第十六話 運命と侵入者
「はぁ……もう、どうしたらいいかわかんない……」
客室に戻ったエセルは、ベッドに寝転んで呆然と天蓋を見つめた。
かつてないほどの深い口づけをしたカイルは、
「あまり早く刺激に慣れても困るだろうから」
と、余裕の笑みを浮かべ、軽い歓談の後に彼女を解放した。
キスの後に何を話したのか、ほとんど覚えていない。
――でも。
カイル団長の本命は、セリーナさんじゃない。
初めて会った時は、たしかに彼も彼女の魔法にあてられていた。
けれど――
……途中から、効いてなかった。
――なぜ?
心の中で問いかけたが……
胸の奥で、ひどく甘い予感が形を取り始める。
――やっぱり
私の血が、カイル団長に掛けられていた魔法を解いたのではないか。
しかも――
あの後、団長には、もう一度も魔法は効いていなかった。
「やっぱり本当に……私たち、魔力の番、なのかな。」
声に出した瞬間、胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
――じゃあ、団長の本命って……
「いや、ない……っ。ありえないからぁっ。」
信じてしまって、もし違ったら――立ち直れない。
エセルは枕に顔をうずめ、走り出しそうな思考を、必死に押しとどめた。
+++++
「遠征、ごくろーさん。しかし――どうにもきな臭いね」
ヘルハウンド掃討から数日。
団長室では、遠征の経費決算書が机の上に山と積まれていた。
その一枚一枚に目を通しながら、カイルは黙々とサインを重ねている。
ノックもそこそこに、ルークスがふらりと顔を出した。
「――思ったより早いじゃないか。報告を」
最後の一枚に署名を終えると、カイルはペン先のインクを軽く払い、静かにインク壺へ戻した。
――ルークスには、遠征前に、
魔物の動向と、プリニーツ伯の内偵を命じてある。
「女の気配がなさ過ぎて、重度のシスコンか、男好きかって囁かれてた騎士団総長がさ」
ルークスはニヤニヤと笑う。
「突然女を囲って、鼻の下伸ばしてるって、専らの噂で――
その女と寝たかって賭けは、今んとこ“寝た”が優勢」
「……くだらない話をしに来たのなら、持ち場に戻れ」
カイルは視線だけで射抜くように睨みつけた。
ルークスは両手をひらひらと上げ、冗談だと苦笑する。
「魔獣の方は、まだこれと言った証拠は出てない。
まあ、一朝一夕で分かる類じゃないのは、あんたも承知だろ?」
「――ああ」
短く応じたのを見て、ルークスは内ポケットから四つ折りの便せんを取り出し、カイルの机へ放った。
「もう一件の方だ。
……よく今まで放置されてたなってレベルで、真っ黒だ」
カイルはルークスを一瞥してから、無言で便せんを手に取る。
開いて一行目を追った瞬間、空気が変わった。
「……酷いな」
押し殺した低い声が漏れる。
「本当に、こんなことを女性にしていたのか」
「ああ。伯の八人の前妻のうち、五人は“商品”だ。
地下に落とされて、好きに扱われてる」
ルークスは肩をすくめる。
「団長がそれを“酷い”って言える人間で、正直ほっとしたよ」
「……エセル嬢も、嫁がされていれば――」
カイルの声がわずかに低くなる。
ルークスは淡々と告げた。
「十中八九、同じだな。
金を積んででも、そういうことをしたがる連中は――思ってるより多い。
……続きも見ろ」
促され、カイルは視線を落とした。
紙を追うごとに、その表情がわずかに強張っていく。
「――違法魔法薬の密造……」
「ああ。残りの三人は、それに従事させられてる可能性が高い。
……まあ、どのみち伯爵のおもちゃにされてるだろうがな」
「魔法薬で縛って、都合よく扱っている――そういうことか」
カイルの声が低く沈み、指先が無意識に机を叩いた。
「で――」
ルークスはわずかに体勢を変え、カイルに視線を向ける。
「報告書には載せてないが……もう一つ、悪い知らせだ。
プリニーツ伯爵、今朝づけで“魔術師の塔”の外部監査評議委員に任命された」
「……は?」
カイルの目が見開かれ、一瞬、言葉が途切れる。
「なぜだ。
プリニーツ伯爵家は外国出身の新興貴族だぞ――
あそこに入れるはずがない!」
次の瞬間、拳が机を叩いた。
ルークスは、わざとらしく肩をすくめる。
「魔術管理局次長と、委員長が伯の上客だ。
それから――没落貴族の子爵令嬢が一人、消えてる。
……何が起きたかは、想像つくだろ」
「クソ……あそこにはエセル嬢がいるのだぞ……」
一瞬の沈黙が落ちる。
「――やっぱりな」
ルークスの口元が、ゆっくりと歪んだ。
「カマをかけて正解だったよ。
ご執心の“筆頭付与魔法士”――団長の一番様が、エセル嬢か」
カイルの動きが、ぴたりと止まる。
ゆるやかに顔を上げたその視線は、射殺さんばかりに鋭い。
「貴様……謀ったな」
低く吐き捨てる。
「さっきの話、どこまでが真実だ」
「残念ながら、話は全部真実だよ」
ルークスは、カイルの視線などどこ吹く風に、勝ち誇るように胸をそらした。
「しかしなぁ……、まさか団長自ら、付与魔法士殿の身元を暴くなどという禁を犯していたとは――
バレたら、懲戒――エセル嬢との縁談もパァだ」
「……私を脅すとは、全くいい性格だな……。
条件を言え。何と引き換えだ?」
カイルの苦い表情を満足げに眺めながら、ルークスはおもむろに言った。
「情報が欲しいな。
愛しの一番様と、団長はどこまで進んでらっしゃる?
それと――あの子を選んだ理由も知りたい」
「……キスはした。それ以上はしていない、清い関係だ。
あれは――“魔力の番”に違いないし、それ以前に、俺の運命……なんだ」
カイルが吐き出すと、ルークスは手を叩いて小躍りする。
「よっし! ベッドイン手前でキスだけ! 俺の勝ちだっ!
で、団長。いつ彼女に手を出すつもりだ?」
「それも賭けの対象かっ!? ふざけるなっ!」
+++++
その頃、“魔術師の塔”に出勤していたエセルは、ヘルマンの執務室に赴いていた。
ヘルマン立会いのもと、マデルナから差し出された遠征の特別手当の明細に、順に目を通していく。
「――よし、と。はい、大丈夫です。
今回は、成果物の配当と――、戦果報酬が結構多いですね?」
最後の一枚にペンを走らせつつエセルが顔を上げると、
ヘルマンは頬杖をついたままヘラヘラ笑う。
「今回のエセル、大活躍だったからねぇ。
それに、ヘルハウンドの中に異常個体が思ったよりいてね。
皮と魔石が予想以上に高値が付いたんだよ。
もっとも通常個体の討伐数が多すぎて、そっちは値崩れしそうだったけど、まあそこは在庫調整で――」
「まあ――、皮も魔石も、とっておいて腐るものでもないですしね。」
エセルは書き上げた書類を目の前に掲げ、もう一度目を通す。
「はい、これでいいでしょうか?」
マデルナへ差し出すと、受け取った彼女は一通り目を通してうなづいた。
「はい、大丈夫です。
ところで……エセルさん、今、カイル団長のご実家に滞在なさっているのですよね?
ご住所や氏名の変更は必要ですか?」
「あ……、えっと……、それは……まだ具体的ではなくて……
プリニーツ伯爵との縁談も完全に白紙になってないみたいですし……」
ヘルマンも身を乗り出してくる。
「プリニーツ伯もお前の実家も、往生際が悪いなぁ。
そういえば、ヴァルデン侯爵家のわがまま娘はどうなった?」
「ヘルマンさん、その言い方……。セリーナさんです。
無自覚に精神系や認識の歪曲の魔法を使っていたようで――
とりあえず解呪が効いたので、一件落着でしょうか。
侯爵夫妻にも、早めに魔力鑑定をするよう進言しておきましたので、“魔術師の塔”からも一言勧めていただけると、今後スムーズかと」
「やっぱりなぁ……
でも、無自覚でそれだけの猛威を振るえるんだから――こっちに引き込むか……
いっそ聖女に認定して、公に活躍してもらうか……」
ヘルマンが考え込むように呟くと、横からマデルナがピシャリと言った。
「いくら力が強くても、性格に難ありなら私は反対ですよ。
自己顕示欲の強い付与魔法士も、性格の悪い聖女もごめんですね。」
「まあまあ、とりあえず、どんな魔力があって、どんな魔法が使えるか――
本人が自覚するところから、ですよ。
今までは本当に、自分の言葉や思いがそのまま現実になる特別な人間だって、思い込んでいたんですから。」
エセルが苦笑いすると、マデルナは鼻を鳴らす。
「エセルさんって、人がいいですよねぇ。ガラス入りお茶を飲ませてきた相手に――」
ドンドンドン――
言葉を遮るように、執務室のドアが叩かれた。
「――おかしいな。特に来客の予定はないのだけれど……」
ヘルマンは立ち上がりながらつぶやく。
魔術師の塔に、部外者がそう簡単に入り込めるはずがない。
――だが、もしそうなら。
エセルの顔を見られるわけにはいかない。
ヘルマンは自らドアへ向かい、来客を確かめようとした。
しかし、ドアはヘルマンが手をかけるより早く、外から大きく押し開けられた。
「プリニーツ伯、こちらがヘルマン・テルダム団長の執務室です。」
にこやかに案内してきたのは、魔術管理局次長。
室内をぐるりと舐めるように見回した伯爵の視線が、バチリとエセルを捉えた。
「おやおやおやぁ? 思ったより簡単に見つかりましたねぇ?」
目をいやらしく細め、口元に粘つく笑みを浮かべていた。




