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推しの騎士団長に玉砕するはずでした――利害一致から始まる偽装交際。三十歳年上の変態伯爵の九番目の妻にはなりたくありません!  作者: じょーもん


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第十二話 甘い匂い

 きっかり三十秒、エセルはカップの底を見つめていた。


 ――うわあああっ!

 でたっ! 出ましたよぉっ!

 こんな物語みたいな嫌がらせ、実在するんですねぇっ!


 不覚にも、少し面白がってしまっていた。


 エセルは手を切らないよう注意深くガラス片をつまみ上げ、光にかざす。

 透明で平らなそれは、窓にはめられている板ガラスのようだった。

 まず自然に客人のティーカップに入るものではない。


 ……しかし、本当にこれから侯爵邸にお世話になるなら、

 いちいち食事から何から気を付けなければならないとは……


 少々面倒ですね。


 ガラス片を傾けると、光がキラキラと反射した。

 その輝きを見つめていると、ドアがガチャリと開く。


 カイルが入って来た。


「待たせてすまない。

 義妹は元気そうに見えて、すぐに体調を崩すから、油断できないんだ。」


「――義妹……さん、ですか。」


 エセルの向かいにカイルが座ると、すぐに入れたての茶が彼にも供された。


 淹れたのは、先ほどエセルに茶を運んだ侍女とは別の者だった。

 ティーポットも違う。


 その香りに、エセルは思わず眉を上げる。

 明らかに、カイルの茶の方が高級な香りだった。


 ――うーん、私、歓迎されてませんねぇ……


 まあ、あんな素敵な“義妹”さんがいらっしゃって、

 私のようなのが来たら、それは面白くないかぁ……


 エセルはなんとなくガラス片を指先で弄びながら、ぼんやりと考え込んでいた。


「……エセル嬢? そのガラス片、どうした? そんなもの持っていて危ない――」


 カイルが目ざとく見つけ、不意に声をあげたのに驚いて、手元が狂う。


「あっ……」


 ガラス片は彼女の指を切り、ポチャンとティーカップの中へと転がり込んだ。


 切り口は思いのほか深かった。

 真っ赤な鮮血が、ぽたぽたと白いテーブルクロスに落ちる。


「すっ、すみませんっ! どうしよう……汚れちゃ――」


「何を言っているんだ! そんなことより指が――」


 カイルは慌てて立ち上がると、エセルの手首をつかんで彼女の心臓より高く掲げた。

 そして指の付け根をぎゅっと圧迫する。


 流れる鮮血は、カイルの手も汚した。


 カイルはテーブルの上に素早く視線を走らせた。

 エセルのティーカップを見て、ぎょっとする。


 茶の底に沈んでいたガラス片は――

 一つではなかった。


「――おい、これはどういうことだ!」


 部屋の隅で控えていた侍女に声を飛ばすと、彼女はあたふたと駆け寄ってくる。


「――こ、これは……!

 お客様にお茶をお出ししたのは別の者でして、私にはわかりかねます……!

 すぐに執事どのを呼んでまいります!」


「救急箱も持ってこい!」


 侍女は慌てたまま、転がるように部屋を出て行った。


「はぁ……すまない。

 はなから君を連れ帰るつもりで先触れを出したことが、あだになったか……。

 この家では時々こういうことが起きて――

 ……それにしても君は、ずいぶん落ち着いているのだな。

 令嬢なら取り乱してもおかしくないのに。」


 カイルが心底申し訳なさそうに言うのを、エセルは首を横に振って止める。


「まあ、この程度の傷、舐めておけば治るというか……」


「舐めておけば……ねぇ?」


 カイルの小鼻がヒクリと動いた。

 スッと目が細められる。


 エセルの手に、彼の顔が近づいた。


「何だろう――この……甘い匂い……」


 彼の目が、恍惚と細められる。


「え……」


 エセルの目が見開かれた時には、

 カイルはすでに彼女の指先へ顔を寄せていた。


 流れ落ちた血を、我を忘れた様子で舐め取る。


「ちょっ……あ……あぁぁっっ」


 舌は指先へと這い上がり、

 そのまま傷ごと指を口に含んだ。


 エセルは青くなったり赤くなったり、混乱を極める。

 カイルはその間も一心不乱に指を舐めしゃぶり――

 その顔は上気し、呼吸が荒くなってゆく。


 ――ななななななんなのよぉっ!

 色気が凄いっ!

 って、そうじゃなくってぇぇっっっ!


 身を引こうにも、ソファの背と彼の腕に囲われて――

 エセルに逃げ場はない。


 ――このままじゃ、私……(比喩じゃなくて)食べられちゃうっっ!


 叫びそうになった、その時。


 廊下の向こうから、慌ただしい足音が近づいてくる。


「――っ」


 カイルはハッとして、エセルの指を解放した。


 彼の唾液で濡れた指は、まだ出血が止まっておらず、

 じんわりと血がにじんだ。


「救急箱っ、お持ちしましたっ!」


 先ほどの侍女が一抱えもある木の箱を掲げる。

 執事も大変慌てた様子でそれに続いた。



 +++++



「――では、お客様の茶にガラス片が混入していた、と……」


 カイルがエセルの指を消毒する傍ら、執事が困ったように額の汗をぬぐう。


「ああ。しかも今回は一つじゃない。三つもだ。

 しかも、もうこんなことは三回目だ。

 一体、我が家の使用人はどうなっている……」


 吐き捨てるように言ったカイルに、執事は恐る恐る進言する。


「――おそらくまた、カイル様やセリーナ様を思うあまり、

 暴走した者の仕業かと。」


「前回、客人を害した者がどうなったか、皆知っているだろう?

 我が家がどれだけ相手方に頭を下げ、許しを請うのに苦労したか、

 どれだけの慰謝料が動いたか、知らぬわけではあるまい。」


 カイルは、傷口にガーゼを当て、包帯をぐるぐると巻き上げていく。


「――前回は五年前です。もう事情を知らぬ者も何人かおります。」


「言い訳になってない。

 そんなことをして、私やセリーナが喜ぶとでも思っているのか!」


 怒りをあらわにするカイルを眺めながら、

 エセルは黙ってやり取りを聞いていた。


 ――私の両親は……これ幸いと、私を連れ戻すのかしら。

 それとも、慰謝料を吹っ掛けたり――


 考えれば考えるほど、この一件が実家に知れるのはまずい気がする。


「あの――カイル様。実家での一件もありますので……

 この件は穏便に、内密にしていただけますか?

 隙を与えたくないのです。」


 エセルが進言すると、執事はあからさまに安堵の表情を浮かべたが、

 カイルはなお難しい表情のままだった。


「確かにそうだが――それとこれとはまた別で……」


 カイルが言い淀んだその時。


 廊下がにわかに騒がしくなり、

 車椅子のセリーナと、彼女に付き添う侍女たちが現れた。


「カイルっ! ごめんなさい。全部私が悪いのよっ。

 私の侍女が、私を思うあまり――こんなことを……」


 泣きそうな顔で、彼女はカイルへと近づき、必死の形相で訴える。

 その目には涙すら浮かんでいた。


「いいえっ、お嬢様は悪くありませんっ!

 全てはお嬢様の侍女を代表して、私の監督不行き届きで――」


 横から年配の侍女が口を挟む。

 他の侍女とは身なりが違う。どうやら侍女長らしい。


「違います! お嬢様も、侍女長も、全く悪くありませんっ。

 全ては私の一存で行ったことです。厳罰も受け入れます。

 だから――罰するなら私だけを……」


 年若い――先ほどエセルに茶を供した侍女が、

 泣きながら膝まづいた。


 するとセリーナは車椅子から無理に身を起こし、

 床へと膝まづく。


 床に伏した年若い侍女の肩を抱いた。


「いいえ、侍女の失態は、主人である私の失態でもありますわ。

 カイル、どうぞ私も罰してくださ――」


 ゴホッ、ゴホッ……


 侍女をかばったセリーナが、突然激しくせき込み始める。


「お嬢様っ!」


 侍女長が慌てて彼女を助け起こす。

 執事も懐から常備の吸入薬を取り出し、彼女の口に当てた。


 ――一体、私は何を見せられているのかしら……


 一連の騒動を眺めていたエセルは、目を細めた。


 彼女は付与魔法士。

 付与魔法をかけるうえで、対象の身体の状態は重要な判断材料になる。


 だから、無意識にセリーナの健康状態も感じ取っていた。


 ――仮病……

 足が悪いのは本当。

 でも体調うんぬんは、完全に仮病としか考えられない。


 この茶番を前に、エセルはどう振る舞うか逡巡する。


 わざわざここでカイルに言っても、ことをややこしくするだけに思えた。

 だから、沈黙を守ることにする。


「はぁっ……はぁっ……カイル……また身体が――」


 弱々しくセリーナはカイルへと手を伸ばした。


 だが今度は、カイルがその手を取ることはなかった。


「セリーナを自室へ。

 侍女、貴様はクビだ。顛末は両親へ事後報告しておけ。

 他言無用を条件に、エセル嬢は穏便に済ませるつもりだ。

 彼女に感謝しろ。」


 カイルが話は終わりだと顎で外を示すと、

 セリーナは侍女長に、実行犯の若い侍女は執事に連れられて退席していく。


 再び二人きりになった時、

 カイルはエセルを抱きしめ、その肩に頭を預けて深く息を吐いた。


「すまない……君を守ると言ったのに……

 目を離した隙に、傷付けられてしまった……」


 その弱り切った声は妙になまめいていて、

 エセルの中でズクリと何かが鎌首をもたげた。


「大丈夫です。でもよかったのですか?

 セリーナさまをお送りしないで。」


 何でもないことのように言いながら、

 エセルもそっと彼の背に手を回した。


「ああ、構わない。私も少し甘やかしすぎていた。

 私の甘い態度も、

 使用人どもに勘違いさせていたかもしれない。」


「勘違い……ですか……」


 エセルは小さく繰り返した。


 そうだろうか、と。


 どうにも腑に落ちないものを感じながら。



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