばらく地面を見つめ、それからちらりとカイルを伺ってからため息をついた。
「――詳しいことは知らない。
ただ、役目を果たせば――、このエルフの死体で、あの竜を王都までおびき寄せれば、
新猊下擁立の暁には、帝国貴族としての地位を復興させよう――と……亡命貴族に誘われた。」
「――帝国貴族? お前も亡命貴族なのか?」
エリックがたずねると、少年は観念したように口を開いた。
「ああ。十年ほど前に、神聖帝国で政変未遂があったのは知っているだろう?
俺は幼かったから詳しいことは知らないが――両親と一緒に、この王国へ逃れてきた。
その両親も、数年前に他界したが――」
「おまえたちに依頼した亡命貴族とは――、誰の事だ?」
カイルがまだ猫なで声でたずねると、少年は首を横に振る。
「――ファシュテン伯爵……でも、これは、神聖帝国での名前で、王国では別の名を名乗っているらしいが、俺は知らない。」
――ファシュテン伯爵。
カイルはその名前に聞き覚えはなかった。
だが、何かが引っかかる。
どこかで――つい最近、目にした名だ。
「全部喋った。これ以上は、知らないんだ。
喋ったんだから、もういいだろう?その死体とかれこれ三日――もう限界なんだよっ!」
少年が叫び声をあげた。
神聖帝国の国教では、異種族も、死体も穢れたものとして強く忌避されている。
カイルは分隊長に目配せすると、彼も頷いた。
「――手当てして、王都へ送れ。 丁重にな。」
カイルが言うと、騎士たちが少年を両脇から抱え、引きずり出す。
「なあっ、俺は全部喋った! 全部喋ったんだから、便宜ははかってくれるんだろぉぉっ!」
引きずり出されながら叫ぶ少年の声が、だんだんと遠ざかって行った。
「――助命嘆願でもするんですか?」
エリックがちらりとカイルに目をやりながらたずねると、カイルは涼しい顔で、
しかし、ほんのわずかにエセルへ視線をやりながら答える。
「まさか。私は『考える』とは言ったが、何も確約していない。
――まあ、死罪は免れないだろうなぁ……」
「当然ですよ。」
ずっと黙ってやり取りを見ていたエセルは憤然として言うと、一歩進み出てムシロの方へ手をかざした。
「だって、何の思惑か知らないけれど、
罪のないエルフが殺されて、エルフの村やアデリア村、それから辺境第十六師団が壊滅させられて、王都も脅かされてるんですよ?
しかも、あの穏やかな北森の王まで、討伐された――
そんなの……国を売ったのと同じじゃないですかっ! 死罪で当然です!」
怒りを吐き出すように言い切ると、彼女はエルフの遺体に薄くシールドを張った。
「――シールドを張りました。これで少しは臭いを押さえられるかと……」
彼女が言い終えるや否や、
数名のエルフと騎士たちに付き添われて、エルフの村長が本部の天幕に入ってくる。
村長は土の上に横たわるムシロを見て、
そして端からこぼれた白い髪に気づくと、その場に崩れ落ちた。
「――アウローラ……覚悟はしていたが……」
村長は――それ以上言葉にならない。
「彼女は、村長の孫娘だったんです。北森の王とも、長い友人で――
ここ数日ですっかり老け込んでしまいました。」
エルフの一人が沈痛な面持ちで言った。
カイルもエセルも目を伏せる。
「そうですか。何もお力になれず、申し訳ない……」
カイルの言葉に、エルフはゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、北森の王を止めてくださって、あの子を連れ帰っていただいて、
それだけでも十分です。」
やがて天幕に担架が運び込まれ、エルフの少女はムシロに包まれたまま、仲間の手で天幕から運び出された。
天幕の外では、ハイン公爵が静かに待っていた。
彼の後ろに立つ騎士は、白布に包まれた大きなものを、捧げ持っている。
「――村長……これは、あの竜――北森の王の心臓です。
どうか――彼女とともに、お納めください。」
ハイン公爵が、最敬礼で包みを差し出す。
村長は背後の若者に目配せして受け取らせると、彼もまたハイン公爵に最敬礼した。
「――貴君は……古き作法を守ってくれるのか……感謝する。」
「もちろんです。我が領地にエルフが住まうのは我が公爵家の誇りです。
どうか、人間全体を恨まず、良き隣人でいられるよう……お願いいたします。」
エルフたちは、第二騎士団の分隊とともに、森の方へと戻って行った。
ハイン公爵はその様子を見送りながら、カイルに低くつぶやく。
「――北森の遥か向こうには、神聖帝国が控えている……
今まではドレークがその威で食い止め、エルフたちの幻術で惑わしていたが――
これからはどうなるかわからん。我が家の騎士隊も尽力はするが……手は足りぬ」
「――もちろんです。辺境第十六師団に代わる部隊を、なるべく早く派遣いたします。
それまでは、王都からの騎士隊が駐屯いたします」
カイルがうなづくと、公爵は少し安心したように肩の力を抜く。
「しかし……王都も、きな臭くなってきているのだろう?
先般の貴族会議でも、神聖帝国との国交を復活させたい保守派と、反対する新興派が一触即発の様相でな――
保守派は北森に、帝国まで続く街道を整備しろと迫って来た。
中立派の私としては、潮目を見定めるのに難儀している……」
「公爵閣下は、この件――保守派の仕業と見ておられますか?」
「そう考えるのが妥当だが……あの実行犯の少年、“亡命貴族から雇われた”そうだね?
亡命貴族は、新興派のはずなのだが……妙な話だ。」
首をひねるハイン公爵を横目に見やり、カイルは静かに口を開いた。
「閣下、“ファシュテン伯爵”の名に覚えはありませんか?
最近見た気がするのですが……どうにも思い出せなくて――」
公爵は驚いて、カイルに顔を向けた。
「“ファシュテン伯爵”――“プリニーツ伯爵”のことだよ。
亡命した際に、名を変えたんだ。知らなかったのかい?」
その瞬間、カイルの脳裏に、一枚の書類が思い浮かぶ。
ルークスから渡されたプリニーツ伯の調査書――
内容の凄惨さに意識を奪われ、見過ごしていたが、その冒頭に、確かに書かれていた名。
すべてが繋がった。
王城でドレークの狂乱の知らせを受けたとき、彼らは何と言っていたか……
――『ほれほれ、北の老いぼれが暴れておるぞ。早く討伐したまえ、それが貴様らの仕事だろう?』
脳裏にこびりついて離れないのは、プリニーツ伯のあのいやらしい笑みだ。
「……あいつが、黒幕か」
押し殺した声は低く、握りしめた拳が、みしりと音を立てる。
「だが――奴は何を狙っている?」




