第十四話 祝宴の席に、ひとり足りない
その日の終業時間、エセルはカイルに言われたとおり、騎士団の駐屯所へ立ち寄った。
登城の際、彼に強く念を押されていたからだ。
カイルはまだ、エセルをブラント伯爵家へ返すつもりはない。
とはいえ――昨日の侯爵邸での一件は、彼にとっても小さくない衝撃だった。
かといって、エセルを一人で侯爵邸へ戻らせることもできない。
駐屯所の門兵に声をかけると、エセルは門の内側へ通され、しばし待たされた。
若い騎士たちが、チラチラと彼女を見ては、意味深に肘をつつき合っている。
「すまない、待たせたか?」
蹄の音とともに現れたのはカイルだった。
ノクスを駆り、馬上からエセルへ手を差し伸べる。
その手を取った瞬間、エセルの身体は軽々と引き上げられた。
周囲の若い騎士たちから、低く押し殺した歓声が漏れる。
「そ……それほど、待ってませんっ」
昨日は甲冑だった。
今日は軽装の騎士服――カイルの体温が、直に伝わってくる。
どくん、と心臓が跳ねた。
――抱きしめられているみたい……
エセルの動揺を知ってか知らずか、カイルはそのまま馬を進める。
駐屯所から城門へ至るまで――
その姿は、多くの貴族や令嬢の目に触れた。
誰もが目を見開き、息を呑む。
――夜会の格好の話題だと、ほくそ笑む者。
――難攻不落のカイルがついに落ちたと、嘆く者。
――なぜあの娘が、と、露骨に不快を示す者。
ざわめきは、瞬く間に広がっていった。
「カ……カ……カイルさま……、私たちのこと――広がっちゃいますよ?」
おびえた声でエセルが言えば、カイルは不思議そうに首をかしげる。
「何か問題でも?
君が私のものだと、早く知れ渡った方が都合がいい」
――そ……そうか。私は風除けなんだから、周りには相手だと知られた方がいいのよね?
またもや妙な具合に納得しかけたが――
「いやいやいやいやいや、でもやっぱり問題ですよっ!
噂の訂正だって面倒ですし、尾ひれ羽ひれが付いたら収拾が――」
「別に構わない」
――きゃぁぁっ、言い切った……!即断即決、かっこいいっ……っ!
……じゃぁなくってぇぇぇぇぇっっっ
エセルが馬上で身もだえ、百面相を繰り広げているうちに、
二人は城門を抜け、市街地へと入っていった。
白亜の侯爵邸に舞い戻れば、二人を出迎えたのは、カイルの両親――侯爵夫妻だった。
「昨日は帰宅できず、すまなかったね。
初めまして、君がエセル嬢か。――カイルの父、アルベルト・ヴァルデンだ」
屈託のない笑みを浮かべ、手を差し伸べる。
「あなたがエセルさん?
まあ……! この子ったらお見合いを全部蹴ってしまうものだから、一時はどうなるかと思ったけど……。
あなたみたいなお嬢さんが本命だったのね!? 本当にうれしいわ!」
喜色を隠そうともせず、抱擁を求めて身を乗り出してくる。
思いがけない歓待に、エセルは目を白黒させ、なすがままにされていた。
そこへ、カイルが苦笑まじりに手を伸ばし、彼女を引き寄せる。
「母上。以前にも申し上げましたが――私は、ずっと彼女を待っていたのです。
気安く触れないでください。
……私ですら、ようやく触れられるようになったのだから」
「ふん……減るものでもないでしょうに。ケチな子ね。
まあいいわ、着替えていらっしゃい。すぐに晩餐にするわよ。
今日はエセルさんの歓迎に、料理長が腕を振るっているんだから」
侯爵夫人は少女のように片目をつぶると、くるりと踵を返した。
侯爵を促し、そのまま食堂の方へ去っていく。
「……母は、男爵家の出でね。誰にでも気安いんだ。気を悪くしないでくれ」
去っていく背を、ため息まじりに見送りながらカイルが言う。
「いえいえ、大丈夫ですよ。気さくで素敵な方ですね」
微笑んだエセルを見て、カイルはふっと肩の力を抜いた。
やがてエセルは、騎士服から平服へと着替えたカイルにエスコートされ、食堂へと向かった。
席は五つ、用意されている。
侯爵夫妻はすでに席についており、食前のワインを楽しんでいた。
「うちはね、家の中ならマナーだの何だの、そんなにうるさくないの。
食前に一杯――これがねぇ、最高なのよ。エセルさんもいかが?」
上機嫌の侯爵夫人は、自らの隣の席を軽く叩いてみせた。
「は、はい。それでは、失礼いたします」
エセルが席に付くと、空のワイングラスへ食前酒が注がれる。
――異物は、入っていない……。
グラスも酒も透明だから、確認できる……
グラスを傾けると、白ワインの芳醇な香りが立ちのぼる。
そのままグラスの底を見つめていると――
どうしても、昨日の“ガラス入りのお茶”を思い出してしまう。
「それでは――カイルが花嫁候補を連れてきたことを祝して。
エセル嬢の歓迎に、乾杯」
侯爵は上機嫌にグラスを掲げる。
侯爵夫人は揚々と、カイルは淡々と、エセルはおずおずと、それに倣った。
グラスに口を寄せる。
――ああ、さすが侯爵家……美味しい。
……でも、侯爵閣下、“花嫁候補”って言ったわよぉぉぉぉ。
――カイル様、私のこと正直に言っていないのかしら……?
もしかして、セリーナ嬢との婚姻を許さないのは、侯爵閣下だったりして……?
エセルがせわしなく思考を巡らせていると――
食堂の扉が、静かに開いた。
最後の席を埋める人物が、姿を現す。
……車椅子のセリーナだ。
彼女は一瞬、食前に杯が傾けられているのを見て、わずかに眉をひそめた。
だがすぐに何事もなかったかのように胸を張り、カイルの隣の席へと着く。
「お義父様、また先に飲んでいらしたの?
全員が揃ってからが良いと、何度も申し上げているでしょう」
セリーナがむくれると、侯爵はあたふたとグラスをテーブルへ戻した。
「いやぁ、すまない。カイルの花嫁がやって来たものだから、つい嬉しくて――」
眉尻を下げた侯爵を、セリーナは容赦なく睨み据える。
「何をおっしゃっているの?
今日はカイルの凱旋祝いの晩餐でしょう」
――耳の奥が、きん、と鳴った。
一瞬で、食堂の空気が変わる。
張りつめて、ひやりと冷えた。
「ああ……花嫁って……今回の功績で、やっとカイルとの婚姻を認めてくださるって事かしら?
ふふ、それなら確かに――おめでたいわね」
彼女の珊瑚色の唇が、楽しげに弧を描く。
目の前のグラスに白ワインが注がれた。
セリーナはそれを手に取ると、カイルの方へと掲げてみせる。
カイルは――
まるで化け物でも見るような顔で、セリーナを見つめていた。
「――カイルったら、そんな顔をしてどうしたの?
そんなに驚くことかしら」
セリーナは軽く肩をすくめ、ワイングラスに口を寄せる。
「……そうだな。今日はめでたい日だ」
先ほどまでの上機嫌は消え、侯爵は平坦に言った。
「……カイルのお嫁さん……。
誰でしたっけ……」
侯爵夫人が、ぼんやりと呟く。
――ちょ、ちょっと……一体どうしちゃったのよ。
これじゃあ、まるでさっきとは別人……
エセルは意味も分からぬまま、周囲を見回した。
そのとき――何事もなかったかのように、晩餐の料理が運ばれてくる。
侯爵へ。
次に夫人へ。
そしてカイルへ――セリーナへ。
ワゴンで運ばれてきた料理は、確かに五人分ある。
それなのに、一人分だけ、テーブルに置かれない。
――『違和感を覚えたら、解呪をかけてみろ』
昼間のヘルマンの声が、はっきりとよみがえる。
――ここが使い時かしら……
エセルは、ワゴンが去る直前――
心の中で、解呪を詠唱した。
パンッ
空気がはじけた――そんな感覚が走る。
確かに、何らかの魔法が破られた証だった。
「「――っ」」
侯爵夫妻も、ワゴンを押していた使用人も、控えていた執事も――
皆、夢から覚めたように周囲を見回し、互いに視線を交わした。
「お嬢様、大変失礼いたしました」
給仕は慌ててエセルの前に皿を並べていく。
セリーナだけが、不思議そうにその様子を見つめている。
――そしてカイルは。
なおも、恐ろしいものでも見るような眼で、
セリーナを見つめていた。




