第十三話 魔力の番
怪訝な顔をしたエセルには気が付かず、カイルは、ボソボソとつぶやく。
「ああ。
それより……君の血は……一体何なんだ?」
「私の……血?」
「ああ、花のような、樹脂のような――ものすごい匂いだった。
今でもほのかに香っている。」
エセルはクンクンと包帯に鼻を近づけて匂いを嗅いでみたが、特に何の臭いもしない。
強いて言うなら消毒薬の臭いがかすかにした。
「何も感じませんが――」
「そうなのか?」
カイルも不思議そうに首をひねった。
「それはともかく――、『こういった事態が三回目』とは、どういうことですか?
以前にも同じようなことが?」
エセルが切り出せば、カイルはすぐに頷いた。
「実は七年前と五年前――家に女性を招いたことがあったのだが……。
七年前は、私の古くからの友人。五年前は、婚約がまとまりそうな相手だった。
あの時はケーキに虫ピンが入っていて、神殿から聖女を派遣してもらう事態となった。」
「……その方は無事だったのですか?」
「ああ。命に別状はなかった。……無論、縁談は白紙に戻ったが。」
――それ、絶対にセリーナ嬢が関わっていますよね。
彼女が仮病を使ってカイルをはじめ周囲に同情を買っているのは分っている。
でも、あんなあからさまな手管に、侯爵家の面々が振り回されているのが少々おかしかった。
そして、それを愚直にカイルに告げて良いものか、エセル自身にも判断が付かなかった。
「すまない、エセル嬢。君自身の事でも大変な時に、我が家のことにまで巻き込んでしまって。」
エセルが考えているうちに、カイルは申し訳なさそうに頭を下げてくる。
「それは――、まあ私が助けていただいている立場ですし――
でも、食事のたびに気を張るのは、さすがに遠慮したいところです。」
「……肝に銘じる。 とりあえず、今夜は我が家に泊まって行ってくれ。
では、客室に案内しよう。」
カイルが先立って、侯爵邸内を歩く。
何人かの使用人とすれ違ったが、特に敵意は感じない。
しかし、彼らとすれ違う時、微かな、妙な気配を感じ取る。
その日、それ以上のことは起こらなかった。
だがエセルは、なかなか寝付けず、暗闇の中で天井を見つめた。
侯爵夫妻は急用で帰宅せず、あいさつは後日となった。
神経が逆立ったまま、付与魔法士としての本能が、警鐘を鳴らし続けていた。
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「――どこをどう転んだら、遠征から帰ったその日に、男の家に転がり込むなんてことになるんだよ……」
魔術師の塔の団長室に、今朝帰ったばかりのヘルマンは、エセルから報告を受けて、深いため息をついた。
「だって……あのすばらしい戦場から帰ったら、出迎えたのはプリニーツ伯爵。
私を変態に調教しようって、舌なめずりして襲ってきたんですよ?
藁をもすがる思いでしたので、カイル団長のお誘いに乗るのは何らおかしくもないはずです。
それよりも――、聞きたいことがいくつかあるのです。」
エセルは、昨日カイルに巻いてもらった包帯をくるくるとほどいてゆく。
すっかりほどくと、傷に当ててあるガーゼを慎重に外し、指をヘルマンへと差し出した。
「……ただの指……だが、どうした?」
「え?」
ヘルマンの言葉に驚いて、エセルは自分の指先を見た。
昨日はぱっくり割れていたはずの傷が――ない。
「あ……あれれ? おかしいな。昨日はここに結構深い切り傷があったんだけど……
侯爵邸で、理不尽な悪意に晒されまして――、指をザックリ切ったんです。」
「ほう? お前が怪我をするなんて、珍しいな……。で?」
ヘルマンは面白くもなさそうな顔で先を促した。
「血が結構出て、そしたらカイル団長がぼーっとなっちゃって……
指を舐めてくれたんです。それから手当てして……
ヘルマン団長、カイル団長が血から甘い匂いがするって言っていたんです。」
「――甘い匂い……だと?」
ヘルマンの表情が変わった。真剣な顔で身を乗り出す。
エセルは彼の豹変に驚いてヒッと息を呑み、半歩後ずさる。
「は……はい、カイル団長、私の血を舐めて恍惚としていました。
あれは一体……どういうことですか?」
「――そうか……いや、本当に……そうなのか?」
ヘルマンはしばらく黙り込み、それからエセルを見た。
「――付与魔法士は、特別扱いだから――、魔術師についてはちゃんと知る機会がないもんな……」
何度かうなづいて、自分を納得させてから、言葉を選ぶ。
「付与魔法士は、騎士にばかり付与魔法をかけて、魔法士団には滅多にかけない――
不思議だと思ったことはないか?」
真剣な彼の目に、エセルは慎重に考えてから、ゆっくりうなづく。
「そういえば、そうですね。
魔法士団を強化したらもっとすごい魔法が使えそうですが――」
「ああ、魔法を付与魔法で底上げすることは不可能ではないが、
術者同士の魔力相性がかなりシビアに問われる。」
「……というと――」
エセルの脳裏に、つい先日の遠征の光景がよぎる。
「魔術には相性があり――、特に相性がいい者を“魔力の番”という。
番同士で魔力をやり取りすれば、相乗効果が生まれたり、強い快感を伴うとも聞く。」
「――ふぎゃっ」
エセルは、天幕での“効率的な魔力補給”――カイルとの口づけを思い出してしまい、
カエルのつぶれたような声をあげた。
「……その顔は、もう何か体験済に見えるが……まあいい。
で、そう言った番同士では――
相手の血液や体液が、非常に甘美な媚薬となったり、驚異の再生力を示す万能薬として機能したりするらしい。」
「じゃあ、カイル様が私の血から甘い匂いを感じていたのも、舐められた傷がすぐに治ったのも――
魔力の番、だからですか?」
エセルが念を押すように聞くと、ヘルマンは重々しくうなづいた。
「魔力の番など、滅多に見つかるものではない。
……本来なら、めでたいことだ。
それに、カイルも少し前に魔力の番について聞いてきたから――あいつも知ってるかもしれん。」
「魔力の番が見つかったら――どうなるんですか?」
エセルが泣き笑いみたいな表情でたずねる。
「そうだな……魔法士団の団員同士なら、バディを組ませたり、婚姻を結んだり――
生涯の伴侶として過ごすことが多いかな……
騎士と付与魔法士は、最近はほとんどない。そもそも騎士が魔力を持っていることがまれだから。」
「結婚! 生涯の伴侶!?
えええええっっっ、困りますよぉっ!」
エセルが叫べば、今度はヘルマンが怪訝な顔をする。
「なにも困らないだろう?あいつとお前は、付き合うことになって、いずれ結婚するのだろう?
何が不都合が――」
「不都合だらけですよっ! 彼には本命がいるんですっ!
お屋敷に大層御令嬢らしい、美しい方がおりますっ!
私との関係は、一時的なものでしかありませんっ!」
「はぁっ? それは本当か?」
「はい……。昨日だって私が、カイル様とその方の仲を引き裂く悪女に見えたんでしょう。
彼女の侍女にお茶にガラス片を入れられまして――それで手を切ったのです。」
沈痛な面持ちでエセルが指を庇い、ヘルマンは頭を抱える。
「あの家は、またそんな事しているのか……侯爵家の使用人ともあろうものが……」
「そうなのですが……どうにも引っかかるのです。
出会ったばかりの令嬢にガラスを仕込むなど、ちょっと高位貴族の使用人にしては短絡的というか――
しかも三回目で、前回は多額の慰謝料まで払ってるのに――」
「たしかに、そうだな……その後令嬢とは……足の不自由な、身体の弱い方だった、か?」
「ええ、でも身体が弱いのは仮病だと思います。
周囲の注意を引くためのものに見えました。」
「ふむ……」
ヘルマンは再び黙り込む。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「――お前、解呪系の魔法は使えたか?」
「はい。付与魔法を解除して、掛け直す時などに、使います。
それが?」
エセルの返答に、ヘルマンは難しい顔のまま言った。
「ごく弱いやつでいい。今度違和感を感じたら、その都度解呪魔法をかけて見ろ。
何かわかるやもしれん。」




