第十五話 報酬のかたち
晩餐は、表向き静かに進んでいった。
しかし内実は――
「――エセル嬢は、第七王女殿下の侍女と聞いているが、王女は若年とはいえ聡明と聞く。
君も何か特別な知識でご重用されているのかな?」
侯爵が食事の合間にエセルにたずねる。
「ええ――、少々魔法を嗜んでおりまして、その関係でお側に置いていただいております」
エセルがにこやかに答えると、すかさず横合いからセリーナが被せてくる。
「ねぇ、カイル。今回の出征では、たくさんのヘルハウンドと戦ったと聞いたわ。
そのお話をして下さらない?」
「あ……ああ……押し寄せるヘルハウンドは大量だったが、魔法士隊が露払いをして――」
カイルが答えると、セリーナはそれにも被せてくる。
「何で騎士団総長のカイルが、前線に立たなければならないのかしら?
団長なら、安全なところから指揮するべきだと私は思ってしまうのだけれど……」
セリーナは眉根を下げてカイルの太腿に手を置いて続ける。
「そもそも、あなたはアルシア公爵家再興の要なのよ?
御身を危険にさらしてほしくないわ。
――少なくとも、あなたが勝手に命を賭ける立場ではないでしょう?」
また彼女の声は不思議な圧を伴って響き、エセルの背筋に、ぞわりとした寒気が走った。
――解呪……解呪っと……
ああもぉっ! この人、わざとなの? 無意識なのっ?キリがないったらありゃしない。
違和感を覚えるたびに、胸の内で解呪を詠唱し、エセルは内心舌を巻いた。
解呪をしないと、話題はすぐにセリーナにさらわれ、
エセルの存在感が、端から消えていく。
魔力は尽きない。
けれど――意識を張り続けるこの感覚は、じわじわと心を削っていく。
何度も魔法をかけられ、魔法を解かれ、を繰り返されている侯爵夫妻も、少しずつだが違和感を感じ始めているようだった。
――ああ……無視すれば給仕が止まるし――もう、食事が堪能できないじゃないの。
彼女の力が無意識でもそうじゃなくても、私の解呪が通じるなら、魔法の一種には違いないわ……
それなら……
エセルはメインディッシュの子牛のポワレを切り分けながら胸の内で詠唱する。
――魔力シールド、セリーナ嬢へ展開。
次の瞬間、セリーナを包み込むように、
薄く張り巡らされた魔力の膜が形成される。
魔力以外はすり抜ける。
――気づける者はいないはずだ。
エセルの向かいで、カイルがハッと目を見開いた。
空気の変化に、気づいたようだった。
――うーん、さすがはカイル様……まさか気が付かれたか……
でももう無理。私はこのお肉を堪能したいのよ……
エセルは涼しい顔でそ知らぬふりをした。
一方セリーナも、主導権が握れなくなったことに気づき始める。
何度も話題を引き戻そうとするたびに、侯爵夫妻は不思議そうな顔をし、戸惑いが溜まってゆく。
「セリーナちゃん、どうしたの今日はなんだかおかしいわ?」
侯爵夫人が心配そうにセリーナへ声をかける。
――その瞬間。
とうとう彼女が爆発した。
「おかしいのは、みんなじゃないっ!
なんで今日はこんなに冷たいの?
それに――お義母さまっ!
私をちゃん付けで呼ばないでって、何回言ったらわかるのよぉっ!」
――無意識、だったのね……
静まり返った食堂に、エセルがナイフを置く音だけが、響いた。
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取り乱したセリーナは、デザートを待たずに部屋へと下がった。
侯爵夫妻は終始気まずそうにしていたが、エセルは何食わぬ顔を貫いた。
デザートまでしっかり平らげ、カイルに伴われて退室する際――
彼が低く囁いた。
「――少し、話がある」
「……ですよ――ね。」
心当たりしかないエセルは、肩をすくめ、大人しく彼に従った。
誘われて足を踏み入れたのは、
彼の書斎だった。
「……まあ、そこに座ってくれ」
カイルはソファーを指して、自分は戸棚からグラスと酒瓶を取り出した。
「エセル嬢は、いける口かい?」
彼が掲げたのは、上等なウィスキーだった。
エセルは少し迷ったが、首を横に振った。
「やめときます。これ以上飲んだら、失態を犯しそうです。」
「では、他に用意させよう。」
そう言うと、グラスを一つ棚に戻し、
呼び鈴を鳴らした。
ウィスキー瓶を持ったままエセルの対面にどっかりと腰を下ろす。
グラスに少し注ぐと、
エセルを一瞥してから、舐めるように口を付けた。
メイドが二人分のティーセットをワゴンで押して運んでくると、
横目でカイルの前に酒のグラスがあることを確認し、エセルの前だけにティーカップを置いた。
メイドが、テーブルの上にすっかり用意が終わると、彼は手で制して下がらせる。
「――これは、我が侯爵家で嗜まれている夜のハーブティーだ。
淹れ方や抽出時間に、神経質になる必要はない」
エセルはおそるおそる手を伸ばし、一口含んだ。
口の中にほの甘く、花と薬草の香りが広がった。
「――おいしい……」
思わずつぶやくと、カイルが嬉しそうに目を細める。
「気に入ってもらえて、何よりだ」
――ああ、こういう柔らかい表情も……素敵だな……
もう一口飲みながら、
カップの縁越しに、そっと彼を見上げた。
彼もまた、じっとエセルを見つめていて、バチリと視線がぶつかる。
先に視線をそらしたのは、エセルだった。
「――セリーナさん、大丈夫ですか、ね……」
思わず、つぶやいた。
カイルが何気ない様子で首をかしげる。
「――“大丈夫”とは……?」
「その――、思い通りにならなかったの、初めてだったんじゃないかなって……」
「ほう?」
カイルはまた一口、グラスに口を付けてから、先を促す。
「セリーナさん……精神系の魔法を、無意識に使っている可能性が高いと思います。
だから今まで、多少強引でも、
思った通りに話題を握れていたのかと……。」
エセルもまた一口、カップに口を付けた。
「……なるほど。
それなら、今日のことも――これまでの使用人たちの振る舞いも、説明がつくか……。
セリーナは身体が弱いという理由で、
デビュタントも果たさず、魔力測定も受けないままになっている。」
「――差し出がましいようですが、
一度、測定は受けられた方がよろしいかと。
無意識に魔法を使うことも――
何もかも思い通りになると感じてしまうのも、危ういので」
エセルは、何気ない口調で告げた。
そんな彼女を見つめるカイルの目が、スッと細められた。
「セリーナのその魔法を、その都度解除し、最後はシールドで包んで遮断していただろう?
……君は、ずいぶん高度な支援魔法を使えるのだな?」
カイルの口調は、あくまで柔らかい。
「――っあ。」
とっさに彼の顔を見つめたエセルの目が、揺れた。
「だ……第七王女殿下の、侍女ですから」
こういった展開を予測していなかったわけではない。
エセルは、用意していた言葉を口にした。
「――それにしても、すばらしい魔法だった。」
カイルはスッと立ち上がると、テーブルをこちら側へと回る。
エセルの隣に腰を下ろし、彼女の手を取る。
「……魔力を、かなり消費したのでは?」
「――それほどでも……」
エセルが少し身を引くと、その分だけカイルは乗り出す。
「……あれほどの魔法を、連続で、しかも正確に。
それで“さほどでもない”、と?
第七王女殿下の侍女にしておくには――惜しい素質だ。」
彼はそっと彼女の手を取ると、その指先に口付ける。
エセルは魔力の衝撃に備えて身を固くしたが――
思ったほどの衝撃はなかった。
「……?」
肩透かしに思わず首をかしげてしまう。
「――足りない、か?」
カイルが伏し目がちに、その指先を見つめたまま言えば、エセルは思わず頷いてしまう。
「やはり……そうか。
人間は、刺激に簡単に慣れてしまう生き物だから――」
彼はそう言って、ゆっくりと身を乗り出した。
そのまま距離を詰め、
エセルをソファーの端へと追いつめる。
「失礼――」
言いながら彼の目が閉じられ――
そのまま、口づけられた。
以前のように、一瞬ではない。
深く、確かめるように口づけられた。
――ああ……
エセルは、悟った。
いつの間にか――
魔法の後に彼から魔力を与えられることが、
当たり前になっていた。
そしてそれを、
自分が求めていたのだと。
そして、一つ段階を進めてしまえば、元には戻れないということを。




